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君と明日の約束を  作者: 檜垣梁
7/25

7. テスト勉強

 今週も、日曜日はバイトがない日だった。来週に迫った期末テストの勉強をしなければならないと思い一日中家にいたけれど、結局あまり勉強せず昨日買った本をだらだらと読むだけで一日が終わってしまった。


 学校に行くと、日織は登校してこなかった。少し気になって彼女にメッセージを送ると、土曜日家に帰ってから体調が悪くて熱が出ているらしい。


 授業が耳に入ってこないのは、苦手な教科だからだろうか。いつも見ている後ろ姿がない教室は、なんだか少しだけ色が薄れて見えた。


 授業中集中できなかった分、テスト前に取り戻そうとするくらいには真面目な人間なので、放課後、慎一の家では小説を開かず勉強をすることにした。部室でなく慎一の家なのは、最近、教頭が部活動はテスト一週間前から禁止と決めたからだった。


 それで一緒に勉強しながら慎一にわからないところを質問して期末テストの課題を進めていた。文系科目はまだなんとかなるけど、数学は相変わらずだった。

 また田内に色々言われるんだろうな、と思った。

 

 二日後、彼女が登校してきた。テスト前一週間に入っているのに学校を休んでしまって勉強は大丈夫なのか心配していたけれど、杞憂だった。彼女はいつも通り寝ていたから。

 これなら学校を休んでいなかったとしても大して変わらないだろう。


 金曜日の放課後、部活は禁止されているにも関わらず彼女が部室の印刷機を使いたいと言ってきた。彼女は別段いつもと変わらない様子だった。

 だから僕も普通に応える。


「テスト前だけど?」


 部活が禁止されていると言っても、短時間なら忘れ物をしたとか言って部室を使うことはできる。だから今の言葉は、テストが近づいているのにずっと小説に夢中になっていてもいいのか心配して出たものだった。


 彼女のことだ。印刷をするだけだから、とか言うだろうと予想して、職員室で先生にどう言い訳すればいいか教えてあげる準備をしていた。


 それなのに、僕が言うと、彼女は黙ったまま心底意外そうな目で見つめてきた。なに、その顔はどういう意味だろうか。

 まさか、テスト前なのに勉強をしなくていいの? という意味が伝わらないわけないだろう。自分の言葉足らずが沈黙の原因ではないと確信した時、彼女はとんでもないことを堂々と口に出した。


「聞いてない」

「何が?」

「テスト前とか知らない」


 思わず「は?」と声を漏らしてしまう。

 呆れた。いや、彼女がそういう人だとわかっていなかったわけじゃないけど。

 にしても、期末テストだぞ。そんなこと。


「いや、小テストじゃないんだから」


 期末テストなんか学期末にあるのは当たり前だし、聞いたとか聞いてないとかの問題じゃないだろう。

 けど僕のツッコミ彼女に見事にスルーされた。彼女は本当に驚いた目で僕の方を見ていた。


「……え、まじ?」


 人並みに真面目な僕は、ついていけない。



 実際、彼女の成績を聞くと、勉強が得意じゃない僕でも心配になるレベルだったので、思わず笑ってしまう。


 でも笑ってしまったのは別に僕の性格が曲がっているからとかじゃないと思う。彼女が「何も恥ずかしいことなんて言ってませんよ」と言うノリで話すから。


 確かに心の笑いを出してしまった僕も悪いのだけど、その反応を受けて少し不機嫌になった彼女に「そんなに言うならミツ君が教えてよ」と言われてしまった。

 そういうわけで僕たちは、テスト前の休日もいつもの場所で会って、一緒に勉強をすることになった。






 いつもとまるで別人の彼女が、そこにはあった。

 シンプルな服装や髪型、膝にかけている毛布とかは完全に同じなのに、彼女の目が死んだ魚みたいになっていた。


 勉強を始めて十五分、たったそれだけの時間で彼女の頭がパンクした。何か書き込んでいると思ってみると、ノートには落書きしか書かれていなかった。魚の絵。別に今の自分を表現したわけじゃない、その魚は活き活きしていた。訊くと、今書いている小説に水族館に行くシーンを付け足したいから魚の勉強中らしい。知らないけど。


 つまり彼女は昨日のとんでもない発言が冗談ではないくらい勉強に関心を持たない人間だったらしく、


「成績悪いの、本気だったんだ」

「そんな意味のない嘘つくわけないよ」


 なんて胸を張って言う。

 中でも彼女は、数学が壊滅的に出来ていなかった。それはもう、僕とでも比べ物にならないレベルで。


「学校で授業中寝ているのもそうだけど、小説書いている時となんでそんなに落差あるの? 小説書いている時の集中力が全く活かせてない気がするんだけど」

「いやぁー、お恥ずかしい」

「全くもって恥ずかしくなさそうだけど?」

「だって、眠たいから」


 少し質問と外れたことを言うから、話を戻す。


「いつもはどうやって集中してるの」


 彼女はしばらく考えた後、


「だいたいはね、よし、やろう! って思ったら周りの音とか勝手に消え出すけど、なんとなく分かってるのは、多分無意識に二つ以上消すものを作ってるんだと思う」


 音が勝手に消え出すのも理解できないけど、後半部分も分からない。


「ごめん、もうちょっと分かりやすく説明して」

「一つこれを意識しないようにしようとすると、逆に意識してしまうから。好きな人を意識しないようにして、逆効果、みたいな。でも、二つ以上意識しないものを決めると、もう集中したいこと以外全部無視しようって決められるから。二つのうち一つを選ぶんじゃなくて、選ばないものを増やす感じ」

「それ、できないの? 今」

「無理に決まってるでしょ」

「決まってはないと思うけど」


 とりあえず一回やってみたら、と僕が言うと彼女は渋々ペンを持ち直した。


 僕はあと少しで終わりそうな問題集の課題を進めていく。さっきはうなだれていた彼女もなんとか目の前の問題に向きあっているようだった。


 それなりに問題を進めて応用問題を一つ解いた時だった。彼女が静けさを保っていることに気づき、顔を上げた。


 彼女は、寝ていた。学校で見る彼女みたいにすやすやと寝ていた。


 いつも周りの音なんて耳に入らないくらい真剣な彼女がこの場所で睡眠していることが新鮮で、位快適な睡眠を邪魔することに後ろめたい気もしたが彼女のテスト結果のため、僕は心を鬼にして彼女を起こすことにした。


 寝始めて時間が経っていないからか、肩を叩くと彼女はすぐに目を覚ました。


「テスト勉強いいの?」

「いいよ」

「良くないでしょ」

「いいの」

「いつもテストどうしてるの? 成績悪かったら田内めっちゃ言ってこない?」

「言われないもんだよ、案外。私、生活態度は抜群にいいからね」


 いつも寝ているのはどこの誰だ、と言おうとして、気づく。確かに彼女は寝ていてもあまり先生から怒られている姿を見たことがない。それに、彼女の友達も、話している時に彼女が寝ているのに彼女が輪の中から外されることはない。それは、彼女の性格の賜物ということなのだろうか。確かに彼女は周りのことがよく見えていると思う。普段は。


 僕は文化祭の後、彼女と初めて話した日のことを思い出す。学校で話すこともあまりないから彼女のそういう面が印象に残ってるだけなのかもしれないけど、集中してなければ気を配ることはできるのだろう。


 それに、彼女とはまだ話し始めて一カ月足らずだ。それなのに僕が女子と二人で休日に会っているのも、彼女が慎一と同じで人の懐にすっと入り込む大胆さと彼女の行為をを許容してしまうのに十分な人間の面白さを兼ね備えているからだ。


「だからテストはとりあえずいいの」


 投げやりに聞こえるその言葉は、いつもの彼女とは似つかないものだった。確かに、彼女が勉強に取り組もうとしているこの状況がそもそも珍しいのだから、それが小説に関わらない時の彼女だと納得するしかないのだけれど。


「やれるだけやってみようよ」


 せっかく彼女が勉強をしているこのチャンスを逃してはならないという正義感にかられ、僕は問題集を終えてから彼女に一問ずつ説明していった。

 彼女は文句を言いながら僕の説明を聞いていたが、その後は観念したのか、諦めた様子で僕による解説を熱心に聞いていた。


 意外なことに、彼女は覚えはいい方だった。僕が昨日の放課後慎一に教えてもらった数学の説明を思い出しながら彼女に教えていくと、彼女はすぐに必要な部分を暗記して基本問題を解いていった。唯一残念なことは、彼女が他の範囲の内容を全てと言っていいほど理解していなかったこと。それに尽きる。


 幸い彼女を再び睡魔が襲うことなかったけれど、その後も彼女のいつもの空気に触れることは叶わなかった。


「お昼! お昼にしよう!」


 無駄に声高く発せられたその誘いは、彼女が周りから漂ってくる料理の匂いにいち早く反応した結果だった。

 彼女の気持ちをよく理解できるくらいには僕も空腹を感じていたので、少し早かったが彼女の意見に乗ることにした。


「どこに行く? ここで食べる?」

「んー、あ。そうだいいこと思いついた」

「……なに?」


 彼女がにやつく。

 悪い予感を抱きながら続く言葉を促すと、


「君の働いてる所は?」


 彼女が目を輝かせながら僕を見つめる。


「嫌だよ」

「なんで」

「変な誤解を……」


 僕の意見は彼女の「勉強頑張ったんだからそれくらい許してよ」というよくわからない論理で押し切られ、結局僕の案内で彼女は僕のバイト先に行くことになった。混んでいたら免れられるかもという淡い期待は、昼食にしては早い今の時刻のせいで、すぐに潰された。


「いらっしゃい――……」


 僕たちが入った瞬間、対応しようとした店長の顔が凍る。

 中であったことは説明するのも嫌なので省略する。まとめると、大方僕の懸念通りの反応をシフトに入っていたバイト仲間全員にされ、挙げ句の果てに店長が彼女とやけに仲良くなっていた。


 一つだけ可も不可もないことは、この店で一番美味しいと推されているバーガーをお勧めしたところ、彼女が脂っこいからと言って食べなかったことで、その会話を聞いていた店長が彼女にミニバーガーを作ってあげていた。


 店が空いているので、数分後にはメニューが運ばれて来る。


「どうしてキッチンでバイトしようと思ったの?」


 さっき彼女がメニューを見ながら料理に使われている食材を細かく訊いてきたとき、全てスラスラ答えていると、彼女が驚いたように、「全部覚えてるの?」と言った。僕は「毎週のように作ってたら覚えるよ」と返した。その続きらしい。


「家でも料理してたから、ホールよりいいかなって思って」

「えっ、家でも料理するの?」

「うん」

「買い物頼まれてるだけだと思ってたー」


 以前、タイムセールの時間に合わせて帰ることを彼女に言ったけど、料理をしているとは言わなかった。

 驚嘆の表情を浮かべている彼女を見て、普段人に言わないことを口に出す。


「親がシングルマザーだから」

「……そう、なんだ」


 彼女は重い話になりそうだと判断したのか、少し構えた表情でつぶやく。


「ああ、別に暗い感じじゃないよ。昔からだから普通のことだし。」


 彼女は僕の意図を把握したように、柔らかい笑みで頷く。


「そっか」


 彼女なりに重苦しくならないように気を使ってくれているのだろう。わかりやすくさりげない感じで相槌を打ってくれる。


「お父さんが小さい頃に亡くなって、それで、母親が結構忙しいから、小さい頃からちょっとずつ料理するようになって」


 彼女の気遣いに沿って話す。


「それに、接客は嫌だし。愛想振りまくのは苦手」

「ずっと笑顔は疲れるもんね」


 そう言って彼女はさりげなく話を括った。


 ご飯を食べ終えた後はまた彼女への講義を再開した。僕も今日は家で母がご飯を作ってくれているし、彼女の集中力も夕方まで保たなかったため、今日は早めに解散することになった。


「ね、私小説家になれるかな」


 勉強道具を片付けている最中、彼女がふと呟いた。


「いきなりどうしたの」


 そんなこと分かるわけないよ、と言おうと思い顔を上げた僕は彼女の表情を見て続く言葉を飲み込む。適当に答えてはいけないと思った。さっきの彼女の優しさに、少し恩のようなものを感じていたこともある。


 彼女の瞳には波一つない水面に石を落とした時みたいな揺らぎが映っているように見えた。

 普段の眠そうな表情とも楽しそうな空気感とも違う、思い詰めたような表情をする彼女がすんと印象深く僕の心に刻まれた気がした。


 僕は丁寧に言葉を選びながら本心を言う。


「どうなるのかは分からないけど、少なくともあれだけ本気でやってる人でないと小説家にはなれないと思う。日織くらい努力している中から、なれる人が出てくると思うから」


 僕が言うと、


「らしいね」


 なんて彼女が笑う。


「だよね。私、頑張るから」


 彼女は多分帰ってからも教科書を開くことなく本を書くのだろう。

 素直に、人の目標を応援したいと思う感覚は久しぶりだった。でもその気持ちを直接言うのはちょっと恥ずかしい気がした。


「言ってくれたら手伝うから」


 さも当たり前のようなことを言う感じで、平坦に返すと、彼女は少し目を見開いた後、笑みを深めた。




 一番の収穫は、人に教えるというのは、自分の勉強に対して役立つと気づいたことだった。彼女が疑問を持たないようにあれこれと考えながら準備したのが良かったのかもしれない。手応えを感じた数学のテストを僕に返却するときの田内の表情が、いつもより数段階やわらかいものだった。


 全体的に良い感触を得たテストの返却が全て終わり、二学期の終業式を終えてバイトに向かっていると、彼女からメールが入った。


『テスト終わったね、おつかれさまー。私、前より成績が上がって先生全員から驚かれたよ。君のせいだね、ありがとう! ところで、明日からは……そう、夏休みです! 本を書く時間たっぷり! ミツ君、バイトどのくらい入れてる?』


 彼女は張り切っているようだった。



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