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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第4章 ずっと側にはいられない
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【第4章】 星空キャンプ編 47


 47


 玉城ベルは警察署の一室で、自分の両腕を見つめた。

 包帯とギブスでぐるぐる巻きだ。まるで巨大なロールケーキのようだとベルは思った。ただ、ロールケーキには手錠は付いていないだろうから、これはまぎれもなく愚かな自分の手だとベルは一人苦笑した。

 医者には防弾チョッキがなければ確実に死んでいたと言われた。熊に襲われて首筋をやられなかったのは奇跡だとも言われた。皮肉な事に田代の念入りさ、そして、ベルが殺すつもりで追い回した立花春香の勇気が、紛れもなくベルの命を救った。

 数日の入院後、そのままこの部屋に閉じ込められた。長い取り調べのあと、小部屋にはベル一人が残された。長いこと待たされている。

 自分の罪状はどうなるんだろう。

 まず間違いなく殺人未遂。銃刀法違反。暴行罪。多分、余罪は数え切れまい。

 ふうっとベルは天井を見上げた。

 まあ、仮に無罪でも、自分は消されてしまうんだろうけど。

 だから、警察に捕まったのはそう言う意味ではよかったのかも知れない。刑務所の中なら流石に暗殺されまい。それとも、その考えはあまいのだろうか。

 もしかしたら、留置所にも元大臣の息のかかった奴がいて、明日には殺されてるのかも知れない。

 そんなことを考えていると、バンっと扉が開いた。肩を怒らせた中年女性が入って来た。目も鋭く、ベルをじろりと睨み付けた後、乱暴に向かいの席に座った。

 新しい女刑事だろうか。

 ベルが反応に困っていると、その女は吐き捨てるように言った。

「娘が世話になったわね」

 その言葉に込められた怒りの感情に、ベルはようやく気が付いた。

 立花美和子だ。話題の女弁護士。立花春香の義理の母親。

 なにをしに来たのだろう。ベルは言葉に困った。なんと言っていいのか。

 だが、美和子は別に返答を期待していたわけではなかったようで、分厚いファイルを叩き付けるように机に置き、ペラペラと捲りだした。

 しばらくの沈黙。

「・・・・・・運がよかったわね。あんた」

「はい?」

 美和子はまだ眉間にしわを寄せていたが、口調は大分落ち着いていた。

「ぎりぎり19歳。あと数日遅かったら、成人として裁かれるところだった」

 美和子はちらりと目をあげ、ベルを見た。

「ちょうど今日ね。誕生日おめでとう」

 そうか。8月18日。

 忘れていた。自分の歳なんて。誕生日なんて。長らく誰にも祝ってもらっていなかったから。

 私、まだ、19歳だったんだ。

「成人が犯した罪と未成年が犯した罪では全く扱いが違う。よかったじゃない」

 ベルは「そうですか」と呟いた。

「なに? 喜ぶところよ」

 ベルは自分に未来がないことをわかっていた。

「早く更生施設を出たところで、どうせ殺されるので」

 下を向き、自虐的に微笑んだベルを見て、美和子は「ああ」と納得したような声を出し、パサリとファイルから手を離した。背もたれにぐっともたれる。

「その心配はないわ」

 ベルはまた自嘲気味に言った。

「いや。無理でしょう。この国の闇はそれなりに覗き見してきました。あの依頼主は・・・・・・」

 美和子は簡潔に言放った。

「死んだわ」

 ベルは顔を上げた。「え?」と間抜けな声が出る。

「立花浩一郎は昨夜、病室で死亡が確認された。死因は持病の心臓の疾患」

 美和子は大きく息を吐いた。

「だから、あんたを口封じに殺す必要なんかもうなくなった。あんたが持ってたUSBにあった記録の数々。今回、明るみに出た悪事の数々は全て故人のせいにされて、うやむやにされるでしょうね。このような事態があったことは遺憾であるが、容疑者死亡のため・・・・・・てね。この国はそういう国よ」

 ベルは、急な展開にすぐには事態が飲み込めなかった。

 しばらく黙って自分の膝を見つめ、ようやく理解にたどり着く。

「・・・・・・なんだ。じゃあ、最初から、全部無駄だったんだ」

 美和子がまたため息をつく。

「そうなるわね」

 ベルがぼそりと呟いた。

「よかった」

 ポトリと、ベルの膝に水滴が落ちた。

「よかった」

 ベルは包帯だらけの手で片目をぬぐった。

「よかった・・・・・・ あの子が死ななくて。本当によかった」

 それが無意味な殺人者にならずにすんだ事に対する自分への涙なのか、それとも自分の命を救った少女の身の安全が保証されたことへの涙なのか、ベルは自分でもわからなかった。

「ここからは、あんたのこれからの話よ」

 美和子が場を仕切り直すように声を張った。

「黒幕が死んだとはいえ、あんたと、現在拘束されながら入院してる田代容疑者の罪状がなくなるわけじゃない。私の娘を計画的に殺そうとしたんだから、ちゃんと落とし前は付けてもらうわよ。正規の、しかるべき法制度の手順に則ってね」

 ベルは黙って頷いた。

「ただね。田代はともかく、あんたは未成年。それも記録を見たところ、ずっと不幸な生い立ちであったことが明らか。情状酌量の余地はかなりあるわ」

 ベルは顔を上げた。

「あと、あんたが抱えてる訳のわからない借金。あんなもの、払う義務なんてないわよ。どう考えても違法なのはわかるじゃない。しかるべき処置を執れば、払い戻しの請求だって出来るわ」

 ベルはぽかんと口を開けた。

「そ、そんなこと出来るんですか・・・・・・」

 美和子は眉間にしわ寄せた顔で、ただ、落ち着いたトーンで、ゆっくり言葉を並べた。

「出来るわ。当たり前でしょう。あんたはこの国の闇がどうこう言ってたけど、ちゃんと弱者を救済する法や制度やシステムがこの国にはあるの。こんなことを言ってもしょうがないけど、あなたたち親子は、本来はもっとたくさんの支援を受けることができたはずなのよ。少なくともお母さんが過労死なんてする必要はなかったはずだわ」

 そうか。それはそうか。知ってる。学校の社会の授業で福祉制度はたくさん勉強した。なぜそれを自分たちに当てはめることが出来なかったんだろう。

「わ、私が・・・・・・私が・・・・・・」

 ベルの声が震えた。

「私が、私が、もっとちゃんとしていれば・・・・・・」

 母は死ななくてすんだんじゃないのか。

「あんたのせいじゃないわ」

 美和子は静かにベルを見つめた。

「学生だったあなたに、そんな判断できるはずがない。それも必死で夢を追いながら、死に物狂いで家を支えていたあなたには。お母さんは確かに支援が必要な人だった。でも、それはあなたがすべきことじゃなく、行政が、法や、制度が、つまるところ、私たち、周りの大人がすべきことだったのよ。」

 人権活動の第一人者、弁護士立花美和子は言い切った。

「あなたたち親子のような、制度の枠組みを外れてしまった人たちを救い上げることは、この国の大人達全員の義務よ。だから、私たちはあなたを全力で支援する。うちの事務所には専門家がいるから、あんたの背負った借金は確実にゼロにする。なんならお母さんがこれまで払った額も事務所の威信に賭けて全額回収する。あなたの生い立ちや追い詰められていた状況、それによる精神状態が裁判で正しく反映されるように全力で動く」

 ベルは「なんで」と思わず口に出した。

「私は、あなたの娘さんを・・・・・・」

 そう言うが早いか、美和子は立ち上がり、ベルの胸ぐらを掴んだ。

「母親としては許すわけないでしょうが!」

 引っ張り上げるように立ち上がらされたベルは美和子にほとんどゼロ距離で睨み付けられた。

「よくぞまあ、娘を何度も殴りつけてくれたわね! 銃を持って追いかけ回した? 私があんたを撃ち殺してやりたいわよ!」

 騒ぎに驚いたのかドアが開いて警察官が飛び込んできた。それでも美和子は叫んだ。

「でもねえ! 私は今、弁護士としてここに座ってんのよ! なめんじゃないわよ!」

 そこまで言って、美和子はベルを突き放した。ベルは椅子にドサリと座り込む。

「・・・・・・ごめんなさい」

 そう呟くベルを、美和子は立ったまま睨み付けた。

「私だって、来たくてきたわけじゃないわ。でも、仕方ないでしょ。娘に頼まれたんだから」

 ベルは驚いて顔を上げた。

 両脇でおろおろとする二人の警察官を意に介さず、美和子は腰に手をつき、今日一番深いため息をついた。

「あの子が、あんなに何かをお願いすることなんて、初めてだったんだから」

 ベルはまた「なんで」と呟いた。

 私は殺そうとしたのに。怖い思いも、痛い思いもさせたはずなのに。どうして。

「娘からの伝言よ。私には意味不明だったけど、そのまま伝えるわ」

 美和子は言った。

「あなたのためじゃありません。あなたのお母さんのためです。お母さんのために生きてください」

「だってさ」

 ベルは呆然とした。

 お母さん?

 意味がわからなかった。

 でも、その一言で、ベルは脳裏にはいろんな景色が映った。いくつも。いくつも。

 四畳半の部屋。味の薄いゴーヤチャンプル。

 ベルを膝に乗せ、後ろから抱きかかえながら、鏡の中で笑う母。

 大して好きでもないオムライスをベルの好物だと信じて必死に作る母。

 リンゴ飴をかじるのは妙にうまい母。

 笑う母。

 泣き叫ぶ母。

 謝る母。

 そして、空港で、恥ずかしいぐらい大きく手を振る母。


『ちゃんと生きて! ベル!』


 涙があふれ、次々と絆創膏だらけの頬を伝った。ベルの膝に、両手のギブスにポロポロと落ちていく。

 ごめんねえママ。ごめんねえ。


 美和子が言った。

「生きなさい。玉城ベル。あなたには未来があるんだから」

 ベルは頷いた。何度も。何度も。


 生きよう。今度こそ、ちゃんと生きるんだ。

 

 そんなことあるわけないのに、母が、自分を抱きしめているように感じた。まるでこの場にいるように。ベルを後ろから抱きしめているように。微笑みながら。昔のように。

 そんなことあるわけない。

 でも、確かに感じた。

 ベルは、確かに母を感じていた。

 暖かい。

 そう思った。





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