【第5章】 高原キャンプ編 13
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「ち、違う! 私じゃない!」
私はとっさに立ち上がった。別に急な動作でも何でもなかったが、委員長と美亜が悲鳴を上げてシンの後ろに逃げ出した。シンがスタンガンを威嚇するように突き出し、その脇をノブが固める。ノブは両の拳を握っていた。
「いい? 私は昨日初めてこの町に来たのよ」
私はうわずった声で弁解した。というか、弁解もなにも、全く心当たりがないから逆に説明しづらい。
「シロマくんやらアッコさんを殺せるはずないでしょ」
「黙れ」
シンがスタンガンをばちりと鳴らした。
「質問に答えろ」
私は両手を挙げて頷いた。
シンとノブとの距離は3メートルほど。もしシンが突っ込んできたら対応できるか微妙なところだった。シンは一見、冷静なようだが、恐らく相当興奮している。ノブもさっきから黙り込んでいるが、頭に血が上っているのは明らかだ。無理もない。いきなり山の上で足の車を失い、しかも彼らにとって生命線といえるインターネットとのつながりを遮断されたのだ。パニックにもなる。男子の後ろの女子は完全に怯えきっている。
これ以上、刺激したくない。
「お前、昼間、しつこく車を駐車場に持ってくように迫ったよな」
私は素直に頷いた。それがなんだと言うんだ。
「その時から、車を俺たちから離して、あとで潰すつもりだったんだな」
なんでそうなる。
「違うわよ。あれはキャンプ場のルールで・・・・・・」
「今時のキャンプ場はサイトに乗り付けOKのとこがほとんどだろうが! おかしいだろ!」
「知らないわよ! ボスのランダルに聞いてよ!」
私は変な言いがかりに思わず叫んだ。シンも叫び返す。
「そのランダルはどこ行ったんだよ!」
それは私のセリフだ。思わず「私がききたいわよ!」と怒鳴りそうになった。だが、喚き合いになったら誤解は解けない。私は必死に言葉を飲み込み、できる限り穏やかな声を出そうとした。だが、実際はただの低い声になった。
「わからない。私にも訳がわからないのよ」
シンの後ろで美亜が眉をひそめた。疑われている。
ちくしょう。自分の言葉がどうやっても嘘くさい響きになる。本当に何もわからないだけなのに。
「・・・・・・次の質問だ。なんで昼間、崖のとこにコソコソのぞきに来たんだ。何を探ってた」
ノブが今思い出したといった感じで、叫んだ。
「そうだ! いたぞこいつ! 変だと思ったんだ。さては俺たちをつけて来てたんだ!」
違う。それも偶然だ。
「わ、私は写真を撮ってただけよ。景色の・・・・・・」
「仕事中にか?」
「昼休憩だったの!」
まずい。どんどん嫌な方向に話が進んでいる気がする。説明を。説明しないと。
「山の景色を撮りたかっただけ。本当に偶然よ。あなたたちのクラスメイトが自殺したなんて全く・・・・・・」
その瞬間、彼ら4人は身を強ばらせた。空気が変わる。私への疑惑が一気に確信に変わった。そんな視線の変化。
「・・・・・・なんで自殺だと? 俺は事故だと説明したはずだ」
私の顔からも血の気が引く。やばい。まずった。
「えっと、いや、噂になってたでしょ。事故ではなく自殺じゃないかって。だから思わず・・・・・・」
美亜が半狂乱で叫ぶ。
「なんで昨日、この町に来た人が、そんなこと知ってるのよ!」
まずい。また墓穴を掘った。やばいやばいやばい。
「おかしいと思ってたんだよ。昼間、初めて見たときから」
シンが乾いた唇を舐める。私を睨み付けながら。
「立ち居振る舞いが普通じゃねえ。試しに因縁つけてすごんでみても全く動じなかった。場慣れしてやがる。俺、それなりにそこらのチンピラと付き合いあったからわかるんだよ。こいつはやばい。何度も殺し合ったことあるような空気もってやがる。ただものじゃない」
それはある意味、シンの眼力通りではある。はい。何度も死線はくぐり抜けてきました。
でも、信じて欲しい。私はいつもそんなつもりは無かったのだ。仕方なくそうなっただけで、殺し合いなんて一度だってしたいと思ったことはない。
「美亜が騒いでたから、お前のこと、一通り調べてみたよ。何度も殺人事件に首を突っ込んでやがる。おかしいだろ。一回や二回じゃなく、何度もだぞ。これまでの事件も、なんだかんだこいつが犯人なんじゃねえのか。毎回上手いこと立ち回って、英雄扱いされるのを喜んでるサイコ野郎なんじゃねえのか」
ふざけんな。そんなわけないだろう。私がどんな思いで生き残ってきたと思っているのだ。私は頭に血が上るのを感じた。
ダメだ。今、声を出したら私は確実に怒鳴ってしまう。冷静に。冷静になれ。
必死に自分を抑え、唇を噛む私に、シンが核心をつく質問を投げた。
「お前、なんのためにここに来たんだ」
なんのために? 決まってるだろう。
私は深い息を吐き、そして言った。できるだけゆっくりと、一語一語に力を込めて。
「キャンプよ。キャンプをしたいだけ」
それだけなのだ。いつも。
場に白けた空気が漂った。完全に信用を無くした4人の瞳が私を射貫く。何を言っても伝わらない。この場に味方が一人もいないあまりの孤独な状況であることを改めて感じる。
シンがぽつりと、呟いた。
「カンナ」
カンナ? なぜ今、幽霊の名が出てくるんだ。
私の表情を見て、シンが静かに頷く。
「やっぱり、知ってるんだな。カンナのこと」
私は素直に頷く。
「ええ。ランダルの娘さんでしょ」
委員長が悲鳴を上げた。慌てて美亜が委員長の肩を抱く。
ノブが「まじかよ。なんだよそれ」と呻く。
シンは私から目を離さない。
「崖から落ちた同級生。それがカンナだ」
カンナ。
キャンピングカーに取り憑く女子高生の幽霊。
ランダルの娘。
崖から落ちて死んだのはカンナだった。
カンナの死因は事故と判断された。だが、いじめを苦にした自殺であるという噂もあった。
その噂を、娘を失った父親が信じたとしたら。
ランダルの言葉が脳裏をよぎる。
『うちのカンナもね、もし生きてたら、あの子たちと同い年だったはずなんだよ』
同い年。「同じぐらいの歳」ではなく、「同い年」。
ランダルは、シン達が娘の同級生であることを知っていた。
知った上で、彼らをキャンプ場に入れ、ハンバーガーを作り、BBQの用意までしていたのか。娘をいじめて自殺に追い込んだかも知れない若者たちに。娘を殺したかも知れない人間達に。
笑顔をふりまきながら。
「カンナの親父は、カンナが自殺したと思ってやがるんだ。俺たちが殺したって。だから、この女を使って俺たちを殺すつもりだ。復讐するつもりなんだ」
私はかぶりを振った。
仮にランダルの目的がそうだとしても。もしそうだったとしても、私は関係ない。関係ないんだ。
シンが顔を歪ませてスタンガンを突き出す。
「なあ。お前がやったんだろ。シロマも、アッコも。お前が殺したんだろ。ランダルに頼まれて。なんだ? 正義の味方のつもりだったのか? 神に代わって、いじめっ子に復讐ってか? ヒーロー願望あるんだもんな」
違う! そんなたいそうな思想など持ち合わせているものか。
「あいつらだって、過去を抱えて必死で生きてたんだぞ! この人殺しがあ!」
私は叫び返した。もう我慢ならなかった。
「私はやってない! そんなことするわけないでしょうが! 証拠は? 私が殺したって言う証拠、出してみなさいよ!」
もうやけくそだ。ここまできたらどうせ信じてもらえない。もう犯人確定みたいなセリフになってしまったが、事実として私は犯人ではないのだ。証拠なんてあるわけが・・・・・・
「・・・・・・銃・・・・・・」
委員長がぼそりと呟いた。美亜に抱きしめられて震えながら、怯えた目で私を凝視している。
「あの人、銃、持ってた・・・・・・ 拳銃。腰の後ろに差してた・・・・・・」
今夜で最も重い沈黙が、5人の間に降りた。
始めに動いたのはシンだった。
地面を蹴り、一気に距離を詰め、私の首元をめがけてスタンガンを突き出す。その攻撃を私はとっさに頭を左右に動かすスリップという技術で回避し、右手でシンの腕を掴む。シンが膝蹴りを繰り出してきたので自分の足も上げることでそれを阻止し、バランスを崩したシンの額に頭突きを食らわした。シンは私に右手を取られたまま転倒する。よし、このまま関節を決める。
だが、そこでノブに左頬を殴りつけられ、私は地面に倒れ込んだ。シンの右手も放してしまう。ノブは繰り出した拳を引っ込めると同時に私の腹を蹴り上げた。身体が一瞬宙に浮き、息がつまる。地面を転がり、仰向けになった私の顔を、ノブが踏みつけようと足を大きく上げる。
私は草の上で背中を軸にして身体を回転させると、ノブの軸足を蹴り払った。ノブが受け身も取れずに地面に叩き付けられる。
素早く膝立ちになった私に、立ち上がったシンがスタンガンを握り締めて突っ込んでくる。
私はとっさに腰の拳銃を引き抜いた。
「動かないで」
シンの動きがピタリと止まる。
美亜が「ひっ」と声を漏らすのが聞こえた。
銃口はまっすぐシンに向いている。距離は一メートルあるかないか。撃てば確実に当たる。
シンがゴクリと唾を飲む音が聞こえた。
「・・・・・・スタンガンを、捨てなさい」
シンの手から、スタンガンが落ちて地面に転がった。
ノブが身を起そうとする音が背後で聞こえた。「動くな!」私はシンから目をそらさずに叫んだ。ノブがびくりと硬直するのがわかった。
全員が銃口を見つめている。
委員長が美亜の腕の中で嗚咽を漏らして泣き出した。泣きたいのはこっちだ。
どうすりゃいいんだよ。この状況。
とりあえず場を制してみたものの、もう引き返せない状況になってしまっている。
銃口はシンの胸に向けてあるが、まさか本当に撃つわけにもいかない。見たところ銃の構造はシングルアクションだ。撃鉄を起していないから、仮に引き金を引いても弾は出ないだろう。だが、もし何かの反動で弾が発射されたら取り返しがつかない。
追い詰められているのは私の方だ。
その心の隙を見抜かれたのだろう。
シンが素早く蹴りを繰り出した。素人の動きではなかった。キックボクシングか。
正確に繰り出されたキックが、私の右手を直撃し、重い銃が吹っ飛んでいく。地面をバウンドし、草の上を滑り、美亜と委員長の足下で止まる。
シンが反対の足を繰り出してきたので、肘で受け止める。あえてシンの方に突っ込むことで、打撃のタイミングをずらし、ダメージを軽減する。そのままシンの足に食らいつき、立ち上がると同時に足をすくい上げて再度シンを転ばした。
後ろからノブが殴りつけて来た。大ぶりの右。振り返ると同時に頭を下げて回避。即座にその顎に左拳のカウンターパンチをお見舞いする。たまらず膝をついたノブの顔に今度は右の拳を叩き込む。さっきのお返しだこの野郎。
もう一発撃ち込もうとしたところで後ろから背中を羽交い締めにされた。シンだ。もう起き上がってきたのか。
「美亜! 銃を取れ! こいつを撃つんだ!」
シンの叫びにぞっとして、私は背後に向かって腕を振り回した。シンの顔めがけて肘打ちを繰り出すが、顎を引かれて上手くヒットしない。
美亜が弾かれたように動いた。地面に膝をつき、銃を拾い上げた。使い方がわからないのだろう。手にした鉄の塊とシンとを交互に見てオロオロする。
「撃鉄だ。親指の部品をおろせ!」
シンが叫ぶ。
私は喚き声を上げてシンの足をがむしゃらに蹴りつけ、踏みつけた。シンが痛みにうなり声を上げたが、むしろ私を羽交い締めにする力はギリギリと強まる。
ガチリ。撃鉄が起されたコック音に私は戦慄する。
足を大きく上げ、シンのつま先に狙いを定め、全体重を込めて踵を踏み落とす。シンが悲鳴を上げ、少しだけ拘束が緩んだ。よし。もう一発。
再びふり上げた私の足を、立ち上がってきたノブが両手ですくい上げた。片足が宙に浮く。私はもう片方の足でがむしゃらにノブの肩や胸を蹴りつけた。しかし、その足も掴まれてしまい、私は背中を羽交い締めにされたまま、両足を抱え込まれ、持ち上げられてしまった。
ノブが怒鳴る。
「足だ! 足を撃て! 太ももだ!」
美亜が震えながら両手で銃を構えた。
やばい。
私は恐怖のあまり力まかせに身体をよじり、暴れた。両足をばたつかせ、後ろ向きに力任せに拳を振るう。何回も後ろ手の拳がシンの顔に当たったが、シンは手を離さない。
委員長が美亜の背中に縋り付き、「やめて、やめてよ美亜ちゃん」と泣きじゃくる。
だが、美亜は頬に涙を伝わせながらもキッと銃の照準を睨み付け、唇を噛みしめた。
撃たれる。
私は声にならない叫びを上げた。シンも叫んだ。美亜も叫ぶ。ノブも叫ぶ。委員長も目をつぶって叫んでいた。
美亜が引き金を引いた。
カチン。
乾いた金属音が高原の広場に響いた。
「え?」と美亜が声を漏らす。
私は持ち上げられた自分の両足を見る。大丈夫。撃たれてない。
不発?
美亜が焦って再び撃鉄を起した。シリンダーが回り、次の弾が用意される。
美亜が引き金を引く。
また金属音が鳴る。しかし、発砲されない。
撃てないのか。本物じゃなかった? モデルガン?
シンも予想外だったのだろう。私の背中を羽交い締めにする両手の力が、わずかに緩んだ。
私はその隙を突くように、渾身の肘打ちをシンの耳元にお見舞いした。
ガッと鈍い音とともに、背中の拘束が外れ、私の身体が下にずり落ちる。不意な体勢の変化にバランスを崩したノブが私の足を掴んだまま膝をつく。足の拘束の力も一瞬弱まった。私は片足をぬきとると、ノブの顔面を思いっきり蹴りつけた。ノブは鼻血を吹き出しながら後方にもんどりうって倒れ込む。拘束が解けた。
逃げる。
私はがむしゃらに足を動かし、地面を蹴りつけ、這うように立ち上がった。そして脱兎のごとく走り出す。
キャンピングカーの後ろにハンターカブがある。キーもポケットにある。飛び乗って山を下りるんだ。
無我夢中で走る私を追いかけてくる気配があった。シンだ。振り返ると手には拾い上げたらしいスタンガンが再び握られていた。
私はキャンピングカーに直線で向かうのをやめて、大きく迂回した。ある程度距離を稼がないとエンジンをかける段階で捕まってしまう。
「逃がさねえぞ人殺しがあ!」
走りには自信がある。酔っ払い相手に負けるはずがないとたかをくくったが、シンはすさまじい勢いで追いすがってくる。そうか。こいつ、酒を飲んでいなかった。もうあの時からシンはこういう事態を想定していたのだ。
シンがすぐ後ろに迫る。手を伸ばせば届く距離。私はそのタイミングで自らに急ブレーキをかけ、その場にしゃがみ込んだ。身軽さ故に出来る動きだ。痩せ型とはいえ成人男性のシンはその急な動きに対応できず、私の身体につまずく形で派手に転倒した。
今だ。
私は素早く立ち上がり、一直線にキャンピングカーの後ろに駆け込んだ。
よし。猶予は数十秒だろう。その間にキーを差し込んで、エンジンをかけて・・・・・・。
私は愕然として動きを止めた。
キャンピングカーの後ろ。BBQ会場の反対側。ランタンの光もわずかしか届かない薄暗い空間。
そこにはなにも無かった。
ない。ハンターカブがない。
ここに置いておいたはずなのに。
唖然として辺りを見渡すと、キャンピングカーの白いボディの前に、一人の少女が佇んでいた。セーラー服。長い黒髪。
少女は泣いていた。頬を濡らしながら、一つのジェスチャーを繰り返していた。
必死に右手の親指と人差し指で眉間ををつまむようにし、指を開きながら前に出す。
その手話を私は知っていた。「ごめんなさい」だ。
カンナは何度も繰り返す。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
私は立ち尽くして彼女を見つめた。呆然と、放心状態で。
次の瞬間、私はシンの怒声とともに突き飛ばされ、キャンピングカーの車体に叩き付けられた。そのまますさまじい力で横顔をボディに押しつけられる。
何の抵抗も出来ない私の首筋にスタンガンが押しつけられた。
バババババババ! 耳元で電流が唸る。
私は意識を失った。
次話は明日の朝、投稿予定です。
よろしくお願いいたします。