【第6章】 花火キャンプ編 1
「え、これ、ぼくの?」
目の前に置かれたチョコレートケーキを見つめたぼくの目は、さぞまんまるになっていただろうな。そう自分でも思う。
「ああ。あたしは酒のつまみしか食わん。あまいものは苦手や」
そう言って隣に座ったおばあちゃんはしみだらけの顔でふんっと笑った。
おばあちゃんが脇に置いている色があせたハンドバッグには、今いるファミリーレストランのロゴが入ったおしぼりの袋がこれでもかと詰め込まれている。さっき、セルフサービスのお水を取りに行った際に、棚にあったおしぼりを根こそぎ持ってきたのだ。ぼくが「そんなことしていいの?」と聞くと、「ご自由におとりくださいって書いてあった」と自慢げに言った。いつもそんな感じなのだ。おばあちゃんは。
そんなドケチを絵に描いたようなおばあちゃんが、ぼくをつれてレストランに入ることすら驚きなのに、なんとおばあちゃんはチョコレートケーキまで注文したのだ。どういうことだろう。
「ほれ、はよう食え。まあ、冷めるもんでもないやろうけどな」
そうあごでケーキを指しながら、おばあちゃんは水のコップを傾けた。おばあちゃんはこのケーキ一つ以外にはなにも注文していない。
「ぜ、全部、ぼくが食べて良いの?」
「せやから、そう言うとるやろ」
「で、でも」
ぼくはゴクリと生唾を飲み込みながら、ケーキを凝視した。おそらく冷凍のものを解凍しただけの安っぽい代物だったと思う。だけど、ぼくには味の想像すら出来なかった。
チョコ? ケーキ? 一体どんな味がするんだろう。
「チョコとか、お菓子とか、ぜいたくなものを食べたら、地獄に落ちるんじゃないの?」
そう、ぼくはおばあちゃんの顔を見上げて言った。
おばあちゃんはただでさえ小さい目をすっと細めた。皺の中に見失ってしまいそうだ。
「ほな、こうしよか」
おばあちゃんは卓上のフォークをとると、すっと、チョコレートケーキを真っ二つに切り分けた。
「ほれ。こうしたら怖くないやろ」
そう言って、切り分けた小さい方の固まりをパクリと口に放り込んだ。
「うん。うまいわ。あまいあまい」
甘いものが苦手なはずのおばあちゃんはチョコレートケーキを口いっぱいに頬張って、にかっと笑った。
そのあと、夢中になって食べたチョコレートケーキが、どんな味だったかはもう覚えていない。
でもその時、ケーキを口に運ぶぼくの頭に、祖母の皺だらけのざらざらした手が乗ったのは覚えてる。
おばあちゃんが「ありがとうなあ」と呟いていたことも。
そのあと、もう一言、何かをおばあちゃんが言ったことも。
でも、なんて言っていたんだろう。
もう、思い出せない。
1
十月一日
うだるような暑さの夏もようやく終わりが見え始めていた。
木々が生い茂るそのキャンプ場は多くの木陰が散在し、その下を涼しげな風が通り抜けていく。少しずつ秋の気配が感じられる、そんな日だった。
点在するキャンプサイトの一つに、黄色いキャンピングカーが横向きに停まっていた。その左側面にタープを取り付け、一人の女性キャンパーが小さな焚き火台で火を起していた。
「いい? カンナ。焚き火は大きければいいってものじゃないの。目的にあった規模を考えた上で、使う焚き火台や薪の大きさを選ぶの」
座高の低いキャンプチェアに腰掛けた女性はそう呟きながら薪をナイフで割き、小さな円筒型の焚き火台に木片を放り込んでいく。
「特にこの季節だと、必要以上に大きい火は暑いだけ。食材に対する必要十分な火力を前もって考えておくことが重要なの。つまり、キャンプは計画の段階からもう始まっているのよ」
頬に傷のある女、斉藤ナツは、誰もいない空間に向かってペラペラと話しかけていた。ちらりちらりと虚空に向かって時折視線を送る。まるで相づちを打ってくれる誰かが近くにいるとでも言うように。
だが、誰もいない。風が通り過ぎているだけである。
そこから数十メートルの距離。
自らの手を打つ水しぶきを、一人の女が睨み付けていた。
「どうする?」
彼女はそう呟いた。呟きと言うよりかは、誰かに意見を求めるような様子だった。
だが、回りには誰もいない。
「気をつけて。見つかったら即、戦闘になる」
彼女はまるで誰かに釘を刺すように、低い声で言った。
「絶対に、見つからないで」
だが、誰もいない。
風が吹いているだけである。
その人物は切り株に座っていた。
うなだれるように頭を落とすその手には、一振りの刃物が握られていた。
「斉藤・・・・・ナツ・・・・・・・」
そう唸るように言葉を吐き、陽の光を鈍く反射させる刃に、自分の顔を映し出す。
その目は潤み、憎しみで赤く染まっていた。
「・・・・・・殺す」
その小さな呟きは、風で揺れた木々の立てるざわめきにかき消された。
そこからさらに十数メートル。
木々に隠れるようにして一人の男が望遠鏡をのぞき込んでいた。
男の覗くレンズの先には一人の女性が映っていた。頬に傷のある女だ。
彼は望遠鏡から目を離し、チラリと手元のコピー用紙に視線を落とした。その用紙にはまるで小さな画像を無理矢理引き伸ばしたような荒い画質の写真が印刷されていた。
場所は高原だろうか。夕焼けをバックに、黄色いバイクにもたれるようにしてカメラを見つめるカウボーイハットと赤いエプロン姿の女の写真。
男はその写真と望遠鏡を見比べ、ほくそ笑んだ。
間違いない。あの女が斉藤ナツだ。
彼はくるりと背を向けて歩き出した。望遠鏡をしまい、その手でスマートフォンを取りだし、電話をかける。
数コール後、相手が出る。
「私です。ええ。ターゲットがキャンプ場に。ええ」
彼の気分は高揚していた。この仕事を初めて以来、この手の依頼は何度もこなしている。
だが、ここまで手の込んだ計画は初めてだった。
「はい。計画通り、今夜、例の場所に誘導します」
依頼主はかなり綿密な計画を立案している。いまだ直接会ったこともない依頼主だが、その力のいれようは何度も交わしたやりとりで否応なく伝わってきていた。
それだけ、あの斉藤ナツという女性が重要人物だということだ。
『ターゲットは時折、予想外の行動をとります。注意してください』
依頼主も丁寧な口調だがどこか口調が固い。緊張しているのだろう。
失敗できない。
彼もプレッシャーを感じた。だがそれ以上に興奮を隠しきれなかった。
「大丈夫ですよ。最高の夜になります」
彼の言葉に、依頼主はふっと笑った。
『そう願います』
風は電話を切った彼にも吹き付けた。林を通り抜けて彼に届いた風は意外なほどに冷たく感じた。
斉藤ナツは小さな鉄板で肉を焼き始めた。
「一回やってみたかったのよ。一人焼き肉。見て。この色。奮発してよかったわ」
彼女は上機嫌である。
「いやあ。今回は実に順調だわ。カンナもそう思わない? キャンプ場は良い雰囲気だし、管理人さんはいい人そうだし、変な客もいなさそうだし」
彼女は笑顔で肉をひっくり返した。
「ずっと散々なキャンプばっかりだったもんね。でも、今日は大丈夫。そんな気がする。殺人鬼もいなければ、変な陰謀もうずまいていない、平和なキャンプ。うん。私の勘が告げているわ。今日は最高の一日になる」
そう言って彼女は焼き上がった肉をタレに漬け、口に放り込んだ。
「うまい! キャンプ最高!」
いつも応援ありがとうございます。
本日、10月1日より、書籍「キャンプがしたいだけなのに」が全国で発売開始となります。ある意味、この作品の誕生日とも言えます。
みなさんの応援のおかげです。ありがとうございます。
6章を一気に投稿させていただきます。
皆さんに少しでも楽しんで読んでいただければ光栄です。
よろしくお願いいたします。