【第5章】 高原キャンプ編 27
27
「・・・・・・嘘をつくな」
ランダルは呟いた。呻くように。
「嘘をつくな」
樽木勝也は繰り返した。唸るように。
「嘘をつくなあああ!」
美亜はその怒りに染まった目をまっすぐにらみ返した。
「嘘じゃないわ! 今言ったことが私の知る全部。私はカンナへのいじめを止めようとしたの。事実、止められたはずだった。でも、あの日・・・・・・」
だが、ランダルは美亜の弁明など聞いていなかった。
「娘が、何でお前なんかを好きになる? 見ていたぞ。お前、昼間っからずっと酒を飲んでいたなあ。娘の命日だって言うのに!」
美亜も叫び返した。瞳を震えさせながら。
「そうでもしないと耐えられなかったのよ!」
シンだってそうだ。ずっと、タバコをくわえていた。美亜はシンの気持ちが痛いほどわかった。そうでもしないと、何かに頼らないと、今日という日にここに来るなんてできなかった。
四年の歳月が経っても。いまだ癒えない。
それほどの傷を、美亜たち全員が抱えていた。
「それに、それにだ! カンナが女を好きだったなんて、そんなこと、あり得ない!」
美亜は「はあ?」とランダルを睨め付けた。
「あり得ないって何よ? なんであんたがそんな事言えるわけ?」
「私はあの子の父親だぞお!」
ランダルは咆哮した。
「あの子のことをずっと見てきた。そんな素振りは、素振りは、少しも・・・・・・」
そこでランダルは絶句した。
あの日。映画を見た帰りの会話。
カンナは急に泣き出した。
「あったんじゃない」
美亜が言う。非難するように。責め立てるように。顔を歪ませながら、まるで自分自身に向かって言うように。
「あったんでしょ。心当たり。振り返ってみればいくつもある。どうせ、気づかなかったんでしょ。今から考えれば明らかなことだったのに。全然想像もせず、知らず知らずのうちに傷つけてたんでしょ。ねえ。その時、あなた、何言ったの? ねえ。何言った?」
ランダルはがっと自分の頬を掴んだ。
私はなんと言った。
あのとき、私はカンナに、娘に、どんな言葉をかけた。
もし、この女の話が本当だとしたら。もし、娘が自分の性に苦しんでいたとしたら。
娘を追い詰めていたのは、私ではなかったか。
じゃあ、断罪されるべきは。
美亜は自分の心臓を潰すかのように胸を掴んだ。自らを罰するように爪を立てる。
「あんたが、私たちが、私が!」
美亜は涙をまき散らしながら叫んだ。
「みんなでカンナを傷つけてたのよ!」
ランダルは絶叫した。
頭を抱え、まるで獣のように咆哮した。
「だまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれええええ!」
ランダルは顔を上げた。その顔からは、全ての理性が吹き飛んでいた。
「殺してやる! 全員この場で殺してやるぞおお!」
美亜はその剣幕にも一歩も引かなかった。
「やりなさいよ! やってみなさいよ! そうやって、シロマもシンもアッコも殺したんでしょうが! 本性現したわね。この人殺しがあ!」
ランダルは背中からナイフを抜き取ると、美亜に突っ込んだ。刃渡り15センチはあるかというナイフがギラリと光る。
その切っ先が美亜に届く直前だった。
ランダルの腰に、ノブが背後からタックルをかました。
ランダルはもんどりうって倒れる。
「ノブ!」
美亜は驚いた。美亜がランダルと話している隙に、柱まで渡りきって降りて来たのか。
「美亜! 逃げろ!」
ノブはランダルに馬乗りになり、左手でランダルのナイフを持つ手首を押さえ、もう片方の血まみれの拳で無茶苦茶にランダルを殴りつけた。
「バイクだ! バイクを奪え!」
美亜はスキーのストックを地面に突き刺し、バイクに向かって足を踏み出した。懸命に歩を進めるが、なかなか距離が縮まらない。引きずる右足が一歩進む度に激痛を美亜に与え続ける。
「美亜ちゃん! あとちょっと!」
リフトチェアの上で委員長が叫ぶ。美亜も声にならない叫びを上げながら、バイクを目指す。
背後でババババと電流が弾ける音が響いた。ドサリとノブが横倒れになる音がする。
ノブがやられた。
でも、間に合う。
あとちょっと。もうすぐ、ハンドルに手が届く。
美亜はストックを捨てて、バイクに向かって両手を伸ばした。
その両手の上に、巨大な縄の輪がバサリと載った。
「え?」
一瞬だった。その輪が目の前で急激に縮まり、きゅっと美亜の喉を締め上げた。
「かは!」
美亜は縄を引かれ、その場に仰向けに倒れ込む。辛うじて片手の指を二本だけ縄の間に挟むことに成功したが、縄を広げるのは到底無理だった。そのまま気道をほとんど塞がれる形でズルズルとランダルのもとにたぐり寄せられ、引き寄せられていく。
委員長の叫び声が美亜の耳に遠く響く。
まずい。意識が・・・・・・
その時、不意に縄を締め上げる力が弱まった。
美亜は即座に縄の間に両手を割り込ませると力尽くで押し開いた。ごほごほと咳をする。
ランダルは固まっていた。たるんだ投げ縄を握ったまま、呆然とリフトを見上げる。
リフトが再稼働していた。
委員長の乗るチェアがガタガタと山肌を下り始めた。
地面までの距離が一メートルほどになったところで、委員長が飛び降りる。そして即座に立ち上がるとまっすぐ美亜に向かってかけだして来た。
「美亜ちゃん! 美亜ちゃん!」
委員長が美亜に抱きつく。そしてすぐに首の投げ縄を美亜の首から外して地面に叩き付けた。
ランダルは二人を意に介さず、リフトを見つめたまま呟いた、
「・・・・・・シンくんかな? しぶといねえ。彼も」
ランダルは一周まわって落ち着きを取り戻したようだった。だが目が据わっている。美亜は彼から発せられる明確な殺意に寒気を覚えた。
ゆったりと立ち上がった。縄を捨て、ナイフを構える。
じろりと、ランダルの目が美亜を捉える。
その前に、委員長が立ち塞がった。両手を広げる。
「こ、殺すなら、私にして」
委員長は、全てを覚悟したような声で言い切った。
「私、一人にして」
美亜は焦って叫んだ。「委員長ダメ!」
ランダルが首をコキリと鳴らす。
美亜はランダルの背後のノブを見る。ノブは気絶はしていないようだったが、身体がしびれるのだろう。四つん這いの姿勢から起き上がろうともがいているが、腕が震えている。ダメだ。戦える状態じゃない。
そして美亜自身も、一度倒れ込んだ自分の身体を起き上がらせれる気がしなかった。戦わなきゃ。戦わなきゃ委員長が殺されてしまう。でも、足が動かない、身体が、動かない。
美亜は周りを見回した。
「誰か・・・・・・」
誰もいない。深夜のゲレンデを月明かりがおぼろげに照らし、冷たい風が吹き抜ける。
「誰か・・・・・・誰か・・・・・・」
誰か助けて。
その甲高いクラクションは、ゲレンデの遥か上方から鳴り響いた。
高所の音は下方に良く響く。その現象を知っているかのように、クラクションは何度も何度も打ち鳴らされる。
ランダルがぽかんと山頂の方角を見つめた。ノブも四つん這いのまま目を丸くする。委員長が驚いて振り向く。だから美亜も振り返った。
そびえ立つゲレンデの急斜面を、一台の車が猛スピードで下っていた。
ガタガタとおもちゃみたいに大きく揺れながら。クラクションを何度も何度も鳴らしながら。二つのヘッドライトをまばゆく輝かせながら。
白い車体にハンバーガーのイラストが大きく描かれた、一台のキャンピングカー。
斜面の芝をえぐり、砂利を跳ね飛ばし、何度も横転するのではないかと大きく傾きながら、それでも何か不思議な力でも働いているかと思うほどギリギリで車体を持ち直しながら、キャンピングカーが突っ込んで来る。
ノブが震える舌で言った。
「あ、あれ、や、やばくないか」
スキーで滑り降りるための急斜面を爆走するキャンピングカーの勢いは加速度的に増していく。まっすぐこっちに向かいながら。
「に、逃げろおおおお!」
ノブの声に、委員長が弾かれたように動いた。美亜を抱きかかえ、起き上がらせる。
美亜は死に物狂いで左足を蹴り、移動する。委員長に肩を支えられ、リフトに向かって、必死ににじり寄った。
クラクションが響く。
ヘッドライトが辺りを照らし始めた。
美亜と委員長はなんとかリフト下直前まで移動してきた。美亜は足を動かしながら、ノブを見た。ノブは四つん這いのまま、いまだにさっきの場所で苦悶の表情で地面を這っていた。
そのノブの襟首をランダルがひっつかんだ。そしてずるずると引きずりながらリフト下まで引き込もうとする。
だが、もうキャンピングカーは目前だった。まずい。間に合わない。
その瞬間、キャンピングカーが急ハンドルを切った。車体が真横を向く。ゲレンデの土を盛大にえぐりながらブレーキがかかる。だが、急斜面を落下するように降りてきた車体の慣性力が留まるはずがなかった。
キャンピングカーは真横を向いた状態で横転した。それでも勢いが止まらず、ゴロゴロと鉛筆のように斜面を転がる。それは美亜達を通り過ぎ、ランダルとノブの鼻先を通過して、さらに何回転も転がり続け、ついには美亜達が乗り継ぐはずだった二つ目のリフト前の平地で、ゴロリともう一回転して止まった。
奇跡的に最後の最後にタイヤを下にしたキャンピングカーは大きく一揺れして動きを止めた後、まるで何事もなかったかのようにそこに静止する。白いボディーはボコボコだったが。
美亜達はぽかんとその車を見つめた。しんと場が静まり帰り、キャンピングカーのプスン、プスンという息遣いだけが響く。
「ええっと・・・・・・」
そう美亜が困惑の声を上げた時だった。
バン! と突然、助手席のドアが開け放たれた。
そこからドサリと一人の男が地面に崩れ落ちる。
男は呻くように叫んだ。
「お前、なんて運転しやがる! 殺す気か!」
それはシンだった。全身ボロボロで息も絶え絶えなシンだった。
バアアン! と反対側のドアが開け放たれる。まるでドアを蹴り破ったようなド派手な音が響いた。
ズサリと誰かが地面に降り立った。
その人物はシンの悪態に一切、構うこともせず、堂々とした足取りでこちらに回り込んでくる。
「どうもー! ハンバーガーショップ、ウエスタンでーす」
一人の女が、車のヘッドライトに照らされながら登場した。
肩を回しながら、首を鳴らしながら、悠然とその身を現した。
満を持したように。さながら、待たせたな、とでも言うように。
まるで、ヒーローのように。
「ご注文の通り」
斉藤ナツは不敵に笑った。
「ぶん殴りに来ましたよ。ボス」