【第5章】 高原キャンプ編 17
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「よし! 思った通りだ!」
ノブが歓喜の声を上げた。彼はリフトの動力部の上にいた。大きな歯車が回転してケーブル循環させる動力部の真上にリフトの操作室がある。少し離れて見ている美亜からはまるでプレハブ小屋が宙に浮いているようだった。
ノブはリフトの支柱から取り付けられたはしごを伝って上に登り、操作室のガラスをのぞき込んでいた。スマホのライトで中を照らす。
「制御キーが刺さったままだ。あのスタッフ、いつも管理が雑なんだよ」
ノブは冬場、このゲレンデで毎年バイトをしていたらしい。多くのスタッフと顔見知りで、今日の係員とも仲がよかったそうだ。バイト中はノブ自身もリフトの操作を任されることもあったと言う。
次にノブは制御室の扉をガチャガチャとやる。
「くそ。流石にここはしまってやがる」
「ノブ。どけ」
後ろから支柱を登ってきたシンは、どこから拾ってきたのかスキー用のストックを手にかけていた。そのストックを逆さに持ち、グリップの先をドアのガラスに叩き付けた。ガラスにビシリとヒビが入る。ノブの「おい!」という声を無視して、シンは再度ストックを打ち付ける。ガシャリと音を立てて大きな穴が空いた。
「緊急事態だ。わかってくれるさ」
ノブは「これで今年はバイトできねえな」とぼやきながら腕をドアの内部に差し込み、内側から開錠した。操作室に入り、機械をいじり始める。
ブオンと鈍い音がしたかと思うと、急に辺りがまぶしく照らされた。昼間のような光量に美亜は思わず手をかざして目をそらす。リフトの照明がついたのだ。
支柱ごとに取り付けられた照明が上部の柱から順番に次々と点灯していく。真っ暗だったゲレンデが人口の光で照らされた。
委員長が歓声を上げた。美亜に笑顔を向けてくる。美亜も微笑んで頷いた。ずっと暗闇の中で怯えていた身にとって、人口の光は想像以上に頼もしかった。安堵のため息が漏れ出そうだ。
ガタンという機械音とともに巨大な歯車が回転を始めた。ワイヤーが巻かれ、リフトが動き出す。
「よし。これで一気に山を降りられるぞ!」
ノブが笑顔ではしごを下りてきた。スキーストックを持ったシンも後ろから続く。
「まあ、中腹で一回乗り継がなきゃいけないけどな。まあ、同じことさ。数十分後には麓についてる」
「こんなに目立って、ランダルに先回りされない?」
美亜の問いに、ノブは首を横に振る。
「無理だね。奴がどこに隠れてるのか知らねえけど、山頂付近にいるなら追いつきようがない。雪があればスキーやらスノボーで先回り出来るだろうけど、今はただの草原だ。ゲレンデを全力疾走したってリフトの方が速い。逃げ切れる」
「そうと決まればすぐに乗るぞ。今、襲われたら意味がねえ!」
シンの言葉に委員長がやわらげていた表情を固くし、神経質に辺りを見回した。さっきまで月明かりでうっすら見えていた山の景色はあまりに強い照明の代償で、ゲレンデ以外は全く見えなくなってしまっていた。リフトの人口の白い光が届かない範囲は漆黒となっている。あの暗闇のどこかに、殺人鬼が潜んでいるかもしれないのだ。
シンが近づいてきて、美亜に耳打ちした。
「委員長についてやってくれ。精神的に限界だ」
美亜は小刻みに震える委員長の背中を見ながら黙って頷いた。その美亜にシンはスキーのストックを渡す。いざというとき、武器にしろと言うことだろうか。
シンの腰にはキャンピングカーの中で見つけた鞘に入れられた大きなパン切り包丁が刺さっていた。ポケットにはスタンガンも入っているはずだ。ノブの片手にはキャンプ用の手斧が握られている。
「よし。乗るぞ。美亜、委員長が先に乗れ。次にノブ。俺は最後だ」
シンはそう言って暗闇を睨み付けた。ぎりぎりまで見張ってくれるらしい。
「委員長、いこ」
委員長は「うん」と震えながら頷くと、美亜の肩を持った。美亜の不自由な右足を支えようとしてくれているのだ。正直、がっしり掴まれすぎて逆に歩きづらかったが、黙って委員長に身体を委ねる。委員長は誰かの心配をしている時の方が落ち着けるのだ。昔からそういう子だ。
ノブに補助してもらいながら、流れてくるリフトの間に入り込む事に成功する。後ろからお尻をすくわれるように椅子に座ったと思うと、ふっと両足が宙に浮いた。
隣の委員長ががっと美亜の手を握った。美亜も握り返す。
すぐ後ろのリフトにノブが乗った。
シンはじっと乗降口に立ち、暗闇を睨み付けている。
「シン! 全員乗ったぞ! お前も乗れ!」
「・・・・・・俺はここを守る」
美亜は驚いて振り返った。何言ってるの。
「もしランダルの野郎も後ろから乗り込んできたどうする。お前らがリフトを降りたのを確認したら俺も追いかける」
「だ、だめ!」委員長が悲痛な声を上げる。
「バラバラになっちゃダメだよ! シン君が言ってたんじゃない!」
委員長は後ろに身体を大きく捻った。チェアが揺れる。身を乗り出そうとする委員長を美亜は必死に抱きついて支えた。
「シンくん! 一緒にいて!」
だがシンは振り返らなかった。
「開けた場所とは言え、ジャマーの範囲はせいぜい一キロもない。いずれ電波が通じる。アンテナが立ち次第、通報してくれ」
背を向けたままシンはそう叫んだ。目線は暗闇を睨み続ける。
「シン! 馬鹿野郎! 殺されるぞ!」ノブもガタガタとチェアを揺らすが、もうノブも乗降口から大きく離れてしまっていた。
委員長が椅子の上で膝立ちになり泣き叫ぶ。その腰に美亜は必死に抱きついた。
シンの後ろ姿はどんどん小さくなり、やがて小さな起伏を超えたところで完全に見えなくなった。
私は手首の手錠をじっと見つめた。後ろ手でない分、湖畔キャンプの際の拘束よりは自由が利きそうなものなのだが、足がぐるぐる巻きにされているのが難点だ。
私は試しに身をよじってみた。うん。しっかり拘束されてる。こりゃダメだ。
私はため息をついてまたキャンピングカーの天井を眺めた。あーあ。随分割りの良いバイトだとは思ったけど、やっぱりうまい話には裏があるのね。
スタンガンを食らった首筋付近が痛んだ。まるで筋肉痛のような痛みだ。
シンの奴、チャンスがあれば絶対一発殴ってやるぞ。覚えてろ。
ノブに殴られた頬もそれなりに痛んだが、まあ、ノブの顔面には結構良いパンチをきめれたし、最後に蹴りもはいったからまあいいか。
許しがたいのはランダルである。復讐だかなんだか知らないが、頼むから余所でやってくれ。私を巻き込むな。
あのカウボーイ野郎も絶対殴りつけてやる。今に見てろ。
そう心の中で啖呵を切るものの、実際の私は猿ぐつわを噛まされ両手足を拘束されて一人高原に取り残されている。なんと惨めな。
私はなんだかどうでも良くなってきて、その場に倒れ込もうとした。しかし、後ろ手でないとはいえ、両手の手錠は机の柱を通っている。そのために動きが制限され、狭い床に快適に寝転ぶことは出来なかった。諦めて身を起す。やれやれだ。ふて寝もできないとは。猿ぐつわを外そうと手を伸ばしてもみたが、またしても柱が邪魔でせいぜい胸までしか届かない。無理をすれば怪我をしそうだ。。
ふと隣を見ると、カンナがいた。私と肩を並べるようにして体育座りをしている。
顔は泣きはらした痕があった。
カンナは何も言わない。ただしゃがんで、うつろな目で前を見ていた。
私もそうした。きっと猿ぐつわをしていなくとも、きっと声はかけなかったと思う。
二人して、ただ黙って、差し込む月明かりを見ていた。
足音が聞こえた。
徐々に近づいてくる。シンたちだろうか。忘れ物か?
だが、草を踏みつける足音は一人分だった。
ゆっくりとした足取り。口笛まで聞こえる。
それに奇妙な音が混じっていた。足を踏み出す度にチャキンチャキンとわずかな金属音が響いている。
私の脳裏に、西部劇で登場するブーツが浮かんだ。踵についている金属の歯車。乗馬の際に使うものだ。確かスパーと言ったか。
がらりと大きな音を立ててスライドドアが開いた。
月明かりをバックに、一人の男が立っていた。背中には大きなリュックを背負っていた。頭の大きな帽子が特徴的な陰を作り出す。
そのカウボーイハットを彼はおもむろに指でくいっと持ち上げた。
「やあ。サマーくん。無事かい?」
ランダル。本名、樽木勝也は月明かりの下、白い歯を見せて微笑んだ。
「迎えに来たよ」
次話は明日の朝に投稿予定です。
よろしくお願いいたします。