1
「パトリシアよ! 僕は君との婚約を破棄する! そして、愛しいブリガンテを苛めた罪で告発する!」
この国サンナ王国の王太子である私の婚約者、オースティン殿下がおっしゃったのは、魔導学園の卒業パーティの会場でのことでした。
彼の隣には男爵令嬢のブリガンテ様、彼女の後ろにはほかの高位貴族の令息達が立って私を睨みつけています。
苛められているのはどちらなのでしょう?
貴族としての身分の上下に関わらず、結婚前の令嬢が婚約者のいる殿方に体を擦り付けるのは正しい行為なのですか?
それを咎めるのが罪だとおっしゃるのでしょうか?
……そしてなにより殿下は、王姉を母に持つ大公令嬢の私との婚約が簡単に破棄できるとでも思っているのでしょうか?
どんなに心の中で反論しても唇は開けません。
開こうとしたら──ああ、もう無理ですね。どんなに強く唇を噛み締めていても涙がこぼれます。
だって私は、大公令嬢パトリシアは、従兄で王太子で婚約者のオースティン殿下をお慕いしているのですから。不可能な婚約破棄だとわかっていても、彼に言われて悲しくならないはずがありません。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
残念ながら、私の予想に反して婚約破棄は実行されました。
魔導学園での在学中、王太子オースティン殿下は粛々と準備を進めていらっしゃったのです。……元婚約者の欲目かもしれませんが、彼は有能な方なのです。
ただ彼は、私を冤罪に落とそうとしたことでしくじりました。
私がブリガンテ様にした注意など、罪になるはずがありません。
むしろ同じように注意していたほかの令嬢達に、彼女の取り巻きがおこなった暴力行為のほうが問題視されました。
令嬢達の実家が彼らを訴え、王家が直々に調査を始めて、あることがわかりました。
ブリガンテ様は『魅了』の魔導を持っていたのです。
ええ、もちろん人間が魔導を持って生まれるのは当たり前のことです。
だからこそ、特に強い魔導力を持って生まれるとされる王侯貴族の子女は、自分の力で他人に迷惑をかけないための制御技術を学びに魔導学園に入学するのですから。
ですがブリガンテ様の魔導力は男爵令嬢にしては強過ぎました。その上魔導自体は琥珀の瞳の奥に灯った黄金の煌めきに宿っているのに、見つめることではなく触れることで『魅了』が発動していたのです。オースティン殿下や取り巻きの方が持っていた護符や、学園で学んだ防御魔導では対応できていませんでした。
とはいえ、本人が意識して使っていたわけではありません。
魔導力は通常、身分の上下に関係します。というよりも、強い魔導力を持ったものが成り上がってきたのです。男爵令嬢だから魔導力の上限はこのくらいだろう、という学園の対応にも問題があったのです。
オースティン殿下を始めとする取り巻きの方々の請願もあって、ブリガンテ様は処刑ではなく封印魔導を施されてからの男爵領での謹慎を申し付けられました。
一生男爵領から出られませんが、処刑されるよりはいいでしょう。
……オースティン殿下は私が彼女を苛めたという存在しない罪で処刑して命を奪うおつもりでした。
私は婚約こそ破棄された状態ですが、王家と家族に殿下との関係を再構築するように命じられています。殿下は、ブリガンテ様の処刑免除(無意識だったと言っても王太子と高位貴族の令息達を惑わしたのですから、国家動乱罪で処刑されてもおかしくなかったのです)と引き換えにそれを受け入れたそうです。
「彼女に惑わされて君を傷つけたこと、大変申し訳なく思っている」
ブリガンテ様が封印魔導を施されて、魅了から解放されたオースティン殿下がおっしゃいました。
今日は王宮の中庭でお茶会なのです。
婚約は破棄されたままですが、私はもう王妃教育のために王宮で暮らしています。
「……オースティン殿下のせいではありませんわ」
どうしてなのでしょう?
殿下を取り戻したはずなのに、心の中では今も嫉妬の嵐が荒れ狂っています。
だって魅了から解放されたはずのオースティン殿下の青い瞳は私ではなく、どこか遠いところを見ているのですもの。ほかの取り巻きの方々は惑わされていただけなのだとしても、殿下だけは彼女と真実の愛を育んでいたのではないのでしょうか?
口内に血の味が広がります。
涙を押しとどめるためには唇を噛み締めるしかないからです。それ以外の方法では堪えきれないほどの涙が込み上がってきているのです。
胸の中には闇が広がっています。私はこの闇に落ちていくのでしょうか。
伝説に出てくる悪魔は、美しい姿で人を惑わせて地獄へ落とすと言います。
美しい悪魔に惑わされたのはオースティン殿下のほうなのに、どうして私のほうが地獄に落ちていきそうなのでしょうか。
私という邪魔者さえいなければ、殿下と彼女が幸せになれるからなのでしょうか。




