第71話: 侯爵様の慰め
昨夜はぐっすりと眠れた。体も心も疲れていたけれど、朝目覚めた時には少し楽になっていた気がする。魔力も回復している。
その日の夕方、私は自分の部屋で一人、窓辺に座っていた。
外の景色が、ぼんやりと霞んで見える。視界が、涙で滲んでいた。
「もっと、うまくできたはず...」
昨夜の作戦のことが、頭から離れない。確かに完全な失敗ではなかったけれど、もっと良い結果を出せたはずだ。もっと冷静に判断できていれば。もっと的確に動けていれば。
自分を責める思いが、胸の中でぐるぐると渦巻いている。
涙が一粒、頬を伝って落ちた。膝の上に握りしめた手が、震えている。
「私は、まだまだ...」
前世のSEとしての経験があっても、この世界では私はまだ未熟だ。魔法も、戦闘も、すべてが不十分だ。
侯爵様や仲間たちに、迷惑をかけてしまっている。その事実が、胸を締め付ける。
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コンコン、とノックの音がした。
「エリアナ」
侯爵様の声だった。
「は、はい」
私は慌てて涙を拭った。でも、きっと顔は赤くなっている。
ドアが開き、侯爵様が入ってきた。私の顔を見て、彼の表情が変わる。
「泣いていたのか」
「いえ、その...」
言い訳しようとしたけれど、声が震えていた。
侯爵様が近づいてきて、私の隣の椅子に座った。近い。心臓が早く鳴る。
「一人で抱え込むな」
侯爵様の声は、優しかった。低く落ち着いた声が、心に染み渡る。
「昨夜のことを、自分だけの責任だと思っているだろう」
「...はい」
正直に答えるしかなかった。
「私がもっとしっかりしていれば、もっと良い結果が...」
「そうかもしれない」
侯爵様は否定しなかった。でも、その言葉には優しさがあった。
「でも、失敗から学べばいい」
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侯爵様の深い紫色の瞳が、私を見つめている。
「君は、一人じゃない」
その言葉に、また涙が溢れそうになった。
「私がいる。フィリップスさんがいる。マーガレットさんがいる。みんなが、君を支えている」
「侯爵様...」
「だから、一人で背負わなくていい」
侯爵様の手が、私の手に触れた。大きくて、温かい手。その温もりが、私の震えを止める。
「君は十分に頑張っている。それを、忘れないでほしい」
私は、もう我慢できなかった。涙が、ぼろぼろと溢れてくる。
「ありがとう、ございます...」
侯爵様が優しく、私を抱きしめてくれた。
温かい腕の中で、私はすべてを委ねた。堰を切ったように、涙が流れる。
「泣いていい。誰も見ていない」
侯爵様の声が、頭の上から降ってくる。その優しさに、私はただ泣き続けた。
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どれくらい時間が経ったか分からない。
ようやく涙が止まり、私は侯爵様の腕の中で顔を上げた。
「すみません、服が...」
侯爵様のシャツが、私の涙で濡れていた。
「気にするな」
侯爵様が微笑んだ。その笑顔に、私の胸がまたドキリとする。
「少しは、楽になったか?」
「はい」
本当だった。心が、少し軽くなっている。
「良かった」
侯爵様が立ち上がった。
「実は、君を私の私室に招きたくて来た」
「私室、ですか?」
驚いて聞き返した。侯爵様の私室は、誰も入れない場所だと聞いている。
「ああ。二人だけで、ゆっくり話がしたい」
その言葉に、頬が熱くなった。
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自分の部屋に戻る前に、私はことりを取り出した。
> 侯爵様との関係で、今の私に必要なことは何でしょうか?
【ことり】
*************
確率: 65%
今のあなたに必要なのは、「素直になること」です。
侯爵様は、あなたの支えになりたいと願っています。その想いを受け入れ、自分の弱さも見せてください。完璧である必要はありません。
あなたの素直な姿が、関係をより深めるでしょう。
*************
[魔力: 140/150 (-10)]
確率65%。素直になること、か。
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侯爵様の私室は、屋敷の最上階にあった。
ドアを開けると、落ち着いた雰囲気の部屋が広がっていた。暖炉があり、書棚が壁一面を覆っている。革張りのソファが二つ、暖炉の前に置かれていた。
「ここが、私の私室だ」
侯爵様が暖炉に火を入れる。パチパチと薪が燃える音が、静かな部屋に響く。
「座ってくれ」
私はソファに座った。柔らかい革の感触が、心地よい。
侯爵様も隣に座り、紅茶を淹れ始めた。
「君は、知っているか?」
侯爵様が静かに言った。
「私も、かつて失敗で苦しんだことがある」
「侯爵様が...?」
驚いて顔を上げた。
「ああ。若い頃、判断を誤って、仲間を危険にさらした」
侯爵様の表情が、少し暗くなる。
「その時、私は自分を責め続けた」
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侯爵様が紅茶をカップに注ぎ、私に手渡してくれた。温かいカップを両手で包む。
「でも、ある人が言ってくれた」
侯爵様が続けた。
「『失敗は成長の糧だ。大切なのは、そこから何を学ぶかだ』と」
「...そうですね」
「その言葉に救われた」
侯爵様が私を見つめた。
「だから、君にも同じことを伝えたい」
「ありがとうございます」
私は紅茶を一口飲んだ。ダージリンの優雅な香りが、口の中に広がる。温かい液体が喉を通り、体の中から温めてくれる。
「君がいてくれて、私も救われている」
侯爵様の言葉に、私は驚いて顔を上げた。
「え?」
「君は、この屋敷に光をもたらしてくれた」
侯爵様の紫色の瞳が、暖炉の光を反射して輝いている。
「君の優しさ、君の強さ、君の存在そのものが、私の支えになっている」
「侯爵様...」
それは、告白に近い言葉だった。
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私の胸が、激しく鳴っている。
「私は...」
何か言おうとしたけれど、言葉にならなかった。
侯爵様が優しく微笑んだ。
「今は、無理に答えなくていい」
彼の手が、私の頭を優しく撫でる。その温もりが、心地よい。
「ただ、君に伝えたかった」
暖炉の火が、パチパチと音を立てている。温かい熱が、部屋全体を包んでいる。
私は紅茶のカップを両手で包み、その温もりを感じた。心が、穏やかになっていく。
窓の外は、すっかり暗くなっていた。夜空に、星が輝いている。
「この部屋、落ち着きますね」
私が小さく言うと、侯爵様が頷いた。
「ああ。一人で考え事をする時、ここに来る」
「素敵な場所です」
「君がいると、もっと素敵になる」
侯爵様の言葉に、また頬が熱くなった。
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私たちは、しばらく黙って紅茶を飲んでいた。
沈黙は、少しも苦しくなかった。むしろ、心地よかった。
暖炉の温かさ、紅茶の香り、侯爵様の隣にいる安心感。すべてが、私を包み込んでくれている。
「エリアナ」
侯爵様が静かに呼んだ。
「はい」
「これからも、君の傍にいさせてほしい」
その言葉が、私の心に深く刻まれた。
「こちらこそ...お願いします」
私は小さく答えた。
侯爵様の笑顔が、暖炉の光に照らされて優しく輝いていた。
この人の傍にいたい。その想いが、心の奥底から湧き上がってくる。
私は、この時間がずっと続けばいいのにと思った。
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部屋を出る時、侯爵様が私の肩に手を置いた。
「明日から、また一緒に頑張ろう」
「はい」
私は力強く頷いた。
廊下を歩きながら、私の心は軽かった。
侯爵様の言葉、温もり、優しさ。すべてが、私を支えてくれている。
自分の部屋に戻り、ベッドに座った。
今日は、大切な一日だった。
失敗に打ちひしがれていた私を、侯爵様が救ってくれた。そして、特別な時間を過ごせた。
「侯爵様...」
私は枕を抱きしめた。
心の中で、確信が芽生えていた。
私は、侯爵様を愛している。
その事実を、もう否定できない。
窓の外を見ると、満月が輝いていた。優しい光が、部屋を照らしている。
「明日から、また頑張ろう」
私は自分に言い聞かせた。
侯爵様がいる。仲間がいる。だから、私は前に進める。
そして、ゆっくりと眠りについた。心が、温かかった。
**次回予告**
侯爵様との距離が縮まったエリアナ。翌日、二人は月夜の庭園で特別な時間を過ごすことになる。手を繋ぎ、甘い言葉を交わし、星空を見上げる。恋心が、ますます深まっていく——。
次回、第72話: 二人の時間。




