キミしか見えなくて
「お着替え、お着替え、楽しいな~♪」
「……」
身体をゆらゆら揺らしながら、替え歌を口ずさむ高知先輩。
……ああ。
なんか…先輩の扱い方が、なんとなく分かってきた気がする。
(この人は、幼稚園児並みの子供なんだな)
これからは、親戚の子供と接する時のような、感覚で接するとしよう。
気持ちを改めて、先輩の前にしゃがみ込んだ俺は、寝間着を手に取り先輩と向き合った。
「じゃ、先輩。右の袖口から腕を通して下さい」
「ん! はい」
「左も通して」
「ん~!」
「はい。良く出来ました。前のボタン閉めましょうね」
「ぃやっ! やって?」
「……。じゃ、ズボンは自分ではいて下さいよ?」
「うっ!? や~っ! どっちもやってぇ?」
「駄目です! ズボン位、自分ではいて下さい」
「うぇぇぇ。意地悪~」
「はいはい。動かないで! ボタン閉めれないですよ」
「んっ!!」
「……はい。よくできました」
ペシャンコな煎餅布団の上で、上半身を起こした先輩相手に、寝間着を着せる高校1年生の俺。
(こんな恥ずかしい姿、絶対学校の連中には見せれないな)
客観的にそう思いつつも。
密室で先輩と二人いる事に、俺は妙な居心地の良さを感じた。
なんて、な。うん。
「や~!起きてるのっ!!」
「いや。熱あるんだから、寝て下さい!!」
たった3分前だが。
居心地が良いって感じてた、さっきの俺を殴りたい。
「や~だ~!!」
「先輩。お願いだから、寝て下さい。ね?」
寝かし付けに失敗、というか。うん。
スーパーでお菓子買ってもらえない子供並にグズる先輩相手に、俺も泣きたくなってきたぞ。
「う、ぅ。寝る……の?」
「そうです。でないと熱下がりませんよ?」
「……んー!」
グズる先輩を寝かし付ける事に、なんとか成功した俺は、後はおかゆか何かご飯を作ってあげてから、そろっと家に帰ろうかと思い。
立ち上がろうとして、下から服の裾を引っ張られた。
「なっ? 先輩」
服の裾を力一杯引っ張る涙目の先輩を、俺は呆然としながら中腰姿勢で見下ろす。
「いや、行くの?」
「……先輩」
要領を得ない問いだったが、なんとなく先輩の言いたい事が分かって、俺は静かに頷いて見せた。
だって、いつまでも先輩の部屋に、居座る訳にはいかないから。
暗くなる前に俺は家に帰らなくちゃならない。
「また、前みたいに、起きたら……いない?」
「え?」
もしかして。
前に保健室で看病した時の事を言っているのだろうか?
「ずっと、会えない。寂しかった」
「……先輩」
あの日。
保健室で先輩の世話をし終えた俺は、先輩を寝かしつけた後、黙って授業に戻って行ったから。
その後にひとり目覚めた先輩が、どんな思いでいたのかなんて、まったく気にも留めていなかった。
もしかして、あの視線は……?
黙って消えた俺を見つけた先輩が、何か伝えたい事があって、あんなにも俺を見ていたのだろうか?
「……」
俺に何を伝えたいのですか?
って聞いたら、もう二度と後戻りが出来ないような、奇妙な感覚がして俺は唇を噛んだ。
「田中……冬馬。とーま君」
「っ?!な、なんで俺の名前」
もやもやっとしていた、俺の心の内を知ってか知らずか、先輩は唐突に俺のフルネームを口にする。
「へへ、調べた!とーま君。好きだから」
「……は?」
いま、先輩――なんつった??
ふにゃりと笑って、真っ直ぐに見つめてくる高知先輩。
熱でだるい身体にも関わらず、俺に気持ちを伝えようと必死で言葉を紡ぐ。
「とーま君に会いたくて、身体、弱いけど。ボク……無理して、頑張って毎日、ガッコ行った」
「俺に?」
「でも、夏休みの間、ずっと会えない。毎日、ひとり、家で……寂しかった」
ワンコ属性の先輩は寂しがり屋だったようだ。
というか先輩。
夏休みの間、この音のない寒い部屋で、ひとり過ごしていたのだろうか?
切なげな先輩の声を聞いていて、胸の奥がトクトクと騒ぎ出す。
「すごく、とーま君に、会いたかった!」
「っ! 先輩。寂しい……って? その、夏休み中、家族の人とは……」
頬に集結する熱を誤魔化すように、俺はちょっとだけ話を逸らして問う。
すると先輩は、友達でもなんでもない。
ただの後輩である俺に、自身の打ち明け話をしてくれた。
「ボク、家族、事故で亡くして……いない。
親戚に、引き取られて育ったから、ずっと一人で……ここにいる」
「っ!!」
ずっと一人でって……うそだろ。親戚の人と一緒に暮らしてないのか。
子供みたいな発言の多い先輩の感じからして、ちゃんとした養育を受けているとは思えないし、そんなまだ学生の先輩が一人暮らしとか、マジあり得ない。テレビでニュースになってた、ネグレクトってやつじゃないか?
「親戚の人、とても親切。でも家計苦しい。
けど、ボクが欲しいもの、言えば買って与えてくれる」
「そう、なんですか」
心優しい先輩は養育放棄されてる現状を恨んでおらず、親戚も苦しい家計の中、こうして金銭面で面倒を見てくれる親切な人だとプラスに思っているようだ。
うう。くそっ。
先輩にそう言われたら、関係者でもなんでもない俺は、なんも言えない。
(……)
って事は、だ。
金銭面では親戚に援助してもらってる中、このTVや趣味の雑貨すらない、殺風景な部屋を作っているのは先輩自身だって事になる。
普通に考えたら親戚の人に遠慮して、生活に必要な品以外、何も購入してないのかって思うところだけど。それは、なんか、違う気がする。
(先輩は、物に対する執着心が、無いっぽい。まぁ、毛布は別っぽいけども)
ワンコと呼ばれるだけに、人に対する執着心はありそうだ。
なんて事を俺がうっすら考えていたら――まさしく、その考えを裏付けるような話を先輩は始めた。
「でも、一番欲しいものは、与えて貰えない」
「え?」
身体をズルズル引きずって、俺の腰にぎゅうっと抱きついてきた先輩。
「あの日、保健室で、今日みたいに、とーま君が無償で与えてくれた、優しさ――愛情」
「っ?!」
「ボク、とーま君の愛が……欲しい」
先輩の口からその言葉を聞いて。
俺はカッと身体が熱くなると同時に、この寒い部屋で愛情に飢えている先輩を、ひとりにしておきたくないって思った。