終わったから
冷泉ルナが殺された廃病院は、僕たちの家から歩いて一時間強ほどの場所にあった。
駅の方角からは反対側の、ありていに言ってしまえば寂れたほうのエリアで、僕たちはそもそもそんな廃病院が存在することすら知らなかった。
「悪いな、エヴァ」
「何が?」
「エヴァ独りならもっと移動が早いだろ」
「まあ、そうだけどさ」
僕たちは、二人で横に並んで早足に夜の街を歩いている。
「考えようの問題だと思うわ。私のトップスピードで深夜に街を駆け抜けたら、都市伝説になっちゃう」
深夜を高速で疾走するエヴァの姿を想像して、ちょっと気味が悪くなった。金髪を振り乱して夜の街を駆ける謎の美女。ヨーロッパの伝承にありそうな気がする。
「警察のほうからの情報が全くないのが困るよな」
僕たちは、歩きながら事件の情報の整理を始めた。
「手に入る情報はテレビか新聞か、ネットニュースだけだ。死亡推定時刻も、死因もわからないし、現場の状況も既に警察が調べきったあとだ。メッセージカードの有無すらわからないからそもそも一連の殺人事件とは無関係の可能性もある。ルナは他の件でも犯罪者の恨みを買っている可能性があるからね。あと、廃病院は発見現場ではあっても犯行現場ではない可能性もあるし、わからないことだらけだ」
「そうでもないわよ」
僕のぼやきに対して、すぐにエヴァは答えた。
「えっと、どうしてこういう状況になったのかというと、伊東康さんが私達を事件から遠ざけたからなわけよね」
「うん? だから僕たちには情報が手に入らないという話だろ?」
「そうなんだけど、その事実そのものがそれなりに情報じゃないかしら?」
「……どういうこと?」
「だからさ」
エヴァは考えながら、
「もちろん、私達が事件から遠ざけられた最大の理由は、一番協力的だったルナが死んでしまった。これはあると思う。それはそれとして、伊東さんが私達の事件から遠ざけたのは、心配してくれていた、という面もあったように見えた。つまり、連続殺人だと伊東さんは認識している。伊東さんはジャーナリストという立場上、私達よりは情報をつかむコネクションを持っているでしょうからね。つまり、現場には連続殺人であるということを示唆する証拠があったのでしょうよ」
「……そうか」
立て板に水で語られて、一気に腑に落ちた。
「これは一応の質問だけど、それ自体が偽装というか、連続殺人に見せかけた便乗殺人で、ルナに恨みを持った人の犯行という可能性は?」
「一連の事件を警察が連続殺人だと考えているとしたら、理由は殺害方法が同じであること、犯人の身長が同じくらいだと推測されること、そしてメッセージカードが残されていたこと。この三つ。だから、外部の人間がこれを模倣するのはまず無理。警察関係者であってとしても、雑なコピーじゃメッセージカードの同一性を保持するのは難しいから、やっぱり私は同一犯だと思うな」
「わかった。一応聞いてみただけだよ」
「ええ、わかっているわ、ユート。私はユートのそういうところが好きよ」
「僕もエヴァのそのロジカルな頭脳は凄いと思っているよ……それで、エヴァ」
僕は少しだけ間を置いて、
「やっぱり、ルナは犯人に近づき過ぎたから殺されたのかな?」
「それは……その可能性が高いとは思うけど、確証はない」
エヴァは歯切れ悪く言った。
「探偵が、犯人に気づいてしまったばかりに殺された。これは、物語としては非常にスッキリするものではあるけれど、腑に落ちない部分もある」
「それは僕も思っていた。あのルナが、やすやすと犯人に殺されるのか?」
「そうそう。そこなのよ」
エヴァも頻りに頷いた。
「そもそも、いくらルナに名探偵の自負があったとしても、単身で犯人に肉薄するのかっていう疑問もある。雪山の山荘ならば、名探偵が名指しで犯人と向き合う必要もあるのかもしれないけれど、ここは、そんな制約もない」
そうなのだ。
どういう顛末があれば、ルナが犯人に直接に殺されるのかが想像もつかない。
「ルナの立場ならば、犯人が特定できれば刑事部に一報いれればそれで済むんだから。どんなにのっぴきならない事情があったとしても、そのくらいはできるでしょ」
「確かに……」
「あと気になっているポイントは、どうしてわざわざ廃病院なんかに遺棄したのか、そこの疑問をクリアする必要がある。もっと遺体が見つかりにくい場所なんていくらでもある」
「前もなんかその話した気がするな。なんの時だっけ」
「きっと、伊東七夕の遺体現場でのやりとりね。どうしてすぐに発見されるような場所に遺体を遺棄したのか」
「二件続いた以上、明確な目的があった可能性が高い」
「メッセージカードと合わせて考えると、犯人は連続殺人という形式をとることに意味を持たせているのだと思うけど……そこがわからないのよね」
こんなやりとりをしている間に、だいぶ件の廃病院に近づいていたらしい。エヴァがあっち、と白い指を伸ばした。
「全然見えない」
「深夜の廃病院だからね。足下に気をつけて」
考えてみれば当たり前のことなのだが、廃病院は通電しておらずなんの灯りもともっていない、完全な闇に包まれていた。目を凝らして、病院の輪郭がおぼろげに見えるだけだ。全体像はつかめないが、かなり大きな建物だ。三階建てはあるだろう。
「懐中電灯もってくれば良かったな」
「私の暗視機能で進むから、ユートは私にしがみついてて」
「エヴァ、遺体発見現場がどこの部屋かわかっているの?」
「わからないけど、行けばわかるでしょ」
エヴァが手を伸ばしてきたので、手を握る。
「危ないからもっとくっついて」
「わかったよ」
端から見たら、同年代の少女にすがりつく情けない姿だが、本当に見えないので仕方ない。僕はエヴァの細い腕にしがみついた。
「エヴァ、ライト機能とかないの?」
「ないし、あったとしても外から人に見つかるリスクを考えると使いたくない」
「ごもっとも」
僕の速度に合わせて、ゆっくりとエヴァは歩き始めた。
「門扉が壊れてるとこから入るけど、警察のシールテープがあるから気をつけて」
「わかった。テープはギリギリ見えてる」
おそるおそる、廃病院に足を踏み入れた。
僕が想定していた以上に放置されて久しい病院らしい。歩いているだけで雑草が臑を叩くのが感じられるし、時折水たまりに足を踏み入れてしまい湿った音が聞こえる。
「エヴァ、道わかるの?」
エヴァの足取りに迷いが見えないので、質問した。
「足下の埃を見て進んでる。埃があまり踏み荒らされていないほうの道は重要度が低く、埃が残っていないほうの道は犯行現場に近いはず。犯行現場には足を踏み入れた人が多いはずだから」
「頭いいな」
全くの闇なので真似しようと思ってもできないけれど。
そう、視界は全くの闇だった。外からならば多少は月明かり星明かりがあったけれど、室内では光源が全くない。僕に感じられるのはコンクリート敷の床を歩く足下の感覚とわずかな物音、それにしがみついているエヴァの腕から感じられる体温だけだった。
こうして体温を感じていると、エヴァが人間ではなくただの機械というのも、なんだか信じられないような気持になる。実は彼女はただの頭が切れる人間で、アンドロイドというのはただの法螺話なんじゃないか、という気持が頭をかすめる。
いや。
初めて会った時、エヴァは自分の頭部を外してみせたじゃないか。彼女は、どんなに人間に近く見えてもただのロボットなのだ。
「ユート」
いきなり名前を呼ばれて、僕は大げさに身体をびくつかせた。
「どうしたの。ユート」
僕の反応に、心配そうにエヴァが言う。
「いや、すまない。ちょっとびっくりして。エヴァのほうこそどうしたの」
「たぶん、そこの部屋が遺体発見現場で犯行現場よ」
「そこの部屋?」
目をよくよく凝らすと、エヴァが腕を伸ばして扉を示しているのがわかった。
「早い段階で見つかってよかったわ。三階とかだったら大変だった」
「なんでわかるんだ?」
遺体発見現場はともかくとして、犯行現場であることまでわかるのか? それも、扉を開ける前に。
「簡単なことよ」
エヴァの声はいつもよりも低く、小さかった。
「ルナの匂いがするわ。ルナはきっと、ここで首を絞められて、失禁をしたのでしょうね」
その言葉を聞いた瞬間、ぞっと背筋を冷たいものが走った。
悪寒、ではない。うまく言葉にできない。敢えて言葉にするのならば、悲しさのようなものだろうか。
どこか浮世離れした、フィクションの登場人物のようですらあった名探偵・冷泉ルナが、殺されたという事実を強烈に突きつけられる衝撃は大きかった。
「入るわね」
僕が悲しみに苛まれているのを察したのだろうか。エヴァは数秒待ってからそう切り出して、扉に歩み寄った。
金属がこすれ合うきしんだ音を立てて扉が開く。
部屋には、月明かりが差し込んでいた。
「急に明るいところに出たわね」
エヴァが目を細める。
月明かりが差し込んでいた理由は、天井の一部が崩落しているせいだった。
「入院患者を収容する部屋だったのかしらね」
天井のみならず壁もぼろぼろに朽ちていて、もはや往年の様子を思い起こさせるものは少ないが、確かにエヴァに言われてみれば入院患者のベッドが並んでいた様子を想像出来る、そんな部屋だった。
そして、部屋の中央には白線で、人間の形が描かれていた。
「そこで……ルナが、死んだんだな」
「ええ、そうね」
エヴァが目を伏せた。
「何かわかるか?」
「うん……とりあえず、ここが犯行現場であった、ということがわかったのは大きな収穫ね。失禁の痕跡からわかる。ルナは生きたままでここまで来たのよ」
エヴァはその場に振り返って言った。
「誘拐して連れてくるには足場が悪くて面倒すぎるから、きっと、犯人はルナを呼び出すことができた……もしくは、ルナのほうから犯人を呼び出すことができた、そういう関係にあった」
「それって……」
ルナと犯人は連絡を取り合える可能性にあった。ということは、かなり人間関係は限られる。
捜査を進めていく中で出会った誰かか、あるいは……。
「警察関係者の可能性も、低くはないな」
「そうね。だとしたら、刑事部に連絡をいれなかったことにも整合性がつく」
だとしても、やすやすと殺されてしまったことには疑問が残るが。
「ルナの、私達と別れてからの行動が知りたいわね」
それから、エヴァはしばらく現場検証を重ねていたが、やがて
「帰りましょう」
と自分から言い出した。
「もう良いのか?」
思った以上に唐突な切り出し方だったので、思わず聞き返してしまった。
「記録は終わったから」
エヴァは自分の眼球を示した。
「それに、陽が登るまでには家に帰ったほうがいいでしょう」
「そうか。夏だから、日の出が早いしね」
「また、真っ暗のところを通るから、掴まって」
そう言って、エヴァは片手を差し出してきた。
僕たちはまだ知らなかった。
自宅に帰った僕たちを、更なる衝撃が待っていることを。




