【第5章】 高原キャンプ編 9
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曲がりくねった山道をぐんぐん下っていく。風が頬の両側を突き抜けていって気持ちが良かった。
適当なカーブでバイクを停め。結構降りてきたと思ったが、古びた看板を見ると標高はまだ800メートルほどあるらしい。景色を見渡す。ガードレールの先に新緑の山並みとその間にちょこちょこと町並みが見える。
リアボックスから一眼レフを取り出し、パシャリとシャッターを切る。今朝起きたときには朝日を撮ったが、素晴らしかった。山の上の草原に陽の光が差し込んでくる様はまるで北欧映画のワンシーンのようだった。
パシャパシャと何枚か写真を撮っているうちに、首筋に汗が伝うのを感じた。
山頂は涼しかったが、たった200メートル降りてくるだけでかなり気温が上がっていた。標高差というやつだ。今はカウボーイハットを脱いで、ヘルメットを被っている。安全第一だ。だがそのヘルメットへの直射日光がなかなかきつい。
ガードレールから下の様子を伺う。なかなかの断崖絶壁だった。もともとこの山は岩山なのだろう。落ちないように気をつけながら下方を伺うと、一カ所、切り立った岩場が見えた。柵のようなものが付いている。側にはベンチも見える。展望スペースだろうか。
良い写真が撮れそうだ。
私はバイクに飛び乗ると、眺望台を目指してアクセルを回した。再び通り抜ける風に汗が乾いていく。キャンプしながらバイトできるなんて最高じゃんと軽い気持ちで応募した仕事ではあったが、休み時間にツーリングができるとは思わぬ恩恵だった。まかないも旨いし。良い仕事を見つけたものである。
これで拳銃のことさえなければなあ。
拳銃は相変わらず腰の後ろに刺さっている。なんだか、ジーンズにもなじんでいて、重さにも慣れてしまっている自分がいる。つい存在を忘れそうだ。
正直、散弾銃も日本刀も斧も切り抜けたあとだから、そこまでの恐怖を感じない。自分の感覚がちょっと麻痺している気もする。よくない。実によくないぞ。斉藤ナツ。
そんな風に脳内で自らを叱責していると、展望スペースが見えてきた。車道のカーブの部分が大きくせり出してスペースになっている感じだ。眺望の方向以外は木々に囲まれている。よく見ると登山道とも繋がっているようだし、車道の反対側からはゲレンデの草原が見えた。車道からも登山道からもゲレンデからも来れるアクセスの良い場所に眺望スペースを設けたのだろう。ちょっとした広間のようになっていて、車が何台か停められそうである。
そこに二台の車が駐車されていた。銀のミニバンと黒いSUV。SUVの方は見覚えがある。
バイクを車道の端に停める。迫り出た展望スペース先に、十人ほどの若者が集っていた。彼らも景色を見にきたのだろうか。
どうせスマホで写真を撮ってSNSにアップするのであろう。
変に近づくとまた集合写真に巻き込まれる可能性がある。とはいえ、ここで引き返すのもなんだか癪であった。彼らが車に乗り込むのを確認してから近づこう。
そう思って遠目に様子を見た私は眉をひそめた。なんだか雰囲気が違う。
彼らは山頂での和気藹々とした空気から一転して、しんっと黙り込んでいた。
なにごとだ。私はバイクを降りて歩み寄り、SUVの隣まで移動した。音を立てないようにして様子を伺う。
展望スペースの先、つまり崖の先端に対して彼らは横一列に並んでいた。真ん中には委員長。その手には花束が抱えられていた。
委員長はゆっくりと前に出て、崖の先、やけに真新しい腰ほどの高さの鉄の柵の前に、花束を置いた。若者たちが一斉に手を合わせて目を瞑る。
誰か、ここで死んだのだろうか。
「同級生だよ」
不意に真横から声をかけられて私は心臓がひっくり返るかと思った。見ると、SUVの運転席にシンが座っていた。窓を開け、相変わらずタバコをくわえている。
「高校の時によ、思い出作りみたいな感じでクラスで山登りに来たんだよ。まあ、遠足だな」
シンは私の方を見ずに、並んでいるメンバーを見つめて独り言のように言った。
「その時、同級生が一人、ここから落ちた」
シンはおもむろに白い煙を吐き出した。
「で、まあ。今日が命日ってわけ。もう4年も前だ」
上から見たここの外観を思い出した。切り立った崖。落ちたらひとたまりも無いだろう。だが、柵もあるし、こんなわかりやすい場所から簡単に落ちるとはどうも思えない。何があったのだろう。
「事故だ」
シンはまるで私の思考を読み取ったかのように言い切った。そして前方に向けていた目線を私に向ける。
「あれは、事故だったんだ。誰のせいでも、ない」
突然のあまりに強い視線に、私は息を飲んだ。どう反応して良いかわからず、とりあえず黙って頷く。
「あれ? ナツさんじゃん」
気づくとセレモニーが終わったのか、美亜が手を振りながら近づいてきた。相変わらずやけにゆっくり近づいてきた。右足を引きずっている。ずっと酔って足下がおぼつかないだけだと思い込んでいたが、改めて歩く様子を見ると、もしかしたら足になにかしらの障害があるのかもしれない。
彼女は私の肩にかかった一眼レフを見て、「あ、景色撮りにきたの?」と笑う。一緒に撮ろうとは言わなかった。流石にそういう気分ではないのだろう。
ぞろぞろと他のメンバーも戻ってくる。そのうちの一人の男子が美亜とシンに声をかけた。
「シン。美亜。俺たちは、これで」
「おお」とシンが返し、美亜が笑顔で「また飲もうねー」と手を振る。
彼は「美亜はほどほどにしとけよ」と笑って隣の車に乗り込んだ。他の若者たちも次々に別れの言葉を口にしながらミニバンの方に乗り込んでいった。
シン、美亜、そしてノブの3人を除いた若者たちはみんな白いミニバンに乗り込み、美亜たちに手を振りながら発進した。
「じゃあ! 夜からあの二人も来るんだろ。よろしく言っといてー」
そう声をかけながら、ミニバンは車道を下って行ってしまった。
それを見届けると、「よし。俺らは上に戻りますか」とノブが言い、SUVの助手席に乗り込んだ。美亜も後部座席のドアを開け、乗り込みながら後ろを振り返った。
「いいんちょー。そろそろ行くよー」
見ると、崖の前に一人、委員長が立っていた。うつむいた背中で茶髪が風に揺れていた。まだ目を閉じて手を合わせているらしい。美亜の声も耳に届いていないようだった。
シンが運転席の窓から顔を出して大声を出す。
「委員長! もう行くぞ!」
委員長はびくりと顔を上げると、「あ、ごめん」と駆け戻ってきた。私に気づき、茶髪頭をぺこりとすると、SUVの後部座席に乗り込む。
バタリとドアが閉まった瞬間、SUVは勢いよくバックで切り替えした。私は危うく巻き込まれそうになって慌てて後ずさる。
「おいシン! 運転荒すぎ! 俺の車だぞ」
ノブがぼやく声が聞こえたかと思うと、SUVは車道に出て、これまたえらいスピードで車道を上っていった。
私は少し呆然としてあっという間に小さくなっていく黒い車を見つめた。
車が完全に見えなくなってから、崖の方をふりむく。柵の側に花束がそっと置かれている。
ただの脳天気なだけの若者だと思っていたけれど、なんだかんだ、みんないろいろあるんだな。
そんなことを考えながら、ゆっくりと花束の方に歩いて行く。
鉄の柵の根元に置かれた花束には、高校の名前と、三年生一同よりと書かれたプレートがつけられていた。
じろじろ見る気にもならなくて、私は景色の方に目をやった。山頂ほどではないにしても、絶景ではあった。山肌から突き出し、切り立った場所なので周りを遮るものがなにもなく先端に立つとまるで空の中に浮かんでいるようだ。初夏の空と下に広がる青葉の海は素晴らしい景色を作り出している。だが、足下の花束を意識してしまうのだろうか。
私はどうもカメラを構える気にはなれなかった。