答えは、名探偵だな?
「一体何をしているんだ、こんなところで!」
伊東さんは声を荒げた。
どきりと心臓が高鳴る。
逃げるべきだろうか? いや、しかしここで逃げても状況は改善しない。伊東さんの行き先をあたったという事実がバレてしまった以上、逃げる意味はない。
「でてきなさい!」
僕は傍らのエヴァの反応を伺った。
逃げるか、それとも。
エヴァの横顔はなんの返事もしなかった。
「入れてあげようよ、伊東くん」
大声を上げる伊東さんに宥めるような仕草をして、冷泉ルナは面白がるような声を出した。
「この名探偵・冷泉ルナの隠れ家にたどり着くなんて、大した少年少女じゃないか。ご褒美をあげたい気分だよ」
「しかし……冷泉さん……」
迷った様子で、伊東さんは目を泳がせる。
「僕がいいって言っているんだ。入りたまえ。それに」
と、ルナ。
「処分するのはいつだってできるんだから」
冷泉ルナの声は底冷えがするようで、聞くだけでゾッと背筋が粟立つのを感じた。
「行きましょう、ユート」
躊躇う僕よりも先に、エヴァが立ち上がって言った。
「虎穴に入らずんば虎子を得ずよ」
それでも僕は逡巡していたが、エヴァは堂々たる態度で玄関に周り、リビングに入ろうとする。ため息をつき、仕方なく僕も続いた。
「ふん。なかなか肝が座っているね。気に入った」
背筋を伸ばして向き合うエヴァに対して、ルナはにやにやと笑みを浮かべていた。
「ふんふん。高校生の男女か。カップルかな? 君、ええと、金髪の女の子のほう」
やはり、見た目という意味ではエヴァのほうがぐっと目立つ。ルナが注目したのもまたエヴァのほうだった。
「顔がいいね、君。なんて名前だ?」
「エヴァと申します」
「その格好、高校生か。何歳だ?」
「十六です」
縮こまったままで、僕は口をはさんだ。
「どうやってここに来たんだ?」
ルナの言葉は尋問するというよりも、単に興味を持って聞いている様子だったが、それでも僕は居心地が悪い。
「伊東くんを尾行するのは簡単じゃないはずだ。ノウハウがない高校生にできるとは思えない。どうやって僕の隠れ家を見つけ出した」
「俺だって、尾行には気をつけていました」
憮然として、伊東さんは言う。
「尾行されてたってことは、ないと思います。まして高校生なんかに」
「わかってる、わかってる、伊東くん。君を責めようってわけじゃない。僕は知りたいだけなんだ。どうやって僕の家を探り当てたのかをね」
ルナは微笑んで、すっと片手を挙げた。
「さて、エヴァとやら。教えてくれ。どうやってここまで来たのかを」
「名探偵」
ルナの問いかけに対して、エヴァは単語で、言葉を返した。
「名探偵よ、冷泉ルナ」
意味がわからない。
これは僕にとっても意外なことだった。
彼女の今までの振る舞いから考えても、受け答えがおかしいということは一度もなかった。
エヴァの知能が齟齬を発生させているのか、それとも?
「なんだって? エヴァ」
「ルナ、だったわね。あなたは先ほど、名探偵を名乗っていたわね?」
「名乗っていたが……それがどうしたか?」
落ち着いた口調とは裏腹に、ルナの視線は鋭くエヴァを貫いていた。
「僕が名探偵だとして、それがどうしたっていうんだい? エヴァ」
「名探偵なのに、私がここまで来た行程を推理出来ないの?」
エヴァの言葉に、ルナは酢を飲んだような表情になる。
「エヴァ」
思わず僕も口を差し挟んでしまった。
「あまり失礼なことを言うなってば。頼むから事態を荒立てないでくれ」
「失礼なこと? ユート」
いぶかしげにエヴァは言った。
「異なことを言うわね、ユート。私達は既にリスクを侵しているの。ならば、最大限まで踏み込むことによって、リスクの増大を抑えたままリターンの増加を望める。毒を喰らえば皿まで」
「だからって……」
「いいだろう」
僕たちのやりとりを断ち切るようにしてルナは言った。
「推理してやろう。貴様たちの行程を」
「いいんですか、冷泉さん」
心配そうに伊東さんは言った。
「なんだ? 伊東くん。僕の推理が敗れるとでも」
胸を張って、ふん、と冷泉ルナは鼻を鳴らした。
「違いますよ、冷泉さん」
伊東さんはため息をつく。
「俺が言っているのは、こんな子供を相手に冷泉さんがお時間を割かなくてもってことです」
「ああ。伊東くん。その通り。君がいうことは正しい。そういう意味では特別サービスだ。僕は君たちが気に入ったからね」
ルナは犬歯をむき出しにして笑う。
「肉屋は対価なしにただ肉を差し出しはしない。探偵もまた同じように、対価なくただ推理を差し出すことは本来はない。故にこれは出血サービスだ。僕が血を流そう」
と、額に手を当てて考え込む素振りを見せた。
そのままぴくりとも動かない。
部屋の中に、しん、と無音が満ちた。
流石にエヴァほどではないが、ルナも充分に見目麗しい見た目をしている。微動だにせず思索に耽る姿は、まるでギリシャの彫像のようだった。
時間にすれば、さほど長い時間ではなかったのだろう。
一分か、それとも五分か。
ルナは両目を開いた。
「見切った」
血のように赤い唇が歪む。
「貴様たち」
「はい。なんでしょう」
僕は震える声で言った。いったい、どうなってしまうのか。
「伊東くんとは既知の関係なんだよね?」
「ええ、まあ……」
「数日前に知り合ったばかりです。俺が……その、嫁と出かけていたところを話しかけられました」
「わかったぞ、ユートとエヴァよ」
冷泉ルナは、ずっと瞑っていた目を見開いた。
「答えは、名探偵だな?」
その答えを聞いて、伊東さんが息を飲み、エヴァが我が意を得たりというように口元をニヤリと歪める。
僕だけが、答えがわからないままだった。
「説明しよう」
僕に対する解説というよりも、名探偵の性というものなのかもしれない。冷泉ルナは両手を広げて言った。
「エヴァ、君は、推理したのだ。僕の家の所在をな」
「改めて言葉にされると、信じがたいですね……冷泉さん」
「だが、そう考える他ない」
ルナはじっとエヴァを見つめた。エヴァも悠然と視線を返す。
美少女二人の視線がぶつかりあう。
「どうかな? エヴァ。正解ならそう言ってくれ」
「正解」
エヴァは短く答えた。
「どういうルートで推理したのか、教えて貰えるかな?」
「以前、七夕さん、つまり伊東さんの奥様とお会いした時に、伊東さんが名探偵と呼ばれているという話は聞いていた。つまり、警察内部に事件の情報を流してくるようなパートナーがいる可能性が高い」
ルナが振り返って伊東さんを見る。伊東さんは仕方がないだろう、という風に目線をそらした。
「いや。伊東くんを責めているわけではなくて。それだけの情報で?」
「もちろん、永遠に伊東さんを尾行するわけにはいかないので、罠を張りました。具体的には、伊東さんを煽りました」
喫茶店でのやりとりを思い出した。
あの時、エヴァが伊東さんにいやに喰ってかかったように見えたのは無意味な衝動ではなかったということだ。
「ああいう言い方をしておけば、伊東さんはそれなりの確率で情報提供者と接触を持つと思ったのよ。電話やメッセージアプリだったら作戦失敗だったんだけどその場合は別のアプローチをするだけだしね」
堂々とした様子でエヴァは言い切った。
というか、もう一度伊東さんにアプローチするつもりだったのか。びっくりした。
「出てきたのがワトソンじゃなくてホームズなのはびっくりしたけど」
「あの段階でそこまで考えていたのか」
呆れた様子で伊東さんはため息をついた。
「全く、抜け目ない」
「伊東くんを、僕の家まで誘導したのはわかったよ」
ルナは目を細めた。
「それで? どうやって僕の家を特定した?」
ルナの視線が、伊東さんのほうに移る。
「伊東くんが言っていた発信器をつけていたのは君か。伊東くん、君が発信器を特定した場所はどのあたり?」
「冷泉さんの家に来る途中の車の中ですね」
苦々しげに、伊東さんは言った。
「とはいえ……この家から、少なくとも十キロメートルは離れていたかと思います」
「そこから先はどうやってと特定したんだ?」
「グーグルマップにあたったわ」
とエヴァは答えた。
「何?」
「警察関係者、のみならず名探偵、という言葉を伊東さんは残していた。故に、防犯対策が甘いところに住んでいるとは思えない。なので」
エヴァは唇を歪めて笑った。
「総当たりで防犯に強い立地の、名探偵が住んでいそうな住所を全てピックアップしました」
「何……」
ルナが目を丸くした。
驚くのも無理はない。
伊東さんにつけていた発信器のサポートがあったとはいえ、発信器が発見された場所が冷泉ルナの家に向かっていた保証はないのだ。仮に確信を持っていたとしても、距離があるのかを想定するのは不可能である。
徒労を徒労と厭わない人工知能だからできる強引な手法だ。人間には絶対に不可能な、演算能力の高さを武器にした力技の推理。
「そしてピックアップした場所を確率の高そうな順に全て当たりました。思ったより早い段階でヒットして良かった」
「やれやれ」
冷泉ルナは肩をすくめた。
「自宅の防犯機構を強固にしていたことで足をすくわれるとは。これは仕方ない。伊東くんも気にしないでいいよ。君のせいではないから」
「驚いてもらえた?」
エヴァはにこりと笑って、ルナに問いかけた。
「びっくりした。もしかして、僕、今の家のセキュリティを見直す必要があるのかな」
「別に、大丈夫だと思うわ。このやり方、私にしかできないと思うし」
「僕も、色んな探偵気取りや捜査官を見てきたけど、そんな力技があるなんて思わなかったよ……」
呆れたような感心したような感じで、ルナは息を吐き出した。
「信じられん。そんな方法があるとは」
伊東さんもルナも驚愕していた。それも当然だ。僕だって、エヴァがアンドロイドだと知らなかったら信じられないし、なんならアンドロイドであることもなかなか信じられなかった。
二人にとって、エヴァのことが、恐ろしいほどの演算能力を誇る少女に見えているはずだ。
「賞賛、痛み入ります」
そんな中で、エヴァが小さな声で言った。
言葉に反して、嬉しくもなんともなさそうな声だった。
「もっとも、こんなことは大した意味がないわ。ただの作業だから」
謙虚に、エヴァは言う。
「ふん。認めてやろうじゃないか、エヴァとやら。貴様を、名探偵だと」
期待と戦慄が入り交じったような表情で、ルナは言った。
「……して、何が狙いだ?」
「私の目的は」
ゆっくりとした口調で、エヴァは言う。
「事件の解決です。私たちにも情報を横流ししてください」




