【第6章】 花火キャンプ編 11
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十月一日(キャンプ当日)
午後三時
完全予約制のキャンプ場「Green Garden 美丘」は実にいいキャンプ場に思えた。前情報の通り、チェックインの手続きも無く、誰にも会わないままに予約していたBサイトに車を入れることができた。他サイトからも遠い。これなら奈緒といるところも見えないだろうし、声も通らないだろう。
「良いキャンプ場ね。流石ナオちゃん。」
車を降りてサイトを見渡しながら春香がそう言うと、奈緒は後部座席で「でしょ」と笑った。
朝方はめそめそと泣いていた奈緒だったが、今はすっかり通常運転に戻っている。春香としてはありがたいが、その切り替えの早さも奈緒の心配なところの一つではある。どういう精神構造になっているのだろう。
「じゃあ、ナオちゃん。私がキャンプ場全体を一回りして、安全かどうか確かめて来るから。ナオちゃんはまだ車から出ちゃダメだよ」
「はーい」
相変わらずの軽い返答に若干の不安を感じながら、春香はキャンプ場を散策する。今日は朝のマラソンをしていなかったので、耳のワイヤレスイヤホンをつけ、音楽にのりながら駆け足でキャンプ場をまわることにする。
通行止めの丘。
管理棟には、作務衣姿の管理人。
Cサイトにはソロで来ている少年。車がなかったので、徒歩キャンパーなのかもしれない。
そしてAサイト。黄色いキャンピングカーと、女性キャンパー。遠目なのと、角度的に顔がよく見えなかった。それより目立っていたのは場違いなセーラー服の少女。着替えを忘れたのだろうか。
まあ、変に関わってくる人はいなさそうだ。奈緒もサイトの中を出なければ大丈夫だろう。
春香は安心すると、奈緒に車から出てきて良いよ、と言おうと、サイトに戻った。
だが、サイトはもぬけの殻だった。
春香の車にいたはずの奈緒がいない。
あいつ・・・・・・。
春香はすぐさまスマホを取り出し、奈緒から教えられていた番号に電話をかける。
ワイヤレスイヤホンにスマホのスピーカーが自動接続され、イヤホンからコール音が流れる。数コールで『はいはーい。ナオちゃんでーす』と奈緒の声が聞こえた。
「ナオちゃん! どこにいるの!」
私の押し殺した怒りの声を、ワイヤレスイヤホンのマイクが拾う。
『うーん。キャンプ場をぶらぶらしようと思って』
自由か!
「なんで! 誰かに見つかったらどうするの!」
『別に大丈夫だよ。写真とか撮られない限りは』
「いや、そうだろうけど・・・・・・」
春香はため息をついた。
「ナオちゃん。なんにしても、一度戻ってきてよ。テントの設営とか、料理とか、あるんだから」
『はい。ここで問題でーす』
「はあ?」
奈緒がにやりと電話口で笑うのがわかった。
『十月一日。今日は誰の誕生日でしょーう?』
春香は目をつぶった。そうきたか。
まあ、毎日あれだけ世話になってるからな。
「・・・・・・しょうがないわね。わかったわよ。私が全部やっとく。カレーが出来る頃には戻ってきなさいよ」
『ありがと! ハルちゃん大好き!』
そう言って通話を切ろうとする奈緒に「ただし!」と声を荒げる。
「通話はずっとつなげておいて。何があるかわからないから」
奈緒はしばらく沈黙した後、『おっけー』と笑った。
『じゃあ、切らないでおくねー。でも、ずっとしゃべってはいないと思うけど』
「わかってる。つなげてるだけでいいわ」
『はーい』
その後、奈緒のざくざくという足音だけがイヤホンから響いてきた。どうやら散歩中のようだ。
まあ、奈緒には隠密スキルがあるから、心配のしすぎかもしれない。だが、用心にこしたことはないだろう。
そう思って顔を上げた春香はぎょっとした。
春香のサイトの数メートル先の車道に、Aサイトにいたキャンピングカーの女性がてくてく歩いていく背中が見えたからだ。
ついさっき、このBサイトの横をよこぎったということか。会話に夢中で気がつかなかった。
奈緒との会話を聞かれただろうか。まあ、聞かれてまずいような内容ではなかったはずだが。
そもそも自分はワイヤレスイヤホンで会話をしていた。自分の髪型は、耳をすっぽり覆っているから、きっとイヤホンも見えていまい。
ということは、独り言をつぶやいているように見えたかもしれない。ちょっと変な奴だと思われたかも。それはショックだな。
春香はせっせとキャンプ道具を車から運び出し、地面に並べた。まずはテントを設営し、次はチェアと焚き火台だ。
イヤホンからは時折、奈緒のご機嫌な鼻歌が聞こえてくる。いい気なもんだ。
しかし、考えてみると、春香はここ数ヶ月ずっと奈緒に家事を任せっきりだ。洗濯機の操作方法も忘れてしまっているのではないかというほど。
誕生日ぐらい、私がもてなしてやろうではないか。
あらかたの設営が終わると、春香は食事の下準備に入ることにした。最寄りのスーパーで買ってきた食材をクーラーボックスから取り出す。
にんじん。ジャガイモ。タマネギ。牛肉。
言うまでもなく、カレーである。
誕生日なのだから、ビーフシチューなど、特別感のある物を作ろうと春香は提案したのだが、奈緒は「カレーが良い」と言って聞かなかった。「ハルちゃんとカレーが食べたい」とのことだ。
夏休みのキャンプ。春香と奈緒とナツの三人でカレーを作った。あの思い出が奈緒の中にまだ生きているのかもしれない。
春香はカゴに野菜を入れて、Bサイトを出た。管理棟の横に炊事場があったはずだ。そこで野菜を洗おう。
木漏れ日の中を歩きながら、春香は「ナオちゃん。問題ない?」とイヤホンに呼び掛けた。
沈黙。
あれ? 電話、切れてるのかな?
いぶかしんで耳を澄ましてみると、わずかな物音と、人の声が遠くに聞こえる。奈緒の声ではない。一人の女性の声だ。
『ちゃんと買って・・・・・・』
『ほら。いい感じ・・・・・・』
『え、昨日の、あの動き・・・・・・』
『花?』
『流れ星?』
『わかった! カエル!』
『カンナ? ちょ、カンナ!』
なんの話だ? 流れ星? カエル?
会話のようなテンションだったが、それにしては相手の返答がない。内容も意味不明だ。
しかし、奈緒が返事をしない理由がわかった。どうやら近くに人がいるので隠れて息を潜めているのだろう。
今のところ、見つかりそうな気配はないようだし、ここは奈緒の隠密スキルを信じることにしよう。
春香は炊事場につくと、野菜を洗おうと腕をまくった。そこで昨夜ついた腕の傷痕を思い出す。派手に痕がついている。
奈緒が薬を塗って冷やしてくれたおかげで腫れたりはしていなかったが、しばらく消えないだろう。とはいえ、痛みはほとんどないし、気にするほどのものではないと春香は思っていた。
昔、実の母親にやられた傷を考えれば、全くとるに足らない。
本気で相手を傷つけようとする攻撃はこんなものではないのだ。もっと凄惨で、生々しいものだ。
それに比べれば、可愛いものである。
そんな事を考えながら野菜を洗っていた春香の耳に、奈緒の押し殺した声が届いた。
『・・・・・・ハルちゃん。まずいことになった』
春香はピタリと野菜を洗う手を止めた。
「なに? どうしたの」
数瞬の沈黙後、奈緒は言った。
『なっちゃんがいる』
「は?」と呟いた春香は愕然とした。
「なっちゃんて、あのなっちゃん?」
『そう。斉藤ナツ』
春香はあまりの事態に固まってしまった。蛇口から流れっ放しの水が掌を打つ。
斉藤ナツ。あの夏休み、春香に生きる力を与えてくれた少女。奈緒と同じく、春香にとっての生涯の親友。
『黄色いキャンピングカーが停まってたサイトがあるでしょ。Aサイト。そこにいたソロキャンパーがなっちゃんだったの』
Bサイトの前をてくてく歩いて行く背中が頭に浮かぶ。顔が見えなかったから気がつかなかった。
え、会いたい。
会って話をしたい。あの夏休みキャンプのことを話したい。いや、なっちゃんは覚えていないんだったか。じゃあ、それからのことを。お互いの事を。たくさん話したい。そうだ。奈緒もいるんだから、三人で、昔みたいに。
そこまで考えて春香は思い出してしまった。
ナツと奈緒は去年の冬、殺し合ったのだ。
そんな、三人で歓談なんて、出来ないんだ。出来るわけがないんだ。
絶対に二人を会わせちゃ行けない。
また、殺し合いになる。
「ナオちゃん、今、どこにいるの」
『Aサイトの中』
「はあ?」
なんでなっちゃんのサイトの中にいるんだよ。
奈緒が言い訳がましく言う。
『いや、可愛い色のキャンピングカーだなあって思って覗いてみたの。そしたら誰もいなくてさ。ラッキーってサイトに入った瞬間、なっちゃんが帰ってくるんだもん。とっさに隠れたけど・・・・・・』
なるほど。そして隠れ場所から出るに出られず、サイトに閉じ込められたという訳か。
ていうか、他人様のサイトに無断侵入するんじゃない。自業自得じゃないか。
「今、なっちゃんは?」
『なんか焼き肉しながら独り言を言ってるなーと思ってたら。さっきまたサイトを出て行った』
奈緒が身を起そうとするような物音が聞こえた。
『ていうことで、チャンスだからあたしも出るね』
「ちょっと待って!」
春香は慌てて奈緒の動きを制止する。
「さっき、見たとき、そのサイトにはセーラー服の女の子もいたわ。確認出来てる?」
『え? JK? そんな子、見てないけど・・・・・・』
「じゃあ、もしかしたらキャンピングカーの中にいたりするのかも」
『マジか』
春香は蛇口から流れ出て自分の手に当たって弾けている水しぶきを睨み付けた。
「・・・・・・どうする?」
『もしJKがサイト内にいるんだったら、あたしは動けないよ。隠れ続けるしかない』
奈緒は春香の部屋で美和子さんから丸二日隠れ通した。それを考えれば、なっちゃんと女の子が寝静まるまでぐらい、なんとかなるだろうとも思える。
しかし、記憶の中の斉藤ナツは恐ろしく勘の鋭い女の子だった。それに奈緒の話を聞く限りではその勘は衰えてない。
「気をつけて。見つかったら即、戦闘になる」
『わかってる。別になっちゃんともう一戦交えるつもりは、今日はないよ』
あたりまえだ。ていうか、「今日は」ってなによ。
春香は押し殺した声で言った。
「絶対に、見つからないで」
その時、ざくざくと前から誰かが歩いてくる音がした。
奈緒はナツがサイトを出たと言っていた。
サイトを出てくる場所と言えば、考えれば管理棟ぐらいしかない。つまり、ここだ。
「こんにちは」
記憶の中の彼女より、いくらか気さくな声色だった。
春香はゆっくりと顔を上げた。
身長は春香より少し低いぐらい。使い古したキャップに、ハーフアップの黒髪。髪がまとめられた右側の頬には、奈緒が斧でつけたという大きな傷痕が耳まで走っている。
少し胡乱げな、でも鋭い両目。
斉藤ナツが立っていた。
一瞬、言葉が出てこない。
ナツが怪訝そうな顔をする。そんなナツに春香が無意識に呟いたのは、あまりに懐かしい、キャンプネームだった。
「・・・・・・ランプちゃん」