現代に出版されたある種特定の書物について
まず始めに、これは唯の一学生にすぎない私がこの後紹介する現代の社会に蔓延っているある種の書物について自由気ままに書き記したものであり、決してその内容を否定したり、軽蔑しているわけではない事をご理解いただきたい。また、過度な表現が含まれる箇所がこれからの文章中に表れる恐れがあるが、たかが学生が書くものである。ご容赦いただければ幸いだ。
では最初に、何故こんな事を記そうかというと、以前、用事が有り訪れた近所にある駅のちょっとしたブースに置いてある本のタイトルについて、少々気になったのだ。其処には、実業や論説文、そして絵本やコメディ等も置いてあったが、今私が最も言いたいものは主に実業や論説文についてだ。何故だ、と不思議に思う方もいらっしゃるだろう。では、逆に聞こう。この作品の読者である貴方が、今まで、種別を問わず、作品を読むと決めた上でまず最初に何を見て決めただろうか?多くの人がまずタイトルを見るだろう。逆に、タイトルを見ずに作品を手に取る人は少ないだろう。
さぁ、そこで私の今回言いたい事だ。タイトルとは読者を惹き付けるための最初の関門である。内容を読まずとも、また読んだとしても、「タイトルが気に入っている」という理由で買う人は一定量必ずいる。そこで、そのタイトル。私が最も目を惹かれたのが、というと誤解を生むかもしれないので言い直そう。私が最も目に付いたものは、よくあるありきたりな、「これさえ読めば~~の全てが解る」や「~~でもわかる○○」というものだ。それの何処がおかしいのか、と言ってしまえば私のこの作品もそれまでだろう。私がこの作品で言いたい事、それはつまり、「タイトルのマンネリ化と一種の否定」だ。「タイトルのマンネリ化」というのは先程私が、よくあるありきたりな、と記した事である。これ自体は理解に容易いだろう。問題は、「一種の否定」である。これは、「ある種ある物を何らかの形でその存在を否定している、若しくは下等と見なしている」という事だ。何を言っているんだこいつは、とお思いでしょう。ですので、これから例に出して見ていきたいと思う。
例として、先程出した「~~でもわかる○○」を使って考えてみよう。始めに書き記したとおり、実際に出版されている書名を使うと流石に不味いので、この伏せられている、入力していない部分に何かを入れてみる。「猫でもわかる二次関数」、例としてはこんな所であろうか。するとどうだろうか。わからない人は、特に「猫でもわかる」の部分に注目してみると良い。つまりは、二次関数が解けない人間は猫にも劣る。そう言いたいのだろう。実際は、生物学的に高度な生命体である人間が猫に劣るはずが無い。だが、私が出したタイトルテキストの通りに様々な名前を入れたりしたら、人間はこの世界、この地球上で最も劣った生命体である、という事になってしまう。そしてそれ以前に猫と人間とを敢えて比較し、人間こそ至上の生命体として猫を貶しているではないか。付け加えて、他に作ってみるのならば「アオミドロでもわかる」と言ったところであろうか。
上記の例だけで私の言いたい事が解らなかった方にもう一例。今度は「これさえ読めば~~の全てが解る」を使って説明していこう。先程と同じように、何かを付け加えてみよう。「これさえ読めば世界の宗教の全てが解る」と言ったところだろうか。これも、実際の書名を出すと色々不味いので作ったものだ。では、少々強引な極論だが、この本を読み、実際にその土地その宗教に訪れ生活した結果、本の通りに生活していただけなのに殺された。この場合、悪いのはこの本を読んだにも関わらず、殺されてしまった本の所有者がいけないのだろうか。そう、自分でもこの例は極論過ぎると思うが、この本を読んで殺されてしまったのならば本の所有者が悪いという事になるのだろう。
ここまで、長々と書き記してきたが、私の言いたい事は大体これに集約される。
「特定の生物を貶したタイトルはつけるものではない」
と、言う事だ。
あぁ、最後だが、もう一つこれに付け加えたい事がある。これはタイトルにも全く掠りもしない別の事で、この作品を書いている私にとって盛大なブーメランになるかも知れない事だが、つくづく思うのでここに書き記しておきたい。これは、実業を含まない、論説文に対しての事だ。
それは、
「ぐだぐだと前置きを書き綴って解りにくく言いたい事を捻じ曲げ一般に解りにくく記すぐらいならば、解り易い言葉で最初から結論を言え」
という事である。
以上、この文を以って終了とする。
最後までお付き合いくださった読者の方へ無上の感謝を。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
よろしければ感想欄にこの作品に思う事等を書いていただければと思います。
また、文章のほうは未だ作者が学生なので至らぬ点が有ると思いますが、なにとぞご容赦を。