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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第5章 言葉にしたって伝わらない
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【第5章】 高原キャンプ編 26


 26


 新堂政喜


 目の前に青空が広がっていた。

 シンは崖の上に立っていた。すぐ目の前には錆びて痛んだ低い柵があった。そのぎりぎりまでシンは近づいていた。ちょっと足を上げればすぐまたげてしまうぐらいに。

 少し目線を下げれば、新緑の山並みが見える。その合間に見えるのが自分達の住む街だった。

 小せえな。そうシンは思った。

 高校なんてほとんどごま粒のようにしか見えない。自分たちがどれだけ小さい空間で毎日を過ごしているのかがよくわかった。どれだけ狭く、窮屈な空間におしこめられているのかが。そしてそんな中で、どれほど小さな、低レベルな、ちっぽけな悩みであせくせしているのかも。きっと端から見れば笑ってしまうようなしょうも無い悩みなんだろう。

 でも、それで手一杯なんだよ。

 俺たちには抱えきれないほどの問題なんだよ。

 端から見ているものにはきっとわからないだろうけど。

 自分たちがどれだけ言葉をつくしても、きっと伝わらないだろうけど。

 でも、俺たちはもがいてるんだよ。

 俺は、苦しいんだよ。


 トントンと肩を後ろから叩かれた。振り向くと、一人の少女が立っていた。長い黒髪が風でなびく。

「ああ・・・・・・カンナか」

 シンはその自分の出した声に嗚咽が混じっていないか心配になったが、どうやら杞憂だったようだ。鼻の奥は、わずかにつんとしたが。

 カンナはスマートフォンを差し出した。メモ帳のアプリが開かれており、そこにはさっき打ち込んだであろうテキストが浮かんでいた。

『ここに来たら、怒られちゃうよ』

「誰にだよ」シンは鼻で笑った。

 今日、シン達はクラス行事で山登りに来ていた。麓からひたすら登山道を上り、頂上を目指す。別に頂上に何があるわけでもないのに、クラスメイトは楽しそうだった。そんな山登りも中盤を迎え、今、クラスメイト達は少し手前の登山道にある空き地で早めの昼休憩をしている。少し先にある展望台には柵が老朽化しているから近づかないように。教師にはそう言われた。

 だからシンは抜け出してきた。一人になれると思ったのだ。

『先生に、来たらダメって言われたでしょ』

「委員長みたいなこと言うんじゃねえよ」

 そうシンが言うと、カンナはくすりと笑った。

 その笑顔を、シンは見ていられなくなった。さっと、山並みに視線を戻す。

 カンナも、無言で隣に立った。

「・・・・・・すまなかった」

 シンは言った。絞り出すように。

 カンナが視界の隅で首を傾げるのが見えた。なにに謝っているのかということだろう。

「・・・・・・俺、お前を、助けてやれなかった・・・・・・」

 シンは自分の声に驚いた。嗚咽が混じっている。

 カンナがスマホに文字を打ち込む、コッコという音が聞こえ、すっと、スマホが横から差し出された。

『助けてくれたじゃない。ノブくんに怒ってくれた』

 シンはかぶりを振った。

「あ、あんなの・・・・・・」

 あんなの、ただの八つ当たりだ。

「俺・・・・・・俺、怖かったんだよ」

 シンはそう言った。地元のケンカでは負け知らずの高校生、新堂政喜はそう呻いた。

「まるで、俺の事を言われてるみたいで。お、俺もそんな風に見られるんだろうかって思うと、怖くて、なんもできなかった」

 シンは口をへの字に曲げて、片手で目を覆った。

 カンナはもう表だっていじめられてはいない。ここ数日で美亜が動いたらしい。もうカンナをからかう奴はいないし、無視する奴もいない。それどころか、必要以上にカンナに優しい声かけをしている奴もいる。

 でも、シンにはわかった。そんなの表向きだ。

 カンナに対する悪意は消えても、好奇心は消えない。これまでとは明らかに違う目線。きっと端から見ると誰も気付けないような、本人達すら自覚できないほど薄い、色のついたフィルターが、カンナを見る皆の網膜に張り付いている。

 マイノリティに対する、好奇の目が、カンナには向けられ続けている。

顔を覆った手の隙間から涙がこぼれ落ちる。

「ご、ごめん。ごめんなあカンナ」

 俺が、俺が一番、味方になってやらなきゃいけなかったのに。

 カンナはしばらく、わずかに肩を震わせて涙を流すシンを見つめていた。

 そして、すっと身を寄せてきた。シンが見えるようにスマホの画面を二人の顔の前に出し、目の前で文字を打ち始める。

『わかってるよ』

『わかってたよ』

『シンくんはずっと、ずっと、シロマくんのこと、好きだったもんね』

 シンは嗚咽を漏らした。顔を覆ったまま、うんうんと幼子のように頷く。

 カンナは美亜が好きだった。ずっと前から。

 シンはシロマが好きだった。そのもっと前から。

 そして、その美亜とシロマは先日、恋人同士になった。

 カンナはそんなシンを、ぎゅっと横から抱きしめた。

 シンは抱きしめ返すようなことはしなかった。ただ、まるで母親に抱かれる子どものように、されるがままに、カンナに身体を預けていた。

 二人だけしかいない崖の上を、初夏の風が吹き抜け、山々の青葉が音もなく揺れていた。

 

 何分経っただろうか。

 カンナはすっとシンから身体を離した。

 シンはポケットに手を突っ込んで、青空を見上げた。涙はもう、乾いていた。

 カンナがスマホをすっとシンに見せた。

『言えばよかったのかな。私たち』

 シンは、しばらくその画面を見つめ、ふっと笑った。

「わかんね」

 そう言ってまた空を見る。

「でも、どうせ伝わんねえよ。俺らの気持ちなんか。いいように面白がられて終わりだ」

 カンナが次の文字を打つ。

『それは、シロマくんでも?』

 どうだろうな。

 あいつはそんなやつじゃねえ。そう信じてはいる。

 でも、やっぱ困るよな。

「親友だと思ってる奴にそんなの言われたら、びびるだろ。きもちわりいだろ。ああ、そんな風に俺のこと見てたのかよって」

 どんなに言葉を尽くしたって、表層的な部分だけ見られて、引かれるんだ。

 本当の、一番大事な部分は、きっと伝わらない。

 そうに決まってる。

『そんなの、わかんないじゃん』

 カンナはもう一度打ち込んだ。

『わかんないじゃん』

 ちょっと怒ったように、カンナは続ける。

『そんなの、それこそ、シンくんが決めつけただけでしょ。シロマくんの気持ちも聞かずに』

 シンは、一瞬、目を見開き、そしてまた細めて笑った。

「そうだな。そうかも、しれないな」

 カンナは頷く。

『それにさ、恋愛の話はともかく、それ以前に』

 カンナは微笑んだ。

『シンくんとシロマくんは、親友じゃない』

 ああ。そうだ。

 そこだけは変わらない。

 カンナはシンの表情を見て、またうんうんと頷いた。

 そして、すっと顔を引き締めると、再び指を動かした。

『私、今日、美亜と話してみる』

 カンナは次の文を打った。一字一字を大切にするように、ゆっくりと。

『ちゃんと、はっきりと伝えてみる。確かに、シンくんの言うとおり、ちゃんと伝わるかは、本当に大事な部分が伝わるかはわからないけど』

 カンナは打ち終えた画面をシンに向かって突き出した。まるで宣言するように。

『でも言葉にしないと、絶対に伝わらないと思うから』

 だから。私、頑張ってみる。

 シンはしばらく呆気にとられたようにカンナを見つめた。

 カンナはやがて、自分の大きく手を突き出したポーズが恥ずかしくなったのか、すっと手を下ろしてもじもじし始めた。

 シンは笑った。何週間かぶりに、心から笑った。

 カンナは少しきょとんとしていたが、つられたように照れ笑いを見せた。

 シンはその場で大きく息を吸った。山の空気が肺を満たす。まるで、何かに身体をまるごと洗い流されたかのような、そんなすっきりとした気分だった。

「んじゃ、俺、もどるわ」

 カンナは頷いた。そして、足下を人差し指で差して、手を振った。「もう少し、自分はここにいる」と言う意味だろう。

「先生におこられちゃうぞ」とシンが冗談めかせて言うと、カンナはまた笑った。

「じゃ」と手を振る。

 新緑の山並みと。真っ青な空をバックに、まるで空に浮かぶようにして、カンナも微笑んで手を上げた。


 それが、シンの見た、カンナの最後の笑顔だった。


 

 

「あ、起きた?」

 目を開けた瞬間、まばゆい光にシンは面食らった。思わず両手の掌を顔の前に構える。その瞬間、左腕に激痛が走った。そうだ。俺、ナイフで刺されたんだ。

 シンの頭にランダルとの一騎打ちの記憶がよみがえった。慌てて左腕を確認する。布がきつく巻かれて止血されていた。誰がやったんだ。

 顔を前に向けるとまた冗談みたいにまぶしい光に照らされる。それがキャンピングカーのヘッドライトであることに気づくのとほぼ同時に、自分が柱にもたれて座り込んでいること、そして、目の前に一人の女が立っていることに気がついた。逆光で顔が見えない。

「カンナ。ヘッドライト、角度下げてくれる?」

 カタリと音がして、強烈な光が地面に向かい、適度な光量に変わる。徐々にくらんだ視界が復活してきた。

 目の前に立つのは、顔に傷のある女。身長は高くないはずなのにその立ち居振る舞いから、まるで自分と同程度かそれ以上の背丈に見える、そんな女。

 斉藤ナツが立っていた。

 どうやって、拘束を外した? どうやってキャンピングカーを動かした? 何でカンナの名を呼んだ? 聞きたいことは山ほどあったが、その前にナツがシンに問いかけた。

「ランダルにやられたの?」

 シンは頷いた。いまだ朦朧とする頭で言葉をひねり出す。

「み、美亜達が、あぶない」

「そう」とナツは呟き、シンを見下ろした。

「まだ、戦える?」

 すっと、ナツがシンに手を伸ばす。

「一緒に来る?」

 シンはしばらくの沈黙の後、その手を、がしりと握った。

 ぐいっと引っ張られ、一気に立ち上がらされる。

 ナツはじっとシンの目を見ていた。だから、シンも見返した。

「俺は、あいつらを、助けなきゃいけない」

「あっそ。頑張って。私はランダルをぶん殴るから」

 二人の視線と視線が絡み、結びついた。

 同盟、締結だ。

「急ぐぞ。随分寝ちまった気がする。リフトも止められちまったみたいだ。あいつらもうランダルに追いつかれてるかもしれねえ」

 そう言ってシンは行動を開始しようとした。だが、ナツがそこですっと手を上げた。

「あ、その前に、ちょっといい?」

「ん? なんだよ」

「いや、スタンガンのお礼、まだだったから」

 ナツは当然のように言った。

「今、一発、いいかしら」

「は?」

 次の瞬間、随分と腰の入ったナツの右ストレートが、シンの左頬を撃ち抜いた。





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