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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第4章 ずっと側にはいられない
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閑話 きっとあなたは忘れてる


 12歳の夏。清水奈緒が斉藤ナツをキャンプに誘った理由は、ナツとの関係をより深めたい。そんな至極簡単なものだった。

 いつもなら、奈緒が何を誘おうと、ナツは断る。自分の興味のないことは一切しないのが斉藤ナツである。しかし、奈緒には勝機があった。ナツがちょうど「スタンドバイミー」という作品にはまっていたからだ。今なら奈緒があの手この手で頼み込めばナツは断らない。

 千載一遇だ。そう思った。

 事実、ナツは断らなかった。

 次に奈緒は父親に縋り付くように頼みこんだ。父は根本のところで奈緒を愛しているのかわからない男だったが、表面上の父親らしい行為は嫌いではなかった。だから、自分の権力で娘の願いを叶えるのは決して悪い気分ではなかった。そのことを奈緒はよく知っていた。

 問題は母だ。

 自分のことをメイちゃんと呼ぶこの若い義理の母は、奈緒にどこまでも「メイちゃんらしさ」を求めた。奈緒は詳しく聞くことが出来なかったが、きっとメイちゃんとは母の死んだ娘なのだろう。その子に奈緒を重ねているのだろう。そう奈緒は納得していた。

 奈緒は義母が好きだった。本物の母親は奈緒が物心つく前にいなくなってしまっていたので、奈緒はずっと母という存在を求めていた。そんな奈緒の前に現れた義母は、社長夫人にふさわしく、若くて美しかった。父と同様に奈緒も母に夢中になった。

 しかし、義母には理想の娘「メイちゃん」がいて、メイちゃんとしてふさわしくない行動をした場合、奈緒は激しく折檻された。家では義母は奈緒のことをメイちゃんと呼び、そのうち、父までもが奈緒を「メイ」と呼ぶようになった。

 この家が明らかに狂ってることを当事者の奈緒はわからなかった。

 話を戻そう。

 とにかく、ナツとキャンプに行くためには、母の説得が絶対条件だった。母が許可しなければ、父の軽々しい許諾など一瞬でひっくり返される。

 問題は、メイちゃんは子どもキャンプに行きたがるような子ではないことだった。

 奈緒は頑張った。思いつく限りのキャンプに関する児童書を手に入れて、母の前で目立つように読み、年甲斐もなく「トムソーヤの冒険」などを母に読み聞かせして欲しいとねだった。6年生にもなって読み聞かせなど人前では恥ずかしくてとても出来ないが、母に対しては恥を忍んで幼さを演出した。義母は、子どもは永遠に幼く、手がかかり、懐いてくるものだと幻想を抱いていたので、喜んで毎日寝る前に読みきかせをしてくれた。奈緒は母の隣で毎晩、大仰に喜び、ママにご本を読んでもらえるのが世界で一番好きという顔をした。そして、義母が子どもらしい冒険というものに抵抗感が薄れてきた機を見計らってここぞとばかりに言った。

「そういえば、パパ、キャンプの会社の社長だよね。メイもキャンプしてみたい!」

 義母は社長夫人であることにもプライドを持っていたので、娘のその願いを夫がたやすく叶える構図は嫌いではなかった。

 かくして、清水奈緒は計画から約一ヶ月をかけてナツと友情を育む夏の数日間を手に入れたのである。

 しかし、キャンプが始まると、どうにもうまくいかなかった。

 ナツは知らないことだったが、奈緒とナツは後から抽選後のメンバーに割り込んだ。だから、番号も自然と連番になり、全ての行動を共に出来るはずだった。しかし、同時期に割り込んできた少女がいた。立花春香という女の子である。もちろん、春香自身も自分が抽選ではなくある計画のために黒い権力でねじ込まれたのだということは夢にも知らなかったが。

 なんにせよ、番号がずれた。結果、奈緒は行きのバスでナツの隣に座れなかった。社長令嬢の立場を使ってなんとかしようとあがいたが、これまたイレギュラーな岸本あかりという存在のせいで、ただナツの前で恥をかいただけで終わった。

 奈緒はナツとバスでおしゃべりするのを楽しみにしていたので、落胆は大きかった。だが、すぐ切り替えることも出来た。キャンプは長い。一緒に過ごせる時間はたくさんある。

 しかし、奈緒の想定外の事態が起こった。ナツと春香が仲良くなったのである。

 自分以外の子と仲良くしゃべるナツなど奈緒は見たことがなかったので、半分パニックになった。あんなブツブツ独り言を呟いている根暗な子とナツが打ち解けるなんて思いもしなかった。

 だが、よく考えれば、時折独り言を言ってるぐらいのことをナツが気にするはずもなかったのである。

 二人だけの世界を作る予定だったキャンプが、春香というライバルの出現でぶち壊された。初日のカレー作りの場で、ナツと同様に春香に霊感があり、奈緒を置いてきぼりにして二人がその話題で盛り上がったときなど、世界の終わりのように思えた。

 来なきゃよかった。そうまで思った。


 その日の夜、奈緒はこっそり持ってきた幾ばくかの現金と、メモ帳を持って、電話ボックスに向かった。

 メモ帳には、一つの電話番号が書かれていた。

 この番号は、母の手帳を勝手に覗き見たとき、後ろの方に殴り書きしてあった番号だ。住所も添えてあった。その番号には説明が一つだけ。「メイちゃん」と書き加えられていた。

 きっと、この電話番号の主はメイちゃんの生前を知っている人だ。

 奈緒は知りたかった。メイちゃんとはどんな子なのか。奈緒の知るメイちゃんは品行方正で賢く、子どもらしく、無邪気で、健康的で、明るく、家族思い。そんな完璧な子どもだった。ぜひもっと詳しく知りたい。そうすれば、奈緒はよりもっとうまくメイちゃんになれるかも知れない。

 家の電話でかければ、履歴に残ってしまう。だから機を見て近所の公衆電話からかけるつもりだった。 しかし、なかなか勇気が出ずに日が過ぎていった。このキャンプ施設内で見かけたときも別にここでかけようとは思っていなかったのだが、ナツとの仲がうまくいかず投げやりになっている今なら勢いでかけられると思ったのだ。

 奈緒は電話機に百円玉を放り込むと、メモ帳の番号に電話をかけた。

 数コール。

 夜も遅いし、出ないだろうか。そう奈緒が思ったとき、ガチャリと相手側の受話器が取られた音がした。

「はい。もしもし。喫茶、緑の里」

 しわがれた老人の声だった。

「どうも。夜分にすみません。清水茂弘です」

 奈緒は父を名乗った。

 奈緒はこの時のために大人の男の人の声を目指して低い声を出す練習をしていた。長い間研究を重ねてきた甲斐あって、知り合いでもなければ疑われないレベルの声色を再現できるようになった。

 作戦はこうだ。きっと、電話先の人は義母の親類か何かだろう。そこに父を名乗って、妻の死んだ娘について聞きたいと話をふる。妻自身には聞きづらいからと。あとは相手の出方次第だ。

 奈緒は低い声で言った。なくなったメイちゃんについて教えて欲しいと。作戦通りに。

 電話側は、しばらく沈黙した。

 そして言った。

「あの女は、芽衣子が死んだと言っているのか」

「え?」

「芽衣子は生きとるよ。病気と闘いながら。ずっとうちの喫茶店で母親が見舞いに来るのを待っとる」

 奈緒には意味がわからなかった。え? 生きてる? メイちゃんが?

「あの女がどんな理想をもって子どもを産んだか知らんがな。それに娘を巻き込むな。俺の孫娘を巻き込むな。一回くらい見舞いに来たらどうだと、ずうっと思っておったが、もういい」

 老人の声は静かだった。落ち着いていたと言っていい。

 だがその言葉の中に底知れぬ怒りを感じた。

「もう、わしと、わしの大事な孫娘に一切関わるな。そう、あの女に伝えろ」

 電話が切られた。

 奈緒はその場に崩れ落ちた。

 母は、私に、メイちゃんになって欲しいと思って、私はそれがうまくできなくて、だから叱られて、叩かれて、でも、それは私がメイちゃんになれないのが悪くて、でも、本当はメイちゃんも母に捨てられていて、つまり、本物のメイちゃんも、メイちゃんではなくて、じゃあ、メイちゃんってだれ? 少なくとも私じゃない。でも、私は奈緒でもない。じゃあ。じゃあ。

 私はいったい誰なの。


 奈緒は泣いた。もうなんにもわからなくなって。もう全部嫌になって。


 そんな奈緒を、立花春香は抱きしめてくれた。

 相変わらず独り言を呟きながらではあったけれど。

 何も聞かず、何も言わず、ただ、抱きしめてくれた。

 奈緒はその腕の中で、赤ん坊のように泣き続けた。


 そうして春香は奈緒の友達になった。

 奈緒にとって、ナツほど大きな存在ではないけれど、大切な友達であることに変わりは無かった。その後、春香の壮絶な過去を聞いた。ナツと春香と3人で施設の脱獄計画を立てた。楽しかった。大好きな友達二人とああでもない。こうでもないと話し合いをして、アイテムを集めて。ムカつく大人から逃げ切ったときなど最高の気分だった。こんなに楽しいことが人生であるのかと言うくらい。あの二日間は、紛れもなく奈緒は誰でもない、奈緒だったのだ。

 その後、怖い思いをたくさんしたし、痛いこともあった。それを差し引いても、奈緒の人生において最良の日の一つであることは間違いなかった。

 だから、全てが終わった後、ナツの記憶がなくなっていたことは本当にショックだった。

 でも、春香が言ってくれた。

「大丈夫だよ。ナオちゃん。思い出はこれからどんどん作ればいいよ」

 その通りだ。ナツが無事だったのだ。友情はこれからもいくらでも育める。


 あの日、春香とともにナツの病室を出たとき、廊下の端から、義母の金切り声が聞こえた。

「メイちゃん! 勝手に病室を抜け出して! 何してるの!」

 義母は肩を震わせ、美しい顔を怒りに歪ませていた。

 今回の騒動は当然のごとく、両親にも大いに影響を与えた。義母の精神はこの上なく不安定だった。義母は奈緒が施設を抜け出したことは、悪友にだまされてそそのかされたのだと思い込んでいた。今回の騒動は春香やナツのせいだと思い込もうとしていた。

 それを知っていたから、奈緒は春香やナツに会いに行く際、隙を見てこっそり抜け出してきていたのだ。

 義母は赤いつやつやしたハイヒールで音をたてながら奈緒に迫った。

 奈緒は次の行動に予想がついたので、目をつぶって身構えた。

 パン。

 奈緒の頬が張られた。

「なんて悪い子なの! そんなのメイちゃんじゃない! お母さん、恥ずかしいよ!」

 奈緒は下を向いて「ごめんなさい」と声を絞り出した。

 隣の春香が驚いて、「奈緒! 大丈夫?」と奈緒の顔をのぞき込んだ。

 その春香の頬を、義母は平手打ちした。

 乾いた音が廊下に響く。

「あなたね! メイちゃんをそそのかして危険な目に遭わせたのは!」

 春香が目を丸くして頬を押さえた。

 奈緒は泣きそうになった。

 せっかく友達になれたのに。

 ごめんね。ごめんね。

 義母は叫び続けた。

「いい? うちのメイちゃんはね! あんたみたいな悪ガキとは違うのよ! 二度とうちの娘に・・・・・・ぎゃあ!」

 突然、義母が悲鳴を上げた。

 見ると、春香が思いっきり義母のハイヒールを踏みつけていた。義母は堪らず腰をかがめ、手を足にやる。

 その下がった、義母の横っ面を、春香は渾身の力で平手打ちした。

 パーーン!

 まるで銃声のような音が廊下に響いた。

 義母はぺたりと廊下に座り込んだ。頬に手を当て、ぽかんと春香を見上げる。

「痛いでしょ! 痛いでしょうが! 叩かれる方は痛いのよ!」

 春香は怒鳴った。握りしめた拳を震わせながら。

「そんなことを! そんなこともわからない奴が!」

 立花春香は叫んだ。

「母親を名乗るんじゃない!」

 義母は何も言えなかった。

 無様に尻もちをつき、ただ茫然と春香を見上げていた。

 春香は「ふー」と息を吐き、言い聞かせるように言った。

「それから。私の友達はメイちゃんなんて名前じゃないわ」

 春香は言い放った。

「ナオちゃんよ」

 奈緒の瞳から、ポロリと涙がこぼれた。

 義母はしばらく放心していたが、やがて我に返ったように慌てて立ち上がり、つっかえるように言った。

「う、訴えてやる。訴えてやるからあ!」

 その義母に、恐ろしく低い声が奈緒の背後から答えた。

「やってみなさいよ」

 いつの間にか、立花美和子が春香の肩を持ち、背後に立っていた。

「私の弁護士人生にかけて、全力で叩き潰してやる」

 女弁護士はぎろりと義母をにらみつけた。

「うちの大事な娘を殴りやがって。覚悟はできてんだろうなあ」

 義母の顔が恐怖でひきつる。

 奈緒はとっさに義母の手をつかんだ。

「ママ。行こ。ね。もう行こう」

 奈緒は、片足を引きずりながら震える義母を連れて廊下を進んだ。

ちらりと振り返ると、春香が泣きそうな、でも必死で涙をこらえる顔で手を振っていた。

 奈緒も同じ顔だった。




 あれから、いろんなことがあった。

 平手打ち一つで義母が変わるはずもなく、むしろ義母の奈緒へのあたりはより神経質になった。

 悪夢のような誕生日会があった。

 教室でナツの乱闘騒ぎがあった。

 そして、ナツとの新たな旅路がはじまり。

 それは最悪の結果に終わり。

 奈緒はナツという存在を失った。


 そして今。現在。

 清水奈緒は火傷と打撲の傷を抱えて、うずくまっていた。

 寒い。

 奈緒は毛布にくるまった。

 奈緒は神社の本堂の中にいた。夜だ。外は吹雪いている。

 なっちゃんとケンカをした。

 斧を振り回す奈緒を、なっちゃんはスキレット? とかいうフライパンでボコボコにした。

 強かったなあ。なっちゃん。

 よくよく考えれば、あの夏の森のチャンバラでも、春香と奈緒が二人がかりで戦って、ナツとはようやく互角だった。

 そりゃあ、私一人で勝てるわけないか。

 ナツとの死闘の後、奈緒は暗い森に逃げ込んだ。山伝いに行けば、昔にナツと一泊した神社があることは知っていたのでそれを目指したが、すぐに方角がわからなくなって、あっという間に遭難した。

 やがて夜になり、あまりの冷え込みに奈緒は死を覚悟した。

 そこで、木々の隙間から、一瞬だけ夜空が見えた。

 奈緒は力を振り絞って木に登り、夜空を覗いた。

 春香に教えてもらった、おおぐま座。その伸びた尻尾。

 常に北の空に位置する、北斗七星。

 奈緒は空の目印を定期的に確認しながら、神社を目指した。

 最後の方は吹雪が始まり、夜空なんて見えたものではなくなったから、凍死寸前でこの神社にたどりつけたのは奇跡と言ってもよかった。

 昔、二人の小学生がこの本堂の中で凍死しかけて以来、管理人がいざという場合を考えて本堂の中に少量の保存食と毛布を用意しておくようになったらしい。

 まさかその管理人も、十数年越しに同じ人間が世話になるとは想像もしていなかっただろうが。

 奈緒は吹雪が続いたまる一日、この本堂で毛布にくるまり、保存食を囓って過ごした。

 奈緒は人を殺した。それも何の罪も無い人を。逆恨みで。

 許されることじゃない。

 裁かれるべきだ。

 それは奈緒自身もわかっていた。

 警察に行けばいい。自首するんだ。

 でも、そうしたら。

 もうなっちゃんに、絶対に会えなくなる。

 奈緒は毛布の中で涙を流した。

 バカだなあと思う。

 友達って言ってもらえて。救われて。

 そしたらもっと欲張りになった。

 本当にバカだ。

 会いたいのはなっちゃんだけじゃない。

 ハルちゃんにだって会いたい。

 奈緒は凍死寸前で、生死の境をさまよって、あの夏のことを走馬灯のように思い出した。その後のナツとの別れがショックすぎて、ナツのことばかりを考えてきたから、あの夏のことはすっかり記憶の片隅に追いやられていたけれど。

 でも、ちゃんと覚えていた。

 義母から、奈緒を守ろうとしてくれた春香の姿も、ちゃんと覚えていた。

 元気かなあハルちゃん。

 きっと、私のことなんて、とっくに忘れてるんだろうなあ。

 奈緒は自虐的に笑った。

 だって、なっちゃんなんて、夏のことどころか、私のこともほとんど忘れてたみたいだし。

 あんな数日過ごしただけの私のことを春香が覚えている訳がない。

 奈緒は上を向いた。ほこりっぽい天井がある。奈緒の吐いた息が白く広がった。

 会いたいなあ。

 会いたいなあ。また3人で。

 ゆっくりと、奈緒の意識が遠のいた。

 

 


 次に奈緒が目を覚ましたとき、外の吹雪が止んでいた。

 奈緒は寒さにかじかんだ身体をゆっくりと起した。

 吹雪が止んだと言うことは、朝になれば捜索隊も捜索を再開するだろう。そうすれば、ここもすぐに見つかる。

 奈緒は本堂の扉を開けた。外側に積もっていた雪が、音を立てて崩れる。何時かはわからなかったが、外は真っ暗だった。

 終わらせよう。

 やっぱり警察に捕まる気は無かった。

 森で死のう。

 それが自分にはお似合いだと、奈緒には思えた。

 本堂を出る。

 本堂の裏に回ればすぐ森に入れる。

 しかし、奈緒の足は森には向かわなかった。まっすぐ夜の参道を歩いて行く足に、奈緒は自分でも驚いた。

 鳥居を抜ける。

 自分はどこに向かおうとしているのだろうと、奈緒はボーとする頭で考えた。

 そして、わかった。前方にぼんやり光るそれが見えてきたからだ。

 電話ボックス。

 あの吹雪の日、ナツと一緒に逃げ込んだ電話ボックス。

 あんな時代遅れな物、まだあったんだ。

 奈緒は少し嬉しくなって、すっかり痛んでしまっている扉を開いて中に入った。明かりが付いているのだから、電話も使えるだろう。

 そこで、奈緒は気づいた。お金なんてもってない。

 おもむろに、自分のスマホを取り出す。とっくに電源は切れている。

 奈緒はそのスマホのスマホカバーをパコリと開いた。カバーの底に、お守りが入っていた。

 小学6年生からずっと肌身離さず持っていたお守り。あの夏のことを思い出さなくなっても、習慣のように身につけていた大事なお守り。

 星空のテレホンカード。

 ゆっくりとカードを差し込む。

 果たして、自分は番号を覚えているのだろうか。

 一つ一つ、ゆっくりと番号ボタンを押す。

 最後の一つで奈緒は迷い、でも、しばらくして思い出して「0」を押した。

 しばらくの沈黙。

 そもそも、この十数年で番号を変えてるんじゃないだろうか。変えてない方がおかしい気もする。じゃあそもそも繋がらないか。

 しかし、そこでコール音が鳴った。

 奈緒は驚いたが、すぐにまたふっと笑った。

 どうせ覚えてない。私のことなんか。

 きっと名乗っても誰だっけって言われるんだ。

 奈緒は目をつぶった。

 わかってる。それが普通だ。

 傷つくだけだ。もう、確認もしなくていい。

 一言、別れを言って、そのまま切って、森に行こう。

 もう、終わりにするんだ。

 電話が繋がった。

 奈緒は目を開いた。さあ。さよならだ。


「こちらスピカ。こちらスピカ」


 奈緒は目を見開いた。


「今日も星空は綺麗です。オーバー」


 奈緒の目から涙があふれた。

「こ、こ、こちら・・・・・・」

 声が震えた。寒さのせいじゃない。でも、熱い涙が伝う頬が震えて、声がちゃんと出せない。

「こちら、こちらマッチ」

 奈緒はボロボロと流れる涙越しに、電話ボックスの曇ったガラス越しに、夜空を見上げた。

「こっちの、夜空も、綺麗です。おーば」

 電話の相手が息を飲む。

 そして、懐かしい春香の声が受話器から漏れる。

「ナオちゃん? ナオちゃんなの? どうしたの? 今どこ?」

 奈緒は声を出して泣いた。

 泣きながら、しゃくり上げながら、神社の名前を伝える。

「わかった! すぐ行くから! 今、長野だから、時間はかかるけど、絶対朝までには行くから!」

「うん・・・・・・うん・・・・・・」

 奈緒はずるずると電話ボックスの中でしゃがみ込んだ。受話器を抱え、何度も頷く。

「そこを動いちゃダメよ。私がつくまで、待ってるのよ!」

 奈緒はまた大きく頷いた。

「うん!」


 斉藤ナツ、清水奈緒、立花春香。

 3人が再び出会うことはできるのかどうか。

 奈緒は知らない。

 また語り合える日が来るのかどうか。

 春香は知らない。

 笑い合える日がくるのかどうか。

 あの夏の日のように。


 ナツは知らない。


 だって、それはまだ、未来の話だから。




 【END】


 ここまでの長い道のりをお付き合いいただき、本当にありがとうございます。

 第4章、ここまで長くなるとは・・・・・・20万字超え・・・・・・自分でもびっくりです。


 皆さんに読んでいただけると思えばこそ、ここまで頑張って書き切ることが出来ました。

 心の底から深く感謝申し上げます。


 ナツ様が、満を持して、さらにパワーアップして帰ってくる第5章で、皆様に再びお会いできるのを楽しみにしています。

 重ねまして、私の作品を読んでくださり、本当にありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
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