第94話: 束の間の平和
「ねえ、今日は三人で街に出かけない?」
リリーが明るい声で提案してきたのは、7月4日の朝のことだった。私たちは宿舎の食堂で朝食を取っていた。窓の外は快晴で、夏の日差しが心地よく差し込んでいる。
「いいわね。私も賛成」
セレスティアさんも笑顔で頷いた。
「わ、私も......」
私も嬉しくて、思わず頷いた。魔法実演が終わってから、少し気持ちに余裕ができた気がする。たまには、こんな風にのんびり過ごすのもいいかもしれない。
「じゃあ、決まりね!王都の街を満喫しましょう」
リリーが立ち上がる。
私たちは朝食を済ませ、支度を整えて宿舎を出た。
王都の街は、平日でも賑わっていた。
石畳の通りに並ぶ店々、行き交う人々、そして活気に満ちた声。市場では新鮮な野菜や果物が並び、カフェからは香ばしいコーヒーの香りが漂ってくる。
「わあ、あの帽子可愛い!」
リリーが小さな帽子屋の前で立ち止まった。店先には色とりどりの帽子が飾られている。
「試着してみたら?」
セレスティアさんが勧めると、リリーは嬉しそうに店に入っていった。私たちもその後に続く。
店内では、リリーが次々と帽子を試着している。
「これ、どう?」
青いリボンの付いた帽子を被って、くるりと回る。
「可愛いわ」
セレスティアさんが笑顔で答えた。
「エリアナはどう思う?」
「とても似合ってる」
私も素直に答えた。リリーは本当に——いつも明るくて、一緒にいると元気をもらえる。
「じゃあ、これ買っちゃおうかな」
リリーは満足そうに帽子を購入した。
次に向かったのは、街角の小さなカフェだった。
テラス席に座り、お茶とケーキを注文する。運ばれてきた紅茶は綺麗な琥珀色で、ほのかに花の香りがする。ケーキはふわふわのスポンジに、甘いクリームがたっぷり。
「はあ......幸せ」
リリーがケーキを一口食べて、うっとりとした表情を浮かべた。
「本当ね」
セレスティアさんも微笑む。
私も紅茶を一口飲んだ。温かくて、優しい味。体の中から、じんわりと温もりが広がっていく。
「ねえ、エリアナ」
リリーが急に真面目な顔で私を見た。
「なに?」
「侯爵様とは、どこまで進んでるの?」
「え......」
突然の質問に、私は紅茶を吹き出しそうになった。
「リリー、いきなり何を言うの」
セレスティアが呆れたように言ったが、彼女も興味津々という顔で私を見ている。
「だって、気になるじゃない。あの侯爵様が、あんなに誰かを大切にするなんて」
「そ、それは......」
私は顔が熱くなるのを感じた。
「侯爵様、完全にあなたに夢中よ。見てて分かるわ」
リリーが断言する。
「あのパーティーでの手へのキス、とてもロマンチックだったわ」
セレスティアさんも頷く。
「二人とも......」
私は恥ずかしくて、カップで顔を隠した。でも——嬉しい。こんな風に、友達と恋愛話で盛り上がるなんて。
前世には、こんな経験はなかった。
「幸せそうね、エリアナ」
セレスティアさんが優しく言った。
「うん......幸せです」
私は素直に答えた。
「良かった。あなたが笑顔でいられることが、私たちも嬉しいの」
リリーが満面の笑みで言う。
「ありがとう、二人とも」
私の目に、じんわりと涙が滲んできた。
この世界で出会えた、大切な友達。
カフェを出た後、私たちは市場を散策した。
色とりどりの花、新鮮な野菜、手作りのアクセサリー。様々な店が軒を連ね、活気に満ちている。
「あ、侯爵様」
セレスティアさんが誰かを見つけて声を上げた。
振り返ると——侯爵様が歩いてくるのが見えた。彼は騎士たちを連れ、何やら視察をしているようだった。
「エリアナ」
侯爵様は私たちに気づくと、近づいてきた。
「アレクサンダー様。お仕事中ですか?」
「ああ、街の様子を見回っていた。君たちは?」
「三人で街を散策していたんです」
「そうか。楽しんでいるか?」
侯爵様は優しく微笑んだ。その笑顔に、私の心臓が高鳴る。
「はい、とても」
「それは良かった」
侯爵様は視線を周囲に向け、少し考えるような表情を浮かべた。
「午後から時間が空く。良ければ、一緒に美術館にでも行かないか?」
「え......」
「もちろん、皆もだ」
侯爵様が三人を見渡して言った。
「私たちは遠慮しておくわ」
リリーが即座に答えた。
「二人でゆっくり過ごしてきて」
セレスティアも微笑む。
「でも......」
「いいから、いいから」
リリーが私の背中を押す。
「では、エリアナ。午後2時に美術館の前で」
侯爵様が優しく言った。
「......はい」
私は頷いた。
午後2時。
王都の美術館の前で、私は侯爵様と待ち合わせをした。彼は約束通り現れ、エスコートしてくれた。
美術館の中は静かで、優雅な雰囲気が漂っている。壁には数々の絵画が飾られ、訪れる人々は静かに鑑賞している。
「この絵は、300年前の宮廷画家が描いたものだ」
侯爵様が一枚の風景画の前で立ち止まった。
「綺麗......」
山と湖が描かれた、穏やかな風景画。見ているだけで、心が落ち着いてくる。
「君の好きそうな絵だと思った」
「ありがとうございます」
私たちはゆっくりと美術館を巡った。絵画を見ながら、侯爵様が時折解説をしてくれる。彼の声は穏やかで、聞いているだけで心地よい。
ふと、侯爵様の手が私の手に触れた。
「......」
彼は何も言わず、そっと私の手を握った。温かい。この温もりが、心に染み込んでいく。
私たちは手を繋いだまま、美術館を後にした。
美術館を出ると、夕暮れが近づいていた。
「もう少し、一緒にいてもいいか?」
侯爵様が尋ねた。
「もちろんです」
私たちは近くの公園へと向かった。公園にはベンチがあり、私たちはそこに並んで座った。
木々の葉擦れの音、遠くから聞こえる鳥の鳴き声、そして優しい風。全てが穏やかで、心地よい。
「こんな日常が続けばいいのに」
私は思わず呟いた。
「そうだな」
侯爵様も頷く。
「でも——現実は、そう甘くないのかもしれない」
彼の言葉に、私は少し不安になった。
「何か......ありますか?」
「いや、今はまだ何も。でも、油断はできない」
侯爵様は空を見上げた。
「だから、今この瞬間を大切にしたい」
「......はい」
私も空を見上げた。夕焼けが綺麗に広がっている。オレンジ色の空が、どこまでも続いている。
侯爵様の肩に、そっと頭を預けた。
「エリアナ......」
「こうしていても、いいですか?」
「ああ」
侯爵様は優しく私の頭を撫でてくれた。その手の温もりが、心を満たしていく。
「幸せです」
私は小さく呟いた。
「私もだ」
侯爵様の声が、優しく響いた。
**次回予告**
束の間の平和な日々。そして、二人だけのデートが——。
第95話「デート」に続く。




