【第5章】 高原キャンプ編 25
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私はキャンピングカーの中で月明かりを身体に受けながら、一人の少女を見ていた。
少女は車の床に座り込み、顔を覆って音もなく泣いていた。指の隙間から落ちる涙が、床にたどり着く寸前に消える。その現象は彼女がもうこの世にいないことの証のようだった。
「パパを・・・・・・止めたかったのね」
私の言葉に、カンナは顔を覆ったまま震える。
「美亜達を、みんなを、助けたかったのね」
彼女は一際大きく震え、その場に突っ伏した。その望みが潰えたから。
彼女はもう死んでいる。死者に出来ることなど限られている。彼女は彼らを追うことすら出来ない。
彼女はキャンピングカーにその想いを宿し、今ここにいるのだろう。
でも、どれだけ戸を開こうが、鍵を締めようが、窓を開け閉めしようが、カンナの気持ちは伝わらない。美亜にも父にも伝わらなかった。
姿が見える私にだって、本当のところ、カンナが何に苦しみ、何に涙を流しているのかは正確にはわかりようがない。
当たり前だ。死者だろうが生者だろうが、誰かの気持ちなんて結局はわかるはずがないのだ。たとえ、言葉が交わせたとしてもそれは同じだ。
どれだけ言葉を尽くしても、自分の本当の気持ちなど、他人に通じるわけがないのだ。相手もわかるはずがないのだ。
だから人は、考えなければならない。
相手が何を思っているのか。
何を願い、何に苦しんでいるのか。
受け取る側が必死に懸命に考えなければいけないのだ。
本当のところは、結局は全てを理解できないとしても。
慮り、歩み寄ることは、きっと出来るのだから。
「カンナ」
私は少女を見据えた。両手足を拘束されたどうしようもない状態で、カンナに語りかけた。
「まだちゃんとあなたの目を見て聞いてない」
少女が涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げる。
「あんたは、父親を止めたいのよね」
少女は頷いた。口をへの字に曲げ、涙をこぼしながら。
「友達を、助けたいのよね」
カンナは頷いた。力強く、何度も、何度も。
「わかったわ」
私は大きく息を吸い、そして思いっきり吐き出した。
じゃあ、私も、腹をくくるとしますか。
私はすっと首を後ろに傾けた。そして反動をつけるようにして、思いっきり身体を両腕に引き寄せた。
唸り声を上げながら渾身の力で腕を首元に近づける。手錠の鎖が折りたたみテーブルの柱で引っ張られ、ギリギリと音を立てる。
手錠の輪が手首に食い込み、皮膚が破れて血が流れる。それでも私は一層両腕に力を込める。
「ああああああああ!」
ベコリと音を立てて、テーブルの柱がわずかに変形した。両腕の可動範囲が数センチぶんだけ広がる。それで十分だった。私はようやく届くようになった指で、首に掛けた紐を引っ張り、首元からある物を引っ張り出した。黄色い小石のようなフォルム。その片側を掴んで引っ張ると、二つに分かれて5センチほどの刃が顔を出した。
紗奈子がくれたネックナイフだ。
あの雪中キャンプで、ファイヤースターターとともに命を救ってくれた大事なナイフ。
また、世話になるわ。
私は身体を捻ってぐるりと体勢を変えると、ナイフを足下に向けた。足に巻かれたパラコードにナイフを向ける。角度的にギリギリだったが、微かに届いた切っ先でパラコードの一部を切断することに成功した。一気にパラコードの緊張がなくなり、バサリと足から滑り落ちていく。
よし。あとは手錠だけだ。
私はまたしてもテーブルの柱を中心にして身体を回転させた。今度は解放されたばかりの両足をシンクに向ける。
「カンナ。そのシンクの下の戸、開けて!」
バンッとシンク下の扉が開いた。二つのタンクが見える。洗面台の給水用タンクと、排水用タンク。
私は両足をシンク下に突っ込むと、排水タンクを両足の裏で挟み込み、力尽くで引き抜いた。
バキリとプラスチックの一部が割れる音ともに、タンクが床に引き出された。バタリと私の方に倒れ、ドクドクとシンクの排水溝から流れてきた水を床にぶちまける。
チャリンとわずかな金属音とともに、美亜の針金ピアスが床に流れ出る。
私は足でそれを引き寄せ、手に取り、両端を持って渾身の力で引き延ばした。知恵の輪のような形をかたどっていた一本の針金が直線に戻されていく。私は少々いびつな直線になった針金を手錠の鍵穴に差し込んだ。ガチャガチャと中をひっかき回す。
元々はランダルの持ち物だ。マジック用なのか見かけ重視で構造は単純だったようだ。しばらくかき回すと、カチリという金属音とともに両腕が解放された。
「よっしゃああ!」
私は勢いよく立ち上がった。勢いがつきすぎてちょっと頭を天井で擦って痛かったが、気にしない事にする。
首をコキコキとならした。
「カンナ。この車の、スペアキーとかとかあるかしら」
ぽかんと私を見つめていたカンナは、はっと我に返ったように立ち上がると、ぱっと指を差した。
棚の上に置かれた、幼いカンナと父の写真立て。
私はその写真立てを手に取ると、ひっくり返して底を見た。木枠と木枠の間に、銀色の鍵が綺麗に挟まっていた。
私はそれを抜き取ると、スタスタと運転席に向かった。座席に座り、キーを差し込む。
そこでおもむろに助手席を見る。
カンナが表情を引き締めて、助手席に座っていた。私と視線をまっすぐぶつける。
「あんたは友達を助けなさい」
私は前方に顔を向けた。
カンナも前を向く。
「私はあんたのパパをぶん殴る。いいわね」
カンナは前を向いたまま大きく頷いた。
キーが一人でに回る。
ブオンと車体が揺れ、エンジンが大きくうねりを上げた。
「さあ」
私はハンドルを握りしめた。
「行くわよ」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今夜、5章完結まで一気に投稿いたします。
あと少しお付き合いください。