【第5章】 高原キャンプ編 11
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飲み会に参加するのなんて久しぶりだ。
前の職場では定期的に懇親会があり、居酒屋の座敷に閉じ込められ、年に数回、二時間近く親睦を深めされられたものだった。
ちなみに私は仕事以外の話を同僚とするなど絶対嫌だったので、できるだけ隅っこの方で誰とも目を合わせないようにうつむいてひたすらおしぼりを折っていた。だが、密閉空間で逃げられる訳もなく、すぐに会話に混ぜられるが常だった。
会が中盤になると仕事の話はほとんどなくなり、プライベートの話を根掘り葉掘り聞かれるようになる。やれ、休みの日はなにをしてるだの、付き合ってる人はいるのだの、まったく、そんなことを聞いてどうするというのだ。
正直に「付き合ってる人はいません」と言ってもよかったが、そうすると次の話題は目に見えていた。「気になっている人はいるの?」「好きなタイプは?」それに下手に答えて、もし知り合いなどを紹介されでもしたら目も当てられない。
なので、私はそういう時は自殺した元彼を無理矢理に生き返らしてまだ付き合っているのだという体にした。だって仲は冷え切っていたとはいえ、一応別れ話はしてなかったもんね。遺書にも私に対する記述はなかったし。まだ付き合っているで、ギリセーフだと思っている。いや、アウトか。なんか死後までお世話になってしまい申し訳なかった。徹、ごめん。
しかし、私が素知らぬ顔で「彼氏はいます」と言っても次の質問が待っていた。
『どんな人?』 眼鏡をかけた理屈っぽい人です。
『何をしてる人?』 中学校教師です。
『そうなんだ。じゃあ、安定だね』
『結婚は? 考えてる?』
『もうあんまり遊べる歳じゃないもんね。そろそろ考えないと』
『子どもは早い内に産んだ方がいいよ』
そして、そういうこと言ってくる人って、大抵、嬉しそうに結婚指輪をつけてるんだよな。
自分が正しい道を進んでいるってことに疑いを持たず、相手も自分と同じルートをたどろうとしていることを信じて疑わない。先に進んでいる者として、後ろの人間にアドバイスを送ろうとしているのだ。もう白く輝く混じり気のない純粋な善意ってやつで。
めんどくせえ。
あんたの価値観を他人に押しつけてくんじゃねえよ。視野狭すぎだろ。
そして、そう言う人は、馬鹿の一つ覚えみたいに最後に付け加えるのだ。
『色々言っちゃったけどさ。まあ、今は多様性の時代だから、斉藤さんには斉藤さんの生き方、あると思うから。自分らしさを大切にね』
じゃあ始めから言ってんじゃねえよ。
多様性の意味、ちゃんと理解してから会話に組み込めよ。なに、自分はちゃんとわかってまーす、みたいのを最後に付け加えてリベラル気取ってんだ。なんのフォローにもなってねえよ。
とかなんとか胸中では罵倒しつつも、現実では「いえいえ。勉強になりますー」と笑顔でウーロン茶を舐めなければいけない社会人の辛さってやつよ。
ということで、何が言いたいかというと、私は飲み会ってやつが大嫌いなのだ。以上。
せっかく仕事を辞めたというのに。まあ、クビになったが近いんだけどそれはそれとして、ようやく懇親会から解放されたと思ったのに、山の上という予想外の場所とタイミングで巻き込まれてしまった。まあ、今回は立場もはっきりしてるので、そうめんどくさい絡みをされることはあるまい。
「ねえ。ナツさーん、彼氏とかいるんですかー? 俺、今、募集中でー」
がっつり絡まれた。
片手に肉、もう片方の手に瓶ビールを持った金髪眼鏡のノブである。
「いるわ」
私は一切目を合わせずに即答した。心の中で、「もう死んでるけど」と付け加えながら、スペアリブにかぶりついた。うん。うまい。
「あー。やっぱりかあ。美人には絶対すでに相手がいるんだよなあ。なんなんだよこれ」
ノブが肩を落とす。ガックリと音がしそうな大きな動作だったので、瓶ビールが少量こぼれて草の上に落ちる。相当酔ってるなこいつ。
飲み会が始まって二時間ほど経過していた。肉はあらかた焼き終わり、テーブルに並べられている。来ていない二人が遅れてやって来るかも知れないと思い、私は最初、食べ物に関しては控えめにつまんでいたのだ。だが、時刻は既に二十一時になろうとしていた。流石にもう来ないということなのだろう。このままでは大量に余った肉が冷めて固まってしまう。じゃあ酔っ払い共の代わりに、この私がバクバクと消費してやろうではないか。
スペアリブを平らげ、次の骨付きチキンに手を伸ばす私に、ノブは延々と話しかけてくる。
「なんでなんすかねー。俺、自分では結構良い物件だと思うんですけどねー。ねえ、ナツさんは俺のことどう思いますー?」
知らねえよ。あっち行け。
私はちらりと委員長の方を見た。この酔っ払いをなんとかしてくれ。クラスメイトを監督するのも委員長の職務だろ。
委員長はキャンプチェアに腰掛けたシンの隣に座っていた。特に会話が盛り上がっている感じではないようだったが。委員長はふと私の視線に気がつき、こちらを向いた。しかし、目が合うと同時にあからさまに視線をそらした。
うわ。がっつり怖がられている。
別に拳銃を所持してたぐらいでそんなに警戒しなくても。
いや。多分、あの感性が普通なんだろうな。私がおかしいのだ。きっと。
「ノブー。ナツさんは無理だよー。あんたには釣り合わないってー」
意外な事に、助けに入ってくれたのは美亜だった。さっきまでランダルと話していたらしい。ちょっとおぼつかない足取りで近づいてくる。
「ナツさん、ネット界隈で超有名だからね。熱心なファンもいるんだから」
え、なにそれ。初耳なんだけど。
「マジで。そんなすごい人なん」
「うん。ワイチューブのショート動画とかも話題になってたよ。ナツさんがただキャンプ道具の魅力を語る動画とか。スキレット? だったけ。あのフライパンみたいなやつ」
ショート動画? さっきからなんの話? 怖いんですけど。
「ほら」と差し出す美亜のスマホ画面には、確かに私の姿があった。驚いて凝視する。
私はスキレットを片手に熱心に道具の魅力を語っていた。
『肉を焼くならこれよ。分厚いでしょ。だから熱伝導率がいいの。確かにちょっと重いけどなれれば・・・・・・』
背景は室内である。この部屋は確か・・・・・・
私ははっとして動画の配信主のアカウント名を見た。
『さっちゃんチャンネル』
またお前か紗奈子お!
よくよく思い出せば、一度、紗奈子に「キャンプ始めたい子がいてー。おすすめのキャンプ道具教えてほしいんだってー」と連絡を受けたことがあった。
私は自分のギアを自慢できる大義名分が出来たと、喜んでギア一式を紗奈子の家に持って行った。一つずつギアの紹介をする私を、紗奈子は「こっちの方が伝わりやすいから」とスマホで撮影していたが・・・・・・
それを勝手にアップしてやがる。人のプライバシーをなんだと思ってやがるんだ。お前はほんとに情報モラルの授業を受け直した方が良い。あ、元、家出娘だから、そもそも授業を受けてないのかもしれない。
私はナプキンで手を拭くと、「ちょっとごめんね」と美亜のスマホに指を当て、動画のコメント欄を覗いてみる。
『ナツ様めっちゃ楽しそうw』
『好きなものについて語れて嬉しいんだな。わかるわかる』
『超早口で笑うwww』
馬鹿にされてんじゃねえか。
私は美亜のスマホから指を離し、怒りに震えた。
そんな私の様子に気づかない酔っ払い二人は会話を続ける。
「くそ。周りみんなリア充じゃねえか。アッコなんて結婚したんだろー」
「あんたも高校時代はそれなりにモテてたのにねー」
「モテてねえよ。それはシロマとシンだけ。俺はいつでも引き立て役さ。てか、美亜、お前、シロマと付き合ってなかったけ」
「何年前の話よ。卒業前に別れたわ」
私は、その二人をその場に置いてすっと移動した。
紗奈子に抗議の電話をしてやる。
ランダルに広場を離れることを伝えようとしたが、姿が見当たらない。どこに言ったのだろう。トイレだろうか。
もしかして、これは拳銃を戻しに行くチャンスなのでは。
そう思ってキャンピンググカーの方を見ると、カンナが車体にもたれて、談笑する若者たちを嬉しそうに眺めていた。その笑顔は少し、寂しそうでもあった。
なんとなく、邪魔したくなかった。
私はキャンピングカーに背を向け、ざくざくと草原をリフトの方へ進んだ。歩きながらポケットからスマホを取り出す。最近買った、超完全防水の新型スマホだ。値段は張ったし、最低限しかネットを使用しない私が機能をフルに活用できているかと言われれば正直微妙だ。だが、前の古いスマホよりも格段に電波の拾いが良くなったと感じる。現に今もアンテナ三本である。
会話アプリを開き、紗奈子と未来くんのツーショットアイコンをタップする。時刻は21時を過ぎているが、ぎりぎり大丈夫だろう。ていうか、寝ていたところで知ったことか。通話ボタンを押す指に力が入った。
『はーい。さっちゃんでーす』
陽気な声がスマホから流れる。普通に起きてた。
私は声に怒りを滲ませながら言った。
「私よ。ナツ」
『着信画面見ればわかるよー。どうしたの。珍しい。あ、みっくんと話す?』
みっくん。紗奈子の息子の未来だ。今年の春に二歳になった。定期的に会いに行っているが、正直めちゃくちゃキュートだ。最近は片言ではあるが会話も出来るようになって可愛さ5割増しである。未来永劫抱っこしていたいほどの愛らしさである。
「・・・・・・話す」
『おっけー。みっくーん! ナツお姉ちゃんでちゅよー。お電話しましょうねー』
『やだ!』
『・・・・・・ごめん。なっちゃん。みっくんもう寝てたわー。また今度ね』
いや、聞こえたよ。
なんなの、この電話口でめちゃくちゃ嫌われる現象。面と向かってあったときはご機嫌で遊んでくれるんだけどなあ。
「それより、さっちゃん。私に言わなきゃいけないことがあるんじゃないの」
『うん? ああ。SNSでなっちゃんの写真、まわってきたよ。パリピに囲まれてキレ顔してるやつ。めっちゃバズってたね』
「違う。それじゃない」
「え、ネットの話じゃないの」
ネットの話ではある。
大事な、これからの時代にとっても大事な、情報モラルと道徳のお話である。
その後、小一時間かけて私は紗奈子にガチの説教をかました。
始めは笑って対応していた紗奈子も徐々に私の本気の剣幕に気が付いたようで、終盤は「はい。すみません」「おっしゃるとおりです。ごめんなさい」とひたすら敬語で謝っていた。こちらからは見えないが、フローリングの上で正座しながら両手でスマホを耳に当てている紗奈子の様子がなんとなく想像できた。
紗奈子曰く、私の許可は得たものだと思っていたそうだ。キャンプ道具選びに悩んでいる子がいるというのは、本当で、それは紗奈子のワイチューブのアカウントにメッセージがきたということだったらしかった。紗奈子はそれを私に伝えたつもりになっており、だから当然、撮った動画を投稿することは私も納得しているのだと勘違いしていたらしい。
『いや、私のチャンネル、当然見てるとも思ってたから。上げた動画、結構バズってたし。何も言っててこないのは、照れ隠しかなーと』
「見てないわよ。てか、動画投稿、続けてたのね」
『うん、今や登録者数十万人超えの人気チャンネルだよ。あのレイジさんの動画上げて以降、トレンドになっちゃって。みんなうるさいんだよ。なっちゃんの動画出せーって』
私は言いたいことをまくし立て終えて、少し疲労感を覚えながら「そう。もういいわ」とその場に座った。そこはリフト乗り場のど真ん中だった。周りには停止したチェアリフトが沢山つり下がっている。上を見上げると、大きな歯車が見えた。でかい。相撲の土俵ぐらいありそうな巨大な歯車だった。これが回転してリフトをつるしたワイヤーが循環するのだろう。
「次から、なんか投稿するときはちゃんと許可とるのよ」
紗奈子は『はい。ごめんなさい。もうしません。気をつけます』と殊勝な態度で答えた。
いつも口先だけは立派なんだけどなあ。でも、同じようなことをすぐやらかす。
有言不実行とはきっとこういうことを言うのだ。
『なっちゃん。今はキャンプ場?』
「そうよ」
『あのバイクで?』
「うん」と私が答えると、『ふーん』と紗奈子が微妙な声を出す。
『どお。使い勝手は』
「そうね。まあ、やっぱり不便なところもあるけど、それを差し引いてもあまりある魅力がバイクキャンプにはあるわ」
そう得意げに返した私の言葉に、紗奈子は『あっそ』と気のない返事を返す。
『よかったね。新しいキャンプスタイルが見つかって』
ちょっととげのある言い方だった。
新しい車を探す際、美音と紗奈子には結構手伝ってもらった。ネット検索が得意ではない私のために、二人がいろんなメーカーや中古車屋さんを調べてくれたのだ。しかし、そのいずれにもピンと来なかった私は、最終的にふと手にした雑誌で見かけたハンターカブに一目惚れし、その日の内に購入を決意。あとで驚かせようと二人には黙って教習所に通いバイク免許をゲット。ちょうど良いタイミングで入庫した新車のハンターカブのにまたがった私は、意気揚々と二人に自慢しに行った。
私はてっきり二人ともテンション爆上がりで喜んでくれるだろうと思っていた。紗奈子など、飛び上がってはしゃぎ、後ろに乗せてくれとねだるだろうと。
しかし、二人の反応は散々だった。
まず、美音は「バイクって危なくないですか」という言葉とともに眉をひそめた。
思い出してみると、美音が出してくれた新車の候補は神経質なほど安全性能にこだわったものばかりだった。まあ、美音らしいと言えば美音らしい反応だ。ある程度予想の範囲内とも言えた。
「雨がふったらどうするんですか」「バイクの横転事故ってよく聞きますよ」「身体がむき出しなんて危険です」「絶対スピード出しちゃだめですよ」と散々母親ムーブをされた。
それでも、最後には「気をつけて乗ってくださいね」と笑ってくれた。
予想外だったのは紗奈子の反応だった。
紗奈子の家の玄関前にかっこよく乗り付け、出てきた紗奈子に「車は買わずにバイクにするぜ」と宣言した瞬間、紗奈子は「なっちゃんのバカ!」と叫んで家に駆け戻り、バタンと玄関を閉めてしまった。
その夜、美音に電話で相談すると、美音は「あー」とため息のような声を漏らした。
『紗奈子ちゃんは、ずっとナツさんとまたキャンプに行くの、楽しみにしてたんですよ』
「え? そうなの」
『ええ。未来くんがもう少し大きくなったら、なっちゃんに3人でキャンプ連れて行ってもらうんだーって嬉しそうに言ってましたよ』
そういえば、紗奈子が出してくる車のカタログは、どれも大型車が多かった。それこそキャンピングカーもあった気がする。
『それが、勝手にソロ確定のバイク買っちゃうんですもん。そりゃあ、へそもまげますよ』
「そんなの、言ってもらわないとわからないわよ。それに、確かに勝手に衝動買いした私もアレだけど、別に紗奈子の恋人じゃないんだから」
『相手は紗奈子ちゃんですよ』
そうだった。母親になって久しいから忘れていたが、紗奈子は男に振られたから自殺未遂をやらかすメンヘラ家出娘だった。それによく考えればついこの間、二十歳になったばかりの小娘なのである。
「・・・・・・でも、さっちゃん、キャンプやりたかったんだ。絶対トラウマになってると思ってた」
キャンプ場で殺人鬼に追いかけ回されて死にかけたのだ。PTSDになっても不思議ではないぐらいだと思う。
『・・・・・・よく、言ってましたよ。なっちゃんに作ってもらった唐揚げ、すっごくおいしかったんだよーって」
ああ。そういえば、ばくばく食べてたなあ。あの子。
『きっと経験した怖い思いより、ナツさんとの出会えた嬉しさのほうがずっと上だったんでしょうね』
私は、リフトの歯車を見上げながら、「さっちゃん」と呟くように言った。
「もうちょっとみっくんが大きくなったら、美音と四人でキャンプいこう。美音の車なら、みっくんも乗れるでしょ」
紗奈子はしばらく黙ったあと、『うん』と短く言った。
『約束だよ』と続ける。
「おっけ。約束ね」
笑った私の肩に触れ、リフトの一つがわずかに揺れた。
『そういえば』と紗奈子は話題を変える。
『なっちゃんの写真上げてた人の他の投稿写真もみたけど、すごい綺麗な高原だったね。今、どこのキャンプ場?』
私が市町村名を言うと、紗奈子は驚きの声を上げた。
『それ、私の地元だ!』
「え? そうなの」
紗奈子はちょっとした偶然にテンションが上がったようで早口になった。
『私、今の家は妊娠がわかってからお父さんお母さんが新しく借りて引っ越してきた感じなんだ。高校で家出するまではその地域に住んでたんだよ』
「え、じゃあ、ひょっとして高校は・・・・・・」
私は昼間に展望スペースで見た花束のプレートを思い出した。そこに記されていた高校名を紗奈子に言ってみる。『そう! そこ! その高校!』
私は今日、崖の前で見聞きしたことを紗奈子に伝えた。興味本位で頭を突っ込むことではないとは思うが、気になったものは気になるのだ。
『あー。多分、2個上の先輩の話だね。私が一年の時、そんな話があった気がする』
「山の事故の話?」
『いや、いじめの話』
いじめ? 私はリフトの間に座り込んだまま眉をひそめた。
『なんか、3年のクラスで、GWにクラスで登山をしたときに、一人の子が転落死したの。事故だって発表されたけど、学校のみんなは噂してたよ』
紗奈子は静かな声で言った。
『その子、クラスでいじめられてたんだって。だから、自殺だったんじゃないかって』
私は、シンの言葉を思い出した。前方を睨み付ける様にして言っていた、あの言葉。
あれは、事故だったんだ。誰のせいでも、ない。