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君と明日の約束を  作者: 檜垣梁
2/25

2. 入部

 柄にもなく浮かれてしまっていたのだろう。それがいけなかった。

 そのことに気付いたのは、数学の授業も終わりに近づき先生が宿題を回収し始めた時だった。数日前に渡された宿題のプリントの存在を完全に忘れていた僕は、数学の授業後続けて始まった終礼の後、数学教師兼担任でもある田内たうちのもとへ謝りに行った。


 田内は話しかけると生徒に好かれる笑みをこちらに向けた。しかし宿題を忘れたことを言うと彼女の目には驚きと心配が混ざった表情になり、そろそろ進路を考える時期だからしっかりしなさいという趣旨の説教を受けた。


 そして今日はややこしい会議があるから、という理由で、明日の朝礼までに提出すると言質を取らされたのだ。


 ややこしい、というのは多分教頭が変わってから急に増えた会議のことだろう。先生用駐車場の近くで教師が愚痴っているのを何度か聞いた。田内も少し煩わしそうな顔をしたが、それは宿題忘れより、会議に対してだと思った。


 席に戻ると、慎一が近づいてきた。


「ミツが宿題忘れるなんて珍しいな」


 僕が田内と何を話していたのか分かったらしい。


「田内にも同じこと言われた」


 僕は昨日の会話を思い出す。


「慎一が昨日言ってた宿題ってこれのことか」


 頷いたので、


「教えてくれたらよかったのに」

「人のせいにすんなよー! もうやり終えてるのかと思ってたし」

「完全に忘れてたんだって」

「え、てことは全く手つけず?」

「……うん。やばい? 明日の朝までなんだけど」

「かもな、難しかったし」

「教えてください」


 頭の上で手を合わせる。学年一位が難しいと思うってことは……間に合う気がしない。まあ忘れていた自分が悪いんだけど。


「お願いします」


 頭を深く下げて戻すと、慎一はいたずらっ子の目でしばらく沈黙した後、


「……いいよ、貸し一な。ちょっと遅れるから先部室行っといて」


 多分今ので、借り数を両手では数えられなくなった。


「ありがとうざいます。荷物持って行かせていただきます」

「お、助かる。貸しは作っとくもんだなー」


 楽しげに言いながら、慎一は先に教室を出て行く。僕は自分の荷物を鞄に詰め込んでから二人分の鞄を持ち教室を後にする。職員室で鍵を回収して渡り廊下を進むと、陸上部の掛け声が聞こえてきた。


 さらに進んで行くと見えてくるのが比較的新しい校舎で、その校舎に入り階段を上がったフロアが部室階となっている。階段から三つ目の扉が僕たちの部室だ。


 部員は僕と慎一のみで、一応、文芸部だ。一応、というのは、活動内容が自由だから。

 僕は大抵本を読んでいるけれど、活動と呼べるものではないし、慎一はここを塾がない日の自習スペースとして使っている。


 中に入ると、西日が窓から差し込んでいて、室温が廊下よりも高い。クーラーをつけると、ファンが焦ったように唸りを上げた。


 以前多くの生徒が所属していたおかげで、部室には大きな印刷機や数組の机と椅子、クーラーなどの備品が揃っている。その場所を僕たちは安息の場として使っているのだ。医学部を志望している慎一も「家や教室よりも集中できる」と言っていつも部室で勉強していた。


 部室内に並べられた椅子に腰を下ろし、鞄から数学のプリントと筆箱を取り出す。


 一問目、簡単な問題を解き終えたタイミングでポケットの中にあるスマホがメッセージを知らせた。


 確認すると母からの連絡だった。内容は『遅番だから慎一の家で夜ご飯を食べさせてもらうように』というもの。


 あらかじめ予定は聞いているのに、毎回こうしてメッセージが届く。僕もいつもと同じように了解の旨を返信する――その時、勢いよく部室の扉が開かれた。


 咄嗟にスマホを持った右手を机の下に隠す。

 しばらくの沈黙のあと、慎一が扉の隙間から顔を出す。


「なんだ慎一か、びっくりしたー」

「今の、完全にアウト」


 からかいの眼差しを向ける慎一を睨みつけながら内心動揺していた。


 最近校則が厳しくなり、校内でスマホを触ることが禁止となったのだ。

 通学の連絡用としてのみ許可されていて、校内での使用を教師に見つかれば没収される。黙認してくれる先生も多いが、文化祭中にもクラスメイトが教頭に拿捕されている現場を何度か見たことで敏感になってしまっている。


「宿題終わってないのにスマホ見てんだ」

「連絡返してただけ」

「そ。早くやれよー結構面倒な問題多いから」

「分かった」

「じゃ、分からなくなったら訊いて」


 そう言いながらも彼は自分の鞄の中から教材を取り出し、自習の準備をする。集中モードに入る雰囲気。


 慎一を見習い、僕も問題に取り掛かる。全く分からなさそうな問題もあったけれど、慎一の邪魔ばかりはしていられないので、とりあえずできる問題から解き始めた。


 しばらくして慎一が思い出したように言う。


「あ、鞄サンキューな」

「あんまり遅くならなかったんだ」

「おう」


 軽い感じで慎一が頷くので、僕も何気ないノリで訊く。


「――告白?」

「そ。この時期は多いからな」

「それ、なんか前にも同じこと聞いた気がするんだけど」

「そうだっけ?」

「うん、文化祭前にも」

「まあ文化祭前後はそういうこと多いよな。文化祭のテンションが残って、的な? あと、もうすぐ夏休みだから」


 僕には分からないけど、そうなんだろう。飄々とした様子で答える彼は去年、高校に入って数ヶ月の段階でも数人から告白されていた。


「で?」

「――断ったけど」


 慎一が聞いてほしいのかよく分からない感じで呟いた。だから僕はなんとなく調子を合わせる感じで応える。


「そっか、相変わらずだね」

「まあ」


 慎一が一気に溜息を吐き出し、勉強に集中し始めた。




 結局宿題は終わらなかった。でも、結構集中できたから、このままだと明日までには終わるだろう。


 僕は下校の放送を聞きながら渡り廊下を駆け足で職員室に向かっていた。夜間照明に照らされた運動場からは運動部の声が聞こえてこない。最近校則が厳しくなったせいで下校時刻を過ぎて鍵を返すと怒られるからだろう。


 職員室の前で軽く息を整え、なるべく静かに扉を引く。


「……失礼します」


 電気は煌々とついていたが、奥を見ると職員室にはほとんど先生がいなかった。

 ほっと息を漏らす。そう言えば田内が「会議がある」と言っていた。僕はすぐに鍵を返却し、職員室を後にした。


「うそ!」


 最寄り駅から駐輪場までの道、交差点で信号を待っていたら、スマホを見ていた慎一が声を荒げた。


「何?」

「部活減らそうとしてるらしいって、あの七三」


 七三と言うのは髪の毛の通りの安易な教頭のあだ名だ。


「え、減らすって?」

「今日の会議でほぼ確定になったらしい。ほら」


 慎一がこちらに向けたスマホの画面を見ると、確かにそんな感じのことが書かれている。田内が言っていたややこしい会議というのは部活に関することだったようだ。


「これ、誰から?」

「三組の石井いしい――生徒会役員の。知らない?」


 僕は覚えのない名前に、首を横に振る。慎一は学年でも有名人だから、色んなところにネットワークを持っている。


「――あの七三、部員が三人未満の部活は無くそうとしてるらしい」


 確かにうちの学校には部活がたくさんあるのは知っている。けど。


「どうするの」

「愛しの自習室がぁ」


 慎一が大げさにため息をつく。文芸部は現在二人。僕も放課後の憩いの場がなくなるのは嫌だった。


「誰か探すしかないな。でも大体みんなどこか所属してるし兼部は禁止か……まあ、早く知れただけマシかー」

「俺も部活どこにも入ってない子探しとくから、ミツも気が向いたら探してみて」

「分かった」


 そうは言っても多分すぐに慎一が見つけてきてくれるだろうと思っていた。昔から慎一は顔が広い。


 しばらく教頭の愚痴を言いながら歩いて行き、駅に預けている自転車にまたがって家に向かう。


「あ、慎一」


 駅から家までの道に小さな本屋が見えた。本のストックがなくなったことを思い出し、前を走る慎一に声をかける。


「ん?」

「本屋……いや、やっぱやめとく」


 でも我慢することにした。まだ宿題が終わっていない。読み始めたらやめられなくなることは明白だった。


「お、真面目ミツ」

「明日間に合いませんでしたは絶対怒られる」

「たしかに」


 本屋を振り切るように自転車を加速させる。

 慎一の家までは十分程度。ずっと同じ学校に通っているので、小さい頃から何度も訪れている。


 慎一に続いて隅々まで掃除が行き渡った広い玄関を抜け、居間に上がると豪奢なダイニングテーブルの上に、昨日華さんが言っていた通り玉ねぎ料理が並んでいた。


 玉ねぎと帆立、海蘊を和えたサラダや玉ねぎが丸ごと入ったコンソメスープ。きちんと敷かれたプレースの上には料理が一番美味しそうに見える配置で並べられていた。

 華さんが作ってくれた夜ご飯はどれも玉ねぎの甘さが際立っていて、本当に美味しかった。




 宿題を忘れてきた生徒は、僕だけではないようだった。


 学校に着いて教室に行く前に職員室に寄ると、途中数人のクラスメイトとすれ違った。訊くと僕と同じように今朝のうちに提出するように言われたらしい。


 こんこんとノックしてから扉を開けると、ちょうど奥の方で座っている田内と目が合った。


 可愛い動物のフィギュアが並べられた彼女のデスクに近づいて、カバンから取り出したプリントを手渡す。


「遅くなりました。すみません」

「はい、気をつけてね。しっかりしてよー。そろそろ進学するかとか本格的に決めないといけないんだし」


 言われるだろうと予想はしていたので「聞いてますよ」の意で相槌を打つ。田内はこの話をさっきすれ違ったクラスメイト全員にしているのだろうか。


「――それじゃ、面談の紙、朝礼までに集めといてね」

「えっ?」

「だから、面談の紙の回収」

「委員長は――」

「今日欠席なんだって。さっき連絡あったの。だから、教室戻ったらみんなの分回収お願いね、いい?」

「なんで僕が……」


 他にも宿題忘れた人いるのに、という不満を込めて呟く。


「頼みやすい、から?」


 小動物をからかうような目で笑う彼女。


「……はい」


 宿題のこともあるし、「朝礼の時に先生が集めれば……」と言えるほど肝が座っている人間ではない僕は頷くしかなかった。


「出席番号順に並べといてねー」


 教室に戻ると、クラスのほとんどが登校していて、朝礼の五分前までには委員長以外全員が揃った。


 列ごとに回収した後、順番を並べて数をかぞえると、一枚足りないことに気がついた。

 もう一度番号を確認すると、倉本日織のプリントがない。彼女の方を見ると、また机に体を預けていた。


「ね、倉本さん」


 セーターを枕代わりにしながら寝ている彼女に近づき声をかけると、んぬぁ? と声を漏らすだけで、目を覚ます気配がない。

 仕方なく彼女の肩を揺らすと、「んーふふっ」という奇妙な笑い声が聞こえてきた。でも起きない。どんだけ爆睡してんだ。


小坂こさか?」


 彼女の近くで談笑していた女子生徒の一人が、それに気づき声をかけてくれる。


「どしたの?」

「ああ、倉本さん寝てて」

「ああ、いつも。知ってるでしょ?」


 知っていたので、頷く。


「この子寝だしたら全然起きないから」


 頭の上で話しているのに、全く気づく様子もなく、彼女の横顔には幸せそうな微笑みが浮かんでいる。


「どうしようかな」

「……あ、もしかして、面談の紙?」


 親切な彼女の友達は僕の左手に収まったプリントを見て言う。


「うん、倉本さんのだけ出てないから」

「それなら、もう田内に提出したから大丈夫だって。さっき回収の時に言ってたよ」

「あ、そうなんだ。ありがとう」


 彼女にお礼を言ってから、自分の席に戻る。

 夢の中にいる彼女は、時間になり教室に田内が入ってくるまで、ずっと顔を上げることはなかった。起きたのは先生が入ってきたからではなくて周りの友達が彼女をくすぐったからだけど。



 その日の終礼後、図書室から本を借りて教室に戻ると、慎一はまだ移動教室の掃除から帰ってきていなかった。部室に行く予定をしているので、しばらく教室で時間を潰すことにする。


 教室掃除の途中だったが、終礼後一旦後ろに下げられた机は元に戻っていたので、僕は自分の机に座り借りてきた小説を広げた。

 図書館特有のフィルムに覆われた文庫本。やっぱり、手に馴染まない感じがした。


 プロローグを読み終えたところで、紙面が暗くなる。見上げると、ある程度は眠気が解消された様子の彼女がそこにいた。


 倉本さんの手には箒が握られていたから、僕が椅子に座ったせいで掃き掃除の邪魔になってしまっているのかと思った。けど違うらしかった。


「小坂くん小説好きなの?」


 期待を込めた訊き方をした彼女は僕が持っている本をじっくり見ていた。


「うん、結構」

「図書室、よく使うんだ?」

「いや、そんなことないけど」


 基本的に本は購入する派だから、図書室で借りることはあまりない。昨日買えなかったせいで持ち合わせがなかったから仕方なく図書室で借りたのだ。


「あれ、違った」


 彼女の顔に一瞬「間違えた」みたいな表情が滲む。その表情とさっきの口調で、もしかしてと思う。


「倉本さんも……本、好き?」


 頷いた彼女を覆う空気がどっと熱を持つ。それだけで彼女がかなりの本好きだと分かるくらいの熱量。


 彼女が目をきらきらさせながら訊いてくる。


「小坂くんはどんな本が好きなの?」

「えっと……ってか、掃除いいの?」


 教室の前で数人がゴミを集めているのを目の端で捉え、僕は言う。


「あ、そうだった。ありがと」


 彼女は「ちょっと片付けてくるねー」と言って当番の生徒の所に歩いて行った。


 しばらくして戻ってくると、彼女は僕の前の席の椅子をこちらに向けて座る。

 みんな部活動があるのだろう、教室にはほとんど人が残っていない。


「で! どんな小説読むの?」


 彼女が机に身を乗り出すような格好になる。近い。

 僕は少し椅子を引いてから、持っていた本を彼女に見えるよう裏返す。


「推理小説」

「小坂くんらしいね」

「らしい?」

「うん。なんとなくそんな気がした」


 彼女は意味ありげに微笑む。


「倉本さんは?」


 一応彼女に聞き返す。


「うーん、私も推理小説は結構読むなあ」

「え、そうなんだ」

「なにその顔」

「いや、なんとなく青春小説とか好きそうだなって思ってたから」

「ああ、恋愛系とかも好きだよ! 恋愛系と推理小説が同じくらい好きで、あと、SF小説とか時代小説とかも有名どころは読むって感じかなー。で、推理小説を好きなのは、一番初めに読んだ小説がミステリーだったからなんだと思う。小さい時にある子に読ませてもらって、そこからかな」


 彼女は目に光を湛えながら熱弁していた。


「本を好きになったのもそれが原因……あ、ごめんね! 私の周り小説読む子あんまりいないからテンション上がっちゃって」


 申し訳なさそうに、「ひいた?」と言う彼女。


「全然いいよ、ちょっと驚いただけ。知らなかったから」

「私が本好きなこと?」


 頷く。


「あんまり学校で読まないからね。……本は家でゆっくり読みたい派だから、いつも家に帰ってから読んでるの」


 そこではたと気づく。


「倉本さんは、部活入ってないの?」

「入ってないよ、帰宅部。私の友達はみんな何かしら入ってるんだけどね」


 だから放課後は読書に使えるんだ、と言う彼女に、


「よかったら……」


 慣れてないことをする。それこそひかれないだろうか。

 でも慎一にはいつも借りを作ってばかりだし、部員集めも慎一に任せっきりにするのは少し申し訳ないという気持ちがあった。


 あと、ちょっとだけ彼女の話が面白かったから。


「もしよかったらなんだけど……文芸部入らない?」

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても丁寧な描写で勉強になります。 ナチュラルに入ってくる地の文は素晴らしいですね。 倉本さんのイメージも分かりやすく今後の展開に期待大です!
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