おそろいクローバー
急いで書いたので少々うやむやです。
「あぁ、気持ちがいい」
誰もいない森の中、僕は呟いた。
ここには木々が生い茂っている。聞こえる音は鳥のさえずりと風の舞う音と木々の葉の擦れる音だけ。
僕は学校終わりにいつもここに来る。友人にゲーセンに誘われようとも、宿題が溜まっていても。
この場所は僕にとってとても落ち着く場所だ。何故だか幼い頃にここへ頻繁に来ていたような気さえする。
僕には幼い頃の記憶がない。
覚えているのは、病院のベッドの上で目を覚ましたこと。そして身体の痛み。
そして肌身離さず持っているこのクローバー。
四つ葉でもなく、ただの普通のクローバーだ。
しかし、捨てようとは思わず、むしろ常に持っていなければいけないような気さえした。幼きころの記憶の片鱗がそうさせるのかどうかはわからないけど。
いつものように頭の中を空っぽにし、なんとなく木々の隙間から見える陽光を見つめていた。
十メートル程向こうだろうか、少しだけ日なたが出来ている。
よく見ると、そこには一人の女性がいた。
彼女はしゃがみ込んでる。遠いので顔はわからないが、何やらクローバーを見ているようだ。
直感が告げている、今あの人に話しかけなければいけない、と。
少し急ぎ足で木々の間を通り抜け、その女性の目の前へと行った。
近くで見るとその女性は大人っぽいが、どこか懐かしいような感じがする。
長い髪が風に流され空を舞い、丸みをおびた顔がこちらを向いている。目を丸くし、驚いたような表情だ。まぁ突然目の前に人が飛び出してきたらそういう反応になるだろう。
何故だか焦る気持ちを一生懸命抑えながら、僕は口を開いた。
「ク、クローバー!」
「え?」
「クローバーは、お好きですか?」
咄嗟に出た言葉はこれだった。
彼女の足元にひっそりと咲くクローバーが目についたので言った。
突然現れた男にこんなこと聞かれた彼女はどんな反応をするのだろう。
「はい、大好きです」
律儀に返答してくれた。ありがとうございます。
「あなたもクローバーは好きなんですか?」
そう質問する彼女の顔には少し期待感があり、また不安そうだった。
「特に好きではないんですが、妙に懐かしい気がするんですよね、これ」
僕はおもむろにポケットからあのクローバーを出した。
「そっか、まだ……」
「え?」
「あ、すいません。こちらの話です」
一瞬だけ、彼女から違う雰囲気を感じた。
「どうしてここへ?」
「昔、友人と交わした約束のためです。あなたは?」
「なんとなく落ち着くんですよ、ここ」
ここには二種類の風が吹く。
草木の香る風と、懐かしさを感じさせる暖かい風。
両方とも僕の大好きな風だ。
これらの風を感じると、僕は不思議と元気になる気がするのだ。
だから、この森は好きだ。
「そうですか。きっと、あなたの心に訴えかける何かがこの森にはあるんでしょうね」
この女性は勘が鋭いようだ。
「えぇまぁ。ただ、その何かの正体はさっぱりとわからないのですが」
「いつかわかる日が来ると良いですね」
「ありがとうございます」
「では私はこれで」
そういうと女性は立ち上がり、森の出口とは反対側に歩き始めた。
「出口は反対ですが」
「……大丈夫です」
その女性は歩調を早めた。
「さて、僕も帰るか」
手を広げ、風をたくさん感じたところで僕は家へと帰った。
翌日の放課後、僕はいつも通り森へとやって来た。
何故だか今日もあの女性がいる気がした。むしろ毎日いるような気さえしていた。
昨日同様、クローバーが生えている場所に女性はいた。
「あなたはここの風は好きですか?」
質問を投げかけてみた。
「えぇ、大好きです」
やんわりと答えてくれた。
その後も特に何をするというわけでもなく、彼女が帰るまで僕は一緒にクローバーをただただ見つめていた。
ただ、彼女はいつも帰るとき、出口と反対方向に歩き出す。何故なのだろう。
帰るときの彼女の背中はいつもどこか寂しげなものだった。
その夜、僕は久しぶりに夢を見た。
僕が見た夢は妙になまめかしく、現実味のあるものだった。
小さな男の子と女の子が森の中で無邪気に遊んでいた。
その男の子と女の子はとても仲が良さそうに見える。
一緒にクローバーを見ている。
男の子が四つ葉のクローバーを見つけた。
女の子はそれを受け取ると、葉を一枚千切ってしまった。
怒って泣く男の子に女の子はポケットから三つ葉のクローバーを出して、笑いながら言った。
――――――これでおそろいだね!
その後夢は少し飛んだ。
その森の出口とは反対方向に男の子と女の子は歩き出した。
二メートル弱の草を手で押しのけながら進んでいくと道路に着いた。
女の子が道路へ降り立った瞬間、右方向から車が来ていた。
男の子はすぐさま道路へ降り、女の子を突き飛ばした。
目の前の光景を見て泣く女の子。
そこで夢は終わった。
これはもしかすると……
次の日、いつものようにクローバーの生えている場所に女性はいた。
女性は僕を見ると笑顔を投げかけてきた。
「見てください、四つ葉のクローバーですよ」
彼女の手には四枚の葉をしっかりとつけたクローバーが置かれていた。
「ちょっとかしてください」
僕は言った。
「いいですよ」
彼女は優しい手つきで僕にクローバーを渡した。
僕は受け取ったクローバーの葉を一枚千切りとった。
彼女は少し驚いた表情をしている。
「これで、おそろいだね」
僕は自分のポケットから三つ葉のクローバーを取り出した。
「……思い出したの?」
彼女は泣きそうな表情で僕に尋ねた。
「大体は」
彼女が僕の幼馴染であること、この森は僕と彼女の良く遊ぶ場所だったこと。
それと、僕が持っていたクローバーは彼女との絆の証だということ。
「なんで今まで会いに来てくれなかったの?」
僕は質問した。
「だって、あなたが記憶を失ったのは私のせいだもの。私を庇って車に轢かれたせいで記憶を失ったから」
先ほどの泣きそうな表情とは打って変わってとても嬉しそうな表情だ。
「じゃあなんで今になってここに来たの?」
再び僕は質問を投げかけた。
彼女は少し驚いた表情をした後、再び笑った。
「そっか、そこはまだ思い出せてないんだ」
彼女は僕の手を握り、顔を近づけてきた。
「言ったでしょ、約束したのよ」
「約束?」
「そう、約束」
約束、という言葉を聞いても僕はなんのことなのか一向にわからなかった。
「約束したのよ。あのクローバーを千切った後に」
彼女の顔が陽光に照らされ、笑顔の輝きが増した。
「お互い大人になったら……結婚しようって」
そう言った彼女は、顔を近づけて来た。
彼女と僕の距離が無くなった。
彼女の柔らかい唇に触れ、僕は思い出した。
――――――大人になったら、けっこんしようね!
懐かしさを感じさせる暖かい風が、僕らを包んだ。
時間があるときに修正していきたいと思います。