【第4章】 星空キャンプ編 42
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ベルは転がっていたガスバーナーで自分を縛っていたシーツを焼き切り、立ち上がった。
両手の火傷がじくじくと痛んだが、指が動かないほどではなかった。
廊下を歩き、宿泊棟を出て、駐車場に向かう。
曇っていた空は完全に晴れ渡っているようで、風も乾いていた。火照った火傷に心地良い。
駐車場の砂利の上を、ガムテープでぐるぐる巻きにされた田代が芋虫のように這っていた。
「まだだ。まだ。あれがあれば、まだなんとかなる」
そんなことを呟きながら、必死に這っている。
どこに進んでいるのかと目線をたどると、警備員用のプレハブ小屋を目指しているのがわかった。
ベルは田代を素通りして、プレハブ小屋にスタスタと歩いた。
「ベル? ベルか! お前生きてたのか! よし! このガムテープを外してくれ。あいつらはついさっきゲートを出たところだ。ベル? おいベル!」
ベルは田代を無視すると、プレハブ小屋を開け放った。
田代の私物をかき回す。
「おい! ベル! 何のつもりだ!」
ベルは仮設ベッドの下をのぞき込み、古びたバッグを見つけた。引きずり出し、チャックを開けると、重い木箱が出てきた。
ベッドに置き、カチャリとロックを外し、開ける。
そんなことだろうと思った。
木箱には鈍い銀色の光を放つ、一丁の拳銃が納められていた。さび付きかけていたマカロフとは格が違う。アメリカ製のピストル。
ガバメント。45口径。
これが田代の虎の子なのだろう。
マカロフをベルに渡した段階で、おかしいとは思っていた。田代はベルを信頼していたが、信用はしていない。他人に自分より強力な武器を預けるはずがないのだ。だから、ベルに拳銃を渡したということは、必ず、田代自身もそれ以上の武器を所持しているはず。
そして、そのことを自分に隠していた理由は一つ。
いざというときは、自分を殺すつもりだったのだ。
弾詰まりを起すような骨董品を渡し、田代自身は新品同然の銃を装備する。大方、ベルに汚れ仕事を全てさせたあと、この銃でベルを殺し、立花春香とベルの死体だけを持ち出す。そうすれば玉城ベルが凶行に走ったあと、立花春香を誘拐して姿を消したように見せかけられる。
ベルはガバメントを箱から抜き出し、しげしげと眺めた。すごいな。新品だ。どうせどこかの銃マニアから仕入れたのだろう。
ガチリとスライドを引く。45口径の弾丸が薬室に送られた。
木箱にはご丁寧に予備の弾倉が二つも用意してあった。ありがたく頂戴してポケットに入れる。弾切れの心配がないのは助かる。
バッグの奥には、滑稽な事に防弾チョッキまで用意してあった。念には念をな性格もここまでくると笑ってしまう。
さらにバッグを探ると、1本のUSBが見つかった。何のラベルもなかったが、中身は予想が付いた。
どうせ、元大臣との黒い関係の証拠でも入っているのだろう。これがあることで、田代は雇用主から切り捨てられなく済む訳だ。
闇は、どこまでも深いものなんだな。
プレハブ小屋から出たベルに田代は芋虫状態のまま、叫んだ。
「てめえ! 救ってやった恩も忘れやがって!」
ベルはスタスタと田代に近づいた。
よく見ると、田代の右腕は不自然に曲がっていた。どうせ白鳥にでも折られたんだろう。
裏切りが十八番だった田代は、結局、最後の最後に部下に裏切られたわけか。
最初からこの銃を使っていれば負けなかっただろうに。なめてかかるからだ。
「ねえ」
上から語りかけるベルを田代は無言で睨み付けた。片目から血を流しているその顔を見下ろす。
「あのときの詐欺師さあ、あんたに殴られながら言ってたよね。『話が違う』って」
「ああ? お前、何言って・・・・・・」
ベルは銃口を田代の足に向けた。
「どうせあいつも、あんたの仲間だったんでしょ」
銃声とともに、田代が絶叫した。
ベルは背を向け、駐車場に残っていた軽トラに向かう。
「この銃も、USBも、私がもらうから。もうすぐ警察も来ると思うけど、まあ、適当に頑張って」
後ろ手に手を振りながら軽トラに乗り込むベルに、田代は叫んだ。
「待ってくれ! 待てよ! くそ! くそがあ! ふざけんなあ! くそおおおおおお!」
軽トラがゲートを抜ける。
まだ間に合うはずだ。
立花春香を絶対に捕まえる。
ベルは軽トラのハンドルを切り、林の中にある小さな小道を全力で飛ばした。
この裏道は、いざというときの逃走経路として、田代が見つけていたものだ。このまま突き進めば、最短で十字路に先回り出来る。
真っ暗な林の中、一台の軽トラが猛スピードで走り抜ける。木の小枝や、草木が軽トラのボディに当たって不快な音を立てる。
ベル自身、なにがここまで自分を突き動かすのかわかっていなかった。
春香を捕らえたところで、田代がいない状況で、雇用主が報酬をくれるかなどわからないし、USBがどれほどの効力を持つかもわからない。問答無用で消されるかも知れない。
だが、それも、実はどうでもよかった。
ただ、ベルは勝ちたかったのだ。
これまで、ベルは人生においての勝負で、その土俵にも立たせてもらえなかった。
中学の時も、留学先でも。
それはある意味、本当にある意味だが、いくらでも言い訳が出来たとも言える。
うまくいかなかったのは、愚かな母のせい。自分の生い立ちのせい。生まれ落ちた環境のせい。そんな風に。
だが、今回は違った。ベルは圧倒的に優位に立ちながら、あろうことか、銃まで持ち出した上で、明らかに自分よりも不幸な生い立ちの12歳の少女に敗北したのだ。
認められなかった。
認めたくなかった。
それを認めたら、これまでの泥水を啜るような毎日が完全に否定される気がしたから。
これは、ベルにとって自分の不幸な人生の、あるかないかの尊厳を賭けた戦いだった。
わかってる。
わかっている。
正しくなんかない。間違っている。そんなことはわかっている。
でも、自分の人生において、正しさなんか何の役にも立たなかったじゃないか。
軽トラが林を抜けた。
車道に出る。左手に十字路が見えた。その十字路を、まっすぐに車のヘッドライトが照らし始めていた。ドンピシャだ。来る。
ベルは軽トラのヘッドライトを消し、車を左に回転させた。
十字路を見つめた。
奴らのバンが十字路に現れた瞬間を狙って、横から突っ込む。
ベルは十字路を睨み付けた。ヘッドライトの光がどんどん近づいてくる。
5、4、3、2、1。
ベルはアクセルを思いっきり踏み込んだ。
軽トラが全速力で十字路に突っ込む。
バンが現れた。運転席の白鳥は突っ込んでくる軽トラの存在に気が付かなかった。右の視界が死角になっていたから。遅れて助手席のあかりが気が付き、叫ぶ。
ベルも叫んだ。
次の瞬間、軽トラはバンの横っ腹に直撃した。
この世の物とは思えない金属音。
すさまじい衝撃。
ハンドルのエアバッグが開き、ベルの視界が一瞬白くなり、何も見えなくなった。
しばしの沈黙。
シューと空気が抜ける音を聞きながら、ベルは軽トラの運転席のドアを蹴り開けた。
アスファルトに降り立つ。
やつらのバンはごろりと半回転して、タイヤを上に向けていた。
ベルは腰から45口径を抜き取り、車に向けた。
さあ、最終ラウンドだ。
PM 9時