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仲良くしようぜ

「伊東くん。元気にしていたかい」

 と、切り出したのは、まだ少女の面影を残す女性だった。

 おそらくはまだ二十歳に行くか行かないか。セミロングの髪と、高級そうなスーツが大人っぽい印象を与えているが、それでも『頑張って大人ぶっている少女』という印象は否めない。

「ああ」

 伊東さんは短く答えて、出されたコーヒーをまますする。

「考えてみたら聞くまでもなかったね、伊東くん」

「あ?」

「新婚さんだもんな。花嫁を迎えてどんな気持なんだい? 僕は女だし未婚だからわからないんだ」

 伊東さんは眉をひそめて押し黙った。

 別に悪意があって言っているわけではないというのはわかる。これは彼女なりの処世術。頑張って、背伸びをして、大人ぶって、余裕綽々で飄々とした人間のような振る舞いをしてナメられるのを防いでいるというわけだ。

「怒らないでよ、伊東くん。そんなに怖いカオをしないで」

 伊東さんの無言をどう捉えたのか、ふふん、と女性は小さく笑う。

「僕は君のことを評価しているんだ。数少ない探偵仲間。僕と君は同類だろう? 仲良くしようぜ」

「あなたは警察で、俺はジャーナリストですけどね」

 伊東さんは、鼻白んだ様子で言った。

「別に、警察やジャーナリストであることは、探偵であることと矛盾しないさ。職業は仕事、探偵は在り方さ」

「在り方?」

「ライフスタイルという意味だよ」

 伊東さんは彼女のこの煙に撒くような喋り方が苦手なのか、無言でコーヒーをすする。

「君は今年でジャーナリストを辞めるんだろ? でも、僕と君が同類、等しく名探偵だっていうことは変わらない。生き様だからね」

「あなたとの付き合いも長いですけどね、冷泉さん。あなたと俺が同類っていうのは腑に落ちませんよ」

「冷泉さん、なんて他人行儀な呼び方はやめてよ。ルナって呼んで。この名前、気に言っているんだ」

「嫌ですよ。それじゃ俺とあなたがお友達みたいじゃないですか」

「なあ、伊東くん。君にとっては僕、ひいては警察とのコネクションは大事なものなんじゃないの? もっと仲良くしておいたほうが役立つ、みたいな算盤勘定はないの?」

「冷泉さんは、そんな気持で仲良くされるのが望みなんですか?」

「僕、友達少ないからさ。こう見えても警察幹部なんだぜ、僕は。なのに、警察の連中は僕を不可触民扱いだ」

 わざとらしく、ルナは寂しげな表情を作ってみせた。

「それは、仕方のないことだと思いますよ。ずば抜けた推理力一つで警察の幹部なんて、靴をすり減らして歩く連中からしたらやってられない。どんなに貢献度が高くても、煙たがられるのは仕方ない」

「それは僕のせいじゃない。みんなが僕と同じ地平に立てばいい」

「わがままを言わないでください」

「というかさあ」

 ルナは首を傾げた。

「僕がせっかく事件を解決してあげたのに、手柄を横取りされたみたいな言い方してくるの、ひどいと思わない? 僕のおかげでみんなは無駄に歩き回ったり頭をひねったりしなくて済むんだぜ?」

「ひどいとは思いますが、凡人である僕としてはそっちの気持もわからないではありませんね」

「寂しいんだよ、僕は。伊東くんだけでも仲良くしてくれない?」

「冷泉さんは偉大すぎるんですよ、警察という組織の中では。リビングでコーヒーを飲みながら事件を解決してしまうような存在は、組織という枠組みには馴染みません」

「はは。その手のお世辞は聞き飽きたよ」

「お世辞じゃなくて、事実だと思いますがね……」

「一般の企業にお務めになれば、頭脳労働者も尊ばれると思いますが」

「はは。面白い冗談だね。僕ができる仕事は探偵しかないよ」

 ルナはまだ手をつけていなかった自分のコーヒーに、こぽこぽとミルクを注いだ。

「そうだね、作ってみようか。探偵社。協力してくれる? 伊東くん」

「嫌です」

「寂しいよ、僕は」

「この話、いつまで続くんですかね」

 伊東さんはわざとらしくため息をついた。

「こんな話をするために俺を呼んだんですか?」

「そうだよ……っていうとまた嫌われちゃうね。仕事の話をしようか。大豆生田御門殺しのさ」

 事件の名前を聞いた瞬間、伊東さんの表情が引き締まった。

「伊東くん」

 親しい友人に話しかけるようにして、冷泉ルナは切り出した。

「世間の反応はどうだい」

「……と申しますと」

「そんなに畏まらなくていいってば。僕と君は名探偵仲間なんだから」

 何がおかしいのか、冷泉ルナはけらけらと笑い声をあげる。

「ほら、僕は市井のことには疎いからね。今回の漫画家が殺された事件を受けて、一般大衆はどのようなリアクションをしているのか知りたいのさ」

「やはり、影響は大きいですね」

 伊東さんはゆっくりと答えた。

「なんと言っても、世界的な売り上げを誇る漫画家でしたから……海外でも反応は大きい。映画化の発表から間もなくて、タイミングがかぶってしまったのもあるのかもしれません。現在存命中の人物では、殺されたことがこれだけニュースになる人も他にいないように思います。きっと、出版社や関連企業はてんやわんやでしょう。これだけ影響が大きいとなると、早く解決に導けと警察のほうでも圧力はかかっているんじゃないですか? 冷泉さん」

「あー、そういえば上からそんなこと言われたね」

 くく、となんでもなさそうに冷泉は言う。

「僕には関係ない話だと思っていたけど、なるほどね。平凡な殺人事件なんて、なぜ僕にお鉢が回って来たのかと首を傾げていたのだけど、そういう顛末だったのか。ようやく話がわかったよ」

 気楽に構えるルナに呆れたようにして、伊東さんはため息をついた。

「そこが理解して頂けたのならば、早急に解決なさっては? この件に関しては、俺たちマスコミも平静ではいられませんよ]

 伊東さんは、懐から壊れた機械を取り出した。

「どこの誰かはわかりませんが、俺なんかにすら発信器をつけている奴がいましたよ。もう潰してありますが」

「へえ。暇な人もいるものね」

「冷泉さんも、気をつけてくださいね。俺たちマスコミの中では手段を選ばない人間のほうが標準のようなところがあります」

「そうだね。せいぜい気をつけるよ。マスコミ関係者は伊東くんとしか付き合わない」

「冗談を言っていないで早く解決して欲しいものですね。俺の家も被害者宅からそう遠くはありませんので、なかなか枕を高くして寝られませんよ」

「あ、そうなんだ。それは知らなかったな」

「市内の事件です」

「じゃあ、僕の家からもそんなに遠くないのかな?」

「車で三十分くらいかと思います」

「ふうん」

 冷泉ルナはずっとテーブルの上に放置されていた分厚い封筒を手に取った。

「その封筒は?」

「捜査一課から送られてきたんだよね。この事件についての資料だよ」

 封を破って、ルナは中から資料を取り出して目を通し出した。

「すぐに解決できそうですか? 冷泉さん」

「そう急くなよ。いくら僕でも、安楽椅子で解決出来る事件と、現場にいかなければ解決できない事件がある」

「解決できない事件はないんですね」

「ふん。大豆生田御門は絞殺されたのか」

 伊東さんの言葉には応えず、ルナは目を細めた。

「帯のようなもので首を後ろから締められていた。手口としては、腕力はそこまで必要ないので男女どっちでもいけるね」

「俺に聞かせていいんですか?」

「はは。君は箝口令を敷いている情報は本当に書かないという、ジャーナリストにあるまじきフェアプレイ精神の持ち主だからね。信頼しているさ。万一、情報が漏れたら僕の見る目がなかったというだけ、僕の友達が減るだけさ」

「嫌な信頼のされ方ですね……」

「だからジャーナリストとして一皮むけないのさ、君は」

「そういうこというと本当にすっぱ抜きますよ、冷泉さん」

「できるものならやってみたまえ、伊東くん」

 ルナは資料をぺらぺらと読み進めて、眉をひそめた。

「メッセージカード?」

「はい? どうしました?」

「あ、これは報道しちゃダメな奴だ。犯行現場にメッセージカードが残されていたので、物証として注目されている」

「初耳ですね……」

 伊東さんは考え込むように顎に手を当てた。

「報道規制を敷いているからね。そりゃ、記者クラブにも言ってないでしょ」

「どういう内容です?」

「うんと……」

 少しだけ考えて、ルナは資料を伊東さんに見えるように掲げた。

「こんな感じ」

「だから、俺に見せないでくださいよ……機密漏洩じゃないですか」

「from heavenだってさ」

 それだけ書かれたシンプルなカードだ。

 form heaven。天国より。

「印刷? 手書き?」

「印刷だね。流石に、犯人も手書きだと手がかりに繋がるという判断でしょ。フォントは調査中だけど、犯人の特定に繋げるのは難しいだろうね」

「とすると、突発的な犯行ではなく、計画的な犯行ということになる」

「そうだね」

 むむ、と伊東さんは視線を下げて預けて考え込んだ。

「どうしたの? 伊東くん」

「なんの意図があってのことかと考えているんですよ。メッセージカードなんて残していくのはどういう意味があるんでしょう? 冷泉さん。普通に考えて、なんのメリットもないですよね」

「さあね。切り裂きジャックを気取っているんじゃない?」

「切り裂きジャックってどういうことですか?」

 伊東さんが会話に乗ってきてくれたのが嬉しいのか、ルナは口元に笑みを浮かべている。

「知らない? from hellというタイトルのコミックがあるんだよ。切り裂きジャックを題材にしている。映画化もしてるよ」

「ああ……hellに対してheavenで、切り裂きジャックを意識しているってことですか。安直ですね。センスがない。それに切り裂きジャックなら、凶器は刃物でしょう。どうして絞殺なのか。詰めが甘いと言わざるを得ない」

「そうだね」

 くすくすとルナは笑い声を漏らした。

「仮に、被害者の大豆生田御門だったら、彼女の『永劫エストック』だったら、そんな安直なセンスの表現はしないだろうね。もしかしたら、犯人は大豆生田御門の溢れんばかりの才能に嫉妬していたのかもね」

「その可能性はありますが……しかし、現状の情報ではこれ以上は推理ではなく想像になってしまいます。他の情報は? 例えば、殺人現場の様子とか」

「うん。被害者宅は押し入られた様子はない。つまり、鍵をピッキングされたり、あるいは窓から破ったりとかそういうのはない。状況から見て、被害者が自分から犯人を家に入れた可能性が高いと考えている。余談だが、金目のものが奪われた痕跡もない。強盗でもないようだね。もっとも、そもそも仕事場にそんな金目のものを置いているとも思えないので計画的な強盗目的なら最初から入らないが」

「被害者が自分から犯人を迎え入れた、とすると顔見知りですか」

「だろうね。僕もそう考えているし、捜査本部の意見もその点では一致してる」

「有名人なのでしょう? 仕事場に防犯カメラとかはなかったんですか?」

「あるけど、犯人らしい姿は映っていない」

 必要ならデータ送ろうか? というルナの言葉を、伊東さんは首を振って断った。

「冷泉さんがそういうのならばそうなのでしょう。しかし、そうすると密室殺人ということになりますか?」

 確かに、彼女のいう通り出入りを監視カメラがチェックしており、そこに犯人らしい姿がないのならば、畢竟、現場は密室だということになる。

「いや」

 ルナは眉をひそめた。

「それは微妙なところなんだよ」

「……とおっしゃいますと?」

「監視カメラがあるって言ったって、軍事機密じゃないんだから三六〇度全部チェックしているというわけじゃない。死角は多い」

「つまり、監視カメラの網を潜り抜けて、誰かが侵入したかもしれない。そういうことを仰っているのですね?」

「その可能性は否定出来ない」

 ルナはため息をついた。

「もしくは、なんらかのトリックを使って、監視カメラの目をごまかしたか。どっちかだ」

「監視カメラをごまかすとなると、いよいよ探偵小説めいてきますね」

「理論上は、例えば監視カメラの記録よりも前から家の中に潜んでいたとか、あるいは退勤するアシスタントが実は仕事場に残っていて監視カメラに映っていたのはダミーだったとか……考えられないことはないが、現実的には困難だろうね。それこそ推理小説になっちゃう」

「冷泉さん。監視カメラの死角って、外部から確認することって可能ですか?」

「無理だよ。正確に言えば、カメラの位置を全部把握すれば算出できるけど、それ前提で犯行するのは無理だよ。万一、自分が知らない位置にカメラがあったらそれで終わりだ。リスクが大きすぎる割に確度がない。それなら別の殺し方がある」

「とすると、やっぱり、被害者とそれなりに親しい相手ということになりますね。少なくとも、出入りをした経験がある」

「そういうことになるね」

「そこまでわかれば、もう解決は遠くはないんじゃないですか?」

 と伊東さんは言う。

「完全に身内の犯行でしょう。容疑者はかなり限られるはず」

「そうだね。やっぱり怨恨かな?」

「怨恨かどうかまでは判断しかねますが……しかし、その可能性はありますね」 

 それから、伊東さんは『身長は?』と問いかけた。

「身長? なんの?」

「とぼけないでくださいよ、冷泉さん。絞殺ということは、確度から首を絞めた相手の身長が推測出来るはずです」

 首を締めるために力を加える時、相手との体格差に応じて角度が加わる。首に残る痕跡から、体格差、つまり身長が計算できるのだ。

「ん。よくわかっているね、伊東くん」

 満足げにルナは微笑む。

「犯人の身長は、百五十五から百六十五といったところだ。標準的な体格の女性か、やや背が低めの男性だね」

「そこからも容疑者が一段と絞れますね。あとは……」

 伊東さんは少し考えて、

「被害者が抵抗した痕跡は?」

「首を絞められている間は、それを解こうと暴れたり首をかきむしったりはしているようだね。爪の中に繊維が残っている。つまり、絞殺された時は意識があった。ただし、それ以前に暴れた痕跡はない。つまり、犯人が至近距離に来るまで被害者は抵抗していない」

「それも、被害者と加害者が近しい関係だった裏付けになりますね」

「オーケイ、伊東くん。だいたいのところはわかった。僕の中でもそれなりに思考のルートが固まってきたよ」

 ルナは濡れたように光る瞳で、伊東さんを見た。

「ところでさ」

「はい?」

「そこの窓から僕たちの様子を伺っている子供たちは、伊東くんが連れてきたのかな?」

 伊東さんが、はっと振り向く。

 僕と目があった。

「名探偵たる僕の棲家に覗いている君たちは、何者なのかな?」

 冷泉ルナの赤い唇が、牙をむき出すようにして笑いの形を浮かべた。

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