第二章 履歴は残る
異変は、通知の形で届いた。
午前九時十二分。
尾崎の端末に、赤ではなく、灰色の通知が表示された。
《職員状況更新》
灰色は、退職か死亡のどちらかだ。
尾崎は特に急がず、通知を開いた。
対象:宮本 恒一
状態:死亡
確認日時:午前六時四十分
原因:調査中
数秒、画面を見つめる。
誤表示の可能性を考え、内部データベースにアクセスする。二重確認。三重確認。
結果は同じだった。
会議室からざわめきが漏れてくる。誰かが泣いている声もする。
尾崎は端末を閉じ、席を立った。
宮本のデスクは整然としていた。
書類は分類され、付箋は色分けされている。昨日のままのマグカップが、まだ温かいように見える。
「朝、連絡があって……」
総務の女性が説明する。
「自宅で……。警察は自殺の可能性が高いと」
尾崎は頷いた。
「そうですか」
それ以上の言葉は出なかった。
葬儀は小規模だった。
家族の希望で、参列者は限られている。
焼香を終え、外に出ると、空気は冷えていた。
尾崎はコートのポケットから端末を取り出す。
業務連絡が数件。
推薦通知の再確認依頼。
そして、新しい表示。
《関連分析対象に追加されました》
尾崎は一瞬、意味を測りかねた。
詳細を開く。
《死亡者:宮本 恒一》
《所属部署:運用監査課》
《直近評価者:尾崎 誠》
尾崎は画面を閉じた。
制度は、感情を持たない。
関連性があれば、記録するだけだ。
それは当然の仕様だった。
数日後、内部ヒアリングが行われた。
「宮本さんに過度な業務負担はありませんでしたか」
「評価面談での指摘内容に問題は」
質問は定型的で、責任追及の色は薄い。
制度は個人を裁くためのものではない。傾向を探るためのものだ。
尾崎は事実のみを答えた。
「業務量は標準範囲内です」
「評価は客観指標に基づいています」
嘘はない。
宮本の信用指数はB帯上位。
将来有望。
推薦候補リストにも、いずれ入るはずだった。
尾崎は自席に戻り、履歴を開く。
最終更新は三日前。
《自己評価:問題なし》
グラフは緩やかに上昇している。
どこにも、破綻の兆候はない。
尾崎は、別の画面を開いた。
内部ログ。
評価コメント履歴。
自分の言葉が並んでいる。
《今後は主体性をより期待する》
《役職候補としての自覚を持ってほしい》
推奨文のテンプレートだ。
特別な圧力ではない。誰にでも使う表現。
それでも、尾崎はその一文を見つめ続けた。
――役職候補としての自覚。
それは名誉だ。
同時に義務でもある。
尾崎自身が、何度も受け取ってきた言葉だった。
端末に、新しい通知が届く。
《審査委員会 推薦受諾期限:本日中》
画面は静かに光っている。
宮本の履歴も、同じ画面の中にある。
優秀であること。
期待されること。
辞退すれば、履歴が残ること。
どれも正しい仕組みだ。
尾崎は、初めて通知を閉じずに、しばらく見続けた。
だが、そこに表示されているのは数字と文言だけだった。
感情は、どこにも記録されていない。
窓の外では、夕方の信号が正確に切り替わる。
社会は、今日も滞りなく動いている。
尾崎は、まだ結論を出していなかった。
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