第八話 ヨナルデパズトーリ
「煙いな」
「煙草くらい許してくださいよ」
こっちは気怠いのに、報告しなきゃなんねーんだから。
すげぇ気分悪い匂いより、煙草の煙のがマシなんだよ。
「そういえば、お前様の報告に――二見という化け物がいると、あったな」
「ええ、犬の神様すよ、元は。綾様を守ってるらしいっす」
「……おかしなものだ、御仏様は天女の力も強いわけでもないというのに」
「……つか、天女って実際の所なんなんです? 本当に実在する、天女とかじゃないんでしょ」
オレの思う天女や、ゴミツの思う天女は一緒だと思っている。
化け物の加護を受けた奴や、化け物が惚れた人間のことだと。
けれど、このくそ坊主の考える天女は違う意味なんじゃないかと、徐々に気づいているんだ。
それにこの坊主が、化け物達は元は神様とされていたのだと、知らないみたいだしな。
ただおぞましい力を秘めている、意味の分からない生き物だと認識している。
そこらに存在している妖怪のように。
天女についていつ聞いて良いかタイミングを見ていたが、今日は機嫌が良いみたいで、問いかけてみた。
思った通り、口を滑らせる僧正。
「ヨナルデパズトーリ」
「は? あの、木こりの妖怪っすか」
確か目が合うだけで死に、姿を見るだけで病になる――であってるだろうか。
そんな妖怪がいたはずだが――。
「ヨナルデパズトーリを作りたいのだ、やり直しができる。天女と呼ばれる存在を、追い詰めて追い詰めて、具現化させたいのだよ――人ではない力を持つ者は、大体が天女候補だ。諱を与えられた者は、全て。そう、お前様もな。天下布武も安寧秩序も皆、一様に化け物だ……お前様達の集いは、とても追い詰めるのに楽だ。有難い提案だったよ」
「ヨナルデパズトーリも化け物でしょ、なんで天女なんて言うんすか」
「――ヨナルデパズトーリは、化け物ではない。お前様は、もう少し勉強をされたほうがいい。お前様達は化け物であるが、天女となるほど追い詰められた御方は、時空を超える……嗚呼、なんと恐ろしいのだろう。恐ろしさと、恍惚は紙一重だ。信仰とは畏怖であるのだよ。ライアー、我々は五つの太陽を、待っているのだ」
「五つの太陽?」
「――世界が生まれ変わる瞬間を、待っている。お前様とて、この国がこのままではいかんと判っているだろう? ずる賢いお前様ならば」
……要するに、何かしら一般人と違う能力を持つ天女候補を、とことん追い詰めてヨナルデパズトーリという奴みたいになるのを待っているってことだろうか。
この国を月が買収する以前の世界に戻すなり何なりして、借金なんて帳消しにしたいとか、だろうか。
世界をやり直す化け物を作るために――化け物を隠すために「天女」だなんて名付けているのか。
「綾が何故生き仏だったか判るか?」
調子に乗った僧正が話しだす。
オレはぴくりと反応し、やや目を眇めて僧正へ振り返り煙草を捻り潰す。
僧正はオレの気が引けたことに満足して、にやにやと気味の悪い薄ら笑いを浮かべている。
これからオレの反応がどう出るのか酷く楽しみにしているようだ。
オレの弱点があからさまに、綾様だから。
「存在自体が我々の指針であった、あの方は。政府が確認しうる限り、あの方は時間に捕らわれているからだよ――同じ時間を、ずっとずっと。不老不死の研究に繋がる。何より世界を作り直すには、最高ではないか」
「……どうやってそんなこと、判ったんです?」
「全て教えるわけにはいかぬよ、狗ごときが」
狗ごとき相手にさっきまで良いようにされていたくせにそういうことを言うのか。
なる程、坊主というのはあの御仏様以外性格が悪いらしい。
――そんなの随分前から判っていたけれど。
吹雪の中、城から大量に医学に役立ちそうなもんをナップザックに入れて、出ると懐かしい顔を見つける。
「――巡?」
巡は苛ついた顔でオレを睨み付けていた――そんな顔するなよ。
テメェがあの時止めていた理由が分かったんだ、有難うな。
でも御礼を口にする資格はオレには一生ない、オレは巡の親切を無碍にしたから。
巡を避けて通り過ぎようとした瞬間、巡に捕まり、キスをされる――。
キスをされたくらいじゃ驚かねぇけど……巡の必死な表情が、泣きそうな表情が目の前にある事実に何故胸がつきりと痛んだのか理解できなかった。
この心臓の痛みは、綾様専用だというのに。
「絶対に、名前をやるなよ――」
「? オレは綾様から偽名を貰っている身だ」
「……まだ、判らないの。世界は五回生まれ変われる。その間に対処しないと、子犬ちゃんは消えちゃうんだよ。現世で」
「……五回?」
「ヨナルデパズトーリは元は別の神様の姿だ。その神様が関わる伝承は、世界が五回生まれ変わる。現世に、ヨナルデパズトーリが現れる」
「……何か情報色々持ってるンだな、巡?」
ふっと笑って頬に触れてやると、ばっと巡は離れて、唸るように睨み付けてくる。
この世の全てを憎んでいる瞳というより、この世の全てを悲しんでいる瞳だった。
嫌いになりきれないけれど、好きにもなれないから悲しんでいる瞳。
唇を噛んで、オレをずっと睨み付ける。
「子犬ちゃんはめぐを忘れてる」
怒ってる口調なのに、次の言葉はその怒りを否定するものだった。
「でも、良いんだ――そのまま忘れていて。ただ、覚えていてほしいのは、名前を与えてはいけない。いいね、できるね? 今度こそ。めぐの言うとおりに」
「――テメェの言い分が何らかしらで正しいっつーのは判るが、納得いかないんだ。いや、……何でかその通りにできねぇんだ」
「それはだって……この世界から逆らうから……。生まれ変わろうとする世界を、無理矢理止めているんだ、めぐは」
「どうして?」
「世界が生まれ変わったら、子犬ちゃんが消える。それぐらい途方もない時間を浪費するんだよ……兎に角、名前を与えちゃ駄目だよ」
人に名前を与える機会なんてそうそうないだろうに。
馬鹿馬鹿しい――オレが消える? まだ時間は五百年くらいあるはずだ。
五百年消える何かが起こりうるとは思えないんだ。
オレはナカユビをたてて、巡を無視して帰って行く。




