【第5章】 高原キャンプ編 7
7
スライド式ではなく、回転式だ。リボルバーピストルというやつだろう。カウボーイらしいと言えばらしかった。
私はしばらくその鉄の塊を見つめた。思考がまとまらない。
なんでハンバーガーショップの戸棚に、拳銃がしまってあるんだ。
どれだけ固まっていただろう。ふと我に返った私は、エプロンの生地で自分が触った箇所を慎重に拭き取った。どう考えても指紋は残さない方がいいだろう。
ゆっくりと新聞紙を包み直す。
「サマーくん!」
背後からの大声に心臓が飛び出しそうになる。なんとか「ひゃい!」と裏返った声で返答する。
「ケチャップ! あったかい?」
振り返ると、笑顔のランダルがキャンピングカーに歩みよってきていた。
手には三十センチのパン切り包丁を無造作に持っている。
反射的に新聞紙を持った片手を後ろに回して立ち上がる。その勢いで足を使って棚の戸を閉めた。
「えっと。どこにあるかわからなくて・・・・・・」
「ん? そこだよ。カゴの中」
ドアの前に立ったランダルが顎をしゃくって後部座席を示す。見ると確かに買い物カゴが後部座席に詰まれていて、ケチャップやらマヨネーズやらが沢山入っていた。
「あ、ほんとだ。ごめんなさい」
「マスタードも沢山使うからね。二本ずつ持ってきて」
私は「わかりました」と頷き、ランダルが踵を返すのを待った。
しかし、彼はドアの前から動こうとしなかった。外の光の逆行でランダル顔は陰になり、彼の表情は見えない。
「どうしたんだい?」
「あ、いえ・・・・・・」
「ケチャップとマスタードがないと、ソースが作れないよ。早くとって」
ランダルの右手のパン切り包丁の波刃が背後の日差しを反射させて一瞬光った。
私は「ですよねー」と笑いながら、背中がランダルに見えないようにしながら足を左右に動かして横向きに移動した。ランダルに身体の正面を向けた状態で後部座席に向かった。
「え? なんの動きだい?」
「ちょっとバイクの乗りすぎで腰がいたくて」
「人は腰が痛いとカニさん歩きになるのかい?」
私は笑顔を作って「なるんです」とごり押した。
「というか、さっきから背中に何を隠して・・・・・・・」
私の首筋を嫌な汗が流れ落ちた。その時だった。
ブオン!
突然、キャンピングカーが振動した。二人してばっと車内を見回し、状況を把握する。車のエンジンがかかったのだ。ひとりでに。
「うお! 何事だ!」
ランダルが慌てて車に乗り込み、運転席に向かう。
今だ。
私は辺りを見回した。手の中の拳銃をどうにかしなければ。だが、もとの戸棚に戻す余裕はとてもない。
私はとっさの判断で、後ろ手に持っていた鉄の塊をそのまま新聞紙ごと腰の後ろのジーンズに差し込んだ。ばっと上からTシャツをかぶせる。
間一髪のタイミングでランダルがこちらを振り向いた。
「鍵を差したままだった」
ランダルがキーを回し、エンジンが止まった。
「しかし、それでも勝手にかかるものかね」とランダルはキーを引き抜き、首を傾げながら戻ってくる。
「やはり古い車はなにがあるかわからないね。気をつけないと」
「そ、そうですね」
ちらりとランダルの背後を伺うと、運転席にあの少女が座っていた。私に向けていたずらっぽく微笑み、「セーフ」とでも言うように両手を顔の前で左右に動かす。
どうやら、助けてくれたらしい。
私はケチャップとマスタードをカゴから抜き取ると、「いきましょうボス。そろそろリフトが動く時間ですよ」とランダルを促した。ランダルは腑に落ちない表情をしながらも、「ああ。そうだね。忙しくなる!」と頷いた。
この高原キャンプ場まで来る方法は三つ。
一つは、私と同様に車道を通って車やバイクで登ってくる。
二つ目は、ハイキングコースを徒歩で登ってくる。往復すると半日以上かかるそうだ。
そして三つ目。リフトの利用だ。
私が昨夜入ってきた車道側の入り口とは反対方向にリフトの乗り場兼、降り場がある。本来は冬場にスキー客を乗せるためのものだが、夏場も一定時間稼働させているそうだ。これが実に人気である。
登山道を歩くと数時間かかる道のりを、二つのリフトを乗り継ぐことによって山頂まで登ってこれるのだ。4人乗りのチェアリフトなのだが、ロープウェイなどよりも珍しく、なにより初夏の新緑を眺めながら風を切る感覚が気持ちいいらしい。手入れされた芝の青々としたゲレンデの真上を滑るように上昇していくのだ。降りる時も同様だ。特に最近はこの時期でも暑い。標高が高く気温が低い高原はただでさえ人気スポットである。それを手軽に楽しみに来れるのだからそりゃあ賑わいもする。
時計の針が10時を回り、リフトが動き出した。それと同時にハンバーガーショップ・ウエスタンは大忙しとなった。
この高原は景色は良いが、特に商業施設があるわけではない。レストハウスもキャンプ場受付として活用しているので、利用できるのはトイレとコインシャワーぐらいだ。食堂は営業していない。
ということで、唯一の飲食店はこのキャンピングカ―のみとなるのだ。リフトで登ってきた客とキャンプ場の利用者が混ざり合って、あっという間に長蛇の列ができる。
「はい! チーズバーガーのお方!」
「ダブルバーガーとポテトね。あ、飲み物はそのタライから好きなのとってください」
「あ、うち、コーラ無いんですよ。ドクターペッパーはいかがですか?」
ランダルがハンバーグを焼きながら次々と接客を行う。私はひたすら会計係だ。注文をメモしてお金を受け取り、おつりと番号札を渡す。そしてランダルが用意した商品の紙袋をお客に渡す。それだけでも目が回る忙しさだった。会計と番号を間違えないだけで手いっぱいだ。しかも客は好き勝手な注文をぶつけてくる。
「ボス! さっきのチーズバーガー、ベーコン抜きです!」
「あいよ!」
「ボス! そのチーズバーガー、チーズも抜きです!」
「あいよ! ハンバーガーって事ね!」
「ボス! ハンバーガーのハンバーグぬいてほしいそうです!」
「それもうサンドイッチだよ!?」
若干テンパっている私に対し、ランダルは笑顔を絶やさず、目にもとまらぬ早さでハンバーガーを次々と仕上げていく。
「サマーくん。細かいことだけどね!」
ランダルは一切作業スピードを落とさず、合間合間に私への接客指導も行う。
「お客さんに注文を聞くときは、『ご注文どうぞ』でも構わないんだけど、できたら、『ご注文を伺います』と言ってみよう!」
「いえっさ。ボス!」
「ご注文うけたら、『わかりました』じゃなく、『承りました』だよ!」
「承りました。ボス!」
「よろしい。あと、お渡しするときは、必ず『お待たせいたしました』ね!」
「あいあいさー! ボス!」
この歳になって接客のイロハを指導されるのはなんだか心にくるものがあるな。思わず返答ではっちゃけてしまう。ランダルは気分を害する様子もなく、にこやかな表情を崩さずに流れるような手さばきでハンバーガーを量産していく。口笛まで吹いていた。並んでいた行列がどんどん捌かれていく。脅威のスピードだ。
「ごめん! サマーくん。配達いって!」
ランダルは大きな紙袋を二つ、私に差し出した。
「25番さんと、28番さん。キャンプの人たち。テントまで持って行ってあげて」
よせばいいのに配達サービスまでやっているのだ。普段はこれを会計も含めて一人でやっていると言うのだから驚愕である。
「25番さんはちょっと遠いから、バイクで行くといいよ!」
「いえっさ。ボス」
私は25番と28番の注文票を取り、紙袋を抱えてキャンピングカーを離れた。チラリと後ろを振り返る。
ランダルは常にキャンピングカーの前にいる。拳銃を戻しに行く隙が全くない。
もとヤクザ・・・・・・とか?
それとも、実は殺し屋とか。
ランダルとは昨夜夕食をともにしたが、別に不審な点はなかった。カウボーイかぶれの変わり者だが、初対面の私に対してまるで長年連れ添った家族のような距離感で親しみを込めた態度で接してくる。かといって踏み込んだ質問などは決してしない、良識のある大人の雰囲気があった。
なんでそんな人の車の中に拳銃がしまってあったのか。
そして私は、なんでそれをお尻に差し込んだままハンバーガーを配達する羽目になっているのか。
私は管理棟のすぐ側に設営した自分のテントサイトに向かった。昨夜はこのテントで一夜を明かした。高度が高いので予想はしていたが、想像以上に夜は冷えた。風も強かったので、登山用の風に強いテントにしておいてよかった。冬用の寝袋を持ってきておいたのも正解だった。
テントの隣にはハンターカブが駐車してある。日差しに黄色いボディが輝いている。
カブ。本当にかっこいいなお前は。
私は紙袋をリアボックスに入れると、新しい愛車にまたがった。
ブロロロとかわいらしい音を出して、キャンプ場の草原を、ハンターカブが走り出した。私有地なのでヘルメットではなくカウボーイハットのまま走り出したが、すぐに後悔する。
緑の草原を、テントの間を縫うようにして走り抜ける黄色いバイク。乗っているのは赤いエプロンにカウボーイハットの女である。
そのノスタルジックな絵面に、周りの利用者たちはみんな一斉にスマホのカメラを向けてきた。
どうせさっき一枚SNSに上げられてしまったし、もう構うものか。勝手にしろ。
私は周りの反応をガン無視して、キャンプサイトを見回した。テントで注文を待つ際は、A4サイズの大きな札を渡され、それをテントの目立つところにかけておくシステムだ。25番の札を探す。あった。ランダル言うとおり、高原の一番端の方だ。
がたがたとバイクを揺らしながら25番のテントに向かう。
「どうもー。ハンバーガーショップ・ウエスタンです。配達に来ましたー」
若い夫婦がデイキャンプをしていた。幼い男の子もいる。三歳ぐらいだろうか。
「カウボーイだ! カウボーイ!」
男の子は私の風貌に大喜びだ。足に抱きついてくる。頬の傷もカウボーイハットのおかげで良いように作用しているらしい。
「すみません。わざわざ」
そう言って母親が袋を受け取る間も、男の子は私の足をつかんだまま、目をきらきらさせて言った。
「ねえ。ピストルは? ピストルはないの?」
あ、うん。ちょうど持ってる・・・・・・。多分、ガチのやつ。
父親に持ち上げられた男の子に手を振りながら、次の28番の配達に向かう。キャンピングカーとさほど離れていない場所の大きなテントの最上部で28番の札が揺れていた。いや、あんなに近いんだったら、自分で取りにこんかい。
ていうか、あのテント・・・・・・
「どうもー。ハンバーガーショップ・ウエスタンでーす」
バイクをテントの前で停め、そう死んだ目で叫ぶ私を、焚き火台の前でチェアに座った銀髪短髪ヤンキーのシンくんが胡乱げな目つきで見上げた。口の端にはまたタバコがくわえられている。
「あ? 今度はなんだよ」
「ハンバーガーの配達でーす。ていうか禁煙だって言ってんだろ白髪野郎」
チェアに座った白髪頭と、バイクにまたがったカウボーイハットが再びにらみ合う。
「あ、ナツさん」
テントから茶髪の委員長が出てきた。
「先ほどはすみませんでした。えっと・・・・・・?」
私はシンから目線を切り、状況がつかめず困惑する委員長に顔を向けた。「ハンバーガーの配達です」と繰り返す。
「ハンバーガー? 誰か頼んだのかな」
委員長はテントの中に「ねえ。誰かハンバーガー頼んだー?」と呼び掛けた。
私もバイクを降り、委員長の後ろで注文票を読み上げた。
「ハンバーガー四つ。ポテト三つ。ドクターペッパー二本、オレンジジュース一本」
「あ、俺」と金髪眼鏡のノブが出てきたのを皮切りに、「ポテト俺だわ!」「オレンジジュース私!」と次々とテントの中から若者が出てくる。紙袋ごと委員長に渡せばよかったと思いながらも、紙袋から品を取り出して一つずつ手渡していく。
「あと、チーズバーガーの、ベーコンとチーズとハンバーグ抜き。お待たせしましたー」
私の言葉にノブが「なんだそれ」と笑う。こっちのセリフだ。
「はーい。私でーす」
流れ的にそうだろうとは思ったが、ほろ酔い美亜ちゃんが手を上げて出てきた。相変わらず足を引きずりながらのろのろ出てくる。
私はベーコンとチーズとハンバーグを抜かれたチーズバーガーを彼女に渡した。矛盾の固まりである。実質を伴わない、概念としてのチーズバーガーだ。
彼女は嬉しそうに概念バーガーを受け取り、その場でかぶりついた。
「うん。うまい。この使ってるバンズね、私が一時期バイトしてたパン屋さんのなんだー。生地がもちもちなの」
なるほど。パン生地だけを味わいたかった訳か。
「いや、だったらパン屋さんで直接買いなよ。その注文の仕方はバーガー屋さんに対して失礼だよ」
委員長がまっとうな事を言ってくれた。若者の中にもしっかりした子はいるのだな。お姉さん安心だよ。
「うーん。そうしたいんだけどね。バイト時代にピアスを生地に落としちゃってさあ。私気がつかなくてそのままパンに入って焼かれて売られちゃったの。もう大騒ぎ。おかげでクビになるは、出禁になるわで散々だよ」
異物混入じゃねえか。誰だって出禁にするわ。
「あ、ちなみにこれの片割れねー」
そう笑って美亜は髪をかき分け、知恵の輪ピアスを見せつけた。何度見ても針金細工にしか見えない。こんなものがパンから出てきたら軽くトラウマだ。
「ハンドメイドショップで買ったんだ。針金職人さんのやつ。かっこいいでしょ」
あ、ほんとに針金細工だった。お洒落って奥深いね。
「では、私はこれで」
私は配達を終えたので美亜に背を向けてバイクに向かった。相変わらず睨んでくるシンをにらみ返しながらハンターカブにまたがり、エンジンをかけた。
「ナツさん! さっきの写真! めっちゃバズってるよ!」
背後から美亜が叫ぶのが聞こえたが、私は振り向きもせず「よかったわね」とだけ行ってバイクを発進させた。