第一章 正しく表示される社会
改札を通るたびに、自分が正しい人間だと証明される社会だった。
朝七時三十二分。
駅は混んでいるが、混乱はない。人の流れは一定で、誰も立ち止まらない。改札の上部に埋め込まれた読み取りセンサーが、通過する一人ひとりの端末と短く通信し、淡い光を灯す。
青。
緑。
青。
エラー音は鳴らない。
尾崎はいつものように端末をポケットに入れたまま改札を抜けた。視界の隅で、小さな通知が表示される。
《信用確認 完了》
それだけだ。
何点だったかは見ない。見る必要もない。自分がA帯であることは分かっているし、確認しなくても日常は滞りなく進む。
階段を上がる途中、背後で誰かが言った。
「最近ほんと、エラー見ませんよね」
「不正が減ったんだろ。いいことだよ」
事実だった。制度が本格導入されてから五年。公共事業の遅延は減り、役職の選出を巡る揉め事もほとんど聞かなくなった。能力のある人間が、必要な場所に配置される。それだけのことだ。
合理的で、静かな社会。
尾崎は庁舎に入り、エレベーターで七階へ上がった。
公共信用指数管理局、運用監査課。
デスクに端末を置くと、若手職員の宮本が顔を上げた。
「課長、おはようございます。例の通知、もう見ました?」
「何のだ」
「推薦です。次期審査委員会。もう来てますよ」
軽い口調だった。悪意も皮肉もない。ただの事実報告だ。
尾崎は端末を起動し、未確認通知を開いた。
《公共役職推薦通知》
候補区分:優先
推薦理由:総合信用指数上位三%
「今年もですか。さすがですね」
宮本が笑う。
「辞退しますか?」
「後で考える」
尾崎はそれ以上何も言わず、通知を閉じた。
役職は名誉だ。
そして義務でもある。
能力があると評価された人間が、公共の責任を担う。それは公平で、分かりやすい仕組みだった。推薦は強制ではない。辞退もできる。ただ、辞退すれば履歴は残る。透明性は、この社会の基盤だ。
それに、審査委員会の仕事は大きな負担ではない。週に数回の会議と、書類確認。尾崎の業務量からすれば許容範囲だった。
午前の会議は三十分で終わった。
案件の進行状況は順調。人員配置も適切。異議は出ない。
「この分だと、来年度予算も予定通りですね」
「数字は嘘をつきませんから」
誰かが言い、室内に小さな笑いが広がる。
尾崎は頷いた。
数字は嘘をつかない。
少なくとも、この制度においては。
昼休み、職員用ラウンジの壁面モニターにニュースが流れていた。音は小さく、字幕が主だ。
《市内男性(42)、自宅で死亡確認。警察は自殺とみて調査。地域委員長を三期歴任》
短い記事だった。
続報の予定はないらしい。
「最近ちょっと増えてますね」
弁当を開きながら、誰かが言う。
「でも制度とは関係ないって話ですよ。統計上、有意差はないとか」
「まあ、仕事できる人ほど抱え込みますからね」
軽い相槌が続く。
尾崎はモニターから目を離し、席に戻った。
端末を開き、検索窓に氏名を入力する。
数秒後、対象の信用履歴が表示された。
総合評価:A
信頼指数:極めて高い
公共貢献指数:高
役職履歴:地域委員長 三期連続
推薦辞退歴:なし
滑らかな右肩上がりの推移グラフ。
理想的な履歴だった。
尾崎は特に感想を持たなかった。
優秀な人間が、責任を果たしてきた。それだけのことだ。
数字は整合している。制度は機能している。
端末を閉じる。
午後の業務に戻る時間だった。
窓の外では、冬の光が静かに街を照らしている。
信号は正確に切り替わり、人の流れは滞らない。
この社会は、正しく動いていた。
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