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この闇に落ちていく  作者: @豆狸
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「パトリシア!」


 いつの間にかグレアム様の琥珀の瞳に吸い込まれていた私の耳朶を、オースティン殿下の声が打ちます。


「心配して来てみたら、これはどういうことなんだ。この男はだれだ」

「それはつれないお言葉ですね、王太子殿下。私のことはご存じでしょう。隣国ヴァレンティの第二王子、留学生だったグレアムですよ」

「グレアム……? しかし、どこか……眼鏡? 眼鏡がないのか?」

「はい。それと撫でつけていた髪も降ろしております。そして王太子殿下、大公令嬢を心配なさっていたのはあなたではなく国王陛下方ではありませんか? なにしろあなたは真っ青な顔で足元もおぼつかないパトリシア様をメイドと護衛騎士に任せて放り出したのですから。お茶会のはずが自室に帰っているのを見つけられて、どなたかにお小言を食らって慌てて様子見にいらっしゃったのでしょう?」

「う、うるさい! 見てきたようなことを言うな」


 グレアム様の発言は事実でしょう。

 そう考えても、もう心の中に嫉妬心は渦巻きませんでした。

 オースティン殿下はブリガンテ様と結ばれることができるのです。私は完全無欠の失恋です。……ふふっ。なんだか清々しい気分です。


「パトリシア?」


 立ち上がろうとする私に、すかさずグレアム様が手を差し伸べてくださいます。

 骨ばった長い指、大きくて硬い手に自分の手を預けます。

 そういえば魔導学園の卒業パーティで婚約破棄された後、会場から出て行った私を支えてくれたのも彼でした。グレアム様の手の温もりを感じると、なんだか力が湧き出てきます。


「お喜びくださいませ、オースティン殿下。ブリガンテ様の父君がわかりましたの。殿下は真実の愛を実らせることができますわ」

「どういうことだ。……それよりグレアム、パトリシアから離れろ。彼女は僕の婚約者だぞ」

「これでも王子なので魔導学園を卒業した今は呼び捨てになさらないでください。それと王太子殿下にあらせられましては、彼女との婚約を破棄なさったと記憶しておりますが。まだ結び直してはいらっしゃいませんよね?……ねえ、パティ」


 グレアム様はどうして愛称で、耳元で、熱い吐息で──

 オースティン殿下は真っ赤になって言葉を失っていらっしゃいます。


 私は、また闇に落ちそうです。

 だけど今度の闇は、嫉妬に狂って落ちた以前の闇よりも甘くて美しい闇のような気がします。きっと新しい闇から私は逃げ出せません。

 そもそも逃げ出そうと思うのかしら?


★ ★ ★ ★ ★


 サンナ王国を騒がせた男爵令嬢ブリガンテは、隣国ヴァレンティ王国王弟の遺児であることがわかった。

 ヴァレンティの王位継承権返上と引き換えに王女だと認められ、王弟の遺産を引き継いだ彼女はサンナ王国の王太子オースティンと婚約し、王宮で暮らしながら王妃教育を受けることになったのだった。

 今日は多忙の合間を縫って、婚約者のオースティンと王宮の中庭でお茶会である。ブリガンテの焼いたケーキを一口食べて、彼は顔を顰めた。


「オースティン様、美味しくなかったですかぁ?」


 魔導学園在学中はブリガンテが語尾を上げればオースティンの目尻が下がっていたのだが、今は違う。


「……」


 彼は不機嫌そうな顔でなにも答えない。

 おそらく不味かったのだろう。育ちがいいので口から出したりはせず、嫌悪に満ちた表情で飲み込み、以降はフォークを伸ばそうとはしなかった。

 口腔に残る味をお茶で流したと思しき彼は、唇を拭うためか見事な刺繍の入ったハンカチを取り出すと、それを見つめて動きを止めた。


 せっかく婚約したというのに、オースティンの青い瞳はブリガンテを映そうとしない。遠いどこか、もういないだれかを見つめ続けているようだ。

 自分が手放したくせに、とブリガンテは思う。

 愛されていることに絶対の自信を持って、向こうに泣きつかれてから婚約を結び直そうとして弄んでいた間に、まんまと隣国の第二王子に攫われてしまった彼が間抜けなのだ。


(……隣国ヴァレンティ、お父様……)


 ブリガンテの実父は、下半身に節操のない莫迦男だった。

 先代王妃に溺愛されているわ、『魅了』の魔導を持っているわでやりたい放題だったらしい。

 体を壊したのも帰国後すぐに亡くなったのも、だれかの関与があったのだと思われる。


 彼がサンナ王国で蒔いた種はブリガンテだけではなかった。

 多くの異母姉妹達が父の遺産を受け継いだブリガンテに生活の保障を要求している。ヴァレンティ王国は王弟の遺産と引き換えに、彼女達の面倒もブリガンテに押し付けた。

 異母姉妹たちの母親は貧しい平民だ。父に引っかかった貴族令嬢が自分の母親だけだったのが、ブリガンテには口惜しくてならなかった。


「……パトリシア……」


 風が運んできたオースティンの呟きを、ブリガンテは聞き流す。

 ブリガンテに施された封印魔導はそのままだ。

 どんなに触れて体を擦り付けても、彼を魅了することはできない。それでもブリガンテは王太子の婚約者として生きていく。


 彼女には落ちる闇すらない。

 一度過ちを犯した彼女から、前の王太子の婚約者(大公令嬢)よりも数段落ちる彼女から(それは王妃教育を始めた時期の問題で彼女だけのせいではないのだが)周囲が目を離すことはないのだから。

オースティン殿下……パワーズのことを思い出したのは書き終わった後でした。

書いているうちに思い出していたら性格が変わって、元鞘の可能性があったかもしれません。

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