第83話: 涙と解放
夜の静けさが館を包んでいた。侯爵様の私室に招かれた私は、緊張と期待が入り混じった気持ちで扉をノックした。
「入りなさい」
侯爵様の声が、扉の向こうから聞こえる。
部屋に入ると、暖炉の火が優しく揺れていた。オレンジ色の光が、部屋全体を温かく照らしている。侯爵様は窓辺に立ち、外を見つめていた。
「侯爵様」
私が声をかけると、侯爵様がゆっくりと振り返った。
「エリアナ、来てくれたんだな」
その声は、いつもより柔らかかった。
侯爵様が暖炉の傍の椅子を指す。私は静かに座った。侯爵様も向かいの椅子に腰を下ろす。
「手紙を読んでから、ずっと考えていた」
侯爵様が静かに語り始めた。
「十五年間、私はルシアの仇を討つことだけを考えて生きてきた。それが私の使命だと信じて」
暖炉の火が、パチパチと音を立てる。
「でも、ルシアが本当に望んでいたのは、私の幸せだった」
侯爵様の声が震える。
「私は...私は何て愚かだったんだろう」
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侯爵様の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ルシア...ありがとう...ごめんなさい...」
その言葉と共に、次々と涙が溢れていく。侯爵様の肩が小刻みに震えている。
私も涙が止まらなくなった。侯爵様の痛みが、直接心に伝わってくるようだった。
「侯爵様...」
立ち上がって、侯爵様の傍に行く。何も言わずに、そっと手を握った。
侯爵様の手は、温かくて、でも震えていた。
「エリアナ...」
侯爵様が私を見た。涙で濡れた目が、こんなにも純粋で、こんなにも美しい。
「君のおかげで、私は前に進める」
侯爵様の声が、かすれている。
「復讐ではなく、未来を選ぶ。それがルシアの願いだから」
私は頷いた。涙で言葉が出てこない。
「君がいなければ、私はまだ過去に囚われていた」
侯爵様が私の手を強く握る。
「本当に...本当にありがとう」
その感謝の言葉に、私の心が溢れそうになった。
「良かった...」
ようやく声が出た。
「侯爵様が、前を向いてくれて...本当に良かった...」
二人とも、涙を流しながら、ただ手を握り合っていた。
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どれくらいそうしていただろう。やがて、侯爵様がゆっくりと立ち上がった。
「エリアナ」
侯爵様が私の名を呼ぶ。その声には、今までにない温かさが込められていた。
「こちらへ」
侯爵様が手を差し出す。私はその手を取り、立ち上がった。
そして——。
侯爵様が、優しく私を抱きしめた。
心臓が激しく鳴る。侯爵様の胸の鼓動も、すぐ近くで感じる。温かくて、力強い。
「ありがとう」
侯爵様の声が、耳元で聞こえる。
「君がいてくれて、私は救われた」
私も侯爵様を抱きしめ返した。この温もりが、どれほど尊いものか。
涙が、また溢れてきた。でも、今度の涙は、悲しみではなく、喜びの涙だった。
「侯爵様...」
小さく呟く。
「私も...私も嬉しいです」
抱き合ったまま、静かな時間が流れた。暖炉の火が優しく揺れ、部屋を照らしている。外では、夜風が木々を揺らす音が聞こえる。
すべてが、優しくて、温かかった。
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やがて、侯爵様がゆっくりと身体を離した。でも、手は繋いだままだった。
「君に伝えたいことがある」
侯爵様が真剣な眼差しで私を見る。
「これから、私は変わる。復讐に囚われた男ではなく、未来を生きる男になる」
その決意に満ちた声が、心に響いた。
「そして...」
侯爵様が少し照れたように視線を逸らす。
「君と共に、その未来を歩みたい」
私の心臓が、ドキドキと激しく鳴った。
「侯爵様...」
「エリアナ」
侯爵様が再び私を見た。
「君は私にとって、かけがえのない存在だ。君がいなければ、私は救われなかった」
その言葉に、涙がまた溢れそうになった。
「私も...侯爵様は、私にとって大切な方です」
精一杯の想いを込めて、そう答えた。
侯爵様が優しく微笑む。涙の跡が残る顔だったけれど、その笑顔は本当に美しかった。
「ありがとう」
もう一度、そう言って、侯爵様は私の手を優しく握った。
私は部屋を出る前に、語り箱を取り出した。この瞬間を、ことりと共有したかった。
> 侯爵様が変わりました。前を向く決意をしてくれました。
【ことり】
*************
確率: 72%
素晴らしい変化です。
人は愛によって変わることができます。あなたの想いと、ルシアさんの願いが、侯爵様を救いました。
この変化は、お二人の未来に大きな希望をもたらすでしょう。
*************
[魔力: 140/150] (-10)
ことりの言葉に、心が温かくなった。確率72%。高い数字だった。
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部屋を出て、廊下を歩く。夜の静けさの中、私の足音だけが響いている。
心が、今までにないほど満たされていた。侯爵様が救われた。ルシアさんの願いが叶った。そして、侯爵様と私の絆が、さらに深まった。
自分の部屋に戻り、ベッドに座る。窓の外には、満天の星空が広がっていた。
「ルシアさん」
小さく呟く。
「侯爵様を、救ってくれてありがとうございます。あなたの愛が、侯爵様を未来へと導きました」
星が、優しく瞬いている。まるで、ルシアさんが応えてくれているようだった。
私は窓辺に立ち、星空を見上げた。夜風が頬を撫でる。冷たいけれど、心地よい。
「これから、どんな未来が待っているんだろう」
独り言のように呟く。
不安もある。でも、それ以上に期待がある。侯爵様と共に歩む未来。それは、きっと素晴らしいものになる。
暖炉で沸かしたお湯で、紅茶を淹れた。カップを両手で包むと、温かさが手のひらに伝わってくる。一口飲むと、優しい香りが口の中に広がった。
部屋の暖炉も、優しく燃えている。その光が、部屋全体を包み込んでいる。
私はベッドに横になり、今日の出来事を思い返した。侯爵様の涙。抱擁の温もり。そして、未来への決意。
すべてが、夢のようだった。でも、これは現実。私の大切な現実。
「明日も、頑張ろう」
小さく呟いて、目を閉じた。
心地よい疲労感が、身体を包んでいる。今日は、本当に長い一日だった。でも、素晴らしい一日だった。
眠りに落ちる前、もう一度侯爵様の言葉を思い出した。
『君と共に、その未来を歩みたい』
その言葉が、心の中で優しく響いていた。
**次回予告**
穏やかな日常の中で、二人の距離がさらに縮まる。庭園で交わされる、愛の言葉。告白の一歩手前で揺れる、二つの心——。
第84話「愛の芽生え確認」に続く。




