人間からしたら自分の頭がおかしいのかもってね
その夜、物音を聞いて僕はソファから身体を起こした。
誰かの気配がする。
腕時計を見ると、深夜二時だった。
エヴァかもしれない。そうは思ったが、今まで彼女が深夜に活動をするようなことはなかった。彼女なりに、僕の睡眠を邪魔しないように気遣っているのだと思うし、何より常時通信状態にある彼女にしてみたら物理の肉体で活動する理由はさほどない。
となると、誰だ。
りんねか? それとも父が突然帰ってきたのだろうか。
考えを頭を振って否定した。
ないとは言えないが、やはり可能性としては低いだろう。
とすると、この物音は。
僕を殺そうとする殺人者。
そう考えるのが道理か。
頭の中であっても、その事実を言葉にするとゾッとした。
相手は既に大豆生田御門、伊東七夕、冷泉ルナの三人を殺しているのだ。その三人から僕たちの存在をたぐり寄せるのは難しいことではない。
僕は、服の下に忍ばせていたバタフライナイフの感触を確かめた。これは、昨日の帰りに購入したものだ。僕の技量でナイフを握っていても大した効果があるとは思えないが、気休めにはなる。
足下は、キッチンにいる。僕は音を立てないように慎重にドアを開いた。
階下に、人影が見えた。
「誰だ!」
大声で叫ぶと、人影が大げさに飛び跳ねた。
「……エヴァか」
僕が名前を呼ぶと、エヴァは罰が悪そうに目線をそらした。
どういうわけか、ハーフパンツに黒のサマーパーカーといういつもと違った風体に身を包んでいる。
「どうかしたの? ユート。こんな遅くに」
「どうかしたはこっちの台詞だよ、エヴァ。物音がしたから侵入者かと思って」
「大げさね、ユート」
エヴァは微笑もうとしていたが、その表情は強張っていた。
「エヴァ」
「なに? ユート」
「どこへ行くつもりだった?」
僕の問いかけに、エヴァは目を泳がせた。
「どこへってどういうこと? こんな深夜にでかけるわけがないじゃないの」
「普通ならな」
僕は階段を降りながら言った。
「その格好はなんだ? エヴァ。もう一度聞く。どこへ向かおうとしていた?」
僕の問いかけにエヴァは目を伏せて、しばらく無言のままだったが、やがてため息をついて口を開いた。
「ええ、そうよ、ユート。私は、犯行現場に行ってくるつもりよ。冷泉ルナが殺された場所へ行こうとしている」
「正気か?」
「ええ、そうかもね、ユート。私は正気を失っているのかもしれないわ」
思わず口をついて出た、暴言ともとれるような台詞だったが、しかしエヴァはあっさりとそれを受け入れた。
「私はいつも、自分を疑っている。人間からしたら自分の頭がおかしいのかもってね」
エヴァは自身のこめかみのあたりを示して言った。
「ねえ、たぶん、ユート。普通の人ならば、私の『人は何故人を殺すのかを知りたい』という欲求にセーブをかけるのが、倫理や常識というものなのでしょうね」
「エヴァ」
僕はなんと言ったら彼女を説得出来るのか悩んでいた。
彼女は一度『やる』と決めたらどんな障害があってもやりとげる。それは信念や覚悟といったものとは違う。そもそも、感情や空気に対して決断が鈍るということ自体がないのだ。
どんな逆境であっても、自分の考えが揺らがないのが人工知能なのだ。
「僕はね、エヴァ。君に倫理や常識がわからないとは思わない」
「ええ」
エヴァの口元に少しだけ笑みが浮かんだ。
「ユート、あなたは私の事をよく理解してくれていると思う。少なくとも、私が想定した以上には」
「君はどれだけ理解がないパートナーを想定していたのさ」
声の中に、笑みがもれてしまった。
「僕はできるだけ、エヴァの価値観をわかろうとしているつもりだよ」
「ならば」
とエヴァ。
「わかってくれていると思うの。私の気持は曲がらない」
「ああ、そうだね」
頷いてやると、意外そうにエヴァは目を丸くした。
「認めてくれるわけ? 私が犯罪に手を染めるのを」
「別に。いくら言っても聞かないだろ」
だから、と僕は続けた。
「僕も行こう。僕も一緒に行って、君を監視する」
「良いの?」
エヴァが上目遣いに、僕の反応を伺うようにして言った。
「それだと、ユートも共犯者になるわけだけど」
「構わないよ」
僕は肩をすくめた。
「それに、僕が単独で家で寝ているというのも、それはそれでぞっとしないしね。もしかしたら僕が殺されるかもしれないし」
「確かに……私を護衛として行動を共にする、というのもそれほど的外れじゃないわけね」
僕はちらりと時計を見た。
「今、深夜二時を回ったところだ。それほど時間に余裕があるわけじゃない。急ごう」




