第十一話 笑顔の特効性
それはまるで、傷つけられ慣れている手負いの獣みたいな、悲しい表情。
オレは、受け入れられたら綾様が助かるんだから、喜べばいいのに――。
一切合切喜べなかった。
負けて良いんだよと言われてる風に感じて、負けたくないのに。
病になんて負けたくないのに。
オレは唇を噛みしめて、抱きつく二見を引きはがす。
「いや、オレは治しにかかるぞ。二見、オレが欲しけりゃオレの言うもん用意しろ、薬は無理でも道具くらいは手に入るだろ!?」
「……人間の時間は貴重なんだよ、子犬ちゃんはましてや五百年しか残ってない」
「――たった一つ、オレのこと教えてやる、オレ自身から。オレは、病に負けるのだけは嫌なんだよ! 記憶を見たテメェらなら判るだろ、オレはッ……オレの犯した罪は……」
――前世で犯した、オレの罪。
それは御劔の病を治さなかった――。
天女も病になるのだなと。もし御劔がそのまま死んでしまったら、来世で人間になれるのではと。
オレは、患者を見殺しにした最低の咎人だ――。
ゴミツから逃れるのに良いのではないかと思っていたのだが、そのせいで前世の御劔はゴミツから元気になれると騙されて、人肉を食べてしまったのだ。
もしかしたら、オレが治せたかもしれない。
オレに何かできたかもしれない。
あれやこれやと考えるのは遅すぎる、けれどもはや性分になってしまった。
もう二度とあの罪を自身に持たせたくない、病を持つ者を治せるのに見捨ててしまった後悔は、思い出したくない。
そうして、もっと悲惨な目に遭う患者に会うなど――。
病にかかるのはしょうがない。
だが無知は罪だ、だが知識を持ちながら何もしないのは大罪だ。
病に抵抗したいと思わない奴はいないんだ。
病に諦めてる奴は、抵抗してきて疲れてるからなんだ。
なら外から、サポートしていきたい。
サポートするのが医者で、正規の医者で治せないというのならとオレは毒を選んだ。
「だから、オレに治させろ」
「――子犬ちゃんってさ、本当に純真無垢なんだね」
二見は小さくはにかんで、頬を掻く。
「子犬ちゃんは救いたいとかじゃなくてさ、自分が嫌だから治したいって想いが素敵だよ。だからふみは子犬ちゃんの想いがとても大好きなんだ。子犬ちゃんは天女に相応しい」
「素敵!? ただ弱っちいだけだ! 純真無垢ってのは、綾様みたいな方で――」
「子犬ちゃん、悪いけどあの人は純真なんかじゃない。天然で、無邪気なのはあってるけれど……無邪気なまま悪い想いもある。子犬ちゃんはそれに気づくべきだ」
「どうしてだ……どうして、ゴミツみてぇなことをテメェらも言うんだ……」
「だって、あの人は子犬ちゃんに守って貰いながら、〝有難う〟を言ってない」
言われてみて、小首を傾げる。
有難うって言われてないから何だと言うのだろう。
オレが勝手にしてることなのだから、言われる覚えがない。
二見は機嫌悪そうに、言葉を続ける。
「子犬ちゃんの気持ちは優しくて好きだけど、有難うを言わない子は好きじゃ無いな。その甘えを許す子犬ちゃんも。だって、御礼も言われない庇護なんて悲しいよ――ねぇ、めぐ?」
「……僕らは、昔人間を庇護していたけど、御礼の一言も言わない。子犬ちゃんみたいに好きだから、勝手にしてるからって思いながら守っていたら、ある日言われたんだよ。もう邪魔です――って」
二見の言葉に、巡が片頬を膨らませて応える。
「だから、子犬ちゃんは紛れもなく、〝狗〟の加護を受けてもいい。だって、同類だもん。由嘉里には、リリーがいたんでしょ? だから子犬ちゃんに気づかなかったんでしょ?」
二見がすり寄ってきたので、オレは退けようとしたが、馬鹿力だなこいつ……! 病で弱ってる筈なのに!
オレは二見と巡の頭をばしっと叩いてやった。
「気づかないままでいいんだよ、泥沼になるだろーが。ガキにはわかんねー感情だ」
「ガキじゃねぇし! 僕もめぐも、ガキじゃねぇもん! 兎に角ッ、子犬ちゃんは病気治すために、薬作らなくて良い!」
「でも治らないだろ、それじゃ!」
「治るよ、好きな人が傍にいれば! 笑顔になれば、病の抑止になるよ!」
「笑顔?」
そんなもんで治る?
子供の夢物語に出会った気持ちだった。
純粋で優しい思いに、はっとすると同時に、そんなの現実には有り得ないと見下す汚い感情。
素直に認める優しい気持ちがあればいいのに、オレは今までの自分自身を否定された気持ちだったので、顔を顰めた。
「笑顔は患者を苦しませる」
「そんなことないよ! 笑顔になれるだけ幸せってことでしょ!? なら、ふみは子犬ちゃんがいれば幸せ。貴方の心に、一目惚れだよ……それに」
再び二見はオレの額に手をあてて、泣きそうな笑みを浮かべる。
どれだけ顔色を悪くしても、こいつの意思だけは強いままだと、何となくこのとき悟った。
「それに子犬ちゃんに、救えない咎を背負わせたくない。子犬ちゃんは、苦しむ。子犬ちゃんは苦しんで生き続けたんだから、僕らの前でくらいは甘えてみてよ。素直に甘えてよ、甘え下手の嘘吐きさん。本音はもう疲れてるんでしょう?」
「何を……」
「恋しても報われないの、嫌だよね――とても判るよ」
二見の言葉は、オレの中に芽生えていた、見ない振りしてた本音であった。
本音を言い当てられた瞬間、オレは涙がぼろっと零れた。
言わぬ、聞かぬ、知らぬ。見ぬ、呼ばぬ、省みぬ――……ずっとそうして、恋をし続け、ずっと気づいて欲しくても黙っていた。
兄貴と綾様の二人が幸せならって、拍手していた、祝福してきた。
けど……オレとて人だ。
結ばれたい思いだって、人並みには――あった。
誰かと、恋愛がしたかった。
由嘉里以外に惚れてみたかった――けど、オレは必ず由嘉里に惚れてしまっている。
だって、もう長年恋し続けて――それは呪いのような思いだった。
ただの意固地にもなっている。
永遠に叶わない恋に、疲れていたのは事実で、誰かに甘えたかったのも事実で。
「何言ってんの」
変な笑いが出た。鼻で嘲るように笑ってやる。
これ以上。
これ以上プライドをずたずたにしないでくれ。
もう何もかも見たくない、何も知りたくない。やめてくれ、どうか頼む。
心の何処かで、オレは幼いガキのように「見たくない」と泣いている自分を自覚する。
知りたくなかった想いだった。
「ふみ、もうやめなよ」
「なんで? 子犬ちゃんが傷つくの見たくない」
「ふみ! いいから、もう何も言っちゃ駄目だ!」
巡が二見をオレから引っ張り、剥がしてくれる。
オレは涙を拭って、自分の手首を見つめていた――。
「子犬ちゃん、とにかく薬作り禁止!」
巡は、オレの思考を読んでいたかのように、オレに声をかけてきたので、思わず笑った。
ああ、オレはまた笑い方をミスったらしい、巡がぎゅっと唇を噛みしめている。




