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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第4章 ずっと側にはいられない
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【第4章】 星空キャンプ編 37


 37


 宿泊棟の階段に銃声が響き渡った。

 階段を駆け下りていくあかりと春香に向かって、すずが3階の階段の手すりから身を乗り出すようにして発砲したのだ。春香の側の手すりにでも当たったのか、派手な金属音がして、春香が悲鳴を上げた。

 春香とあかりは今、二階の階段の踊り場に到着した所だった。一階に向かって階段を降りれば、すずの射程範囲に入らざるをえない。すずは待ち構えたが、どうやら二人にもそれがわかったのだろう。2階のフロアに逃げ込んでいった。すずも舌打ちをして階段を駆け下りる。

 階段を降りながらマカロフを見る。今のところ、正常にスライドは稼働し、排莢も問題ない。

 さっき、3階で2発撃ち、階段でも1発。計3発撃った。あと5発。

 半ば飛び降りるように階段を降り、2階の廊下に出る。3階と同様に、宿泊室が長い廊下の両側に並んでいる。

 その廊下の先に、二人が見えた。

 すずは春香の足下に向かって、一発撃った。あと4発。

 当たりははしなかった。すずも当てることを狙って撃ったわけではない。ただの威嚇だ。だが、足下に着弾すれば、冷静にはいられない。現に、驚いた春香が、派手にその場に転んだ。

 あかりが気づき、助け起そうと踵を返す。

 そのあかりに向かって、すずは撃った。あと3発。

 狭い廊下に、発砲音が響き渡る。わずかな血しぶきと同時に、あかりが倒れる。

 肩にあたったな。あの様子じゃ、かすった程度だろう。

 だが、二人とも、床に倒れた。

 早足で近づきながら、すずは倒れたあかりの胸に銃口を向けた。

 この距離なら、絶対に外さない。

 春香が慌てて立ち上がって盾になろうとする。しかし、どう見ても間に合わない。

 すずは引き金を引いた。




 奈緒はぽかんと口を開け、二人の男の攻防を呆然と眺めた。

 田代は流れるようなステップで距離を詰め、拳を打ち出す。その拳は、大体が空を切った。白鳥が瞬時に体をひねり、ギリギリで回避する。

 お互いにノーダメージ。一見膠着状態である。

 しかし、明らかに白鳥は押されていた。

 手数が違うのだ。白鳥は避けるのに手一杯で、全く反撃できていない。

 なぜ、白鳥はやり返さないのか。その理由は素人の奈緒にも理解できた。

 打ち込めるような隙がないのだ。田代には。

 遂に、田代の拳が白鳥を捉え始めた。

 バシっだとか、ビシッという乾いた音が響き始める。まともに食らってはいない。肘や、手の甲でガードしている。だが、防戦一方だ。

 ゴッ

 鈍いと音とともに、白鳥の首が瞬時に左を向いた。右頬を殴られたのだ。

 ドッ

 今度は右の脇腹に田代の拳が突き刺さる。元ボクサーのブローを受け、白鳥は堪らず体をくの字に曲げた。

 その顔に向かって、田代が渾身の左ストレートを打ち込んだ。

 バキッ

 嫌な音とともに、白鳥が砂利の上を転がった。

 もし、まともに食らっていたら、勝負は付いていただろう。だが、白鳥はなんとか顔の前に右の前腕を滑り込ませる事に成功していた。ダメージが甚大であることは変わりなかったが。

 田代は追撃はしなかった。小刻みなステップを踏みながら、白鳥が立ち上がるのを待っている。

 奈緒は白鳥に駆け寄って、事態に気づいた。

 なぜ、右の攻撃ばかりを食らっていたのか。

 倉庫の一件で、白鳥の眼鏡は右側のレンズがなくなっていたのだ。完全に見えないわけではないだろうが、これがきっと戦闘においては死角になっているのだ。田代もそれに気が付いている。

「ゆきおちゃん。大丈夫?」

 白鳥は答えなかった。ぶつぶつと何やら呟いている。

「おかしいなあ。もっと楽勝だと思ったんだけどなあ。綺麗に勝つのは無理かあ」

 白鳥はすっと立ち上がった。

 食らったダメージなどないかのように、スタスタと田代に向かっていく。

 田代は当然のように白鳥の右の横顔に向かって左フックを繰り出した。

 それを白鳥は右の肘を顔の横に添えることによってガードするが、元プロの拳はそのガードごと白鳥の右頬を打ち抜いた。

 白鳥の体ががくりと揺れる。

 が、ほぼ同時に田代が「うおっ」と叫んで、バックステップを踏んだ。

 田代のサングラスが割れ、右目から血が流れていた。

「お、うまくいきましたか」

 白鳥が一瞬、横倒れになりそうになった体を持ち直して、笑った。

「初めてやりましたが、成功するものですね」

 そう言って。白鳥は血に染まった左の指2本を、自慢でもするように掲げた。

 

 田代は流れ出る血を手で拭いながら、左目でじっと白鳥を見つめた。


 田代は人生においてのキャリアは、ボクサー時代より、裏家業時代の方が長い。

 ボクサーとしての田代は優秀だった。

 高校を中退後、ボクシングに一筋で打ち込み、プロになった。戦績は華々しく、持ち前の戦闘センスと恐ろしいまでの執念で、WBCの下位タイトルでミドル級チャンピオンになるまで上り詰めた。

 次は世界ランカーも夢じゃない。周りも、田代自身もそう思っていたし、その実力は確かにあった。

 だが、運がなかった。なんでもない日々の打ち合いの練習で、田代は網膜剥離を発症した。剥離は広範囲にわたり、右目を完全に失明し、田代のボクサー人生はあっけなく幕を閉じた。

 それから、田代が培った戦闘技術はあろうことか裏社会で日の目を見ることとなった。

 そこらのチンピラがちんけな刃物で突っつき合っている中でも、田代は自分の二つの拳で場を制してきた。

 無論、リングを離れ、中年を過ぎた今では、ボクサーの頃のようなキレのある動きはもう出来ない。だが、スポーツとは異なる闘争の経験値が田代の中に確実に蓄積していた。

 その、田代は今、右目から血を流していた。

 こいつ。目潰ししてきやがった。

 目潰しなどの所謂、「禁じ手」を繰り出してくる相手は初めてではない。だが、そういった類いの技は大抵が失敗する。どれだけ覚悟を決めたところで、動きに迷いが生じるのだ。結局の所、人間の精神は、他人の体を躊躇なく破壊できる構造にはなっていないのだ。

 だが、まれにそれをできる奴がいる。

 この目の前の白鳥幸男という青年もそうだ。田代にわざと右頬を殴らせ、その隙に何の迷いもなく、最短距離で田代の右目を2本の指で突いてきた。そこには一切の遠慮がなかった。少しでも動きに迷いがあれば、田代は回避できた。

 もちろん、もともと田代は右目を網膜剥離で失明しているため、戦闘には影響はほとんどない。しかし、白鳥がそれを知るはずがない。

 この若造は、自分の勝利のために、何の躊躇もなく、俺の目を潰そうとしたのだ。

 この人種は、田代の経験上、共通点がある。

「お前、こっち側だな」

 白鳥が首をかしげる。

「と、言うと?」

 田代は口角を上げた。

「お前、人を殺したことある。もしくは殺す予定がある。だろ?」

 白鳥は数秒黙って、田代を見つめ、そして、乾いた声で笑った。

「人聞きが悪いですねえ。彼女は苦しんでたんです。それを、僕は救ってあげただけですよ」

 白鳥の瞳の奥には、どこまでも、どこまでも、どす黒い闇が広がっていた。

田代は「そうかい」と頷いた。

 なるほど。ちゃんと狂ってやがる。

 田代は壊れたサングラスを放り投げ、拳を構えた。自分の中のギアを一段上げる。人殺しに対してはこちらも相応の覚悟で挑まなければ、こちらが殺される。

 小刻みなステップで、白鳥の右の死角に回る。白鳥も、自分の右側に回られるのを阻止しようと、体を回転させる。さらに言えば、白鳥も田代の右目の死角に回り込もうとしていた。

 意図せず、二人の格闘家は大きな円を描くように立ち回った。お互いの左目と左目の視線が交錯する。

 足下の砂利が音を立てる。駐車場は四方からの照明でまぶしいほどに明るく照らされていた。

 まるで、ボクシングリングみたいだ。田代はそう思ってほくそ笑んだ。

 良いじゃねえか。観客が一人もいない、命がけの引退試合。神さんも粋なことをしてくださる。

 田代は「ふっ」と息を吸うと、一気に距離を縮めた。小刻みなジャブを連打する。

 白鳥はいくらかを受け流し、いくらかを食らい、それと同時に捨て身の攻撃を仕掛けてきた。

 その攻撃全てを田代はいなす。

 白鳥がどの急所をどのように狙っても、届かなければ意味がない。容赦ない攻撃も当たらなければ意味がないのだ。田代はスピードとフットワークで白鳥を圧倒した。

 連打を食らった白鳥の体が揺らぐ。

 いける。潰せる。

 田代は確信した。あと一発だ。あと一発、大きい一撃を決めれば、この狂人は倒れる。

 田代は大きく踏み込み、人生で幾度となく振るってきた左の拳を振りかぶった。

 白鳥が慌てて顔をガードする。

 そこで田代は渾身の右ブローを白鳥の腹部に叩き込んだ。

 重い布団を高所から落とした時のような、低く響く重低音とともに、白鳥の体がくの字の状態で一瞬浮き上がった。

 白鳥はがっくりと膝をついた。

 呼吸が出来ないのだろう。四つん這いのまま、白鳥は小刻みに震えている。

 勝った。

 田代は荒い息を吐きながら、白鳥を見下ろし、自然と頬が緩むのを感じた。

 その瞬間、死角の右側から何かが飛んできた。

 白鳥に集中していた田代は、もろにそれを右頬に食らった。ガッと音を立てて田代の顔を打ったそれは、カランと足下に転がった。

 ああ。そう言えば、観客が一人いたな。

 じろりと目線を動かす。

 奈緒とかいうコネ娘は、田代の目線にびくりと肩をすくめた。足下に開けたリュックがあった。そういえば木の棒がさしてあったな。命知らずにもそんな物を投げてきたのか。

「やってくれんじゃねえか」

 奈緒が背を向けて逃げだそうとする。その背中へ田代は一気に距離を詰めた。

 フェンス付近まで逃げた奈緒の後頭部を田代は片手で易々と掴んだ。奈緒が悲鳴を上げる。

 そのまま田代は奈緒を砂利に叩き付けた。じろりと見下ろす。

「良い度胸だな。嬢ちゃん。あんなぼうっ切れで、おっちゃんがやられるとでも思ったのか?」

 尻餅をついた状態で、奈緒は叫んだ。瞳には涙が溜まっている。

「ただの棒じゃないもん! クヌギの木だもん! エクスカリバ―だもん!」

 田代は笑った。

「嬢ちゃん。意味分かんねえこと言ってねえで・・・・・・」

 奈緒は叫んだ。恐怖に涙をぼろぼろこぼしながら。

「あんたに言ってないわよ! バーカ! あほ! 間抜け!」

 ああ? 何言ってんだこいつ。

 田代は奈緒の胸ぐらを掴み、無理矢理引き上げた。顔を歪ませた奈緒はそれでも叫んだ。

「剣道、得意なんでしょ!」

 剣道?

 その時、田代は背後からおぞましい寒気を感じた。

 奈緒から手を離し、瞬時に後ろを振り返った。即座に拳を構える。

 白鳥が立ち上がろうとしていた。

 ぬるりと、まるで、糸に繋がった人形のように。

 その気持ち悪い動きに田代は吐き気を催しそうになった。

 その白鳥の手には、さっき奈緒が投げつけ、田代が足下に放置した木の棒が握られていた。

 白鳥は小首を傾げながらその棒をなで回す。

「うん。・・・・・・うん。確かにこれは」

 次の瞬間、脱力していた体に瞬時に電源が入ったように、白鳥はピシッと構えを取った。両手で持った棒を顔の前に据え、ピタリと動きを止める。

「聖剣エクスカリバーですね」

 そう言って、歪んだ英雄願望を持つ、剣道三段の白鳥幸男はにたりと笑った。

「僕にふさわしい」

 田代は冷や汗が首筋を伝うのを感じながら、「へっ」と笑った。

「お前が持ったら、魔剣だろうがよ」





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[一言] ゆきおちゃんってあの管理人か!
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