エヴァは恋愛感情ってわかるの?
ジャンプに連載されていた『総合時間事業会社 代表取締役社長専属秘書 田中誠司』はジャンプ史上もっとも長いタイトルの作品です。
ホントか?
未来から主人公の仲間が守りに来る、というくだりはちょっと『ターミネーター』っぽい感じ。
残念ながら20話で幕を引くこととなった作品ですが、難点は作品の魅力がブレてしまったことでしょう。
世界観、バトル、キャラ、いずれも悪くないのですが決め手に欠けています。
『なんのジャンルの作品かわからない』と言い換えてもいいでしょう。
何を魅力とし、どの読者層に働きかけて行くのか。
ターゲット・マーケティングはビジネスの基本ですが、それを改めて教えてくれる作品でした。
「いやいや。まさか、エヴァの推理が当たるなんて思わなかったよ」
その日の夜、僕の家の居間でお茶を飲みながらりんねは言った。
「本当にあたしのキーホルダー、言った通りの場所で見つかった」
「でしょ」
エヴァは当然のように頷いた。
「頭脳にだけは自信があるの」
りんねのキーホルダーが見つかったのは、彼女の通う合気道の道場に通う小学生の少女の鞄だった。
キーホルダーなんてわざわざ盗む人はいない、という前提でりんねも僕も考えていた。たかだか数百円のキーホルダーのためにリスクを犯す意味はあるか? 答えはノーだと思っていた。
エヴァの考え方は違った。可能性を捨てない。全ての可能性に、総当たりでアプローチして確率の高いものを模索する。その中ででてきた可能性は『キーホルダーに価値を感じる人がいれば、この一件は不思議でもなんでもない』ということだった。
つまり、お小遣いも少なく行動範囲も狭い小学生ならば、キーホルダーを盗むことになんの疑問もない。
「で、取り返してきたの?」
僕はスマホをいじりながら答える。
「んーん。取り返しては来なかった」
りんねが首を振ったのを見て、僕は目を丸くした。
「なんで?」
「理由はいくつかあるけど……そのあたしのキーホルダーを盗んだ子、学校でいじめにあっているのよね」
りんねは憂鬱そうに言う。
「武術やってるとよくあるんだけど、いじめにあった子が身体と心を鍛えるために道場に入らされるってケース」
「それ、なんか関係あるか? 窃盗には違いないんだろ」
「そうだけど。けど、その子にとってそれで心がわずかでも安らぐのなら、それでもいいと思わない?」
「思わない」
りんねの言葉に、僕は即答した。
「だって、りんねにとっても大事なものだったんじゃないのか? そうじゃなかったら敢えてキーホルダーを失ったことなんて相談しない」
「今後は、今までよりもその子を気にかけてあげることにしようと思う。それで、その子の心がちゃんと癒えたら、あたしにちゃんと謝って、返してくれると思う。あたしは、それでいいと思っている」
「りんねは甘いな……」
僕は深々とため息をついた。しかし、本人がそういうならばそれ以上は言えないか。
「それに、勇人が新しいキーホルダーくれたしね」
そう呟いてから、りんねは傍らにあった紙袋を差し出した。ひどく重そうに見える。
「それ、なに?」
「今日のお礼に、持って来たんだけど」
やりとりをしていると、エヴァが顔を出した。途端に顔が綻ぶ。
「りんね! 持って来てくれたのね!」
「あたぼうよ」
大げさな仕草で、りんねとエヴァはお互いにハグをかわした。
「それ、なに?」
僕がもう一度質問をすると、エヴァは
「漫画。『永劫エストック』っていうの。少女漫画なんだけど、今、凄いヒットしているんだから」
と答えて、一冊を取り出した。
なんだか表紙に見覚えがある。僕は普段少女漫画をチェックはしていないから、よっぽど広まっている作品なのだろう。出版社である水仙社も、出版社としては大手だったような気がする。
「さ、読むぞー」
そう言って、二人はコミックを手にとって読み入り始めてしまった。
「なんの漫画?」
一人取り残された格好になる僕は、誰にともかく問いかけた。
「え、勇人、永エスを知らないの?」
コミックから顔を上げてりんねが言った。
「知らないよ。有名なの?」
「大豆生田御門『永劫エストック』。中世ヨーロッパを舞台にした時代少女漫画。美麗な画風と王道の展開、それとは裏腹の設定の緻密さで知られてるわ」
まるでネット記事の引き書きのようにしてエヴァが言った。
「アニメ化もしているし、今度実写映画化もするらしいよ。みんな知っているよ」
「僕、少女漫画読まないからな」
「男の人のファンも多いんだよ!」
りんねは胸を張る。
「ゼッタイ面白いから、勇人も読んでみたら?」
「それは構わないけど、エヴァも漫画読むの?」
「これも、人間になるための一環になるかと思って。りんねにお願いしたの」
照れたように、エヴァは言った。
「大量の書籍データは読み込んだことがあるけど、考えてみれば漫画は読んだことなかったし」
「是非読んでよ!」
りんねに手渡されて、エヴァはそっとページを開いた。
「えっと」
ページを開いて、エヴァは目を瞬いた。
「どっちから読むの?」
「漫画の読み方がわからない?」
「えっと」
エヴァは読んでいた漫画を開いたままこちらに向けた。
「右から左でいいのよね?」
「基本的には、右上から左下に読む」
エヴァは眉をひそめて、ゆっくりと漫画を読んだ。
僕も別の巻を手にとって、目を通してみた。今まで改めて考えたことはなかったが、確かに右上から左下に視線を移動するものだった。コマ割りのみならず、視点自体もそう移動することで自然と情報を受け入れられる構造になっているようだ。
「たぶん、人間なら自然とわかるんでしょうね。先生の作ってくれたこの知能はすばらしいものではあるけれど、それでもまだまだ難しい部分はあるのね」
「さ、勇人も読もうよ」
促されて、僕もソファに腰を下ろして漫画を読み始めた。
そこまで興味があったわけじゃない。ただ、りんねにはいつも世話になっているから、形だけでも読んでおこうと思っていただけだ。
だが、僕はたちまち作品の虜になっていた。
主人公の少女は元気いっぱいの少女騎士で、直情型の性格ではあるけれど、重厚な歴史モノの背景を中和してほどよい軽さに仕立てている。撃剣のシーンでの躍動感溢れるコマ割りは、動いているのではないかと錯覚するほど。一方で身分差に苦しむ恋愛シーンには剣だけではどうすることもできない切なさがある。
「どう? 凄いだろ」
僕が読み入っていることに気づいたりんねがふふん、と鼻を鳴らした。
「ああ」
僕は作品の面白さを認めざるをえなかった。
「でしょ。じゃ、あたし、もう帰るから。のんびり読んでいていいよ」
りんねは立ち上がった。時計を見るともう九時を回っていた。隣家とはいえ、高校生の女子がいつまでも出かけているのは両親も心配だろう。
「ありがとうな、りんね」
「いえいえ。おやすい御用でございます」
「家まで送るよ」
「どうせ二十秒くらいしかかからないし、良いよ。それに、勇人、漫画読みたいでしょ」
「うん……悪いな」
「じゃ、また明日、学校で」
「おやすみ、りんね」
「おやすみ、勇人」
手を振りながら、既に目線は紙面に落としていた。
「……ユート」
りんねが帰ってしばらくしてから、エヴァが僕に声をかけてきた。
「ありがとうね。ユート」
「何が?」
「急に家に押し掛けてきたのに受け入れてくれたし」
「別に……大したことじゃないよ」
僕は視線を落とした。
「父さんが突飛なことをするのも昔からだしね。今は丸くなったと思っている」
「アメリカに夫婦で行っちゃったのに丸くなった?」
「僕が子供の頃は全然家にいなかったし。ちゃんと仕事でアメリカに行くって言ってくれただけまだ丸い」
「ふうん……」
にやにや笑みを浮かべてエヴァは僕の顔を見た。
「なんだ? エヴァ」
「お父さまのこと、ユートはそういう風に見えていたんだなって」
「おかしいか?」
「いえいえ」
思いついた様子で、エヴァは
「そうだ。私のマザーコンピュータも運び込めて良かった」
「ああ、あれか」
今日の夕方、巨大なコンピュータが家に運び込まれた。今はかつて両親の寝室だった部屋に置いてある。
「あれってどういうものなの?」
「言ってみれば、あれが私の本体なのよ。今、見た目が人間っぽくなっているのはただの端末なの」
「うん……どういうこと?」
「見た目では、私が思考しているように見えるでしょう?」
エヴァは自分の頭を示した。
「実は、私はマザーコンピュータが出した指示に従っているだけで、実はただの外部パーツ……えっと、説明が難しいな。人間でいうと、脳にあたるのがあのコンピュータ。で、持ち歩くには重すぎるから切り離している、という感じ」
「へえ」
よくわからないままに僕は頷いた。
「アメリカに置いたままじゃダメなの?」
「アメリカからだと電波が届くのが遅いから」
とエヴァ。
「そうなの? 電波の速度って光と一緒だろ?」
「正確にはその理解も違うけど……ここは話を簡単にするために光と同じだと仮定しても、秒速三〇万キロメートル。アメリカと日本はざっくり十万キロ離れているから、一つのことを聞くのに三分の一秒くらいタイムラグが生じて、さらに返事にも同じだけのタイムラグが生じるから、これはちょっと人間の振りをするのは不可能なタイムラグなのよね」
「そうなのか?」
「…………ええ」
と間を置いてエヴァは言った。
「このくらいの時間差がある」
「確かに、これはちょっとおかしいな」
「私が稼働していると電力消費が凄いことになるので、そのあたりはごめんなさいね」
「別に良いよ。他の経費はそんなにかからないわけだしね」
ココア淹れてくる? とエヴァが聞いたのでありがとう、と答えて、僕は漫画に戻った。
キッチンの使い方は既に伝えてあった。
『永劫エストック』は少女漫画でありながら、バトルの割合が多いのが特徴的だった。どうやら、ダイナミズム溢れるコマ割りや画力を活かせるのがその方向だったらしい。しかし、比率では少なめながらもあくまで軸は恋愛である。戦うのはあくまでモチベーションに恋愛があり、そのための手段という色合いが強い。
「はい。ココア」
キッチンから戻ってきたエヴァはテーブルにホットココアを置いた。
「なあ、エヴァ」
「なに? ユート」
「エヴァって恋愛感情ってわかるの?」
「うんと……わかるわ」
エヴァは少々自信がなさそうに言った。
「言葉にするのは難しいけど、つまり相手との遺伝子を残したい、ということよね?」
「そうだけど、ちょっとイメージと違うかな」
確かに、生物学的観点から言えばそうなんだけど、エヴァの言い方で言い切られてしまうと霊長類の立つ瀬がない。
「違うの? どう違う?」
「うまく説明できないけど、単に子供を残したいというよりも一緒にいたい、憧憬している、みたいな複数の感情が複雑に入り交じっているものなんだよ」
「ふぅむ……」
エヴァは口元に手を当てて考え込んだ。
「よくわからないわ」
と答えた。
「確かに他の動物の性欲とは必ずしも同一視できない部分があると思っていはいたの。でも、まだ理解するには遠いみたい」
ねえ、ユート、とエヴァはさらに続けた。
「私、以前言ったわよね。子供を作れるようになる、ということが目標の一つだって」
「そうだね」
「子供を作るためには結婚する必要があるのよね?」
「多くのケースではな」
「その前段階として、恋愛があるわけね」
「うん」
異論はない。僕はそのまま、エヴァに続きを促した。
「故に、まず恋愛を知ろうと思っているの」
「……うん?」
「ねえ、ユート。恋愛をしている人に話が聞きたいんだけど、いいアイデアはない?」
僕は腕を組んで考え込んだ。
恋愛をしている人か。
クラスメイトにもカップルはいるんだろうが、僕はあまり活発なグループとは絡みがないので、思いつかない。りんねに聞いてみれば、誰か提案してくれるだろうか。
でも、りんねにはいつも世話になっているからな……何かと彼女に世話になりっぱなしで、悪いような気分になる。
「ん。ごめん」
僕の声色で答えを察したのか、エヴァは軽く頭を下げた。
「困らせてしまったみたいね」
「そういうわけじゃないけど……咄嗟には思いつかないな」
「フィクションでは、高校生はみんな恋愛をしているのでユートもそうかと思ってた」
「悪かったな」
「気を悪くしないで、ユート」
エヴァは申し訳なさそうに言った。
「気を使う、というのはまだうまくできなくて。ごめんなさい」
「良いってば。ただ、僕やりんねには良いけど、学校の連中相手には気をつけたほうがいい」
「アンドロイドってことがバレると厄介だものね」
ふふ、とエヴァは笑みを浮かべた。
「じゃ、ユート。今のお願いの代わりというわけではないけれど、今週末に一つ付き合って欲しいところがあるの」
「何?」
僕は首を傾げる。
付き合って欲しいところ、と言ってもここは茨城の田舎なので高校生の行動範囲では行けるところは限られている。つくばエクスプレスに乗れば東京まで行けなくもないか。
「そんなに緊張しないでくれていいのよ、ユート」
僕の表情を読んだのか、エヴァがそう言った。
「ちょっと、買い物に付き合ってもらえる?」




