【第4章】 星空キャンプ編 35
35
PM 7時30分
すずは屋上から施設中を見回していた。
照明に照らされた敷地内は、屋上からだと全てを見渡すことが出来た。とはいえ、木々の形と人陰の形を見分けるのは骨が折れる。だから、すずは陰の動きを見ていた。少しでも動く陰があれば、それは人間だ。
すずは左手にトランシーバーを握っていた。これで田代と連絡を取り合うつもりだった。
そして、右手には拳銃を握っていた、田代がマカロフと言っていた古い銃。
すずはアメリカのテキサス州で約2年間生活した。その際、現地の男友達に幾度か射撃場に連れて行かれたことがある。すずは特に銃器に興味があったわけではなかったが、持ち前の集中力や思い切りの良さが良いように作用したのだろう。射撃の才能があることがわかった。
初めて握ったピストルで数十メートル先の的をバカスカ打ち抜いているすずに、友人は地元の射撃コンテストへの参加を勧めた。結果、優勝こそ出来なかったものの、すずは小さなトロフィーを持って帰った。人間、どんな才能があるかわからないものだとすずは思った。
その才能が、こんな風に発揮される羽目になるとは。
すずはフェンス沿いの陰にさあっと目線を流していった。
ここからピストルで狙撃することは、すずにも流石に難しい。だが、一度見つけてしまえば、その人影を目で追えば良い。後はトランシーバーで田代に伝えるだけだ。
そう思っていたところで、もっていたトランシーバーからジジっとノイズが流れ、しゃべり出した。
『おい。すず。今どこだ』
トランシーバーを通すと、田代の声のがさつさに磨きがかかるな。そう思いながら、すずはトランシーバーの発信ボタンを即座に押した。
「今、宿泊棟の屋上よ。どうぞ」
そう言って、発信ボタンから指を離した瞬間にすぐさまトランシーバーからまた低い声が流れる。『ランプはどこに置いてる』
まるで怒っているような低い声色だ。まあ、そりゃあ、機嫌はよくないか。すずは後ろを振り返った。
すずが宿泊室から運んできた斉藤ナツは、フェンスにもたれるように座らされていた。微かに寝息を立て、力が完全に抜けている姿は、まるで人形のようだった。
と言うか、田代、よくナツのキャンプネームを覚えていたな。興味のない子どもの名前なんて全く覚えない対応なのに。
通信が途切れたのを確認して、すぐさま発信ボタンを押す。
「隣で寝てるわ。どうぞ」
見晴らしのいい屋上ですずはナツを確保しつつ敷地内を見張る。田代はゲートを守る。さっき、倉庫で別れる時に打ち合わせしただろうに。田代はよほど不安なのだろうか。
ため息をついたすずは、トランシーバーから流れた次の言葉に、固まった。
『なるほどー! 二人とも屋上にいるんだー!』
急に流れた高い声。
この声は、マッチ。清水奈緒だ。
そこですずは気が付いた。田代はすずのこと「すず」とは呼ばない。本名の「ベル」と呼ぶ。
『教えてくれてありがと! オーバ!』
すずはぽかんとトランシーバーを見つめた。
事態が飲み込めずに固まるすずのジーンズの尻ポケットが振動した。
我に返ったすずはトランシーバーを床に放り、急いで二つ折りの携帯電話をとりだした。パカッと開けると、田代の番号が荒い画面に表記されている。
通話ボタンを押したすずは田代の大声に怒鳴りつけられた。
『馬鹿野郎! ペラペラ情報しゃべりやがって!』
正真正銘の田代の声だった。こうして聞くと、さっきのしわがれ声は完全に別物だった。
『あんな幼稚な声真似にだまされてんじゃねえ!』
すずはようやく事態を悟った。
春香達もトランシーバーを持っていたのだ。そして周波数を合わせられた。
あかりとゆきおの荷物は没収していたはずだ。体にも身につけていいなかったはず。一体、どこにあったんだ。子供用のリュックの中か。それしかありえない。バカな。なんでそんな所にトランシーバーが入っているんだ。
本物の田代もさっきの通話を聞いていたのだろう。だが、途中で相手の発言に割り込むことはトランシーバーの性質上、出来ない。
やられた。
すずは屋上の床に転がっていたトランシーバーを思いっきり踏みつけた。乾いた音を立てて、割れた破片が飛び散る。
『やつら、屋上を狙ってくるぞ。そっちに俺も向かう』
田代の言葉に、すずは叫んだ。
「まって! それが奴らの狙いかも知れない。屋上に来ると見せかけてゲートに向かう気かも」
そうなればナツを見殺しにすることになる。奴らはきっとそれはしないだろう。だが、可能性はゼロではない。
その時、敷地内の隅で何かが動いた。危うく見逃すところだった。瞬時に目線を下に戻す。
二つの人陰が、宿泊棟に向かって全力疾走してきていた。
四つではない。二つ? そうか。
すずは携帯に向かって叫んだ。
「田代さん! 敵は二手に別れてる!」
田代は答えない。その間に二つの人影は宿泊棟にどんどん近づいてくる。
すずはマカロフを構えた。しかし、屋上のフェンスの間から走る人影に照準を合わせるのは困難だった。角度を取りかねている間に、二つの人影が宿泊棟にたどり着き、すずの死角に入ってしまった。
「田代さん! 聞いてる? 二人こっちに来たから、そっちにも二人向かうはず!」
しばらくの沈黙のあと、田代の低い声が携帯から漏れ出た。
「ああ。そうらしいな」
その声色ですずは確信した。田代は今、会敵している。
「ちょっと忙しくなるから、切るぞ」
通話が切られた。
すずは携帯を尻ポケットに戻すと、ナツの側に移動した。
ナツの隣に片膝を立て、銃を両手で構える。銃口は一カ所しかない屋上の入り口に向けた。
さっき入った人影。最短でくればあと一分ほどでここに到着するはずだ。屋上に入るにはあのドアを確実に通らなければならない。
距離は5メートル弱。この距離なら、絶対に外さない。
すずは照準を一切ずらさず、持ち前の集中力で銃を構えたまま待ち続けた。
頭の中で秒数を数える。
10秒。20秒。30秒。
呼吸を整える。初めての人殺し。
40秒。50秒。1分。
やれる。やるんだ。そして、取り戻すんだ。人生を。
2分。3分。4分。
5分を過ぎた段階で、すずは立ち上がった。銃口は入り口のドアに向け続けてはいたが、心中はかき乱されていた。
遅い。なぜ来ない。
相手は、目的地がわかっているのだ。どこに寄り道する必要がある。
武器でも探しているのか。宿泊棟だぞ。ろくな物があるわけがない。
すずは宿泊棟の設備を思い返した。
宿泊部屋にあるのは壁に取り付けられた懐中電灯。それぐらいだ。事務室には鍵がかかっているし。後は廊下にある・・・・・・
すずは、見落としていた可能性に気が付き、弾かれたように走り出した。
屋上の入り口に突進し、階段を駆け下り、3階の廊下を走る。
まただまされた。トランシーバーのやりとりで、奴らは真っすぐに屋上に突っ込んでくるものだと思い込んでいた。
忘れていた。その存在を。だって、携帯電話が普及して久しかったから。そんな時代遅れなものがあるのも忘れていた。
廊下を全力疾走したすずは、角を曲がった瞬間に予想通りの光景に怒りの叫び声を上げた。
宿泊棟の廊下の中央。ソファなどが設置されたフリースペース。そして壁に取り付けられた、
公衆電話。
その公衆電話の受話器を岸本あかりが握っていた。早口で受話器に向かってまくし立てている。
「はい。今すぐ来てください。殺人鬼2人に追い回されていて。女の子が一人捕まってるんです!」
あかりは横目ですずの姿を捉えながらも、叫んだ。
「そうです。青少年自然の里です!」
すずはマカロフをあかりに向けた。あかりが銃の存在に気がつき、目を見開く。
そのあかりの前に、立花春香が躍り出た。両手を広げ、あかりの前に立ちはだかる。
すずは危うく引き金を引きかけた指の動きをすんでのところで止めた。
ダメだ。春香には当てられない。心臓を抜くまでは殺せない。
すずはとっさの判断で、隣の公衆電話の本体に銃口を向け、引き金を引いた。
発砲音は廊下で反響し、すさまじい爆音となった。公衆電話のフレームが割れ、破片が飛び散る。
あかりが受話器を放り投げて叫んだ。
「逃げるよ!」
あかりが走りだし、春香もそれに続く。
すずは二人に銃口を向けたが、春香がぴったりとあかりの背に付いているせいで、撃つことが出来ない。
すずは威嚇のつもりで二人の真上の天井に向かって発砲した。蛍光灯が砕け散る。しかし、二人は止まらず、階段にたどり着き、階下に降りていった。
すずは「Shit!」と悪態をつくと、走り出した。
まだだ。ここは山奥。警察が到着するまでにはどんなに早くても30分以上はかかる。
それまでに殺すんだ。殺さなきゃいけないんだ。追いついて、至近距離で弾を打ち込んでやる。あかりを殺して、春香の心臓を届けるんだ。
そうしなければ、私が雇用主に殺される。
お互いに、命がけの鬼ごっこが始まった。