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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第4章 ずっと側にはいられない
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【第4章】 星空キャンプ編 43


 43


 ハルカは、冷たいフローリングの上に立っていた。裸足だった。

 目の前には、薄汚れた姿見があった。そこには、7歳の頃のハルカが映っていた。

 薄汚れたワンピースを着て、痣だらけの顔。脂ぎった長い黒髪。

 ひどいありさまだなあ。そう思った。

 ハルカの後ろに、もう一人、少女が映っていた。同じ服装、同じ髪型。

「シズカ・・・・・・」

 ハルカは両の拳を握りしめた。

「ごめん。シズカ。この前、ひどいこと、言っちゃったね」

 背後から返事が返ってくる。

「いいって。こっちこそ、ごめんな」

 ハルカは鏡を見たまま、首を横に振った。

 謝らなきゃいけないのはこっちなのだから。

「ごめんね。シズカ。私、全部、シズカのせいにしてた」

 ママに愛されないことも。

 美和子さんを愛せないことも。

 ママを恋しがって泣くことも。

 友達に嫉妬して、悪態をつくことも。

 弱音をはくことも。

 文句を言うことも。

 怒ることですら。

「全部、全部、全部、シズカのせいにしてた。シズカに押しつけてた」

 ハルカはポロポロと涙を流した。

 なんて自分は醜いんだろう。

 寂しくて、シズカを作って。

 痛いことも怖いことも、全てシズカに代わってもらって。

 勇気が出ないときはシズカに励ましてもらって。

 そして母の死を受け入れられなくて、代わりにシズカを殺して。

 でも、寂しくなったら、今度は頭の中にシズカを呼び戻して。

 都合の悪いことはなんでもかんでもシズカに押しつけて。

 そして、自分だけ、良い子になろうとしてた。

 自分の醜さを、全部シズカのせいにしてたんだ。

 

「なあ。ハルカ」

 シズカがハルカの肩を持ち、ゆっくりと振り向かせた。

 目の前に、12歳の少女が現れる。眼鏡をかけ、Tシャツを着た、小学6年生。

 私、こんな顔だったんだ。

「俺はさ、ハルカを守るために生まれたんだ」

 シズカは言った。

「俺はお姉ちゃんだからさ。妹を守るのが当たり前だろ」

 ハルカは姉を見つめ、「でも」と呟いた。口がへの字に曲がっていく。

「でも、本当はいないんでしょ。私が想像して、作り上げただけで」

「何言ってんだ。いるぞ。だって、ずっと一緒だったじゃないか。しんどい時も。つらい時も。悲しい時も。楽しいときも。嬉しいときも。ずっと」

 そうだ。一緒だった。

「これからも、お姉ちゃんはハルカを守ってやる。ハルカの代わりに文句も言ってやるし、悪いこともしてやるし、つらいことも引き受けてやる」

 姉はそこまで言って、「だけどな」と目をつぶった。

「忘れないでくれ。俺は・・・・・・」

 ハルカは言った。

「私だよ」

 姉が目を見開く。

 ハルカはその目を見つめた。

 そうだ。私なんだ。

 怒りっぽいのも、毒舌なのも、わがままなのも。寂しがり屋なのも。

 全部、私だったんだ。

 切り捨てていいものじゃ、なかったんだ。

「お姉ちゃん」

 ハルカは姉を抱きしめた。

「一緒にいて。これからも、一緒にいて」

 姉はハルカを抱きしめ返した。やさしく、ハルカの頭を撫でる。

「ああ。一緒だ」

 私は初めから一人だった。

 でも、いつだって二人だった。

 そして、これからもずっと一緒だ。

 二人とも、私なんだから。


「お姉ちゃん・・・・・・」

 ハルカは姉の肩に顎を乗せながら、震えた声を出した。

 姉も何の話かわかったのだろう。

「うん?」とそう答えた声も震えていた。

 ハルカは言った。二人がずっと受け入れられなかった話を。

 ずっと二人して、気づかないふりをしていたことを。だってとても受け入れられなかったから。

 それでも、ハルカは言った。

「ま、ママ、ママが・・・・・・」

「・・・・・・うん」

 ぎゅっと背中が掴まれる。ハルカも掴んだ。そして言った。

「ママが、ママが死んじゃったよおおおお」

 ハルカの目からぼろぼろとこぼれた涙が、シズカの肩を濡らした。

 ハルカの肩も濡れていた。

「・・・・・・ああ。そうだな。死んじまった」

 ハルカは姉を抱きしめた。姉も妹を力一杯抱きしめた。

 大好きだった。

 ひどい母親だったと思う。自分の娘を男に会うだしにして。暴言を吐いて。暴力を振るって。最後には 娘をほっぽり出して、先に勝手に死んで。

 でも、それでも。それでも。

 ハルカは覚えている。とある春の日。天窓の下。ブランケットに母とくるまって、一緒に浴びたあの温かい陽の光。

 それでも、大好きだったんだ。

 ハルカは声を上げて泣いた。シズカも泣き叫んだ。

 二人で固く背中をつかみ合って、姉と妹は大声で泣き合った。


 そして、5年の歳月を経て、二人は母に、別れを告げた。




「・・・・・・ハルカ」

 泣き疲れて、スンスンと鼻を鳴らすハルカに、シズカは言った。

「うん」

 シズカは言った。ハルカを抱きしめたまま。語りかけるように。

「言ったよな。幸せになれるかって」

「うん。言ったね。よく覚えてたね」

「ハルカが覚えてることは、覚えてるさ。頭は一つなんだから」

「そりゃ、そっか」

 ハルカは笑った。姉も笑う。

「考えてみたけど、まだわからねえ」

「うん。そうだね」

「過去を忘れるには、過去が重すぎるし」

「確かに」

「未来を見ようとしたら、父親が心臓狙って殺しに来るし」

「勘弁してほしいよね」

「全くだ。こっちはキャンプがしたいだけだったのによ」

「ほんとそれ」

「だからよ」

 シズカはそこで、ぎゅうっとハルカを抱きしめ、力強い声を出した。

「やっぱ。生き残ってみるしかないぞ。これは」

 ハルカはまた笑ってしまった。

「そうだね。それしかないね」

 ばっと、姉と妹は互いに顔を上げた。相手の肩をつかみ合った状態で互いに見つめ合う。

「生きるぞハルカ」

「生きるよシズカ」

 二人で、一緒に、幸せになるんだ。


 姉妹は手をつなぎ合った。

 ゆっくりと子ども部屋を出る。

 汚れたリビングを見渡す。冷たくほこりっぽいフローリングの上を裸足で進む。静かに、でも、確かな意志を持って。

 寝室のドアを見る。母が眠っているだろう鍵のかかった部屋。一瞬、駆け寄りたい感情に襲われる。そのハルカの手をシズカがぎゅっと握りしめる。

 そうだね。もう、お別れはした。

 姉妹は前を見据えた。

 大きな、分厚い、外に繋がる扉。

 あの日、ハルカはドアを開けるのが怖かった。初めての外の世界。何が待っているかわからない世界。

 でも、もう怖くなんかない。

 いや、やっぱりちょっと怖い。当たり前だ。だって、何が待っているか、何がおこるかもわからないん だから。

 でも、大丈夫。

 私は、一人じゃないから。

 鍵は開いている。ハルカはドアノブを握りしめた。

 後ろは振り返らない。大切な人はもう迎えにこれたんだ。もう、用なんかない。

 ハルカは言った。

「シズカ。行くよ」

 シズカは言った。

「ああ。行こう」

 姉妹はゆっくりと扉を押した。薄暗い部屋に、まばゆい光が差し込み、やがて全てを照らしていく。

 私たちを待つ、新しい世界。

 

 春香は、大きく一歩を踏み出した。





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