この子を危険な目に合わせたいわけじゃないだろう
「伊東さん……大丈夫ですか?」
冷泉ルナが殺されたその日の放課後、僕とエヴァは伊東さんに駅前のファミレスに呼び出されていた。
彼と落ち合って驚いたのは、その憔悴具合だった。げっそりと頬がこけ、髪には白いものが混じっている。この数日で、十年も二十年も歳をとったかのようだった。
「大丈夫だよ」
そう答える声にも力がない。
「まさか、ルナが亡くなるなんて……驚きました」
エヴァが沈んだ表情で言う。
「この事件を、どう考えてらっしゃいますか? 伊東さん」
「どうもこうもないよ」
そう答える伊東さんの声が思いのほか乱暴で、僕はびくりと身体を震わせた。
「伊東さん……」
「冷泉さんが殺された理由なんて、名探偵が推理するまでもなくわかるだろ。犯人に消されたんだよ」
「犯人に……ってどういうことですか」
エヴァは顔を上げて、正面から伊東さんに視線を返した。
「仰る意味がわかりません」
「エヴァちゃん。君は冷泉さんから、名探偵の素質があると言われていたが、それは的外れだったのか?」
伊東さんの眉が神経質そうにぴくぴくと動く。
「恐らく、冷泉ルナは犯人の正体に気づいたか、そうでなくてもかなり近づいてしまったんだろう。そして、殺された。ルナが殺されたという事実に、他に解釈のしようがあるか?」
伊東さんが言っていることは、僕も察しがついていた。
そして、それに気づいた時にぞっとした。
名探偵とはそういうことなのだ。
誰よりも、犯人に肉薄する。
僕は、僕とエヴァは充分な覚悟もなく、そんな世界にスキップで足を踏み入れてしまったのかもしれなかった。
ルナが殺された理由が真相を看破したから、犯人がわかってしまったから……というのは、僕も推測できていたことだ。エヴァにわからなかったとは思えない。エヴァが敢えて伊東さんに喋らせたのは、彼自身の言葉で聞きたかったというのが大きな理由だろう。
「こんなことになるなんて……思いませんでした」
「まあな。俺だって、想定外だよ」
伊東さんが鞄から取り出したのは、写真週刊誌だった。その表紙で、冷泉ルナの死が取り上げられている。
「そんなに大きく取り上げられているんですね……」
「まあな」
伊東さんもため息をついた。
「連続殺人事件なんていうのも、いかにもセンセーショナルで、ワイドショー向きだしな……しかし、ヤバいな」
「ヤバいというのは?」
「警察っていうのは、メンツを重んじるんだよ。確かに、冷泉ルナは特殊な立ち位置ではあったが、それでも警察官は警察官だ。身内である警察官を殺されておいて犯人が野放しなんていうのは絶対に許さないよ。それこそ、血眼になって、草の根わけてでも探し出す」
伊東さんは言葉を切って、ため息をついた。
「逆に言えば、犯人もそれだけ覚悟を決めているってことだ。今後、更なる被害が出ないとも限らない」
「連続殺人はこれで終わらないと?」
「かもな。俺にもわからない」
伊東さんは肩をすくめた。
「実は、俺も参っている」
「え?」
「七夕の実家に、つまり俺が婿入りして今住んでいる家だが、そこに報道陣が押し掛けているんだ。ほら、一応被害者遺族にあたるからな。もちろん以前からあったことだが、冷泉さんが殺されたことで一段と加速した」
自嘲するように、伊東さんは唇を歪めた。
「今まで、俺だって同じように人のプライバシーを蹂躙してきたからな。被害者ぶるつもりはないが……しかし、神経に来るな」
ゆっくりと、深く、伊東さんは息を吐き出した。
「正直言って、かなり参っている」
「意外ですね。伊東さんにも参るなんてことがあるんですか」
「俺独りならもっとラクなんだけどな」
ブラックのままのコーヒーを、伊東さんは一気に飲み干した。
「七夕の両親が参ってしまっているんだよ。俺としては、もうどうしていいのかわからない。七夕がいなくなった今、いつまでもあの家に厄介になるのもどうかと思うし、かと言って、愛娘を失ってボロボロのご両親を放っておくわけにもいかない」
ここだけの話だぞ? と疲れた顔で力なく伊東さんは笑った。
「犯人探しは順調ですか?」
「それなんだがな……マスコミの連中にまとわりつかれるのが馬鹿にならん。ただでさえ、大豆生田御門というビッグネームが殺されていた上に、次は警察官殺しだ。マスコミの注目度はどんどん上がっている。しかも、マスコミ関係者には俺の知り合いも多いからな。動きづらくて適わないよ」
「しかし……かと言って、引き下がるつもりはないのでしょう」
「無論だよ」
伊東さんは断言した。
「警察を出し抜いて、俺は七夕を殺した犯人を……」
その先の言葉は聞こえなかった。
探し出す、とは言わなかった。
「伊東さん、まさか、自分の手で復讐を下そうだなんて思っていませんよね?」
だとしたら……。
僕たちは止めなければならない。
言っても聞かないだろうし、言って聞かせようにもなんと言えばいいのだ? 倫理的・法的な理由で説得して、伊東さんの心変わりを促すことができるだろうか。
できはしまい。
復讐なんて意味はない、なんてもっともらしく語るには、僕は若過ぎて、経験が足りなすぎた。
僕はちらりと隣に座るエヴァに目配せする。伊東さんには見えないくらい、小さくエヴァは頷いてみせた。彼女も同じ結論に達したようだ。
そのためには、僕たちが先に犯人を見つけ出すしかない。伊東さんが、復讐を遂げる前に。
「お前達二人は、この事件から手を引け」
しかし、僕たちのそうした気持の出鼻を挫くように、伊東さんが言った。
「な……っ」
「少なくとも、俺はこれ以上協力できん」
伊東さんは深々とため息をついた。
「今までのことも反省しているんだ。あの時、ルナの家に来た時点で追い返すべきだった」
伊東さんは懐からくしゃくしゃになった煙草の箱を取り出して、一本取り出し火を点けた。
「結婚してやめたんだけどな」
しかし、七夕さんが亡き今、禁煙に努める理由もないということか。それとも、単にストレスが許容量を超えて我慢出来なくなったのか。
「伊東さん」
エヴァは、静かに反論した。
「私は納得できません。こんなところで引き下がることはできません」
「納得する必要なんてない」
強い口調で伊東さんは言った。激しい口調ではなかったが、その強い語調に機械であるエヴァですら言葉が止まる。
「不満か? エヴァちゃん」
「不満……というわけではないですが、しかし、それこそ納得がいきません。納得する必要がないだなんて」
「まだ高校生だよな。エヴァも、勇人も」
伊東さんはゆっくりと煙を吐き出した。
「まだわからないと思う。しかし、大人になればわかることだ。全てに納得する必要なんてない。また現実に全てに納得することなんて不可能だ。納得出来ないことと折り合いをつけていくのも人生だ」
「そうかもしれません」
エヴァに代わって、僕が言った。
「確かに僕はまだ子供です。社会に出れば、納得がいかないことはたくさんあるんだろうと思います。しかし、伊東さん。納得できないことがあるからと言って、納得することを放棄していいとは思いません」
「ふん。言うじゃないか」
伊東さんは短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
「しかし、勇人。この子を危険な目に合わせたいわけじゃないだろう」
「それは……まあ、そうですが」
痛いところを突かれた。
確かに、伊東さんの言う通りだった。あの冷泉ルナですら、あっさりと殺されたのだ。僕にはエヴァを守りながら事件の真相を見つけ出す……ということができるかというと、自信はない。
冷泉ルナだって、見た目は少女だが伊達に警察官にして名探偵だったわけではない。最低限以上の自衛能力はあったはずだ。
にも関わらず、殺された。
あっさりと。
失敗したな、と心の中で後悔した。この話の流れになる前に、せめて何か、ルナがどんな形で殺されたのかくらいは聞き出しておけば良かった。この事件から手を引くように切り出された今となってはそれもできない。
そもそも、伊東さんは最初から僕たちにそんな情報を渡すつもりはなかっただろうが、断片くらいは手にできたかもしれなかった。
ルナがいない今、伊東さんに拒否されてしまうと僕たちが犯人をたぐる糸は完全に途切れてしまう。
「ルナが殺されたことの意味を、もっとよく考えたほうがいい」
優しく叱るような口調で言われて、エヴァは目を伏せた。
「お前達は付き合いが短かったからわからないかもしれないが、ルナは本物の名探偵だ。俺みたいな探偵気取りとは格が違う。あいつが殺されたということは、お前達みたいな素人探偵気取りの出る幕じゃない」
ちらりとエヴァの様子を伺った。
伊東さんの言葉で、エヴァは納得しただろうか。
今までの傾向から見て、エヴァが人間に説得されて翻意することがあるとは思えない。仮に、彼女がそうした様子が見られたとしたら、それは反論することが無意味と悟っただけで考えをあらためたというわけではない。
同時に、伊東さんの言う通りかもしれないという思いも僕にはあった。
エヴァの好奇心は結構だが、命に代えるほどのことじゃない。エヴァの知的好奇心を満たすチャンスは、まだこれからもきっとあるだろう。
なんにせよ、これ以上、伊東さんを相手に粘っても収穫は得られない。
「わかりました。今までお世話になりました」
「今まで、お世話になりました」
僕が頭を下げると、それに連動するようにして金髪を揺らしてエヴァは頭を下げた。まるで、僕の考えを見通したかのようだった。
「伊東さん。私達みたいな子供によくして下さって、ありがとうございました」
「……分かってもらえたなら、いいよ」
突然聞き分けがよくなったエヴァに面食らった様子だったが、伊東は頷いた。
「事件が解決したら、一報をいれてやるよ。飯でも食いにいこう」




