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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第5章 言葉にしたって伝わらない
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【第5章】 高原キャンプ編 23


 23


「くそおおおおお!」

 ノブが叫ぶ。その脇腹すれすれを一本のナイフがかすめて飛んでいった。委員長が悲鳴を上げる。

「おおっと。今のは惜しかったねえ」

 数メートル下の地面に立ったランダルは愉快そうにノブを見上げていた。

 ノブは今、チェアから離れ、ケーブルを直接両手で掴み、宙づりになっていた。まるで懸垂をしているようだった。体育の懸垂運動と違うところは掴まっているのが鉄棒ではなく鋼ワイヤーで編まれたケーブルであること。そして足の下は砂場でもマットでもない。十メートル近い暗闇と、その下は固い地面である。このまま落ちたらただでは済まない。

 ノブはランダルが来る前に柱に移ろうと考えたのだ。ケーブルを懸垂で柱まで渡っていこうと。ノブは幼い頃、新体操を習っていたと言うし、美亜は悪い作戦ではないように感じた。危険極まりないが、ただチェアを揺らして迫り来るランダルを待つよりは賢明に思えたのだ。

 だが、現実は甘くなかった。

 リフトのケーブルは金属が編み込まれて出来たものだ。それは所々ささくれており、鋼のいばらと形容できるような代物だったのだ。あっという間にノブの掌は傷だらけになり、ノブの上腕から肘にかけては垂れ落ちてくる自らの血で真っ赤に染まっていた。

 当然、実質数メートルほどの柱への旅路は遅々として進まない。むしろ、痛みで手を離して落下しないだけで驚嘆に値する。しかし、今さら引き返すことも出来なかった。

 美亜と委員長は必死に前方のリフトからノブを見上げて声援を送ることしか出来なかった。

 そんな私たちの真下に、ランダルは悠々と黄色いバイクで乗り付けた。バイクを停車させ、ナツが取り付けた前輪横のフォグランプの角度を上げてノブを照し出した。

 そしてあろうことかナイフ投げを始めたのだ。

「おっと。また外れた。バタバタ足を動かすから狙いにくいじゃないか。まあいい。ナイフは何本もあるから」

 ランダルは愉快そうに笑った。

 美亜はその乾ききった笑い声に背筋が凍るのを感じた。

 狂ってる。

 ノブがランダルを睨み付けて叫び声を上げる。

「ふざけんなこの人殺しがああ! 待ってろ! 柱から降りたらぶっ飛ばしてやる!」

「人殺し? それは君たちのことだろう。娘を殺し、さらには罪を自白しようとしたシロマくんまで殺した。全く度しがたいね」

 シロマを? 私たちが? 何を言っているのだろうこの男は。

 ランダルの言葉に美亜は強い疑念を感じたが、状況はそれどころでは無かった。

 ノブの表情はここから見えないが、繰り返すうなり声から、相当苦しんでいるのは明確だった。さっきから不意に飛んでくるナイフから身をよじるのに必死で、一センチも進むことが出来ていない。このままではナイフが当たらなくてもいずれ力つきて落下してしまう。

 そして、そうなれば、次は。

 私は隣を見た。委員長はリフトの背もたれを握り、ノブを見つめたまま、ガクガクと震えている。

 私がこの子を守らないと。

 ずっとずっと助けてきてもらってきたんだ。

 私は「委員長。掴まってて」とぼそりと呟くと、シンに手渡されたストックのストラップをしっかりと手首に巻き付けた。意識して見ることを避けていた。下の地面に目をやる。草むらだ。だが、見た目よりは柔らかくないだろう事は予想がついた。高さはおそらく5メートル程度。ゴクリと唾を飲み込む。

「み、美亜ちゃん?」

 委員長が美亜の動きに目を見張る。

「何する気!?」

「掴まってて!」

 美亜はすっとお尻を滑らすようにして座席から身をずらした。腰から下の下半身が宙に投げ出される。そのまま即座にさっきまで自分が座っていた座面に両手でしがみついた。その手はむなしく座席のシートの上を滑る。最後の最後に座面の際のパイプに辛うじてしがみつく。

 美亜は自分の全体重が一気に腕にかかる衝撃に歯を食いしばりながら、座面の端を両手で握りしめ、その身を支えた。ノブの懸垂と同様、腕だけでリフトのチェアにぶら下がる形になる。

 ガクンとチェア全体がバランスを崩して大きく傾いた。委員長は必死に背もたれにしがみつく。

 美亜は懸垂の体勢で地面を見た。これで身体一つ分の高さを稼いだ。あと3から4メートルほどか。呼吸を整える。

 ぱっと美亜は両手を離した。急速に地面が近づいてくる。

 美亜はあえて右足を前に出した。

 こんな足、もうどうなろうと知ったことか。




 鈍い音とともに、女の短い悲鳴がゲレンデにこだました。

 ケーブルにぶら下がっていた男に夢中になっていたランダルは、その音に何事かと目をやる。

 女二人が座っていたはずのリフトは大きくゆれていて、茶髪の女だけがチェアにしがみついていた。その真下の草むらから、突如黒髪の女が立ち上がった。スキーのストックを杖にして、足を引きずりながらその場を離れていく。

 落ちた? いや、飛び降りたのか。あの高さから。

 ランダルは男をそのまま放置し、スタスタと黒髪の女を追った。

「だ、だめだ! こっちだ! こっちを見ろ!」

 男が女の元に行かせまいと必死に大声を上げる。だがランダルは一瞥もせず、女を追った。その手にはナイフが鈍く光っていた。




 美亜は必死に足を動かした。出来るだけ、ランダルから距離を取る。

落下の際、右足からは見事に骨折した音がしたが、見たところ、あらぬ方向に曲がっている様子は無かった。

 骨が飛び出るぐらいの骨折を想像していた美亜は少し安堵したが、すぐに襲ってきた激痛の前にはそんなことは言ってられなかった。しかも、そのまま立ち上がって逃げなければならないのだ。ストックに体重をかけているといえど、地面を引きずるだけで想像を絶する痛みだった。脂汗が頬を伝う。

「そんな足でどこに行くつもりだい? 花咲美亜くん」

 ランダルが余裕の足取りで追ってくる。やろうと思えばすぐに追いつけるはずなのに。遊ばれているのか。

 いや、この男は追い詰めているのだ。私たちを。真実を聞き出すために。

「だ、誰も、あなたの娘を、殺してないわ」

 リフトの周りを大きく迂回するように私は動いた。端からこの足で下山できるとは思っていない。時間を稼ぐ。それだけが目的だった。

 それがどれだけの意味を持つのかはわからなかったが。でも、これしかできることがない。

「殺していない? まだそんな事を言っているのかい?」

 ランダルはやれやれと首を振った。

「いじめたんだろ。私の娘を。シロマくんもそれは認めていた。お前達は、あの、純粋無垢な、やさしい女の子を、よってたかって自殺に追い込んだ。嬲り殺しにしたんだ」

 美亜は立ち止まった。首を横に振る。

「・・・・・・違う」

 ランダルも立ち止まった。顔から笑みが消えていた。

「違わないさ。あの子は悩みを抱えるような子じゃなかった。いつでも楽しそうに笑う子だった」

 ランダルの表情が歪む。目じりが急激に赤くなっていった。

「お前らが追い込んだだろう? お前らが、お前らが!」

「違う違う違う!」

 美亜は首を何度も振った。いつの間にか流れ出た涙が飛び散った。

「私たちは、私たちは!」

 美亜は叫んだ。

「カンナが大好きだった。大好きだったのよ!」





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