【第2章】 湖畔キャンプ編 斉藤ナツ 5
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管理人白鳥がずんずん小道を進む。その背中を見ながら後ろをついて行く。
「先ほどの突きは見事でしたね。空手ですか?」
管理人が前を向いたまま肩越しに聞いてくる。
「あ、はい。最近、護身用に始めて」
事実だ。例の事件以降、護身の必要性を強く感じ、近所の空手教室に何度か足を運んだ。その教室自体は半分健康体操のようなゆるい所だったが、ある程度イメージを掴んだあと、もう少し本格的に護身術を扱っている教室を紹介してもらった。その教室は隣町だったので、週に一度ぐらいの頻度ではあるが、半年ほどは通っている。加えて、仕事場に近いジムでキックボクシングも習い始めた。世辞も入っているだろうが、コーチに「筋がいいねえ~ 闘争心がある!」とよく褒められる。
「そうですか! 僕もちょっとかじってましてね。剣道と柔道に関しては段位も持ってますよ」
どうりで、全力の拳がやすやすと受け止められたはずだ。格闘技の有段者からしたら、始めて半年の正拳突きなどずいぶん遅く見えた事だろう。
湖の周りの林を抜けて、湖畔が一望できる開けた天然の芝生に出る。夕日はほとんど没してしまっており、わずかにオレンジの光が水面に美しく映っていた。
「いいキャンプ場ですね」
素直に感想が出た。
世辞ではないのが伝わったのだろう。「ありがとうございます」と管理人はうれしそうに笑った。
「この湖は僕も大好きで、子どもの頃はよく遊びました」
「あ、そんな昔から」
「はい。このキャンプ場は両親が作ったんです」
芝生を抜ける次は林間サイトを突っ切る形になる。外灯などが一切ないため、林に入ると木々の影で足下はもうほとんど見えない。じきに真っ暗になるだろう。帰りはランタンを付ける必要がありそうだ。
「少し急ぎましょうか」
管理人は気持ち早足になりながら、話を続けた。
「大きいでしょう。このキャンプ場。バブル景気の終わりの終わりに出来たんです。その頃は僕もまだ物心ついていませんでしたが、出来た当初はそれはもう繁盛していたそうで。足で漕ぐ白鳥型のボート、見たことあるでしょう。あのスワンボートが湖にたくさんうかんでたんですよ。」
そういえば、キャンプ場の名前も「白鳥湖キャンプ場」だったか。そう言うと、管理人は前を向いたまま頷いた。
「白鳥湖という湖の名前は繁殖の時期によく白鳥が来ることにちなんでいたそうですが、なんにせよそんな名前だから父が張り切ってたくさん白鳥のボートを仕入れて、キャンプ場の売りにしていたそうです。カップルを中心に大賑わいだったらしいですよ。ライフジャケットもたくさん買って、ボート教室を開こうとしていた時期もありました。」
林を抜け、煌々と明かりが漏れるロッジを横切る。
「ですが、僕が中学生の時、事故が起こりまして」
管理人は一瞬だけ私を振り返って続けた。
「年頃の女の子が一人、湖で泳ごうとしたみたいで。浅いところなら全く問題なかったんですが、湖の中心でボートから飛び込んじゃったらしいんですね。あの湖、すり鉢状になっていて、中心はかなり深いんですよ。しかも絡まりやすい水草が底の方にびっしり生えているみたいで。一度絡まったら自力ではなかなかぬけれられないそうです」
「亡くなったんですか」
「残念ながら」
管理人がまたメガネをクイっとやったのが後姿からもわかった。
「いつまでたっても上がってこない女の子を見て、ボートに残っていた彼氏さんが大騒ぎして事故が発覚しまして。そのボートがあったその一辺を捜索隊が懸命に探したそうです。しかし、水草と藻にからまった彼女はまったく浮かんでこず、遺体を発見するのにも丸一日かかったそうです。もし彼氏さんがいなかったら、誰にも気づかれず、発見されず、今日まできたでしょうね」
そこまで聞いて、私の脳裏にすっと浮かんだのは美音の姉だった。誰にも知られず、気づかれず、探されず、遺体すらいまだ発見されていない。人間は条件さえそろえば、本当に、いとも簡単に、存在が消えてしまう。
「お察しの通り、そこから客足は途絶えました。田舎ですからね。スキャンダルは一気に広まります。加えて、当時のキャンプブームも過ぎるわで、遠方からの客も望めなくなった。そしたらこんな山奥、誰も来ません。当然、経営難に陥り、白鳥ボートは二束三文で一羽残らず売り払われてしまいました。今では古びた手漕ぎボートと、僕の趣味のモーターボートが一艘あるだけです」
駐車場に戻ってきた。道沿いなのもあってか、電柱に設置された電灯が一つあり、3台の車と、例の古びた「白鳥湖キャンプ場」の看板を照らしている。
愛車のミニクーパに向かいながら、改めて看板に目をやる。時代を感じさせる白鳥キャラクターが、相も変わらずおどけたポーズを決めていた。あんたも苦労したのね。「そこから細々と経営していたんですが、数年前に両親が他界し、僕がキャンプ場を引き継いだというわけです。」
ここまで軽く相槌を打つにとどめていたが、話が一段落ついたようなので、一言いりそうだ。逡巡したあげく、「大変でしたね」とだけつぶやくのにとどめた。
ジーンズのポケットに入れておいた鍵を操作して車のトランクを開ける。管理人は率先して一番重いカゴ二つを持ってくれた。私も助手席のザックを背負い、クーラーボックスを持つ。どうやら1回で全て運べそうだ。ありがたい。
車の鍵を閉めると、ザックの肩紐に付けているぶら下げたLEDライトを点灯させ、今度は私が前を歩く。ライトの角度を調整して足下を照らす。
「今日は何を召し上がる予定なんですか?」
管理人が明るいトーンで話題を変えた。
「えっと・・・・・・ 唐揚げを」
「唐揚げ! キャンプ場で揚げ物ですか。上級者ですね」
「・・・・・・友人が好きだそうで」
「それはいい! 僕も海釣りに行った際は釣れた小魚をその場で天ぷらにすることがありますが、最高ですよね! なんで外で食べる揚げ物はあんなに美味しいんでしょう!」
暗い山道を歩きながらも、管理人の賑やかな笑い声で周囲が明るくなったような錯覚を覚える。クラスに一人はいるよな。こういう無条件に明るい男子。きっと友達も多いのだろう。
他愛のない会話をしていると、旧ボート乗り場に到着した。荷物を隅に置いてもらう。
「設営も手伝いましょう! 同じタイプのテントを持っているので、任せてください!」
そう言って胸を張る管理人の申し出は、今度こそ固辞した。私のキャンプタイムは神聖なものだ。美音が来るまでは一人を満喫したい。
ぴしゃりと断られた彼は「そうですか・・・・・・」とまた目に見えてしゅんとなった。
だめだ。どうにもこの顔には弱い。
「あ、じゃあ、テントだけ・・・・・・」
彼の顔が途端にぱあっと明るくなる。
「はい!」と元気に返事をして、彼は鼻歌を歌いながら美音の分のテントを組み立て始める。私はたき火の準備をしながらも、人にキャンプギアを預けたことなどないから、ドギマギしながら様子をチラ見していた。が、彼はテキパキ動きながらも、ギアを触る際は細心の注意を払ってくれているようだ。
なんだかんだで、私が焚き火台に火を入れた頃には、管理人はテント二つと椅子まで組み立ててしまっていた。ギアの組み立ては私の楽しみとしているところでもあったので、複雑な気分ではあったが、「やっぱこのブランドのローチェアいいなー。僕も買おうかな。でももう椅子いっぱい持ってるんだよなー」とにこにこと椅子の配置を調整している彼を見ると、不思議と「まあいいか」という気持ちにさせられた。
「ありがとうございました。組み立てまでお世話になってしまって」
「いえいえ。テント設営は最近していなかったので、楽しかったです」
彼ははにかんだ笑顔を見せた。
「では、ロッジの石田さんのお料理の準備もありますし、そろそろ失礼いたします」
先ほどの男のことだろう。石田というのか。
「ほんとありがとうございました。お忙しいのに荷物まで運んでいただいて」と改めて礼を言う。
「いいえ。お連れ様がいらしたら、こちらにご案内しますね」
「すみません。お手数をおかけします」
「とんでもありません。では、お時間までどうぞゆっくりお過ごしください」
大柄な体をぺこりとさせて、管理人白鳥は暗い道を戻っていった。さすがに見えづらかったのか、途中でスマホのライトを付けたようで、木々の間から白い光がわずかに見える。
湖に背を向けて椅子に座り、その光が遠ざかっていくのを見ながらため息をつく。
一人でキャンプを楽しむのがモットーの私が、どうしてあそこまで距離をつめられてしまったのか。
あの屈託のない笑顔で提案されると断りづらいし、子犬の様に落ち込まれるとどうにかしてあげたくなってしまう。いつもはこんなことはないのだ。どれだけ情に訴えられてもにべもなく断るのが本来の私ではないのか。
美音の事もそうだ。この私が誰かとキャンプをしようとするなど。この私がテントを人に貸そうとするなど。あげくの果てに今日会ったばかりの人間にキャンプギアを預けるなど。一体どうしてしまったのか。
たき火に目を戻し、手頃な薪を追加して火を強める。
美音に関してはわかっている。彼女の姉の存在がちらつくのだ。
美音の姉の岸本あかりは私の恩人だ。取引の末ではあったとはいえ、彼女がいなければ(厳密には彼女はすでにいなかったのだが)私もこの世にはいなかっただろう。そんなあかりの存在がちらついて、どうも美音の誘いや提案は断りづらいのだ。
あかりが美音の言う「友だち」であったかは定かではない。あかりのことはほとんど何も知らない。
むしろ美音の事の方がよく知っている。美容師の卵で、ノリがよく、社交的で、気遣いも出来る。節約家で、外食も自分一人では滅多にしないが、人とのつながりは大切にする。好きな食べ物は唐揚げ。
クーラーボックスから朝の内に仕込んでおいたジップロックを取り出す。タレに漬けこんだ鶏モモ肉が入っている。
普段の一人のキャンプではここまで手の込んだことはしない。せいぜい肉と付け合わせを焼くくらいだ。何を張り切っているのだろう。
なんだかんだ、今日を楽しみにしていたのだろうか。私は。
次話は明日投稿予定です。
よろしくお願いいたします。