第81話: 葛藤
書斎の窓から差し込む昼の光は、穏やかで優しかった。でも、この部屋に満ちる空気は重く、緊張感に張り詰めていた。
昨夜、侯爵様の口から語られたルシアさんの真実。彼女が冤罪で命を奪われたこと。侯爵様が十五年もの間、復讐を胸に秘めていたこと。すべてが私の心に重くのしかかっていた。
「ルシアの無念を晴らすためにも、敵を倒す」
侯爵様の声は静かだったが、その奥に宿る決意は揺るぎないものだった。書斎の机を挟んで向かい合う私たちの間に、フィリップさんも立ち尽くしている。
私は深く息を吸い込んだ。言わなければならない。
「でも、侯爵様」
私の声は震えていた。でも、ここで黙っていたら、後悔する。
「復讐では...侯爵様は幸せになれません」
侯爵様の表情が固まった。フィリップさんが心配そうに私を見る。
「幸せ、だと?」
侯爵様の声が低く響く。
「私はルシアの無念を晴らすのだ。それが私の使命だ。幸せなど——」
「違います!」
思わず強い口調になってしまった。でも、引くわけにはいかない。
「ルシアさんは、侯爵様に幸せになってほしかったはずです。復讐に囚われて、侯爵様が苦しみ続けることなんて、望んでいなかったはずです」
「君に何が分かる」
侯爵様の声が鋭くなる。でも、私は目を逸らさなかった。
「私は...確かにルシアさんのことは知りません。でも、人を愛した人なら、その相手の幸せを一番に願うはずです。それは、前世でも、この世界でも、同じだと思います」
前世で見てきた。愛する人のために、自分を犠牲にする人たち。そして、その愛が相手を救うことも、苦しめることも。
「エリアナ様...」
フィリップさんが口を開きかけたが、侯爵様がそれを遮った。
「君は復讐を否定するのか。ルシアを死に追いやった者たちを、許せというのか」
「許すかどうかは、侯爵様が決めることです」
私は一歩、侯爵様に近づいた。
「でも、復讐のために自分を犠牲にしないでください。ルシアさんは、それを望んでいないはずです」
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書斎の空気が凍りついたようだった。侯爵様の目が、深い悲しみと怒りに揺れている。
「君は...君は分かっていない」
侯爵様の声が震えた。
「十五年間、私はこの日のために生きてきた。ルシアの無念を晴らすために。それを否定されて、私はどうすればいい」
その言葉に、私の胸が締め付けられた。侯爵様の痛みが、直接心に伝わってくるようだった。
「侯爵様...」
涙が溢れてきた。止めようとしても、止まらなかった。
「あなたに...幸せになってほしいんです」
声が震える。視界が涙で歪む。
「復讐ではなく、未来を見てほしいんです。ルシアさんも、きっとそれを望んでいるはずです。だから...だから...」
言葉が続かなくなった。涙が頬を伝う。
侯爵様が呆然と私を見つめていた。その目に、動揺が浮かんでいる。
「エリアナ...」
侯爵様が私の名を呼んだ。その声には、今までにない戸惑いが滲んでいた。
フィリップさんが静かに近づいてきた。
「お二人とも、少し落ち着きましょう」
彼の声は優しかった。
「アレクサンダー様、エリアナ様。お二人とも、互いを思うからこそ、こうして激しく言葉をぶつけ合うのです」
フィリップさんの言葉に、侯爵様の肩が小さく震えた。
「...少し、考えさせてくれ」
侯爵様は静かにそう言うと、書斎を出て行った。扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
私はその場に立ち尽くしたまま、涙を拭うこともできなかった。
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「エリアナ様」
フィリップさんが、そっと肩に手を置いた。
「お疲れになりましたね」
その優しい言葉に、また涙が溢れた。
「フィリップさん...私、間違ったことを言ったでしょうか」
「いいえ」
フィリップさんは首を横に振った。
「あなたは正しいことを言いました。でも、アレクサンダー様にとって、それはとても辛い真実なのです」
彼は窓の外を見つめた。
「十五年間、復讐を胸に生きてきた。それを手放すことは、自分の人生を否定することにも等しいのです」
「でも...」
「でも、あなたの言葉は届いていますよ」
フィリップさんが私を見て、優しく微笑んだ。
「アレクサンダー様は動揺していました。あなたの涙を見て、初めて自分の復讐が誰かを悲しませることに気づいたのです」
私は語り箱を取り出した。この状況をどう考えればいいのか、ことりに聞いてみたかった。
> 侯爵様との意見の対立。私は正しいことをしたのでしょうか。
【ことり】
*************
確率: 65%
あなたの行動は正しかったと考えられます。
復讐に囚われた人を救うには、時に厳しい真実を伝える必要があります。ただし、相手の心の準備ができていない場合、反発を招くこともあります。
侯爵様には時間が必要です。焦らず、寄り添い続けることが大切です。
*************
[魔力: 140/150] (-10)
ことりの言葉に、少しだけ心が軽くなった。確率は65%。決して高くはないけれど、完全に間違っているわけではない。
「時間、ですか」
私は呟いた。
「そうです」
フィリップさんが頷いた。
「アレクサンダー様にも、あなたにも、時間が必要です。今はただ、互いを思う気持ちを信じてください」
窓の外では、午後の日差しが庭園を照らしていた。侯爵様は今、どこにいるのだろう。一人で、何を考えているのだろう。
私は窓辺に近づき、外を見つめた。風に揺れる木々の葉が、優しい音を立てている。
「侯爵様...」
小さく呟く。
「あなたに、幸せになってほしい。それだけなんです」
フィリップさんが静かに紅茶を淹れてくれた。温かなカップを両手で包むと、少しずつ心が落ち着いていく。紅茶の優しい香りが、張り詰めた心を解きほぐしてくれる。
「ありがとうございます」
「いいえ」
フィリップさんが優しく微笑んだ。
「お二人とも、互いを思っているからこそ、今日のようなことが起きるのです。それは決して悪いことではありません」
彼の言葉が、温かく心に染み込んでいった。
私は紅茶を一口飲んだ。温かさが身体中に広がっていく。
「私、待ちます」
ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「侯爵様が答えを見つけるまで、ずっと待ちます」
フィリップさんが優しく頷いた。
「その想い、きっと届きますよ」
書斎の窓から見える空は、どこまでも青く澄んでいた。明日は、どんな日になるのだろう。でも、どんな日が来ても、私は侯爵様の傍にいる。それだけは、揺るがない真実だった。
**次回予告**
地下書庫で、隠された秘密が明らかになる。ルシアが遺した最後の想い。それは、二人の未来を照らす光となるのか——。
第82話「ルシアの手紙」に続く。




