第95話: デート
翌朝。
私が朝食を取っていると、侍女が手紙を持ってきた。
「エリアナ様、侯爵様からです」
封筒を開けると、丁寧な筆跡で短い文章が書かれていた。
『今日一日、二人きりで街を巡らないか。午前10時に宿舎の前で待っている。アレクサンダー』
読み終えた瞬間、心臓が高鳴った。
二人きりで——デート?
「どうされました、エリアナ様?顔が赤いですよ」
侍女が心配そうに尋ねる。
「だ、大丈夫です」
私は慌てて答え、急いで支度を整え始めた。
---
午前10時ちょうど。
宿舎の前に、侯爵様が立っていた。普段の格式張った服装ではなく、少しカジュアルな装いだ。それでも、彼の気品は変わらない。
「おはよう、エリアナ」
「おはようございます、侯爵様」
侯爵様は優しく微笑み、私の手を取った。
「今日は、君と二人だけの時間を楽しみたい」
その言葉に、胸がドキドキする。
「はい」
私たちは並んで、王都の街へと歩き出した。
---
最初に向かったのは、市場だった。
様々な店が軒を連ね、色とりどりの商品が並んでいる。侯爵様は私をエスコートしながら、一つ一つの店を丁寧に見て回ってくれた。
「これ、綺麗......」
私は小さなアクセサリー店の前で立ち止まった。ガラスケースの中に、青い宝石のペンダントが飾られている。繊細な銀の細工が施され、宝石が優しく輝いている。
「気に入ったか?」
侯爵様が尋ねた。
「はい、でも——」
「店主、これを包んでくれ」
「え、侯爵様......"
「君へのプレゼントだ」
侯爵様は微笑みながら、代金を支払った。店主が丁寧に包装してくれたペンダントを、侯爵様は私の手に渡してくれた。
「ありがとうございます」
「開けてみないか?」
私は包みを開け、ペンダントを取り出した。間近で見ると、さらに美しい。青い宝石が、朝日を受けて輝いている。
「つけてもいいか?」
侯爵様が尋ねた。
「はい」
私が頷くと、侯爵様は優しくペンダントを私の首にかけてくれた。彼の指が首筋に触れる度に、心臓が跳ねる。
「似合うよ」
侯爵様の言葉に、顔が熱くなった。
「ありがとうございます」
私は胸元のペンダントに触れた。温かい。まるで、侯爵様の想いが込められているような——。
---
市場を後にして、次に向かったのは美術館だった。
昨日も訪れた場所だけど、今日は二人きり。特別な時間だ。
「この絵は、どう思う?」
侯爵様が一枚の肖像画の前で立ち止まった。若い女性が描かれた、優雅な絵だ。
「綺麗です。でも......少し寂しそうに見えます」
「そうだな。この女性は、愛する人と離れ離れになったと言われている」
「悲しい物語ですね」
「ああ。だからこそ——今、共にいられることの大切さを感じる」
侯爵様は私の目を見つめた。
「エリアナ、君と共にいられることが、私の幸せだ」
その言葉に、涙が溢れそうになった。
「私も......です」
私たちは美術館をゆっくりと巡り、様々な絵画を鑑賞した。侯爵様の解説を聞きながら、私は彼の知識の深さに改めて驚いた。
そして——彼が私のために、こんなに時間を割いてくれていることが、嬉しかった。
---
昼過ぎ、私たちは小さなカフェに入った。
テラス席に座り、お茶とケーキを注文する。窓の外には王都の街並みが広がり、人々が行き交っている。
「疲れていないか?」
侯爵様が尋ねた。
「いいえ、とても楽しいです」
「それは良かった」
運ばれてきた紅茶を一口飲む。優しい香りと味が、口の中に広がる。ケーキもふわふわで、甘くて美味しい。
「エリアナ」
侯爵様が私の名を呼んだ。
「はい」
「手を、出してくれないか」
言われるまま、私はテーブルの上に手を置いた。侯爵様は優しく私の手を取り、そっと握った。
温かい。彼の手は、いつも温かい。
「君といると、心が安らぐ」
侯爵様が静かに言った。
「私も......です」
私たちはしばらく、無言で手を繋いでいた。言葉はいらない。この沈黙が、心地よい。
カフェの中に流れる穏やかな音楽、外から聞こえる街の喧騒、そして侯爵様の温もり。全てが幸せだった。
---
カフェを出てから、私たちは公園へと向かった。
緑豊かな公園には、色とりどりの花が咲いている。石畳の小道を歩きながら、侯爵様は私の手をずっと握っていてくれた。
「あら、お似合いですね」
すれ違った老婦人が、私たちに微笑みかけてきた。
「ありがとうございます」
侯爵様が礼儀正しく答えた。老婦人は満足そうに頷き、去っていった。
「お似合い、ですって」
私は照れくさくて、顔を伏せた。
「その通りだと思うよ」
侯爵様が笑顔で言った。
「侯爵様......」
私は彼を見上げた。深い青色の瞳が、優しく私を見つめている。
「君は私の人生に、光をもたらしてくれた」
「そんな......」
「本当だ」
侯爵様は私の頬にそっと手を添えた。
「エリアナ、君と出会えて——本当に良かった」
その言葉に、涙が溢れた。
「私も......本当に、良かったです」
侯爵様は優しく私を抱きしめてくれた。温かい。彼の胸の中は、とても温かい。心臓の鼓動が聞こえる。私の鼓動と、彼の鼓動が重なり合う。
「ずっと、君の傍にいたい」
侯爵様の声が、耳元で囁いた。
「私も......ずっと、侯爵様の傍にいたいです」
---
夕暮れ時。
私たちは公園のベンチに座っていた。空はオレンジ色に染まり、太陽がゆっくりと沈んでいく。
「綺麗......」
私は夕焼けを見つめながら呟いた。
「ああ、綺麗だ」
侯爵様も同じように夕焼けを見つめている。
私は侯爵様の肩に、そっと頭を預けた。
「疲れたか?」
「いいえ......ただ、こうしていたくて」
侯爵様は優しく微笑み、私の頭を撫でてくれた。
「好きなだけ、こうしていていい」
「......ありがとうございます」
夕暮れの風が、優しく吹いている。木々の葉が揺れる音、遠くから聞こえる鳥の鳴き声、そして侯爵様の温もり。
「幸せです」
私は小さく呟いた。
「私もだ」
侯爵様の声が、優しく響いた。
この瞬間が——永遠に続けばいいのに。
---
夜、宿舎に戻ってから。
私は一日を振り返っていた。市場でのプレゼント、美術館での時間、カフェでの会話、そして公園での抱擁。
全てが夢のようだった。
でも、首元のペンダントが——これが現実だと教えてくれる。
私は窓辺に立ち、星空を見上げた。
この幸せが、ずっと続きますように。
そう願わずにはいられなかった。
しかし——この時の私は、まだ知らなかった。
平和な日々の裏で、暗い影が動き始めていることを。
**次回予告**
束の間の平和が終わりを告げる。エリアナを待ち受けるのは——。
第96話「暗雲」に続く。




