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君と明日の約束を  作者: 檜垣梁
11/25

11. 強情

 日織の母親が帰った後、彼女は緊張が解けたように僕に笑顔を見せた。それは何か別の感情を悟られまいとごまかしているようにも見えた。


「明日に一度退院して、また五日後くらいに手術の準備のための入院に入るの」


 彼女は感情のこもっていないアナウンスのようにそう言うと、彼女は大げさににっこり笑う。


 僕は、やっと忘れていた言葉を口に出した。


「……そんなにすぐ」

「もともとそういう予定だったってだけだから、仕方ない」


 そして、すぐに人懐っこい声に変わって。


「だから、水族館。約束通り行こう」

「なんで」


 彼女は瞬きしながら続ける。


「行こうよ、手術前に。私も早く行って書きたいし、少しは運動もしたほうがいいらしいし。それに入院してる間に書きたいでしょ。そのための勉強なんだから書く前に行っとかないと意味ない」


 でもそうやって僕と何度も会って、モチベーションになって夢中になったせいで彼女の体力がなくなってしまったのだ。


「だめだ、行けない」

「なんで」


 彼女は予想以上に食い下がる。


「また無理することになってしまうから」

「大丈夫だって。それまでの部分はもうほとんど書いちゃったし、むしろ入院中暇で死んじゃう」


 涼しい顔で死んじゃう、とか言う彼女にイラっとした。本当に彼女に対しての苛立ちなのかはよく分からなかった。


 感情を制御できていなかった。


「手術終わって治ってからでいい」


 さっきの日織の母親の表情が脳内に残酷にこびり付いて離れない。


「そんな約束したまま手術って、死ぬフラグみたい」


 息が止まる。彼女が無理して行こうとしている事に意味を持たせて考えてしまっていたせいで、彼女のその言葉が、僕の中の不安定な部分を心の内側に引っ張った。


「死なないんじゃないのかよ」


 彼女も自身の失言にはっとしたのか、すぐに目を伏せる。


「あ、いや……ごめん。でも本当に大丈夫だから。絶対。だから、ね、行こうよ」


 小説の話をして、楽しくなって。そんな興奮が全て彼女の体を蝕む原因になっていたという可能性は否定できない。僕が彼女の手伝いなんて引き受けなかったら、僕が水族館に誘うメールを送らなければ執筆を急いだりすることはなかったのではないのだろうか。


 日織の母親の怒りは、当然なのだ。なのに。

 あの怒りを押さえ込んだ悲痛な表情がちらつく。


 顔を上げる。その時、彼女はまた。


 行かないと言う僕に対する不満ではなく、彼女の母親との会話を気にしている僕を純粋に気遣うような表情を浮かべていた。

 此の期に及んで。


 なんでだよ。親子揃って。責任の一端が僕にあることは間違いないなのに。


 タイミング、少し浮ついた気持ち、手伝うことができているという得意げな感情。いろいろあったのだと思う。誰が悪い、とかじゃないかもしれない。でも、そんなものは後から冷静に考えればの話、だ。


 とくん、という鼓動の後の奇妙な静けさと同時に、胸の裏側あたりが抉られたような気分になる。

 積もった不安や後悔の念が、全て自分への叱責に変わった瞬間だった。


「行こうよ、大丈夫」

「行かない」

「なんで……」

「そこまで無理する必要が! どこにあるんだよ!」


 ぼくの怒号に彼女が目を大きく見開く。その後、驚きと悲しみを隠したような奇妙な表情をした。

 気づけば、僕は家の方面に向かう電車の中で流れる景色を呆然と眺めていた。


 それから一週間、入る予定だったバイトを休ませてもらうことにした。店長に言うと、理由もわからないのに気を使ってくれたみたいで、急なお願いを許可してくれた。


 僕は家に籠って一日中本を開いていた。読んでいるのではなく、文字を追って読んでいるふりをしているだけ。何も頭に入ってこなかった。


 彼女に会う前に見た慎一のメールによると、彼女はあの日僕のメールを受け取った後、小説を書いていたらしい。ちょうど休憩でリビングに行った時に倒れ、母親がそれに気づいて救急車を呼んだらしかった。


 僕のせいじゃないか。彼女が病気だってことに気づかないで彼女と週末会う約束をして。僕が気づいていたら彼女がそんな無理をすることなかったかもしれないのに。


――ミツ君が手伝ってくれるようになってからなんだかやる気出ちゃって


 何が手伝う、だ。病気が進行するのを助けただけだろ。

 水をこぼした時も、あれだけ集中力の高い日織が気づいたことにはっきりと違和感を感じていた。実際、あの時は病気による手のしびれでコップを落としたから反応したのだろう。なのに気がつかなかった。


 気持ちが混乱したまま時間を過ごしていた。


 彼女に会わせる顔がないと思うのは、自分の都合のいいように解釈しているだけなのかもしれない。でも、彼女と会う資格がないことは明らかだった。


 というか、そんなことどうでもよかった。彼女と顔をあわせる勇気が、その時の僕にはなかった。


 彼女は、退院しているのだろう。そんなこと考えたくないのに、頭の中をコントロールできなかった。

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