【第5章】 高原キャンプ編 28
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「さあ、覚悟しなさい。この私を巻き込んで、あろうことか私のハンターカブまで・・・・・・あれ? 私のカブは?」
そう言ってナツはきょとんと辺りを見回した。そして、宙を彷徨った視線が一点に釘付けになり、絶句する。
美亜も思わず振り返った。そして悟った。何が起こったのかを。
ランダルがリフトを照らし出すために停車していたはずの黄色いバイクは、ベシャリと横転し、ゲレンデの地面に半分めり込んでいた。
キャンピングカーのゴロゴロ回転に巻き込まれたのだ。
というか、下敷きになったのだろう。
「あああああああああ!」
ナツが絶叫した。
「私の、私の! カブがああああ!」
あまりに悲痛な叫びだった。
「し、新車だったのに・・・・・・ 新車だったのにいいい!」
美亜には、かける言葉が、なかった。
ナツはシンを睨み付けた。
「あんたが・・・・・・あんたが、ハンドル切れなんて言うから!」
「知るかよ! 俺は横付けしろって言ったんだ! 坂をごろごろ転がれなんて言ってねえ! そもそも俺はこんな斜面を突っ込んで行くのは反対したはずだぞ!」
ナツは顔を歪めて地団駄を踏んだ。そしてキャンピングカーの側の、何もない空間に向かって叫んだ。
「カンナ! あんたもよ! いけるいけるって頷いたくせに! 全然ダメだったじゃない! 止まる算段ぐらいつけてから突っ込ませなさいよ! わかってんの? ・・・『テヘ』、じゃねえこの野郎! 廃車にするぞ!」
ナツは怒りの叫び声を上げ、視線を彷徨わせる。だが、その怒りの矛先を向けるべき対象がみつからないのだろう。だって、どう見てもナツが運転して、ナツが自らバイクを轢いたのだから。
その怒りに満ちあふれた両目が、ランダルを捉える。
「ランダルうううう!」
ランダルが、「え?」と声を漏らす。
ランダルは困惑した表情で「え? 自分のせい?」という眼差しを美亜に向けてきた。知らないよ。こっち見ないで。
ナツが叫び声を上げながらランダルに突っ込んでいった。
唐突に始まった最終ラウンド。
シンは突っ込んで行くナツをあわてて背後から追いかけた。ランダルの強さをもうシンはその身で体感していた。一人じゃ無理だ。
だが、ナツは登り坂だというのにものすごいスピードで駆け上がっていく。何という脚力だ。
迎え撃つランダルは案の定、ナイフを構えていた。
「気をつけろ!」
シンは叫んだ。奴のナイフ使いは素人のそれではない。手に吸い付かせるように自在に操る。熟練された動きだ。素手では絶対に敵わない。
その時、ナツは背中の後ろ、腰に手を回した。ズボンから何かを抜き取る。
武器があるのか。
シンは期待した。それこそ拳銃のような強力な武器があれば。
だが、ナツが背中から引き抜いたそれは、想像したようなものではなかった。
・・・・・・フライパン?
違う。見慣れたフライパンとは形状が少し違う。もっと小ぶりで、分厚く、取っ手までが金属で、黒光りしている。
美亜に見せてもらった動画を思い出す。ナツがカメラに向かって熱心に魅力を語っていた。熱伝導がどうとか。思い出した。
スキレットだ。
間合いに入った瞬間、ナツはぶんっと右手でスキレットを振るった。ランダルはそれを易々と回避し、斜面の下に回り込んだ。ナツの後ろから、ナイフをきらめかせる。
次の瞬間、ナツはその身を回転させながら、スキレットをぽんと手放した。重い鉄の塊がランダルとナツの間にふわりと浮かぶ。ランダルは予想外の動きに思わず目でスキレットの動きを追う。
そのランダルの土手っ腹にナツの跳び蹴りが突き刺さった。
「がは!」
ランダルが意識外の打撃に息を詰まらせる。あと一歩で背中から地面に転がり落ちそうになるのをなんとか踏みとどまる。その一瞬を射貫くように、ぱしりとナツの左手がスキレットの柄をキャッチし、そのままランダルの右手を振り払った。ガチン! という音とともに、ランダルのナイフが飛んでいく。
すげえ!
シンは驚嘆した。ランダルのナイフ捌きを、ナツのスキレット捌きが完全に圧倒していた。まるでそのスキレットがいくつもの戦場をともに歩んできた相棒であるかのようだった。
事実、斉藤ナツはこのスキレットで何度も死線をくぐり抜けていた。それは、マジックショーのためにパフォーマンスとしてナイフ捌きを覚えたランダルのそれとは、次元の違う経験値であった。
「うがあああ!」
ランダルが猛獣のような叫びを上げて左手を突き出す。
ナツは当然ナイフだと思い、スキレットでガードの構えをとった。
だが、ランダルの左手に握られていたのは、スタンガンである。改造され、電圧が引き上げられた強力な感電装置。
そして、スキレットは取っ手まで金属製だ。金属は導電率が極めて高い。受けたら終わりだ。
だから、シンは、その間に身体を滑り込ませた。
胸に刺さった電極から、凄まじい電圧がシンを襲う。
「うおおおおおおお!」
それでもシンはその手を自身に押しつけるようにして、ランダルの腕を抱え込んだ。
ランダルが身動きをとれず、もがく。
離すものか。
「ナツ! いまだ!」
シンはしびれる舌で叫んだ。
「ぶん殴れ!」
刹那、ナツは跳躍した。スキレットを捨て、斜面の上方から下方のランダルに向かってジャンプした。次の瞬間、全力の、斉藤ナツの全体重を乗せた渾身の右の拳が、ランダルの頬にめり込んだ。
「おらあああああ!」
ナツはそのまま拳を、力の限りに撃ち抜いた。
ランダルは吹き飛んだ。まるで縦回転するかのように、ものの見事に。
ズザザザザザアと凄まじい音を立ててランダルは地面に突っ込み、そのまま斜面を転がった。まるで後ろ回しを繰り返す子どものように。ダンゴムシのように。ごろごろと。凄まじい勢いで。何メートルも。
そしてその背中と頭をキャンピングカーの側面に思いっきり打ち付け、止まった。
ランダルは一声だけうめいた。そしてがくりと頭を落とす。
頭を垂れ、うなだれたまま、ランダルは動かなくなった。
うなだれたランダルを囲むようにして、キャンピングカーの前に全員が集合した。
全員、満身創痍である。目立つ傷が無いのは委員長ぐらいだろう。
かく言う私は、右の拳が一番痛い。思いっきり殴りすぎた。
ちらりと目をやると、委員長がシンの左手の傷を見つめて「大丈夫なの?」と不安げな声を出した。
「ああ。見た目ほどじゃない」
「顔だって、そんなに腫れて・・・・・・」
シンは沈黙した。私も思わずうつむく。
ごめん。それは私がやりました。
「ねえ」
スキーのストックでその身を支える美亜がランダルに語りかけた。
「あんたが、シロマと、アッコを殺したのね」
ランダルは動けないだけで、意識はあったのだろう。うつむいたまま、ふっと笑った。
「いいや。違うよ」
ランダルは腫れ上がった顔を上げた。
「シロマくんは色々協力してくれてたんだ。殺すわけ無いだろう。アッコさんに関しては会ったこともない」
「じゃあ、誰が」
「そう。それだよ」
ランダルは目をぎらつかせた。
「その問題が残ってる。この中に殺人鬼がいるはずだ。きっとそいつがカンナを・・・・・・」
「いないわ」
私はそう言い放った。一際大きい声で。
ランダルと美亜だけでなく、全員がナツを見つめる。
「だが、事実シロマくんは殺されたと・・・・・・」
「ええ。そうよ。彼は殺された」
私はため息をついた。卒業アルバムの顔写真を見たとき、私は全てわかった。あまりに明らかだった。
だって、見知った顔が二人、そこにいたから。
「シロマも、アッコもあだ名なんでしょう?」
私は、二人に、すでに会っていたのだ。