【第5章】 高原キャンプ編 34
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ここからは後日談だ。
いつものファンキーな老人医師は私を見て、あからさまに残念そうな顔をした。
「なんだ。今回の怪我は大したことないね」と。
「これなら、さっきの子たちの傷のほうがよっぽど楽しかった。刺し傷、骨折、それから、手のひらの珍しい怪我もあったな。その分、あんたは今回はどんなもんだろうと期待が高まっていたんだけど」
「がっかりだ」と老人はぼやいた。医師としてあるまじき発言である。隣の看護師も今回ばかしは私ではなく老人医師に対してドン引きしていた。
人格面は完全にマッドサイエンティストのそれだが、こう見えてこのおじいちゃんは超優秀なのだ。私の全身を手慣れた様子でテキパキチェックしていく。
「ふむ。スタンガンの後遺症も無し。右の拳にヒビが入っとるが、まあ、それはいつものことだね」
この人は私のことをなんだと思ってるんだろう。
「で、今回はだれをやっつけたの」
そう聞かれて、私は少し言葉に迷った。思い返すとなんだかんだで三名ほどぶん殴ったが、別にやっつけたとか、そういうことではない気がした。だから私は「別に、だれも」と答えた。
「ただ、友達同士の痴話喧嘩と、親子喧嘩に巻き込まれただけです」
医師は私の腕を触診しながら「ふうん」と相槌を打った。
「で、結局みんな、仲直りはできたのかい?」
「で! あいつ! 私の大事な大事な新車のカブをどうしたと思います!?」
私は先日座ったところの取調室の机をバンッと平手で叩いた。眼の前には私の剣幕に押されて引き気味の桜田刑事が苦笑している。
「崖に落としたんですよね。さっき聞きましたよ」
私はもう一度、音を立てて机を叩いた。
「崖に落としたんですよ! 崖! ただでさえぺっちゃんこなってたカブちゃんがはい、木っ端微塵! マジで許せませんよね!」
「ええ。マジで許しがたいですね」
私はばーんと効果音が出そうなほどの勢いで背もたれにもたれ、古びた天井を見上げた。
「ああ。もう終わりだあ。せっかくのバイトもなくなったし、移動手段すらない。私の夢のうきうきキャンプ生活はこれで終わるんだ」
「斉藤さんはたとえ徒歩でもキャンプは続けそうですけどね」
そう言われて、ちょっと想像してみる。バックパッカーと言うやつか。身、一つで全国のキャンプ場を回る自分。本格的な登山バックを用意して、ギアの軽量化を突き詰めれば、あるいは・・・・・・
真面目に思案し始めた私に、桜田は「さて、斉藤さん」と声をかけた。
「斉藤さんが本物であるかもしれないと思ったにも関わらず半日所持していたモデルガンについてなんですが・・・・・・」
私はガバリと身を起こすと、食い気味にまくし立てた。
「いや、違うんですよ! 私は通報しようとしたんです! ホントです! でも、昨日の今日だったし? 定食屋の事件のこともあったし? 皆さん忙しいかなーと思って、差し控えさせて頂いたんですよ!」
「・・・・・・その結果、明らかに騒動が深刻化したようですが」
真顔でそう返され、私は焦って叫んだ。
「じゃ、ジャマー! そうジャマーです。あれが私のせっかくの通報意欲を阻んだんです!」
「なんですか通報意欲って」
私はだんっと拳で机を叩き、あからさまにうなだれてみせた。
「くっそう! ジャマーさえなければなあ!」
桜田刑事がため息をついた。
「もういいですよ。斉藤さんがすぐに通報しなかったことに大きな後悔を抱えていらっしゃることはよくわかりましたから」
私は「くっ」と短く呻いた。大の大人の必死の言い訳ほど見苦しいものはなかったのだろう。なんか呆れられるを通り越して同情されてしまった。これなら素直に叱ってもらった方が良かったかもしれなかった。
「話を続けますね。樽木氏は基本的に全ての罪を認めました。違法のジャマーの所持と使用も含めてです。ですが、ただ一つ、モデルガンの入手もとだけ断固として言わないものですから気になりまして。なにかご存知ですか?」
「いえ」と私は首を横に振った。
あの銃は樽木は本物であると思っていたようだったし、誰かに騙されたとも言っていた。だが、樽木がそれをいまさら隠すなら相応の理由があるのだろう。私が中途半端に口を出すのもどうかと思った。
それに、あの銃がもしモデルガンではなく本物だったら。きっと私達はもっと取り返しのつかない地点まで突き進んで行ってしまっていただろう。誰かわからないがファインプレイである。心から感謝したい。
「そうですか。まあ、さほど重要なことではないので、こちらもこだわる気はありません」
そうだろうな。今回、主な凶器はランダルのナイフとシンのスタンガンぐらいだったのだから。モデルガンの入手先など二の次だろう。
「ボス・・・・・・樽木さんは重い罪に問われるのでしょうか」
そう尋ねた私に、桜田は「それほどでもないでしょう」となんのことはないように言った。
「彼は、はじめから誰も殺す気はなかったようですからね」
樽木はナイフをシンに投げた際、実に正確に左腕を狙った。本来の樽木の腕なら確実に喉を狙えたはずだということだった。シンの防刃ベストの傷跡から推察するに、脇腹を刺そうとした際も、ぎりぎり急所ではない箇所を狙っていたことが明らかだそうだ。さらに気絶したシンの傷をわざわざ手持ちのバンダナで止血していた行動も殺意がなかったことの裏付けになった。
また、ノブが宙ぶらりんになった際にナイフで脅した行為も、足から落ちれば死に至る高さではないことをわかった上での行為だったと思われるそうだ。事実、そのあと、キャンピングカーに轢かれそうになったノブを身を挺して助けている。まあ、私のカブは轢かれたが。
「ですが、大怪我をさせることまでは厭わなかったことは事実です。それなりの罪状にはなるでしょう。器物破損や電波法違反などの余罪もありますしね」
器物破損。
その言葉を聞いて、私は愛しのハンターカブを思い出し、またうなだれた。ごんっと私の額がデスクにぶつかる音が部屋に響く。
「・・・・・・そのことで、樽木氏から、斉藤さんに伝言がありまして」
私はふてくされた顔を上げた。桜田がまた苦笑する。
「担当弁護士から追って正式な連絡が行くとは思いますが」
そう前置いて桜田から伝えられた内容に、私は耳を疑った。
私が見舞いに病室を訪れたとき、美亜は病室のベッドでハンバーガーを頬張っていた。病室のベッドにはぐるぐる巻きに固定された右足がでーんと投げ出されている。
「あ、なふさん! きてくれはんでふね!」
もごもごしながら手を上げた美亜に「ゆっくり食べな」と苦笑いする。
さっきまで誰かがいたのであろう。ベッドの横の丸椅子に腰掛ける。
「病院食ってこんなジャンキーなのもあるのね」
ゴクリと口の中のものを飲み込んだ美亜が「まさか」と笑う。
「委員長がさっき、差し入れてくれたんですよ」
見ると、有名ハンバーガーチェーンの包みが棚に置いてあった。
「ああ」と私は頷き、「委員長は元気そうだった?」と聞くと、美亜はジュースをストローでズズズと吸い込みながら微笑んだ。
「はい。まだ完全に落ち着いた訳ではないみたいですが、前よりずっと晴れやかないい顔をしてました」
それはいいことだ。本当に。
「てか、あなた、ハンバーグもチーズも食べられるの」
私は美亜の手の食べかけのバーガー見て言った。
「ええ。大好きですよ」
「高原では抜いていたじゃない」
「ああ。あれはちょっと、昔を思い出しまして」
美亜は食べかけの市販のハンバーガーに目を落とした。
「昔、カンナたちとあのバーガーを食べたことがあったんです。三年生だったかな。隣町の牧場で。その時、私、家の方針でお肉も乳製品もダメだったんですよ。だから、ハンバーグもチーズもベーコンも抜いてもらったんです」
美亜がそこで懐かしそうに笑った。
「野菜しか挟まってないよくわかんないバーガーになっちゃったんですけど、すっごく美味しかったんですよね。それが。なんでだろ」
美亜が遠くを見つめるような表情を浮かべた。
「みんなで、食べたからかな」
美亜が窓を見つめた。窓の外に植えられた木の青葉が揺れていた。
私もそれを眺め、しばらく静かな時間が流れる。
美亜がハンバーガーを食べ終わり、一通り雑談も終わり、私がそろそろおいとましようかと立ち上がりかけたときに、ふと、美亜が聞いた。
「ナツさん、シロマのことは、見えたんですか」
正樹のことか。
私は正直に「ええ」と頷いた。
「もう、成仏したんでしょうか」
私は「多分ね」と答える。そこら辺の法則やルールは私にもわかりようがない。
「そうですか」と美亜は頷くと、少し迷い、意を決したように私を見た。
「シロマ、最後、なんて言ってました?」
私は美亜を見返し、簡潔に答えた。
「泣いてたわ」
美亜の顔が強ばる。私は続けた。
「まじでありがとうって何度も言ってた。優花・・・・・・アッコを助けられて嬉しかったんでしょうね」
それを聞いて、美亜は一瞬、きょとんとし、そして笑った。
「あいつ、らしいなあ」
矢代正樹の元恋人、花咲美亜は繰り返した。目尻を光らせながら。
「ほんと、あいつらしい」
立ち上がった私に、美亜は聞いた。
「カンナは? どうでした? なにか・・・・・・」
私は首を捻った。
「いえ。特には」
「そうですか」と目を落とす美亜に、背を向けながら、私は言った。
「そうね。でも、なんか」
後ろ手に手を振る。
「笑ってたわよ」
だからきっと、仲直りはできたんだと思う。