嘘だ
東京に来るのは以前、りんねと一緒にディズニーランドに来たのが最後だったので一年くらいぶりだった。風景を見るのを楽しみにしていたが、高速を降りる頃には夜の帳が降り始めて、見えるのはビルやマンションの灯りばかりだった。
「目を覚ました? ユート」
顔を上げると、隣に腰を下ろしていたエヴァが声をかけてきた。
「ぐっすり眠っていたわね」
「疲れたよ。知らない人と会話して、頭をぐるぐる使うのって意外と疲れるね」
「起きたか、二人とも」
ハンドルを握っているルナが声をかけてきた。
「あ、眠っちゃってて申し訳ありません。運転お疲れさまです、ルナ」
「そんなに気を使わなくて良いよ。初めての探偵活動で疲れているのは事実だろうしね」
「もうすぐ着くの? ルナ」
「うん。もうすぐだね」
ルナは片手でカーナビを示した。既に水仙社のビルが見えている。
「東京って駐車料金高いんだよね。茨城とは比べ物にならないよ」
「それは茨城でも場所によるかと思いますし、どっちにしろ経費は警察持ちですよね?」
「ま、そうなんだけどさ」
ルナはコインパーキングに車を停めて、あっち、と大きなビルを示した。
「水仙社ビル、初めて見たけど流石に立派だね」
「今からここに入るんですね……どきどきします」
「いちいち緊張しないの。というか今までもこれからも、警察が死ぬほど話を聞きにいっているから、あっちもいい加減対応に慣れていると思うよ」
「そっか。それもそうですね」
既に定時を回っていたせいか、一階の扉は閉ざされていた。ルナがスマートフォンを鳴らして会話すると、
「迎えに降りて来てくれるってさ」
「今さらですけど、この時間でもまだ会社にいるんですね」
ビルを見上げると、まだほとんどの窓に灯りがついていた。既に時間は七時近い。定時退社という言葉はこの会社にはないのかもしれない。
「このくらいの時間なら、平素でもまだ全然いるんじゃないの。出版社はそういうところ多いらしいし。ま、僕たち警察だってそんなには変わらないけどさ」
ルナがスマートフォンを取り出してやりとりすると、すぐにエレベーターが降りてきた。降りて来た男性に、ルナが片手を振って示す。
「ええと……あなたが、警察の?」
「茨城県警の冷泉です」
「水仙社月刊マンドリン編集部の等々力と申します。大豆生田さんの担当をしていました」
名刺を差し出す等々力編集は三十歳くらいの、朴訥そうな男性だった。
「編集長がお待ちです。上へどうぞ」
エレベーターに乗り込み、上の階へと向かう。
「やはり、今回の事件に対する対応は大変ですか?」
エヴァが問いかけると、等々力さんはええ、と眉を下げた。
「現場は大混乱です。ただでさえ稼ぎ頭が突然亡くなったのに、殺人事件ということで警察への対応もありますし、マスコミに対する対応もまた難しくなってきますからね」
よく見れば、等々力編集も顔色が悪い。長く寝ていないところに押し掛けてしまったのかもしれなかった。
「ご迷惑をおかけしております」
ルナが小さく会釈した。
「あ、いえいえ。とんでもない。そういうつもりで言ったわけじゃないですよ。すみません」
等々力編集は疲れた顔に笑みを浮かべた。
「着きます。編集長は会議室でお待ちです」
等々力編集に勧められるまま、僕たち三人は会議室へと入った。
「はじめまして、わたくし、編集長の山脇です」
歳の頃は五十くらいだろうか。山脇編集長は、口ひげを生やした落ち着きのある男性だった。
「初めまして。茨城県警公安部門の冷泉です」
ルナは警察手帳を掲げて言い、山脇編集長と名刺を交換した。
「後ろの二人は……まあ、関係者です。気にしないでくださいな」
「今日も刑事部の方が見えられていましたが、別件ですか? できればまとめて頂けると対応が楽なのですが」
警察官としては余りにも風変わりなルナの容姿を、山脇編集長まじまじと眺めて言った。その姿には漫画編集者というよりは、熟練の刑事のような鋭さとしたたかさが垣間見える。
「公安の方が動いているということは、反社会組織との繋がりが疑われているのですか?」
「あ、いや。そうじゃないんですよ」
ルナは仕事上のスマイルを浮かべて言った。
「公安と一口に申しましても、広いものでございまして。公安という言葉から一般にイメージされるような反社会勢力は私の担当ではありません。私が担当しているのはですね、『未解決事件』なんですよ」
本当なのかそれとももっともらしい嘘なのか、滑らかにルナは言った。
「未解決事件、ですか」
山脇編集長はゆっくりと顎を撫でた。ルナの態度から、情報を探っているようにも見える。
「よくわかりませんな。今回、大豆生田さんが亡くなったのが未解決事件というわけではないのでしょう? それとも、別の事件の捜査ですかな? だとしたら、できればある程度落ち着いてからにして頂けると助かります」
「私がこの事件に携わるまでの顛末は複雑なのですが、簡単に申し上げますと、この事件は社会的影響が大きく、迷宮入りさせてはならないという話が上で発生しまして、私が参りました次第です」
ルナが言っていることが茨城県警のシステム上真実なのか、それともお決まりの嘘なのか、僕たちから見ても区別がつかない。
「結論を申し上げますと、大豆生田さん殺しのことで話を伺いに参りました」
「なるほど。よくわかりました」
納得したのか、それともこれ以上深くは追求しないことに決めたのか。山脇編集長は頷いた。
「して、警察としては、大豆生田先生が亡くなったことと、我々と関係があると考えてらっしゃるわけですね?」
「それを調べるのが私達の仕事です」
ルナは営業スマイルで言った。
「とはいえ、これでは取りつく島もありませんし出版社の皆さんも私を捜査員として信頼出来ないでしょうから、私見を述べさせて頂きますね」
と笑顔を浮かべたまま続ける。
「これは警察の公式見解ではなく、私の個人的見解です。口外しないでくださいね」
ルナは小さな唇に、そっと指を立てた。
「私としては、月刊マンドリンにて連載されていた漫画、『永劫エストック』に鍵があると考えています」
山脇編集長と等々力編集は戸惑ったように顔を見合わせた。
「それは……何か、確信があってのお言葉ですかな?」
編集長の言葉にも、緊張が見える。
「いいえ。まだ推測の段階です」
とルナ。
「ですので、この推測が事件の解決に繋がっているのか、そうでないのか。お二方に話を伺いに参った次第です」
して、とルナは続ける。
「大豆生田さん、あるいは作品に関して、何かトラブルなどはありませんでしたか?」
「トラブルですか」
山脇編集長と等々力編集は顎に手を当てて考え込んで、それから等々力編集のほうが口を開いた。
「もちろん、『永劫エストック』は我が社を代表する人気作品ですからトラブルと申しますか、嫌がらせのメールなどはありました。今残っているもののうち、紙のものは刑事部の方にもお渡ししましたし、メールはデータを送信しましたが、公安部にもお送りしましょうか?」
「お願いします」
ルナは頭を下げた。
「それらの嫌がらせの中から、特に気になったものなどはありませんでしたか?」
「さあ……嫌がらせにいちいち取り合ったりはしませんからね。犯罪予告でもない限りはそのまま処分です」
等々力編集は肩をすくめる。
「同業他社ではかつて、漫画家への殺害予告などもあったようですが、弊社ではそこまでのトラブルはお目にかかったことがないですね。少女漫画誌である以上、少年漫画に比べるとそもそものスケールも小さいですし」
「そうでしたか……」
刑事部の連中と協力するしかないか、と呟いてルナは天を仰いだ。
「もう一つ。『永劫エストック』の連載は今後どうなるのですか?」
「どうなるも何も……連載中止しかないですよ」
答えたのは編集長のほうだった。
「我々としても忸怩たる思いですが、大豆生田さんが亡くなった以上どうしようもない。作品の半ばではありますが、これをもって完結とする他ありません。来月ぶんの原稿は受け取っていますから、それをもって完結です。ストーリー上、おかしなところで完結することになりますが、やむを得ません」
編集長はため息をついた。
「作品を完結ということになると、今後どういった影響が出るのですか?」
「影響……ですか」
編集長はゆっくりと考え込む。
「大豆生田さんは我々が知る中でも卓抜した漫画家でした。広い意味での影響というと計り知れないところがあります」
わからない……ということか。
この切れ者然とした編集長をしても。
「わかる範囲で結構です。たとえば、会社としてどういった対応をするといったことですとか」
「まだ未定ではありますが……追悼号の発刊はするでしょうね。ビッグな作家が連載中に亡くなるというのは、我々も経験がないんですよ。追悼の意味でも、ビジネスという意味でも、かなり大きく扱うつもりではいます。映画化は既に動いている話なのできっとこのままですね」
「今回の殺人事件で大きく取り上げられましたし、実写映画は想定以上の成果を上げるかもしれませんね」
エヴァがそう答えると、
「まさか」
と山脇編集長が冷や汗をかいて表情を強張らせた。
「冷泉さん。そんなことのために殺人事件を起こしたとでも? 本気で言っているのですか?」
「いえ……気に障ったらごめんなさい。そんなつもりで言ったわけではないです」
話を戻しますね、とルナは言った。
「やはり、雑誌の売り上げにも影響は大きいですか?」
「大きい……でしょうね」
編集長はため息をつく。
「情けない話ではあるが、我々はここ数年『永劫エストック』に迫る看板的作品を打ち出せてはいません。コミックスの売り上げで見ても、他の連載陣が束になってようやく『永劫エストック』と同じ程度です。追悼号で一時的に上がりはするでしょうが、今後部数が右肩下がりになるのは避けられないでしょう」
「……」
「実のところ、私達も悲しみにくれたいのです」
今まであまり喋らないでいた等々力編集がぽつりと言った。編集長がそれを遮ろうとしたが、それよりも先にルナが動いていた。
「お話を、聞かせてください」
「大豆生田は、うちの会社でしか漫画を載せたことがない、生え抜きの漫画家でした。私が担当についたのは去年からですが、制服姿で茨城県からわざわざ編集部へ訪ねてくる姿はずっと以前から知っていました」
うつむいたままで、等々力編集は続けた。
「この数年でここまで大きく花開いたのはもちろん予想外でしたが、しかし、それでも成長を目の当たりにしてきました。どんな理由があれば、あの子が殺されなければならないのか、と思います」
ぽつぽちと、等々力編集の目から涙がこぼれた。
「彼女は、物語にだけは絶対の自信を持っていました。我々が修正を要請しても、自分が納得しない限りは絶対に曲げませんでした。それだけ、物語に本気だったんです。デザインを変える、構図を変える、そういった対応はしてもストーリーや設定を小手先の人気のために捩じ曲げることは絶対にしませんでした。漫画を描くのは、特に最初はとても大変なことですからみんな本気ではあるのですが、その中でも大豆生田は抜きん出ていました」
と等々力は目元の涙を拭って顔をあげた。
「すみません。話がそれました。我々としても、大豆生田のことは大事な仲間だと思っていた、という話です」
「よくわかります」
慈しむようにルナは言った。
「ですので……我々も悲しみにはくれたいのです。しかし、泣いてばかりいるわけにもいきません。今後、本誌もコミックスも売り上げは大きく落ちる。水仙社も一枚岩ではありません。雑誌の売り上げが落ちれば、出し抜こうとしてくる部署もある。他社も、ここぞとばかりに売り上げの逆転を狙ってくるでしょう」
等々力編集の言葉に、ルナは黙って頷いていた。
「大豆生田御門は、その気になればもっと他の、大手の雑誌で連載することもできたはずです。それだけの実力はありました。それでも、この編集部に持ち込んで、ここで連載をしてくれていたというのは、それだけ雑誌を愛してくれていたから、だと思うんです。だから、悼むこともせずに仕事のことばかり考えている我々を薄情だと思わないでください」
いつしか、等々力編集の目から涙が溢れていた。
等々力編集の言葉は、僕の胸を打っていた。確かに、彼の言う通り、大豆生田御門が作品に妥協をしなかったのは事実だろう。並々ならぬ覚悟が、作品からも伝わってきた。作品に対する愛情が、作品から溢れていた。
「わかっています。我々も、大豆生田さんを殺した事件を解決するために、全力を尽くす所存です」
敢えてそうしているのだろう。落ち着いた声でルナは言った。
「一つ。質問をさせて頂けますか」
「はい。なんでしょう」
涙で濡れた頬を拭って、等々力編集は言った。
「伊東七夕という女性をご存知ですか?」
「伊東、七夕ですか……?」
等々力編集と山脇編集長はお互いに顔を見合わせた。
「確か、同じ市内で亡くなった、殺人事件の被害者でしたね。関係があるのですか?」
「捜査機密で詳しくは申し上げられないのですが、ご存知ありませんか?」
「さあ……名前を伺ったことはありませんが」
「よく思い出してみてください。写真もあります」
伊東さんから受け取っていたのかもしれない。ルナはスマートフォンに生前の七夕さんの写真を映し出した。
「さあ、わかりませんね」
「嘘だ」
突然、冷たい声で、エヴァは言った。
切り落とすような、冴えた刃物のような声だった。
「あなたがたは、嘘をついていますね」
今までずっと押し黙っていた少女が突然口を開いたことに、山脇編集長と等々力編集は面食らったようだった。
「何を根拠にそんなことを言うのです」
何か言おうとした等々力編集を制して、山脇編集長が反論した。
「エヴァ。言ってやりなさい」
それに対して、ルナは自信満々な様子でエヴァに言った。
「眼球運動が顕著です。これは嘘をついているときの明確な特徴です……私の観察能力の前では、嘘をつくことは不可能ですよ」
「何を……」
「発汗も増えましたね? どうして私達が真実を知っているのか不安ですか?」
僕は内心で舌を巻いていた。エヴァの観察力が時として人間を凌駕することがあるのは理解していたが、これほどとは。むしろ、以前より磨きがかかっているかもしれない。
この観察眼さえあれば、推理すら必要がない。それこそ、推理小説で描かれるような、離島のクローズドサークルでの殺人事件が発生したとしても、今の彼女なら独力で解決できる。
どんなに他人を偽っても、自分を偽ることなどできはしないのだから。
人工知能であるが故にエヴァは嘘を看破出来る。感情も論理も関係なく、真理を見抜く。
「……そんなことを一方的に言われても、困りますね」
しきりに口元をこすりながら等々力編集は言った。
「何を言われても、我々は七夕などという人は知りません」
「嘘をついても無駄ですよ、等々力さん」
あくまで余裕を保ったままの態度で、静かにエヴァは言った。
「その口元をこする姿は、嘘をついている時のくせですね? 気をつけたほうがいい」
ハッとして、等々力編集は手を下ろした。
「もういいよ、等々力くん」
諦めたように、山脇編集長は言った。どこか、倦んだような気配があった。
「観念しよう。いつかはバレることだ。警察の捜査能力ならばそんなに時間はかからないだろう。我々は伊東七夕という女性をよく知っている」
会議室の中に、ふ、と間が生じた。
お互いに、相手の言葉を待っているかのような空気があった。
冷泉ルナはしばらく黙っていたが、小さくため息をついてから口を開いた。
「伊東七夕さんは大豆生田御門さんのゴーストライター、だったのですね」
ルナの言葉を耳にした山脇編集長と等々力編集は項垂れた。
「ちょ、ちょっと待って、ゴーストライターって、ルナ、どういうことですか!?」
思わず、僕は大声を上げてしまった。
「大豆生田さんは本当は『永劫エストック』を描いてなんかいないって言うんですか!?」
声は途中で途切れた。背後からエヴァが手を伸ばして、僕の口元を抑えていた。
「ユート。声が大きい。会議室の外にも聞こえる」
「お気遣い、ありがとうございます」
編集長は高校生に見えるエヴァに向かって頭を下げた。
「このことは、編集部の中でも限られた人間しか知らない事実です」
「秘匿事項だったのですね」
「秘匿と言いますか……これを言うと言い訳のようだが、我々も連載時点では知らなかったというのが正確なところです。大豆生田御門の裏にもう一人がいると知ったのは、連載が始まってしばらく経ってからでした」
「ちょっと待ってください、勝手に話を進めないでくださいってば」
ルナと編集たちがどんどん会話を進めるのを見て、慌てて言った。
「説明を、説明をお願いします」
「説明するまでもないことよ、ユート」
既に僕の口元から手を離して、しかし僕の背中に張り付いたままでエヴァが言った。
「大豆生田御門の正体は、伊東七夕だったのよ」
エヴァは耳元で囁いた。
「意味が……わからない。もっと説明してよ、エヴァ」
「わからない? ユート」
「ゴーストライターって……意味があるのか、そんなこと。ゴーストライターって、普通は、有名人につくものじゃないのか? 大豆生田さんは『永劫エストック』がデビュー作なのに、最初からゴーストライターなんて、どういう利点があるんだ?」
「ゴーストライターというのは、ルナがちょっとお茶目な表現をしちゃっただけ。普通の、一般で言われるような表現をするのであれば、七夕さんが原作、大豆生田さんが作画、ということになるわね」
その認識でよろしいでしょうか? とエヴァは青い瞳で二人の編集者に問いかけた。
「ええ。そうですね。おおむねその認識であっています」
ため息混じりにそう言った。
「一つ、補足させてもらうとしたら……、そうですね。漫画において原作というと普通はネームまで描くのが一般的なのですが、七夕さんはアイデア出しと言いますか、物語の方向性やキャラクターの設定を考えていて、ディテイルに関しては大豆生田さんに任せていたので、原案という感じです」
「わかりました」
ルナは満足げに頷いた。
「私達は、七夕さんがゴーストライターだったという事実を責めるつもりはありません。法的にはなんの問題もありませんし、業界的にも珍しいことではないでしょうからね」
「そうなの?」
僕の疑問に、ルナは、
「有名な藤子不二雄は二人一組だし、ブレインを雇っている作家なんて珍しくもないことだよ」
とあっさりと答えて、ですよね? と編集に問いかけた。曖昧な感じに、編集は頷く。
「ルナ、漫画業界に詳しいんですか?」
「漫画業界に詳しいわけじゃない。僕は博識なんだ」
自身のこめかみのあたりを示して言う。
「知性と閃きだけが僕の商売道具なんでね」
して、とルナは再び編集に向かい合った。
「私達が考えているのは、大豆生田さんと七夕さんが亡くなったのは、連載に関連しているのではないか? ということです。大豆生田御門と伊東七夕。『永劫エストック』を手がけていた二人が相次いで殺されたのを偶然と捉えるのは難しいでしょう」
ルナは声を潜めた。
「ここだけの話ではありますが、二人とも同一の凶器で殺害されたと判断しています。このてんでも、この二人の共通点である連載が無関係とは考えにくい」
念を押すように、ルナはわかって頂けましたか? と言った。
「わかって頂けたならば、改めて聞きます。大豆生田さんと七夕さん。この二人を殺害する動機がある、あるいは恨みを抱えているような人物に心当たりはありませんか?」
「そう言われましても……隠していた手前、こういうことを言うのは心苦しいのですが、思いつきませんね」
「隠しているわけじゃないんです。そもそも、七夕さんの存在を知っていた人自体が限られているのです。実は別人が話を考えていた、なんて話、いくら法律的に問題がなくてもファンはそうポジティブに受け止めてはくれないですからね。我々としても敢えて広めてはいませんし、わずかな知っていた人物も基本的には関係者であって、『永劫エストック』の連載が終了してしまうことにはデメリットしかないはずです」
ルナはペンを手にしたまま考え込んでいる。間を持たせるために僕は口を挟んだ。
「しかし、そろばん勘定だけで動く人ばかりではないのでは? 例えば、連載のライバルなどが恨みを持つ可能性はあるでしょう」
「ないとは言いませんが、現実的ではありません」
と等々力編集。
「確かに、他の連載漫画家にとっては、トップである大豆生田さんを消せば相対的に自分の価値が上がる、というのは理屈ではありますが、しかし、そのためにわざわざ人を殺すなんてことがありますか? しかも、二人も」
「……まあ、考えづらいね」
ルナが考え込みながら言った。
「そもそも、連載を中止させるのが目的ならば、どちらか片方で済む話ですしね。二人とも殺した、ということにどんな意図があったのか……思いつく理由はありますか?」
「さあ……」
山脇編編集長はかぶりを振った。
「繰り返しになりますが、我々にもわからないんです」
「七夕さんのことを知っていた人間は、具体的には誰がいますか?」
「私と……この、現担当の等々力編集。それと前の担当。それと、チーフ編集の何人かは知っていますね。チーフの中には、異動した人もいるので今はうちの編集部にいない人もいます。編集部に今も在籍している人間は間違いなく口外していないと言い切れますが、異動した人間までは保証できません」
「なるほど……」
「前の部署の秘密なんて、律儀に守ってくれているとは思いませんからね。酒の肴に漏れていても不思議だとは思わない」
とすると、理論上は、誰が知っていてもおかしくないということか。
「とすると、範囲を特定することは難しいですか? 山脇編集長」
「いや……どうかな。まずは確実に知っている範囲を当たることを無駄だとは思わない。調べる価値はあると思う」
「わかりました。では、それらの点については刑事部のほうから改めて話を伺います。作品に関連して、直近の変化というか、何かありますか?」
「変化……というと、やはり映画化というのが大きいのではないかと」
山脇編集長はおい、と等々力編集に声をかけた。
「何かあるか? 等々力」
「そうですね……コミックスの売り上げも順調ですし、特段作品の内容についても大きく路線変更する予定はありませんでした。やはり、実写映画化が一番大きな要素と思います」
「映画化に関しては、大豆生田さんと七夕さんはどの程度関わるのですか?」
「大豆生田さんが、映画用オリジナルのキャラクターを考えてくれました。加えて、実写化に際して、スピンオフの読み切りを書く予定でした。まだ一般には公開していませんが、切り裂きジャックをモチーフにしたキャラクターです」
「切り裂きジャックですか」
「かつてのイギリスを舞台とした作品となる予定でした」
僕はエヴァと目配せをした。
切り裂きジャックというワードからは、犯行現場に残されていた『from heaven』というワードに繋がってくる。
「すみません、もう一度伺いますが、その情報はまだ公開していないのですね?」
エヴァの問いかけに、山脇編集長はええ、と短く答えた。
「未公開です。知っているのは関係者だけ」
「七夕さんは?」
「我々も実は、七夕さんにお会いしたことはほとんどないのです。ですので、実際に七夕さんがどの程度関わっているのかはわかりません」
エヴァはあごに手を当てて、考え込むような素振りをした。それから、
「わかりました。ご協力ありがとうございました。」
「力になれなくて、すみません」
「いいえ。充分収穫がありました。こちらこそ感謝します」
ルナが頭を下げたので、僕とエヴァもそれに倣う。
「今後、何か思い出したことがありましたら、名刺の連絡先にお願いします。他の部署を通すと面倒なので、所轄や刑事部を通さずに私にお願いします」




