第82話: ルシアの手紙
夕方の日差しが地下書庫に差し込む窓から、細く伸びていた。埃っぽい空気の中、古い本の匂いが鼻をくすぐる。
昨日の議論から一日。侯爵様は姿を見せず、私も一人で考え込んでいた。そんな時、ふとことりから提案があった。
私は語り箱を取り出した。淡い青色の光が表面に浮かび上がる。
> ルシアさんが何か残しているかもしれない。書庫を調べるべきでしょうか。
【ことり】
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確率: 68%
推奨します。
地下書庫には未整理の資料が多数あります。特に、個人的な品々が保管される可能性が高い場所として、南側の奥の棚を調べることをお勧めします。
ルシアさんの私物が残されている可能性があります。
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[魔力: 140/150] (-10)
確率68%。希望を持てる数字だった。
私は地下書庫の奥へと進んだ。石造りの壁は冷たく、足音がやけに大きく響く。南側の棚は、確かに他よりも古く、埃が積もっていた。
一つ一つ、丁寧に棚を調べていく。古い本、書類、そして——。
「これは...」
棚の奥、目立たない場所に、小さな木箱が置かれていた。表面には精巧な彫刻が施されている。手に取ると、思ったよりも軽い。
箱を開けると、中には丁寧に畳まれた手紙が入っていた。紙は古く、黄ばんでいる。でも、文字ははっきりと読める。
私は息を呑んだ。これは——。
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「エリアナ」
背後から声がした。振り返ると、侯爵様が立っていた。一日ぶりに見る彼の顔は、疲れているように見えた。
「侯爵様...」
「フィリップスさんから聞いた。君が書庫を調べていると」
侯爵様が私の傍に来る。そして、私の手にある手紙を見た。
「それは...」
「多分、ルシアさんの手紙だと思います」
私は手紙を侯爵様に差し出した。
侯爵様の手が震えていた。ゆっくりと手紙を受け取り、開く。
沈黙が流れた。侯爵様の目が、手紙の文字を追っている。その表情が、徐々に変化していく。驚き、悲しみ、そして——。
「ルシア...」
侯爵様の声が震えた。
私も、横から手紙の内容を読ませてもらった。
『愛する人へ
もしあなたがこの手紙を読んでいるなら、私はもういないのでしょう。
あなたに言いたいことがたくさんあります。でも、一番大切なことを。
復讐ではなく、未来を選んでください。
私の死を理由に、あなたが苦しむことを望んでいません。あなたには幸せになってほしい。誰かを愛し、愛され、笑顔で生きてほしい。
それが、私の唯一の願いです。
あなたの幸せを、心から願っています。
——ルシア』
手紙を読み終えた侯爵様の頬に、大粒の涙が伝っていた。
「ルシア...ありがとう...」
その声は、かすれていた。
私も涙が止まらなくなった。ルシアさんの想いが、こんなにも温かく、こんなにも深い。
「侯爵様...」
私は小さく呟いた。
「ルシアさんも、侯爵様の幸せを願っていました」
侯爵様が私を見た。その目には、涙が溢れている。
「エリアナ...君は、正しかった」
侯爵様の声が震える。
「私は...私は間違っていた。復讐に囚われて、ルシアの本当の願いを見失っていた」
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地下書庫の冷たい空気の中、私たちは静かに立ち尽くしていた。
侯爵様が手紙を胸に抱きしめる。その姿が、痛々しくて、でも美しかった。
「十五年間...私は何をしていたのだろう」
侯爵様の呟きが、静かに響く。
「いいえ」
私は首を横に振った。
「侯爵様は、ルシアさんを愛していました。その愛は、決して間違っていません」
侯爵様が私を見た。
「でも、復讐は——」
「復讐も、愛の一つの形だったのかもしれません」
私は優しく言った。
「でも、今、侯爵様はルシアさんの本当の願いを知りました。それは、侯爵様の幸せです」
侯爵様の目から、また涙が溢れた。でも、今度の涙は、少し違う気がした。悲しみだけでなく、何か温かいものが混じっている。
「君がいてくれて良かった」
侯爵様が静かに言った。
「君がいなければ、私はこの手紙を見つけることもなかった。ルシアの本当の願いを知ることもなかった」
その言葉に、私の胸が温かくなった。
「私は...ただ、侯爵様に幸せになってほしかっただけです」
侯爵様が優しく微笑んだ。涙で濡れた顔だったけれど、その笑顔は本当に美しかった。
「ありがとう、エリアナ」
私たちは、もう一度手紙を読み返した。ルシアさんの文字が、愛情と優しさに満ちている。彼女の温かさが、古い紙からも伝わってくるようだった。
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地下書庫の窓から、夕日が差し込んでいた。オレンジ色の光が、埃の舞う空気の中を通り抜ける。
「ルシアは、いつも優しかった」
侯爵様が静かに語り始めた。
「私が怒っている時も、悲しんでいる時も、いつも傍にいてくれた。そして、いつも私の幸せを願っていてくれた」
侯爵様の声は穏やかだった。
「この手紙は、彼女らしい。最後の最後まで、私のことを思ってくれていたんだ」
私は頷いた。
「ルシアさんは、本当に侯爵様を愛していたんですね」
「ああ」
侯爵様が手紙を見つめる。
「そして、私も彼女を愛していた。今でも愛している」
その言葉に、私の胸がキュッと締め付けられた。侯爵様のルシアさんへの愛は、とても深くて、純粋で。
「でも...」
侯爵様が私を見た。
「君のおかげで、私は前に進める。復讐ではなく、未来を選ぶことができる」
その眼差しに、決意が宿っていた。
私は小さく微笑んだ。
「それが、ルシアさんの願いです」
侯爵様が頷く。
「ああ。だから、私は未来を選ぶ。ルシアの願いを叶えるために」
地下書庫の空気が、少しだけ温かくなった気がした。石造りの壁も、冷たい床も、今は優しく感じられる。
侯爵様が手紙を大切に畳み、元の箱に戻した。
「この手紙は、私の宝物だ」
その言葉が、心に染み込んでいった。
私たちは静かに地下書庫を後にした。夕日に染まる廊下を歩きながら、私は思った。
ルシアさん、ありがとうございます。あなたの愛が、侯爵様を救いました——。
**次回予告**
涙の後に訪れる、静かな夜。侯爵様の心に、大きな変化が訪れる。復讐心からの解放、そして新しい一歩——。
第83話「涙と解放」に続く。




