ロッグの不審
ピュアはエルナの家へ連れて行かれ、ようやく落ち着いた。
家族には、ピュアが外へ出たのはエルナが呼んだからで、話しているうちにピュアは具合が悪くなって休ませている、というかなり苦しい言い訳がしてあった。
「落ち着いたら家に帰るって、ピュアはそう言ったんだけどね。ほら、あの子のことだから、家にいると店の手伝いをしなきゃって思っちゃうでしょ。そうしたら、よくなるものもならないし。最近、ちょっと疲れてたみたいだから、うちで休ませてあげて。いいでしょ?」
エルナはガーラへ行くと、ピュアの両親ホークとミスティにそう説明をした。
いくら魔法や竜絡みであっても、現実にピュアは男に襲われた。いくら結果的に無事だったとは言え、そんなことを両親に話せるはずがない。
「そうか。疲れているようには見えなかったんだがなぁ」
「娘が元気がないってのに、それをわかってあげられなかったなんて、親として恥ずかしいねぇ。忙しさにかまけて、ちゃんとピュアのことを見てなかったんだね、あたし達」
違うのよ。ごめんね、おじさん、おばさん。昨日まで……ううん、ついさっきまでピュアは確かに元気だったのよ。何だか悪者にしちゃったみたいで、本当にごめんなさい。
反省するピュアの両親を前に、エルナは心の中でひたすら謝った。
しばらくエルナの家で休ませる、ということで、家族の方はとりあえず落着。
ウルクの森から戻り、ホーク達への言い訳を終わったエルナは、ピュアの部屋から適当に着替えを持って自宅へ帰る。
ピュアが家へ戻らないのは、もちろん理由があった。
あんな状態のピュアを家に帰したら、家族が心配するというのももちろんあるが、またマーディンが彼女を狙って現われるかも知れない。
その時にはピュアや家族だけでなく、時間によっては店にいる客にまで被害が及ぶこともありえるからだ。
ロッグが攻撃された跡を見れば、マーディンが人を殺すことなど何とも思ってない、というのがよくわかる。昼と夜、食事時のガーラはいつも満員。巻き込まれれば、負傷者は一人や二人では済まない。被害を少しでも広げないための策だ。
ピュアがマーディンに見付けられるまでの時間かせぎ、というのもある。家におらず、エルナの家にいるとマーディンがわかるまでに、彼を捕まえることだってできるかも知れない。……まぁ、そう都合よくはいかないだろうが。
「どう? まだ気分、悪い?」
「ん……身体がだるい感じ」
気持ちはすっかり落ち着いたのだが、強い魔力に取り込まれかけたせいか、ピュアは本当に体調を崩してしまったようだ。熱などはないが、体力が落ちてしまっている。食欲もほとんどない。
セミヌード状態で地面を転がった時にできた傷をジーンに手当されてから、栄養剤を与えられた。だが、身体に残ったダメージは大きいようだ。
「あざの辺り、痛みとかはない?」
「うん、それは……」
「痛いとか、苦しいとか、黙ってちゃだめよ」
「だ、大丈夫だってば。本当に、痛いとかっていうのはないから」
エルナに迫られ、ピュアは慌てて手を振りながら否定した。
「ねぇ、結局あれからどうなったの?」
今は日付も変わり、事件はもう前日の話になってしまっている。昨日は森から戻って手当が終わると、ピュアは眠ったままだったのだ。そして、今日の昼間に目を覚ました。自分を取り巻く状況はさっぱりわかっていない。
「うん……結局、ロッグはピュアの中にある力については、何も報告してないの」
協会なら、マーディンのように乱暴な方法でピュアから力を取り出そうとはしないだろう。だが、どうしてもロッグはピュアを誰かの手でどうこうされたくなかったのだ。
黙っていることで、物事が悪い方向へ行くかも知れない、とエルナやジーンに言われても。
ピュアの身体が力に包み込まれ、彼女が苦しんでいるのをロッグは見た。時間にすれば短いが、確かに見た。視線はすぐに彼女をこんな状態にしたマーディンへと向けられ、その後のピュアの様子はわからない。
遅れてやって来たエルナとジーンは、イシュトラルに抱き起こされ、腕の戒めも解かれ、彼の上着をかけられたピュアを見ただけだ。
それからは、ピュアがエルナにしがみついて子どものように泣いていただけ。
黙っている、と言ったロッグに意見をしたものの、エルナとジーンも実は同じ気持ちだった。
マーディンのことはともかく、ピュアとその力に関しては協会にゆだねる訳にはいかない、ゆだねたくない、と。
なので、ロッグはマーディンがピュアを誘拐したことだけを協会に報告した。
彼女がいないことに気付き、捜しに行くとマーディンがピュアと一緒にいて、見付かるとロッグに攻撃を仕掛けてきた、と。
嘘は言っていない。マーディンがピュアを誘拐したのも、ロッグに攻撃魔法を仕掛けたのも、事実だ。ちょっと「言ってない部分」があるだけ。
協会からは「どうしてピュアがさらわれたのか」と尋ねられたが、それはマーディンに言ってくれ、とロッグは逃げた。もちろん、本当にマーディンが捕まってピュアを誘拐した理由がわかれば、その時は正直に知っていることを全て話さなくてはならなくなるだろう。
でも、今は言えない。言いたくない。
それが、三人の気持ちだった。
「そっか……」
彼らの行動を知ったピュア自身も、どうしてもらえばいいのかわからない。
ちゃんと話して助けてもらいたいとは思う。またあのマーディンという男が現れたらと思うと怖い。だが、失礼ながらアーストの魔法使いでは何ともできないような気がするので、黙っていてもらいたいと思ったりもするのだ。
「ねぇ、ピュア。あれから思い出したこと、ない?」
「思い出したって言うか、子守歌がね……頭の中を流れるの」
「子守歌? 子守歌って、ピュアが店で歌ってる、あれ?」
「うん。いつも歌ってるから、何かのきっかけで浮かんでるだけかな、なんて思ってるんだけど。いつも歌う曲なら、他にもあるんだけどなぁ」
「子守歌かぁ。一応、手掛かりの一つとしてメモしておくわ」
しかし、竜の力と子守歌の間にどんなつながりがあるのだろう。他の記憶と混乱している可能性もあるが、まだ全容が見えていない。関係ないと早急に判断し、安易に切り捨てる訳にはいかなかった。
「その話は二人にも言うとして……あ、そうだ。後でロッグが来るって言ってたよ」
「ええっ、ロッグが? ……や、やだ。あたし、会えないよ」
シーツを目元近くまで上げ、ピュアは顔を隠す。
「どうして? ロッグだって、ピュアをすっごく心配してるんだよ」
「わかってるけど……あの時のあたしの格好、すんごくひどかったもん」
着ていた物は「服」と呼べる代物ではなくなっており、三つ編みはほどけて髪はバサバサ。ひどい、なんてものじゃなかった。
ロッグはどこまではっきりと、あの時の姿を見ているだろう。それを考えると恥ずかしくて、いてもたってもいられない。顔なんて、とても合わせられなかった。
「ま、ピュアの気持ちもわかるんだけど……。イシュトラルの話だと、ピュアのことは彼にまかせて、ロッグはマーディンに向かって行ったらしいよ。だから、ピュアが思う程にロッグは見てないと思うけどなぁ。それに、ああなった理由があるってロッグだって知っているんだから、必要以上に恥ずかしがることもない気がするけど」
「だってぇ……」
理屈はそうでも、感情はそう簡単にはいかない。そこにあるのは、裸に近い姿を見られた、という「事実」だ。
「はいはい。それじゃあ、ロッグが来た時はピュアはまだ寝てるって言うわ。だけど、ずっとこういう状態じゃダメよ。最初にピュアの居所を探ったのは、ロッグなんだからね。お礼はちゃんと言うべきよ」
「うん……」
そんな話をしていると、部屋の扉がノックされた。ピュアはどきっとしたが、ノックしたのはエルナの母のアイリだった。
「エルナ。イシュトラルさんって方がいらっしゃってるけど」
その名前を聞き、エルナはピュアを見た。きっとお見舞いだろう。
「入ってもらう?」
「……ん」
「どうして彼ならいいのよ」
ピュアの返事を聞いて、エルナは首を傾げる。一応聞いたが、さっきの様子からてっきり拒否するかと思っていたのに。
「わかんないけど……けどぉ……」
そんなことを言われても、ピュアにだってわからない。
「はいはい、もういいわ。母さん、入ってもらって」
返事を聞いて母親が離れ、少ししてイシュトラルが入って来た。
「こんにちは。ピュア、具合はどうですか?」
「まだ完全には調子が戻ってないみたいですけどね」
エルナが答え、イシュトラルはピュアの枕元に立った。
「こ……こんにちは」
「少し顔色が戻ってきたようですね。よかった。安心しました」
彼の穏やかな笑顔を見ていると、何だかほっとする。世の中には笑顔一つで気持ちを落ち着かせる人がいるんだなぁ、とピュアはイシュトラルを見ながらそう思う。
「食欲がないと聞きましたので、果物を持って来ました。ジュースにすれば、のどを通るでしょう」
「あ、ありがとうございます」
イシュトラルは持って来たフルーツの入ったバスケットをピュアに見せ、エルナに渡した。
「そう言えば、ピュアがいなくなったってわかったのは、イシュトラルがガーラへ行ったからなんですよね」
ピュアの居場所を突き止めたのはロッグだが、いないのはおかしいと気付いたのはイシュトラルだ。
「ええ。店に行くと、外へ出たと言われまして。その後、ロッグやジーンに会って、何も言わないでいなくなるのはおかしいという話になったのです」
「あの……店にって、何か用があったんですか?」
「ええ、あなたにお願いしたいことがありまして、その話をしに行きました」
「お願いって、あたしに? 何ですか?」
イシュトラルから頼まれるようなこと。何があるか、見当もつかない。こうして会話するのだって、今で三回目だ。そんな相手に、何を頼むと言うのだろう。
だが、イシュトラルは首を横に振った。
「いえ、今はやめておきましょう。ピュアはあんなことがあった後ですし、まだ体調も完全には回復していない。あなたが元気になってから、改めてお願いに上がります」
「は、はぁ……」
何だろう。とても気になる。どきどきしてくる。身体が熱くなっている気がするのは、あざのせいなんだろうか。
「長居をしては、あなたを疲れさせてしまいますね。今日はこれで失礼します。ピュア、無理はしないように。ゆっくりでいいですから、しっかり体調を戻してください」
「はい、ありがとうございます」
部屋を出るイシュトラルを、ピュアはベッドの中から見送った。
彼を送るために、エルナも部屋を出る。玄関の扉を開けたところで、ちょうどロッグが現われた。
「おや、こんにちは、ロッグ。きみもピュアのお見舞いですか」
「ああ、まぁな」
横ではエルナが「あっちゃー」という顔をしていた。
「あ、そうだ。この前言いそびれてたんだけどさ……」
「私にですか?」
「うん。その……助けてくれてありがとな。あんたが助けてくれなきゃ、俺はマーディンの力をまともに受けてただろうし」
マーディンがロッグに魔法攻撃してきた時のことだ。
「間に合ってよかったです。あちらが光を放とうとするのが見えて、とっさにああしたのですけれどね。お互い、無事で何よりですよ。では、失礼」
イシュトラルが行き、ロッグが家に入ろうとするのをエルナが止めた。
「ごめん、ロッグ。ピュア、まだかなり疲れてるみたいで……」
「へ? けど、イシュトラルは見舞ったんだろ?」
「まぁ……ね」
「あいつはよくて、俺がダメなのかよ」
それはピュアに言ってちょうだい。
そう思うが、実際には口に出せない。
「彼が来るのは予定外だったもの。まだ体調が戻らないのに、続いてお見舞いっていうのも病人にはつらいでしょ。ピュアが病人と言えるかはわかんないけど、ぐったりしてるのは確かだし」
「ちぇっ……。俺だけだぜ、森から戻ってピュアの顔を一度も見てないのって」
ロッグは協会へマーディンのことを報告に行き、全てが終わってからピュアに会いに行こうと思ったら、もうすっかり遅い時間だったので渋々ながら遠慮した。朝は朝で、また協会にあれこれ尋ねられ、ようやく会いにこうして来たのに……。
エルナはずっと一緒だし、ジーンは傷の手当てをした。本人が言うように、ロッグだけがずっとピュアに会えないでいるのだ。
「ごめんね、ロッグ。でも、わかってあげてよ。魔法使いじゃないピュアが、あたし達にだって耐えられるかわかんない力に包まれたのよ。あの子の身体が受けたダメージは相当なものだと思う。ロッグがイシュトラルより先に来ていたら、会えたと思うけど」
最後の言葉は方便。
「……わかったよ」
ロッグは、不満そうにではあるが、あきらめた。ピュアに無理をさせたくない、と思うのはロッグも同じだ。
「さっさと顔を見せやがれって、言っといてくれ」
「うん、伝えとく」
体よく追い払われた形になったロッグは、仕方なく自宅へ向かって歩き出す。
「ロッグ」
呼び止められて振り返ると、先に帰ったはずのイシュトラルがいた。
「イシュトラル……。何だ、帰ったんじゃなかったのか」
でも、帰るってこいつはどこに帰るんだろう?
昔はこの近くに住んでいた、と話していた。この、というのはレンディックの街なのか、ガーラの近くなのか。
でも、彼のような男がロッグ達の生活圏にいたという覚えはない。だとしたら、ロッグとイシュトラルでは「この近く」と認識するエリアが違うということだろうか。
そんなことを思いながら、ロッグはイシュトラルの方に向き直る。
「あ、そう言えば……イシュトラルはピュアに何か話があるとかって言ってたよな。会って話せたのか?」
「いえ、ピュアの体調が万全ではないので、彼女がちゃんと回復してからと伝えました」
「ふぅん……」
何を話す気でいるのだろう。回復してから話す内容とは……。
ひどく気になるが、何だか聞き出せない。彼には色々と尋ねたいことがあるのに、どれも完全には聞き出せない。どうしてなんだろう、とまた疑問が増えてしまう。
「で、何か俺に用だったのか?」
「ええ」
イシュトラルはさらにロッグへ近付いた。
「ロッグ、ピュアを守ってあげてください」
「……え?」
予想もしなかった言葉がイシュトラルの口から飛び出し、ロッグは目を丸くして相手を見た。
「あの魔法使いは、必ずピュアをまた狙います。彼にすれば、二度も取り損ねた力。次はなりふり構わずに出て来るかも知れません。もしくは綿密に計画を練るか。どちらにしろ、彼女は自分を守る術を持っていませんから、あなたがピュアを守ってあげてください」
「あ、ああ……」
真剣なまなざしで言われ、ロッグは相手の雰囲気に飲まれて頷いた。
「お願いします」
そう言うと、イシュトラルは行ってしまった。後には呆然とするロッグが残されて。
な、何だぁ、あいつ? ピュアを守れって、んなことお前に言われなくたって、守るに決まってるだろ。男が自分の好きな女を守れなくてどうするんだよ。
我に返ったロッグは、遅ればせながら怒りにも似た感情がわいてきたが、それをぶつける相手はもう前にいない。
おとなしい顔して、ずいぶんと……存在感みたいなものがあったな。今までそんなことは思わなかったのに、さっきはいつもと違うような感じで。何なんだ、あいつ。何でも知ってるように言いやがって。
気を取り直して歩き出したロッグだが、ふとその足が止まった。
二度も取り損ねた力? あいつ、どうしてそんなこと知ってるんだ?
考えてみれば、イシュトラルは昨日の件について何も尋ねようとしなかった。ピュアがなぜあんな状態になっていたのかも。
聞くのを忘れた? いや、それはありえない。ピュアやエルナ、ロッグの顔を見て今回の詳細を聞き忘れるなんて。
ばたばたしていたから、というのもあるだろうが、それなら「今」ロッグに聞けばいいことなのに。
起きたことは起きたこととして、何の疑問も持たないのだろうか。
一応、事件に巻き込まれた形なのに、自分の周りの状況を一切尋ねないということがあるだろうか。少なくともロッグなら、どういうことなんだ、何があったんだと関係者に聞きまくる。
たとえ直接の関係がなくても、多少は首を突っ込んだようなものだから、知りたいと思うのが普通だ。
まして、犯人となる男は逃げた。しかも、強い魔法を使うこともわかっているのだ。多少なりとも不安があるはず。
ピュアの中の力が竜のものとして。
マーディンは最初に竜から奪おうとして失敗し、昨日もピュアから奪おうとして失敗した。確かに二度だ。でも、昨日のことはともかく、あいつにはマーディンの情報なんか流してないぞ。なのに、どうして二度ってわかるんだ。
ロッグはイシュトラルが歩いて行った方を見たが、すでに彼の姿はどこにもない。
ロッグの中で、マーディン以上にイシュトラルの存在が怪しいものになってきた。