第72話: 二人の時間
翌日の夜、私は自分の部屋で読書をしていた。
コンコン、とノックの音がした。
「エリアナ」
侯爵様の声だ。私の心臓が、急に早く鳴り始めた。
「はい」
ドアを開けると、侯爵様が立っていた。いつもと違う、柔らかな表情をしている。
「良い夜だ。庭園を散歩しないか?」
「散歩、ですか?」
私は窓の外を見た。満月が、夜空に輝いている。
「はい、喜んで」
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庭園は、月明かりに照らされて幻想的だった。
銀色の光が、木々や花々を柔らかく照らしている。夜の冷たい空気が、頬を撫でる。でも、不快ではない。むしろ心地よい。
「綺麗ですね」
私が呟くと、侯爵様が頷いた。
「ああ。満月の夜は、特に美しい」
私たちは、ゆっくりと庭園の小道を歩いた。砂利を踏む音が、静かな夜に響く。
風が吹いて、私の髪が揺れた。
「少し、寒いか?」
侯爵様が心配そうに聞いた。
「大丈夫です」
本当は少し寒かったけれど、侯爵様と一緒にいると、不思議と温かく感じた。
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歩いているうちに、私の手が侯爵様の手に触れた。
一瞬、体が固まる。
侯爵様が、優しく私の手を握った。
「...いいか?」
低い声で聞かれて、私は頷くしかできなかった。
侯爵様の手は、大きくて温かかった。包み込まれるような感覚。その温もりが、腕を伝って体全体に広がっていく。
心臓が、激しく鳴っている。聞こえてしまわないか心配になるほど。
「君の手は、小さいな」
侯爵様が微笑んだ。月明かりに照らされた彼の顔が、いつもより優しく見える。
「侯爵様の手が、大きいだけです」
私は恥ずかしくて、少しだけ反論した。
侯爵様が小さく笑った。その笑い声が、夜の静寂に溶けていく。
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私たちは、手を繋いだまま歩き続けた。
「エリアナ」
侯爵様が静かに呼んだ。
「はい」
「君がいてくれるだけで、幸せだ」
その言葉に、私の胸が締め付けられた。
「私も...」
言葉を探す。心の中にある想いを、どう言葉にすればいいのか。
「私も、あなたと一緒にいると、安心します」
精一杯の言葉だった。でも、侯爵様は優しく微笑んだ。
「それは、嬉しい」
彼の手が、私の手を少し強く握った。その温もりが、心に染み渡る。
私たちは、庭園の奥へと進んだ。バラ園を抜けると、小さな池がある。月が、水面に映っていた。
「綺麗...」
私は思わず声を漏らした。
月の光が、水面でゆらゆらと揺れている。まるで、宝石が散りばめられたように輝いている。
「ここは、私のお気に入りの場所だ」
侯爵様が言った。
「あまり人に見せたことはない」
「それを、私に...?」
「君になら、見せたい」
侯爵様の紫色の瞳が、私を見つめている。その視線に、私は息が詰まりそうになった。
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池のほとりに、木製のベンチがあった。
「座ろうか」
侯爵様が促して、私たちはベンチに座った。
夜風が、優しく吹いている。花の香りが、かすかに漂ってくる。
「疲れていないか?」
「大丈夫です」
私は侯爵様を見上げた。彼の横顔が、月明かりに照らされている。彫刻のように美しい横顔。
「昨日は、ありがとうございました」
私が言うと、侯爵様が首を傾げた。
「何のことだ?」
「慰めてくださって」
昨日の私室での時間を思い出す。侯爵様の優しさ、温もり。
「当然のことをしただけだ」
侯爵様が答えた。
「君が辛い時、私はそばにいたい」
その言葉が、胸に響く。
「私も、侯爵様の傍にいたいです」
自分でも驚くほど、素直に言葉が出た。
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侯爵様が、ゆっくりと私の肩に手を回した。
「いいか?」
「...はい」
私は侯爵様の肩に、頭を預けた。
温かい。安心する。この人の傍にいると、すべてが大丈夫な気がする。
「こんな時間が、ずっと続けばいいのに」
私が小さく呟くと、侯爵様が答えた。
「ああ。私もそう思う」
彼の声が、頭の上から降ってくる。低くて、優しい声。
私たちは、しばらく黙って座っていた。
池の水面が、月の光を反射して揺れている。遠くで、夜鳥の鳴き声が聞こえた。風が、木々の葉を揺らす音。すべてが、穏やかで心地よい。
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「見て」
部屋に戻る前に、ことりに相談してみた。
> 侯爵様との距離を縮めるために、私にできることは?
【ことり】
*************
確率: 68%
あなたは既に正しい道を歩んでいます。
大切なのは、この瞬間を楽しむこと。焦らず、自然に心を開いていけば、関係は深まっていくでしょう。
あなたの素直な笑顔が、侯爵様にとって何よりの贈り物です。
*************
[魔力: 140/150 (-10)]
確率68%。自然に、か。
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庭園のベンチに戻ると、侯爵様が突然、空を指差した。
流れ星だった。一筋の光が、夜空を横切っていく。
「願い事を」
侯爵様が言った。
私は目を閉じた。心の中で、願う。
——ずっと、あなたの傍にいたい。
「何を願った?」
侯爵様が聞いてきた。
「...秘密です」
私は顔を赤らめた。
「そうか」
侯爵様が笑った。
「私もだ」
「侯爵様も、願い事をしたんですか?」
「ああ」
侯爵様が私を見つめた。
「でも、それも秘密だ」
彼の紫色の瞳が、月明かりの中で優しく輝いている。
もしかしたら、同じことを願ったのかもしれない。そう思うと、胸がキュンとした。
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星空を見上げた。無数の星が、夜空に散りばめられている。
「星が、こんなにたくさん」
「王都では、見られない景色だ」
侯爵様が言った。
「ここは、空気が澄んでいる」
「前世では...」
私は言いかけて、口をつぐんだ。でも、侯爵様は待っていてくれた。
「前世では、こんなに星を見ることはありませんでした」
「そうか」
侯爵様が頷いた。
「それなら、これから一緒に、たくさん見よう」
「...はい」
私の目に、涙が滲んだ。嬉しくて、幸せで、涙が出そうになる。
侯爵様の腕が、私を優しく抱きしめた。
「泣かなくていい」
「泣いてません」
「そうか」
侯爵様の声が、笑っていた。
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どれくらい時間が経ったか分からない。
私たちは、ベンチに座ったまま、星空を見上げていた。
夜風が心地よい。花の香りが、時折風に乗って運ばれてくる。侯爵様の温もりが、私を包んでいる。
完全にリラックスしていた。
この瞬間が、永遠に続けばいいのに。
「そろそろ、戻ろうか」
侯爵様が優しく言った。
「夜も更けた。風邪を引いてしまう」
「はい」
少し名残惜しかったけれど、私たちは立ち上がった。
侯爵様が、再び私の手を握った。私たちは、手を繋いだまま屋敷へと戻った。
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部屋の前まで来ると、侯爵様が立ち止まった。
「今夜は、ありがとう」
侯爵様が微笑んだ。
「こちらこそ」
私も笑顔を返した。
「侯爵様と過ごせて、幸せでした」
「また、一緒に散歩しよう」
「はい」
侯爵様が、私の頭を優しく撫でた。その手が、温かい。
「おやすみ、エリアナ」
「おやすみなさい、侯爵様」
侯爵様が去っていく背中を見送りながら、私は胸に手を当てた。
心臓が、まだ激しく鳴っている。
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部屋に入り、ベッドに座った。
今夜のことが、夢のようだった。
手を繋いだこと。肩に頭を預けたこと。流れ星を見たこと。すべてが、宝物のような思い出。
「侯爵様...」
私は頬に手を当てた。まだ、熱が引かない。
窓の外を見ると、満月が輝いていた。
あの月の下で、私たちは特別な時間を過ごした。
「好き...」
小さく呟いた。
私は、侯爵様を愛している。
その想いが、日に日に強くなっていく。
でも、呪いのことがある。簡単に想いを伝えることはできない。
それでも、今は幸せだった。
侯爵様の傍にいられる。それだけで、十分に幸せだった。
私はベッドに横になり、目を閉じた。
心が、温かかった。
ゆっくりと、眠りについた。
夢の中でも、侯爵様の笑顔が見えた。
**次回予告**
幸せな時間を過ごすエリアナ。翌日、親友のリリーが屋敷を訪れる。恋愛トークが盛り上がり、リリーに「侯爵様のこと好きって認めなさいよ」と迫られて——。女の子同士の楽しい時間が始まる。
次回、第73話: リリーとの時間。




