【第5章】 高原キャンプ編 29
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矢代正樹
矢代正樹と言う名なのに、正樹はずっと友人達からシロマと呼ばれてきた。
理由は簡単である。近所に新堂政喜という幼なじみがいたからだ。
正樹と政喜。同い年の男の子としてあまりにややこしい。
だから友人達は新堂政喜の方を、名字の始めを取って「シン」と呼んだ。
そして、矢代正樹のほうは、ヤシロマサキの真ん中をとって、「シロマ」と呼んだ。矢代とそのまま名字で呼ぶ案もあったが、単に名字を呼び捨てにするのはなんだかよそよそしいと子ども達は思ったのだ。
とはいえ、呼び名がシロマでは名字が「城間」なのかと勘違いされることが多かったので、大学に行ってからはずっと矢代、もしくは正樹で通した。大学は県外を選び、地元にはほとんど帰らなかった。
高校三年生の初夏。正樹はかけがえのない友人を失った。
唐突だった。
ようやくいじめも収束し、問題は解決したはずだった。美亜ならきっときっちりカンナと話す事が出来るし、そうすれば仲直りが出来るはずだった。また、いつものメンバーで高校生活最後の年を満喫できるはずだった。
だが、カンナは死んだ。落ちるはずのない崖から転落死した。
カンナの死についての詳細は、クラスメイトにさえ伏せられた。「事故だった」先生達からはそれだけが伝達された。詳しいことは全く説明がなかった。だからその真相があいまいな事件は様々な憶測を生んだ。カンナへのいじめが収束する直前だったこともあり、いじめを苦にした自殺であるという説がもっとも有力であった。
だが、正樹は釈然としなかった。カンナが自ら死を選ぶとはどうしても思えなかったのだ。
シンと美亜は何かを知っているようだった。だが、正樹にそれを教えてくれることはなかった。正樹も聞かなかった。きっと時が来たら話してくれるのだろう。そう思っていたから。だが、黙って待つ正樹の気持ちは美亜にもシンにも伝わらなかった。いつまでたっても二人の口から正樹にカンナの死の真相が告げられることはなかった。
そんな状態で美亜との交際が上手くいくはずもなく、卒業前に二人は別れた。
正樹達はバラバラになった。進路も全く違う方向だった。
正樹は県外の大学に行き、シンは実家の整備工場を継ぎ、美亜は地元に近い大学に進学、委員長は推薦で国立大学に行き、ノブは適当な私立大学。アッコは卒業後すぐに結婚した。
正樹は大学で新しい友人を沢山作った。正樹は人当たりが良かったので、男子、女子ともに好かれた。気の合う仲間も出来たし、恋人ができた時期もあった。
だが、カンナの死についてのわだかまりが正樹の中で完全に消えることはなかった。
大学の友人達に半ば強引に連れて行かれたキャンプ。オープンしたてのそのキャンプ場があの日の山の頂であることは、到着するまで気がつかなかった。
そこで、正樹はカンナの父と出会う。
正樹は思った。最後のチャンスだと。
正樹は相手に気を遣うあまり、大事なことを聞きそびれてきた。相手に一歩踏み出すことをいつも出来ずにいた。
あいつらを集めよう。そして正面から聞くんだ。あの日、なにがあったのか。
あいつらが自分に伝えなかったのは、きっと俺が聞かなかったからだ。俺はある意味、あいつら任せにしていた。きっと待っていたら教えてくれる。そんな風に。
それじゃダメなんだ。俺も苦しかったこと。俺も悩んでいたこと。それを全部、ちゃんと、言葉にして伝えないと。
正樹は同窓会と称してクラス全員に連絡を取った。クラスのグループがラインに残っていたので、そこまで難しいことではなかった。そして、個別にシンや美亜達にはそのまま泊まりでキャンプ泊をしようと提案した。
夜、誰も邪魔が入らない状況でゆっくり話ができると思った。タイミングを見て、カンナの父にも参加してもらおうと思った。緊張させたくないと思い、カンナの父のことは伏せていたが、きっとあいつらならわかってくれる、そう思った。
シン達は皆、メッセージ上でキャンプの件を快諾してくれた。
キャンプ三日前。
実家に一時的に戻ってきた正樹は、あとは当日を迎えるだけだと意気込んでいた。その夜、アッコから電話がかかってきた。
「ごめんシロマ。キャンプ、いけないかも」
正樹は焦った。アッコはカンナへのイジメに深く関わっている。なんとしても彼女は連れて行きたかった。
正樹はアッコに電話で全てを話した。カンナの父のことを含めて、全て。
正樹は知っていた。アッコがカンナの死でどれだけ苦しんだかを。自分が考えなしにカンナの秘密を広めたことでカンナが死んだのだと、アッコは自らを責め続けていた。正樹はアッコこそ、死の真相を知るべきだと思った。それがどのようなものであれ、アッコは受け止めなければならないし、そうして初めて。アッコも自分も前を向けると思った。
長時間の通話の末、アッコは必ず行くと泣きながら正樹に約束した。
だが、次の日、またしてもアッコは「やっぱり行けない」とラインを送ってきた。
正樹はその日の夜、アッコの家を訪ねた。キャンプ二日前の夜のことである。
アッコは町の定食屋に嫁いでいた。もともとは高校時代のバイト先だった。
カンナの死で落ち込むアッコを、定食屋の主人が親身になって慰めたことが馴れ初めであるらしかった。
ちなみに、アッコというのもニックネームである。本名は優花。旧姓は新垣だが、今は定食屋の主人と結婚し、吉田優花である。
店に正樹を上げた優花は、随分怯えた様子だった。その顔に殴られた痕を見た正樹は、事の深刻さを知った。
昨夜の正樹との長時間の通話履歴を夫に見られたらしい。もともと夫は妻の浮気を疑っていたらしく、その疑惑が確信に変わったのだ。しかも、あさって、泊まりで遊びに行くなどと言っていたのだから、夫の豹変ぶりは恐ろしいものだったらしい。どれだけ説明しても誤解は解けなかったと優花は涙ながらに語った。
今、夫はちょうど寄り合いの飲み会に行っている。そう言った優花の声は恐怖と不安で震えていた。
店のテーブルに座った正樹は「警察に連絡しよう」と優花を諭した。暴力があるならそれが最善手であると思った。
だが、優花は首を横に振った。「大事にしたくない」と。
それはそうだ。夫婦なのだ。二人はこれからもこの町で商売を続けていかなければならないのだ。
その時、正樹の脳裏をよぎったのは、唯一無二の親友の顔だった。
「そうだ。シンだ。シンならどうだ。あいつなら、腕っ節も強いし、口も固い。今から呼ぼう」
優花も顔を耀かせた。シンという男の存在はそれぐらい、正樹達の中で大きなものだったのだ。
優花がスマホを操作し、シンとのトーク画面を出す。
その時だった。厨房の方から物音がした。
二人してばっと振り向く。
厨房から続く暗がりの中、カウンターの背後に店の主人が立っていた。裏口から入ってきていたらしい。
優花が「ひっ」と声を上げて、とっさにスマホを隠す。
優花の夫、吉田光男は無表情に二人を見つめていた。酒臭い空気が客室にもただよってきた。
正樹はゆっくり立ち上がった。刺激しないように。
大丈夫。もしかしたら誤解されたかもしれないが。
言葉にしてきちんと説明すれば、きっと伝わる。
カウンターの陰で、彼の手に肉切り包丁が握られていることに、正樹は気がつくことができなかった。
私の口から告げられた事実に、その場の全員が言葉を失った。
私は改めて状況を整理した。
「正樹・・・・・・シロマはアッコとの浮気を疑われて、定食屋の主人に殺された。で、その主人は今、牢屋にぶち込まれてるし、アッコも救出されたわ。ただ警察は詳しい事情がわかるまで詳細は公表しないと言ってたから、シロマが殺されたという噂だけが一人歩きして、中途半端な目撃情報から、私が殺した感じになっちゃったのね。まあ、あの日に定食屋にいた他の客から見ればそう思っちゃったのも無理はないわ」
そう言って私は自分の頬の傷痕を撫でた。なんだかんだ、人は外見で判断してしまうものだからな。
それに、中途半端な情報というのは逆に人の良からぬ想像力をかき立てるものなのだろう。今回は警察側の判断ミスだ。
「つまりね」
私は声を張った。
「このキャンプ場に、殺人鬼なんて、始めからいなかったのよ」
場が沈黙する。
「そ、そんな・・・・・・」
そう呟いたのはランダルだった。うなだれたまま、自分の両の掌を見つめる。
「だったら、私が今夜やったことは、何の・・・・・・何の・・・・・・」
私はさらりと言った。
「ええ。何の意味もないわね」
ランダルが愕然とした表情を浮かべる。
「意味もなく暴れ回って、みんなを怖がらして」
私はランダルの絶望に染まった目をまっすぐ見つめた。
「カンナを悲しませただけ」
その最後の言葉に、ランダルは目つきを豹変させた。
「わ、私の前で娘を語るな! お前なんか、出会ったこともないくせに!」
その大声に、皆が身構える。
だが、私一人、呆れたようにため息をついた。
「いや、出会うもなにも、ずっとそこにいるし」
私はすっとランダルの隣を指さした。キャンピングカーのスライドドアの前。何もない空間。
でも、私には見える。
「ずっと、ずっと、カンナはそこにいるのよ」
ランダルがぽかん口を開ける。美亜達も呆気にとられた。
構わず、私は続ける。
「あんただって、薄々感じてたんでしょ。まあ、カンナがあんたを必死に止めようとする行動全部を、あんたは都合のいいようにばっかり解釈しちゃってたんでしょうけど」
その場の全員が言葉が出ない様子だった。
まあ、そりゃ信じないよな。でもいい。私が言いたかっただけなのだから。
だが、一人、ナツの言葉を信じた者がいた。
「か、カンナちゃんが、そこにいるの?」
彼女は私をすがるような目でみた。その表情に驚きながらも、私は頷く。
彼女はよろよろ前に出た。
そして、私が指を差した空間に向かって、ドサリと膝をつく。
「・・・・・・ごめんなさい。カンナちゃん」
委員長は言った。その瞳から涙がボロボロと流れ落ちる。
「委員長よせ」シンが言った。力ない声で。
「わ、私の・・・・・・私が・・・・・・ごめんなさいごめんなさい」
「違う委員長。そうじゃない」そう言う美亜の声も消え入るようだった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
委員長はその場に突っ伏した。両腕を突き出し、頭を地面にこすりつける。
懺悔するように。許しを請うように。祈るように。
「わ、私が、私が・・・・・・私が、カンナちゃんを」
委員長、森口舞は地面に伏したまま、言った。まるで自らを断罪するように。
「私が、殺したの」