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君と明日の約束を  作者: 檜垣梁
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1. 学園祭

 教室後方にあるロッカーの上に、天板からはみ出しそうなくらい大きな段ボール箱。中には文化祭の模擬店で使った食材の余りが残っていた。


 人参数本と、キャベツが八玉くらい。あとは玉ねぎで、大きいネット二つ分。


 疲労した腰をさすりながら教室を見回す。すでに帰宅した生徒を除き、クラスメイトのほとんどは、楽しかった文化祭の余韻を確かめながら、この後有志で行われる打ち上げに気持ちが向いているのだろう。


 興奮冷めやらぬ、という感じだった。


 教卓の近くで楽しそうに談笑しているクラスメイトたちの中に、食材の残りがあることを気にしている人は誰一人いない。


 片付けはみんなでしているから、誰一人その残り物に気づいていないなんてことはないはずだ。ただ、わざわざどうこうしようとは思わないだけだろう。それよりも楽しいことが残っているから。それが普通だろう。


 どうせ帰りに買い物をしなければならないし、いらないなら貰って帰ろうかと思った矢先、僕の耳に眠たげな声が届く。


「何してるの?」


 思わず振り返ると、背伸びをした女子生徒が僕の肩越しに段ボールを覗き込んでいた。


 大きな目を細めて笑う彼女の名前は倉本くらもとさん。彼女はさっきまで机にへばりつくように寝ていたはずだ。彼女の小さな顔を包むサラサラした髪がそのせいで少し乱れている。


 体よりちょっと大きめの淡いクリーム色のセーターがしわになっていて、寝起き感をより演出していた。


 出席番号が近い彼女は、文化祭直後なのにいつもの彼女の姿と全く相違なく、落ち着いた様子に見えた。


 疑問の感情を含んだ彼女の表情から、さっきの声が自分に向かっていることを確認した僕はとりあえず彼女に目を合わせ、見ていたものを指差す。


「えっ、こんなに残ってるの」


 彼女は食材が余っていたことを知らなかったらしい。目を丸めて段ボールを覗き込む。


「そう。だから持って帰ろうかなと思って」

「確かにこんなに余っちゃもったいないもんねー。あ、今のは君に言ったわけじゃないよ」


 この一言は、不本意にも模擬店の食材調達班の班長を任されていた僕への心遣いだろう。


「みんな知ってるのかな」

「知ってる子もいると思うよ」


 言うと、彼女が納得したように頷いた。


「ああ、この後カラオケだからみんな持って帰りにくいのかも」


 その発言を聞いて、僕は他人の心の内を決めつけていた自分の浅はかさを叱責する。


「じゃあ私、後でみんなに聞いてみるね。たぶん数日は腐らないと思うし」


 時期的に結構怖いけど……まあ、腐ったら分かるだろう。彼女の優しさに免じて話の腰を折るのはやめておくことにした。


「ひおりん? 行かないのー?」


 その時教卓のあたりから女子生徒の声が飛んできた。

 声の主は彼女の友達らしい。彼女がそれに応える。


「行くよー! もう行くの?」

「そろそろ出ようかなって。行く前に買い物したいし!」

「わかったー」


 友達との会話を終えクルッと振り向いた彼女と目が合う。


「小坂くんは? 行かないの、打ち上げ」


 正直なところ、あまり乗り気ではなかった。


「行けたら、かな」

「それ来ないやつだ」


 そう彼女は笑う。責められないことでむしろ罪悪感が心の奥に滲み、素直に謝る。


「ごめん」

「なんで謝るのよ。自由でしょ。じゃあ、楽しんでくる」


 彼女がクラスの一体感を強制しない性格だということに少し感心した僕は、軽く手を上げて彼女を見送った。


 彼女たちが教室から出て行き、少しだけ部屋の中の喧騒が収まった後、持って帰る食材を選んでいると「珍しいな」という声が頭の上から落ちてくる。


 声の方を見上げると、出会った時から一度も見下ろすことを許してくれなかった幼馴染、慎一しんいちがいた。彼は表情にからかいの空気を滲ませている。


「なにが」

「ミツが日織と話しているの」


 ミツは僕のあだ名だ。幼馴染のその言葉から、倉本さんの名前を知る。だから「ひおりん」か。


「なに話してたの」

「なんでもいいだろ」


 物珍しそうに訊いてくる感じが気に食わないのでわざと口を濁す。


「なにそれ。じゃあ、当てる」


 わざとらしく悩むふりをした彼が自信満々に指差したのは、僕の目の前にある段ボール。

 ため息をつく。全部聞いてたのか。


「余ったから何か持って帰ろうと思って」

「お、さすがミツ。でも俺は今日荷物多いから無理だ。明日でいいや」

「そっか、塾か。慎一は打ち上げ行くの?」

「いや、行かない。行ってもすぐに抜けないといけないし」


 慎一は即答する。


「だったら早めに塾行って宿題終わらせとく」

「そっか」


 頷いた慎一は自分のロッカーに行き、中の教材を入れ替えている。


「あ、これいる?」


 彼がそう言いながら投げてきたものを両手でキャッチする。


「ビニール。なんか持って帰るなら入れれば?」

「ありがとう」

「おう」


 慎一の家に何か持って行こうかと聞くと、玉ねぎをお願いされた。昨日ちょうど無くなったと彼の母が言っていたらしい。


 いくつかの野菜を彼にもらった袋に入れる。帰る準備をしていた慎一は、残っていたクラスメイトに何か言われ、申し訳なさそうに手を合わせていた。打ち上げに誘われているのだろう。


 僕は段ボールを陽の当たらないであろう位置に移動させてから、教室を後にした。


 帰り道、晩御飯の食材を揃えるために最寄駅と家の間にあるスーパーに立ち寄った。食材を追加で購入してから家に帰ると、住宅街全体が暗く沈んでいた。昼の明るさと打って変わって夕方は暗くなるのが速い。


 ポストの中身を確認し、夕刊といくつかのチラシを取り出す。カバンの内ポケットの中に手を突っ込んで鍵を取り出し、家の扉を開ける。中に入り、制服のネクタイを緩めながら電気のスイッチを押すと、小さな部屋が暖かい光に包まれた。


 キッチンと繋がったリビング中央に置かれてある四人掛けの机と椅子。使っているのは半分だけで、もう半分はチラシや新聞で覆われている。卓上の空きスペースに学校から持って帰ってきたキャベツやついさっき買ったばかりの食材が入っている袋を置き、中身を広げる。


 スーパーではピーマンとばら肉を買ってきた。模擬店が焼うどんだったから麺類は避けたかったし、余りのキャベツを消費するためにはちょうどいい料理を思いついたのだ。


 買ってきたものが傷んでしまってはいけないので、食材を冷蔵庫に入れていく。買っていないはずの玉ねぎを手に取った僕の口から、思わず間抜けな声が漏れた。


「あ」


 忘れていた。さっき学校で慎一に頼まれた玉ねぎ。

 あとで持っていけないこともない――けど、まあ早い方がいいだろう。


 僕は玉ねぎのネットを掴み廊下を引き返す。リビングの電気を点けたまま玄関を抜けると、予想以上の眩しさに思わず目を瞑る。

 見上げると道路の脇、等間隔に設置された街灯が点灯し、家先を明るく染めていた。


 ここから慎一の家までは一分とかからない。家の前を横切る道路を少し曲がると、周りの家と比べ決して普通とは言えない豪邸が目に入った。


 チャイムを鳴らすと、上品な女性がインターホン越しに応える。

 彼女の名前は華さん。慎一のお母さんだ。


 ――あ、ミツくん?

 ――え、玉ねぎ? ちょっと待ってね


 事情を説明すると、インターホンが切れた気配がして、しばらくすると純白の扉がゆっくり開いた。


「こんばんは」


 僕が頭を下げると、エプロン姿のはなさんが子猫を見つけたような笑顔を浮かべる。


「こんばんは〜。文化祭、楽しかった?」

「はい、まあ。これ、模擬店で余った食材です。慎一からちょうどなくなったってきいて」

「そっかそっか、ありがとうね」


 彼女は渡した玉ねぎを見ながらふわふわと笑う。


「気使わせちゃってごめんね」

「いえいえ。いつもお世話になってるので」

「そんなの気にしなくていいのに……あ、夜ご飯、大したものないけどちょっと分けて帰る?」


 華さんは包み込むような空気感で提案してくれる。でも僕は「大丈夫です」と頭を下げた。


「母ももうすぐ帰ってくると思うし、今日の分は買ってきているので」

「あれ、お母さん今日出勤の日だった?」

「いや、今日は友達と出かけているらしいです」

「そっか」


 華さんは納得したように頷くと「じゃあ、ありがたくいただくわね」と微笑む。


 僕が会釈すると、彼女は「これで何か作るから楽しみにしておいてね」とペットにおやつを与えるみたいに笑っていた。


「ありがとうございます」


 頭を下げ、自宅へと戻る。


 ピーマンとキャベツを切り分け、半分ずつ炒める。お皿に移してからフライパンでバラ肉に火を通し、砂糖と酒を少し加えてから豆板醤と甜麺醤、醤油で味を整える。最後に野菜を戻して絡めると食欲がそそられるいい匂いが台所に広がった。


 調理を終えてリビングで本を読んでいると、しばらくして母親が帰って来る。


 一緒に晩御飯を食べてから、僕が先に風呂に入る。母が忙しい日のいつもの流れだ。


 湯船に浸かると体の節々――主に腰から疲労が溶け出していくのを感じる。文化祭二日間のハードな作業で疲れが溜まっていた。


 料理中はずっと同じ体勢をキープしていないといけないし、その上机に鉄板を乗せただけの低い調理場で腰に負担がかかっていたのだ。


 浴槽の縁に頭を預けると一気に力が抜けていく。


 普段にはない瞼の重さを感じ、急いで立ち上がる。やばい、このままだったら絶対に寝てしまう。


 風呂から上がり、テレビをみている母におやすみを言って自室に上がる。ベッドに潜り、鞄から取り出した本を読み始めると、さっきまで感じていた眠気がすぅと引っ込んでいった。


 読み終わった時に時計を見ると、12のところで長針と短針が重なろうとしていた。僕はベッド脇の本棚に読んだ本を入れる。


 また次の本を買わなければならない。今週は当たりの本ばっかりですぐ読み切ってしまった。


 ベッドに潜り直し、薄いタオルケットをお腹に掛けて目を瞑る。

 柄にもなく浮かれていたのだろう。すぐに瞼が落ち、気づけば窓から光が差し込んでいた。

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