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魔法使いと王女さま

作者: 金乃りん

 冷えると思ったら、雨が降っていた。

 音もなく降りしきる雨が地をたたき、水をはねて空気を冷やす。

 そしてまた地にたまる。

 当たり前の繰り返し。

 ただ、今日の雨はずいぶんと冷たい。暖炉で暖めた部屋の中まで冷えた空気が忍び込んでくるほどに。

 貴重な厚いガラスをはめた窓から見える外は薄暗く、灰色の雲が空に立ちこめていた。

 今年の収穫は終わったはずだ。ならば、この雨でもさしたる影響はあるまい。だが、どことなく気が滅入る天気だった。緑はすでに姿を消し、枯れ草の茶色と灰色が世界を染めて、わずかばかりの赤い木の実は鳥についばまれてほどなくすべてなくなるだろう。

 もうすぐ、冬が来る。世界から色がなくなる日々が。

 空も灰色、地は白の雪で染められ、木々は葉を落として黒に染まる。陽の光の恵みは短くなり、夜が世界を包む。だが、家の中では暖炉が赤々と燃え、日頃忙しく働く家族が部屋の中に集い、のんびりと過ごす日々でもある。そんな日々も悪くはない。

 もう少し部屋を暖めようと部屋の隅に摘んだ薪を手に取る。太いものがあと数本。これでは明日の朝まで持たないだろう。外はまだ明るい。今のうちに薪を作ってしまおうと外套を手にした。

 この塔で今暖められているのはこの部屋だけだ。生活のすべてを過ごす部屋。食事をする小さなテーブルと椅子、壁をそこだけくりぬいて作られた寝台。水瓶に食事を作る、オーブンがつけられた台。薬品の大きな調合台の上には器具が所狭しと並べられているし、その横には大きな薬品棚がある。そして大きな本棚。必要なものはすべてそろっている、狭くもないが、それほど広いわけでもない部屋だ。無駄なく生活が成り立つこの部屋は気に入っている。

 だが、この暖かい部屋とは裏腹に、扉の向こうは身体の芯まで冷えるほどに寒いだろう。もっと冬になれば肌が痛くなるほどの寒さになるが、この時期は身体の奥にまで染み渡ってくる寒さだ。

 手袋とマフラーをつけてブーツに履き替え、部屋の扉を開ければ、やはり冷たい空気が部屋の中にまで忍び入ってきた。

 扉を閉ざし、暗い影を落とす階段に明かりをともす。薪の置いてある場所までは図書館の階を通り、応接間のある階を通り過ぎて玄関ホールの裏側にいかなければならないからだ。慣れた道のりといえど、寒さの中では動きが鈍る。

 階段にあけられた小窓からは、雨音と湿気が入ってくる。ぶるりと身を震わせて、一人階段を黙々と下りる。

 音らしい音は、靴音と、雨音だけ。特別な来客などない限り、ここはそういう場所だ。どこまでも静けさに包まれてすごす場所だ。

 塔の裏口から出て、つんである薪を幾つか手にとった。傍らにおいてある薪割りようの丸太と斧で炊きつけやそこそこ燃え広がりやすい太さに割り、太いままの薪と一緒に上着の隠しに入れていた縄で縛って持ち上げる。これぐらいあれば、明日の昼までは足りるだろうか。

 歩き出そうとしたその視界に、余計なものが入った。

 白に赤で彩られた一台の四輪馬車。四輪の馬車は高位貴族か王族用だ。そして、その馬車をいやというほど知っていた。

「ヴィンス…!」

 馬車から飛び降りてきたのは、薄い紅色のドレスに身を包んだ小柄な少女。この国の王女、ミシュリーヌ・コレット姫だ。茶色の髪に青い目を持つ王女は全速力で走ってきた。だが、待つ理由はこちらにはない。元来た扉を開けて中に薪を持ったまま入る。後ろで悲鳴のような声が聞こえた。

「ヴィンス!ヴィンスってば!もう!入れてよ!!」

 甲高い声が塔の中にまで反響して頭が痛くなるような響きをもたらした。先ほどまでの心地よい静寂が一瞬で破られる。それは、歓迎するべき事態ではない。迷いは一瞬。ため息と共に扉を開けるしかなかった。

「ありがとう!」

 どかっとばかりに抱きつかれて、思わず取り落とした薪が音をたてて床にばら撒かれる。この少女が来るといつも厄介ごとばかりだ。

「ご、ごめんなさい…」

 手伝おうとしているのかおろおろと差し伸べてくる手が邪魔で、避けるようにもう一度薪を集め、ロープでしっかりと縛る。

「ヴィンス!わたくしが持つわ!」

 そうしたいなら止める理由もない。ありがたいことだ。しかし、結末がどうなるか十分すぎるほど予測できてしまった。途中で重い、手が痛いといってあきらめるに違いない。何しろ、部屋までは階段をいくつも上がらなければならないし、薪は女性が持てるような重さではないからだ。気が済むまではやらせようとそのままそこにおいて階段を上る。うしろで薪を持ち上げたらしいミシュリーヌ・コレットの悲鳴のような声が聞こえた。これは持ち上げることもできないのかもしれない。そう思って振り向けば、顔を真っ赤にしながらも薪を持ち上げて抱える少女の姿があった。

 真っ白な獣の毛皮は灰色に汚れがつき、手袋もこすれて汚れた。しかし、そんなことかまう節も見せず、ただ薪を持ってついてこようとする少女に、正直あきれた。

 そのマントや手袋を洗うのは誰なのか。それを作った人はどんな思いで作ったのかわかっているのか。

そう怒鳴りたい気分をぐっと抑えて、階段を上った。

 部屋にたどり着いて待つことしばし。

 お茶をいれる準備をし、少しだけ部屋を片付け、椅子を座れるように準備してお湯がすっかり沸いたころ、少女はぜいぜい言いながら部屋にたどり着いた。なんと持ってきてしまった。考えていたよりは根性も力もあるようだ。

「ヴィンス、ひどいわ。一人でさっさと行ってしまうなんて!」

「ミシュリーヌ・コレット」

「ミミと呼んでくださいな」

「茶が冷める」

 少女は示されたお茶に歓声を上げた。それほど大げさなことを言わなくても、と思うのだが少女にとってはそうではなかったらしい。

「ヴィンスがわたくしにお茶を煎れてくださるなんて!」

 薪をここまで運んでくれた相手に礼代わりの茶のいっぱいも出さないほど礼儀を失ってはいない。当然のことをしたまでだ。

「ヴィンス…ヴィンス・サヴィア様?」

「なんでしょう?」

「今日はわたくし、どんな用でこちらに伺ったか、ご存知?」

「いいえ、知りたくもないので。お茶を飲み終わったらお帰りください」

 読みかけの本も読んでしまいたいし、兄弟子からの手紙も読み返したい。それに、今度は返事を書いて妹弟子たちに連絡を取らなければ。

「もう…たまにはお茶をいれてくださるなんて優しいと思ったら、いつもどおりのヴィンスですわ」

 当たり前のことだ。いつもどおりでなければどんなだというのか。相変わらずわけのわからない少女だ。

「ミシュリーヌ・コレット殿下」

「ミミって呼んで下さいな」

「呼ぶ義理を感じません」

 ぷぅ、と膨れるとシマリスに似ていた。なんとも愛嬌のある顔だが、人間がやってもあまりかわいくない。

「どのような御用でしょうか?」

「あなたに会いに来たの」

 それがとっても重要な用であるかのように告げた少女に、考えることを放棄した。

「そうですか、もう会えましたね。さようなら」

 なんの役にも立たず、用もない訪問者など邪魔なだけだ。

「ひどいわ・・・もうちょっとそばにいさせてくださっても・・・」

「迷惑です」

 事実、この少女は少しでも許すと一刻は居座って散々邪魔をし、あたりを散らかして研究成果をぐちゃぐちゃにして帰る。王族とやらの特権もなんでも許されるという意識も歓迎などしない。

 ただ、この少女の兄である王は少しだけましな人間だと思った。足ることを知り、無知であることを知っている。それだけで上等といえよう。

「ヴィンス…」

「さようなら」

 あくまでそう告げると、居座っても仕方ないことを悟ったのか、残念そうな顔で少女は立ち上がり、礼をした。

「ごきげんよう、ヴィンス・サヴィア様。またお会いできる日をミシュリーヌ・コレットは楽しみにしております」

 儀礼的にまたお越しください、と返してさっさと部屋から追い出すことにした。

 けれどこの少女はきっと又、近いうちにやってくるのだ。

「ミシュリーヌ・コレット様」

「なにかしら?」

「ここはあなたの国を守るために設置された守りの塔。わたしはそこに勤める塔守の魔術師。気軽に遊びに来るところなどではございません。お控えください」

「それでも、わたくしはあなたに会いにまいります」

 にっこり笑って、少女は去った。

 戻ってきた静寂は前にもまして貴重なものと感じられる。まさしく台風のような存在感の娘なのだ。彼女は。今回は大変おとなしく、物も壊さず、何もやらかさずに帰ったが、いつもは部屋中がぐちゃぐちゃになる。料理場などに立たせれば大変なことが起こる。いっそ仕事の邪魔なのだが、それすらお構いなしの少女は、きっとまた近いうちに来るのだろう。今からそれを思うとため息しかでてこないヴィンスだった。









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